Ep7:前夜
「準備できたー?」
玄関からクロアの呼びかける声が聞こえる。
クロアの周りには山と積まれたスーツケースの数々。
そしてそれをガルー(アッチの世界でいう馬だ)に引かれる馬車に運んでいく使用人達。
クロアとの別れを惜しむメイド達は目に涙を浮かべながら、「お嬢様、お怪我にお気をつけて」などと声をかけている。
「まったく、ハルといいみんなといい、たかだかこれしきのことで感傷的になりすぎです」
呆れたように溜め息をつくクロア。
「うん、まぁそうなんだけど…」
そういいながら俺も、クロアの何分の1の荷物を担ぎながらぐるっと辺りを見渡す。
豪華な装飾。馬鹿みたいな部屋数。
ここは元の世界の家とは比べようにも比べようがないが、それでも確かにここは今となっては『我が家』に成っていた。
思えばここに来てから5年間。俺は殆どの時間をここで過ごした。
言葉が分からなかったからほとんど外出できなかったというのもあるが、それを差し置いても俺にはここで学ぶことが山ほどあった。
武術。言葉。マナーや、その他とにかくたくさん。
図書館があったから文献には困らなかったし、ガイは俺にとって最高の教師だった。
クロアは最高の友達で、勉強のときはライバルだった。
この家で過ごした5年間は、アッチの世界で過ごした人生に迫る勢いで濃いものだ。
だから、ここを離れるのはそれなりに感慨深い。
「ハル、本当にもう行くわよ!」
「分かったわかった、今行くよ!」
そんな我が家の姿を目に焼き付けて、俺を待つクロアに駆け寄る。
俺たちはこれから、新しい生活を始めるのだ。
「え、学校?」
ガイからその話をされたのは、昨日の夕食の席でのことだった。
「あぁ、そうだ。学校といっても、軍人の候補生のための教育機関だが…まぁ、一般人の入学も許可されているし、学校といって差し支えないだろうな」
にこりと渋い笑顔を振りまくガイだが、クロアの怒りによってアフロ化した頭では格好がつかない。
「…クク…っ」
隣の席ではクロアが笑いを必死でこらえようとしてこらえ切れていない。
(「ちょ、笑うなよクロア。つられるだろ!」)
(「だって、あの頭で、何かっこつけ……プッ!」)
「どうした二人とも?」
「「いいえ、なんでもないです」」
真実を伝えたらきっとガイは傷つくだろうから言わないでおこう。
「そ、それで、その学校が一体…」
「ん?だから、明後日入学式だから、今日中に引越しの準備を済ませて置くようにな。
其処は全寮制だから、明日のうちに入寮しないと」
「…は?」
「ん?」
「入寮…引越し?」
「うん」
…………えっと。
「き、き、聞いてないよ!というより俺も入るの!?」
「当たり前だろ。お前だって俺の息子なんだから」
「え、いや、でも」
「ちなみにクロアはもう準備済みだからな」
「えぇ!?」
勢いよくクロアをみる。
「ん」
口にものを含んだままのクロアは、無言でピースを俺に突き出す。
「そ、そんな急に言われても!!」
「大丈夫だって。一応お前は私の、叔父のいとこの息子の友達のはす向かいに住むおじいさんの孫ってことにしてるから。大丈夫」
「思いっきり他人じゃない!?」
「大丈夫大丈夫、問題なし」
「うぇぇ〜……!?」
ガイアス中将。知将と名高い百戦錬磨の猛者。…なんだけど、プライベートだとこんなすっとぼけたおっさんなのだから、なんだか悲しい。
「まぁとりあえずそういうことだから。引越しの準備、ちゃんと済ましておくんだぞ」
そしてガイはそのまま立ち上がり、食堂の扉を開けて自室へと帰っていった。
「とりあえずって……引越しって……」
突然すぎて言葉も出ない。
自分のものは少ないから準備はすぐに済むだろうが、だからって心構えまですぐに出来るわけじゃない。
「というか、そもそも軍学校って何するんだ?」
隣に座るクロアに尋ねる。
「さぁ…?とりあえず、超ハイレベルなあらゆる学問と、武術、それと……あれ、なんだっけ?」
「しるかよ…」
「まぁ、いいじゃない!きっと楽しいわ!!だって私たち、二人で同じ学校へ通えるのよ?」
「今だって一緒じゃん」
「もう、そういうことじゃないでしょ?それにハル、今まで外の世界を知らなすぎたのよ。
きっといい機会だわ。友達もできるしね!」
「…俺よりお前が心配だよ」
「え?」
「別に」
深いため息をつく。
俺、まだこの家でやりたいことたくさんあったし、ガイに教えてもらいたいこともたくさんあった。
別に学校に行かなくたって…。
「…ハル」
「ん?」
「またそんな顔してる」
クロアが俺の鼻をつまんできた。
「…んだよ」
「パパが言い出したのが突然だったからヘソ曲げるのも分かるけど」
「別にヘソなんて曲げてない」
「どうせ行くなら、楽しんでいきましょう。ね?」
ふわりと笑うクロア。
「………へん」
「ね?」
「いったたたたた!わ、わかったから、鼻、鼻痛い!!」
「ん。よろしい」
解放された鼻をさする。
ただでさえ黄色人種は鼻が低いというのに、これ以上もぎ取ってどうしようというのだろうか。
(ったく、この暴力女が)
「なんか言った?」
「いえ何も」
エスパーの幼馴染なんてお断りです。怖すぎる。
「それじゃ、話も終わったことだし。私もそろそろ荷物まとめてくるわ」
クロアが椅子から腰を上げる。
「あれ?準備もう済んだんじゃないの?」
そう尋ねる俺を、呆れたような目でクロアが見下ろす。
「女の子にはね、いろいろとあるの」
「は?なにが?」
「立ち入るな!」
「は、はい」
あぁ、しまった。また女心が分かってなかった。
「フン…貴方も、さっさと準備すれば?それじゃあね」
「おやすみー」
「おやすみ!」
そして肩を怒らせたままクロアも食堂を出て行った。
「……はぁ。学校、かぁ…」
頭の後ろで手を組み、天井を見上げる。
アッチの世界では見たこともないような、嘘みたいにでかいシャンデリア。
コッチの世界とアッチの世界。比較することも出来ないほど違う世界。
だけど、「学校」というファクターが、その二つを俺の中でダブらせる。
「…母さん、元気かな…」
久しぶりに母さんのことを思い出した。
突然置いてきてしまった。俺だけを頼りにしていた母さん。
その自覚があったかは知らないけど、あの時の母さんは確かに俺だけが支えだった。
俺がコッチの世界の来たのは意図してのことではないし、誰に謝る理由も無いのだけど。
けれど、どうしようもない罪悪感が俺の胸をつつき続ける。
「父さん、優奈…」
あの二人も元気だろうか。
…アッチの世界のことを思い出すと、切りがないな。
「思想にふけるのも、年取った証拠かな?」
ふ、と一人ごちる。
「たかが11歳が、よく言いますね」
「うぉ!?」
突然背後から聞えてきた声に驚いて振りかえる。
「め、メイカさん…いつから…」
「ずっといましたが」
「…ずっと?」「えぇ。ハル様の、お世話メイドですから」
「…ですよね」
「はい」
「………今の、は、」
「ユーナ、ですか?」
「うぇ!?」
なぜ、優奈の名前だけピックアップするのだろうか。
「え、えぇ、まぁ、そうですけど…」
「…大丈夫です」
メイカさんが胸を張って、にこやかに答える。…推定Gカップ。
「黙っていてあげます」
「Gか…うん……ん?…何を?」
「えぇ、わたくし、口堅いですから。えぇ。お嬢様には黙っていますから!」
「…え?」
「えぇ!」
「…いや、ちょっと、待とう。ちょっと待とう、メイカさん」
「えぇ!」
「えぇ、じゃなくて、その今にも駆け出しそうな足を止めよう!!引越しを明日に備えての怪我は嫌だ!!!」
「えぇ!!」
「えぇじゃなくてーーー!!目、輝いてるからーーーー!!!!」
「えぇ!!」
「メイカーーーーーー!!!!!」
叫んでのばした手は届かず。
災害をまき散らすため、腐ったメイドは嬉々として主の下へと駆けていった。
あ、終わったな、俺…。
なんか知らんけど、ただじゃすまない気がしてきた。
「…部屋、帰ろう…」
そして鍵をかけて閉じこもろう。防衛戦だな、うん。
「あー、学校か」
学校なんて、久しぶりだ。
というより同じくらいの年の子供を大勢見ることすらコッチに来てからなかったからな…。
「…俺、ともだちできるのかな?」
非常に疑問だ。
実年齢20代だしなぁ、俺。
「…へ、平気平気、大丈夫、平気、へっちゃら!!」
一人大声を出し、不安を吹き飛ばす。
「待っているのは薔薇色スクールライフ!!」
どうせなら首席なりなんなり狙ってやろう。
もしかしたら、それで軍のエリートコース入りして将来ガイの手伝いが出来るかもしれない。
「うん、それいいな」
今まで、ガイにはなにも返せていない。
ふだんの生活からこの世界の知識、全てをあの人に授けられたのに。
だから俺が軍人になってガイを助けるというのは、とてもいい案のように思える。
「お、なんか学校楽しみになってきたな」
軍学校というからには、組織の采配とか今までより本式な武術を教えてもらえるに違いない。
「うんうん、楽しそうだな!」
コッチに来てからは勉強が楽しくて仕方ない。
それもこれもガイのおかげだ。
(あぁ、あとクロアもだな)
やっぱりなにをやるにしても同レベルのライバルという存在はとても重要だていうことがよく分かった。
「…ん?クロア?」
その名に何か引っかかるものを感じて頭を傾げる。
「俺、なんか忘れてない?」
しばらく頭をひねるが思い出せず、仕方なしにそのまま部屋へと戻る。
数分後。
「この浮気者ぉぉーーーーっ!!!」
「これだぁぁぁーーー!!!」
部屋に突撃してきたクロアの叫びと魔法弾で、俺は否が応でも思い出すこととなる。