Another Ep2:遭遇
私がハルと初めてあった日は、この季節には珍しく雨が降っていた。
雨はこの世を憂う女神の涙とも言われるし、豊穣を願う祈りの涙とも言われている。
そんな雨が空気をしっとりと潤す中、私は仕事仲間の家から私の足たるウォーウルフのキリマに跨り家路を急いでいた。
「ワリ=イシュカ」
スキル(呪文)を唱えると、雨は私とキリマを避けるように軌道をそらす。
これで快適に家まで帰ることが出来る。
「さて、先を急ぐぞキリマ」
足でキリマの胴体を叩き合図するが、キリマは一向に動く様子がない。
「キリマ?」
「ヴゥゥゥ…」
キリマは鼻を細かく動かしながらキョロキョロとなにかをさがしているようだった。
キリマはウォーウルフの若い雌だ。
ウォーウルフは全世界でも最高峰の戦闘力を有する魔獣であるが、その有用性ゆえ二十年前の世界大戦で乱獲、希少種として保護されるまでに数を減らした。
そしてキリマはそんな情勢の中、軍に保護された銀狼で、色々あって今は私の相棒となった。
『牙を抜かれた飼い犬』
キリマをそう称してせせら笑うヤツもいるが、それは大間違いだ。
キリマは今でも人の頭蓋を一咬みで粉砕できるし、その目は100メートル先の獲物を正確に捉え、鼻は僅かな残り香でも逃さない。
そう、それが例え雨で流れた血の匂いであろうと。
「ヴォウッ!!」
キリマが何かを訴えるように私を見る。
その目に強い意志を感じ、私はキリマを信じて
「よし、行け!」と命じた。
たどり着いたのは、家からほど近い森の中。
そこに倒れる人影を見つけ、すぐさまキリマから降りて駆け寄る。
「君、大丈夫か!?」
声をかけるが返答はない。気を失っているようだ。
「おい、目を覚ませ」
倒れていたのは少年だった。
ただ、妙なのが、その少年は随分と擦り切れた古い布をまとっていることだ。
ここは軍都・エイファンの郊外。
帝都同様、帝国の中でも屈指の繁栄を誇るが、決定的に異なるのがその治安だ。
帝都と言えども、皇族が住まうアルノード城の周辺から離れれば、青空市だって開かれるしスラム街に近いものだってある。
しかしエイファンは違う。
見渡せば軍人がウジャウジャ。そんな中、しょっぴかれるリスクを犯す馬鹿は滅多にいない。
よく言えば規律のとれた安全な街。
悪く言えば、お堅いつまらない街。
そんなところに、こんな乞食同然の格好をした少年がいるはずがないのだ。
少年はよく見ると全身傷だらけだった。
致命傷に至るものはないが、相当痛むのか少年は苦しげにうなり声をあげる。
「うぅ…ウアァァ!!」
「大丈夫だ、いま治癒魔法をかけるからな」
とは言ったものの、私はハッキリいって魔法が得意ではない。
日常生活で役立つ程度の初級魔法なら使えるが、回復魔法ともなると容易ではない。
おそらくだが、「私は魔法が使える」という人間の大半が私のようなレベルだろう。
魔法陣や儀式の過程なしに一定水準以上の回復魔法や攻撃魔法を行える人物は、それほどまでに稀有な存在なのだ。
「……く、やはり私の魔法では、ここらが限界か」
少年の治療を始めて約数分。
表面上の切り傷、擦り傷などは大体治癒することができたが、内部へ蓄積されたダメージや内臓・骨・筋組織のレベルでの損傷は私の魔法では癒すことができない。
今少年が苦しんでいるのはまさにその痛みだ。
「一旦うちへ連れ帰って、メイカに診せるか」
メイカはうちで幼いころから働いているメイドだが、回復魔法に特化した才能を見せたので魔法の家庭教師をつけさせた。
そこらへんの医者よりもよっぽど頼りになる。
「聞こえるか、少年」
「うぅ…」
私の治療も無駄ではなかったのか、先ほどまで意識のなかった少年が薄い反応を見せる。
「今から君を私の家へ連れて行く。君の身分を保障するものがないから、治療したのち軍へ連行することになるかもしれないが、それは了承してほしい」
「……あ、あぁ…!」
少年がひときわ大きな声で呻き、うっすらとその瞼をあける。
「気づいたのか………!?」
その少年の瞳の色を見て息をのむ。
朱い…深い、深い、血のような朱。
アルノード帝国は広い。多種多様の人種がいる。
だが、そのすべてで共通すること―――赤い瞳は、死者だけのもの―――。
先天的に赤い瞳をもって生まれることはない。
わざとその色にしようとするものだっていない。
赤い瞳は死者のもの。誰が好き好んでその色を纏おうというのだろうか。
しかし、この少年の瞳は、まぎれもない朱。
死者のものよりわずかに薄い…しかし、それでも生者には持ち得ない色。
(軍機第9項………!!)
だが、私にはその理由がひとつだけ思い当たった。
佐官以上の者にしか伝えられないアルノード軍機密条項。
その第9項にはこう示されている。
『赤色の瞳を有する人間の身柄、及びその遺体は一般市民に多大な影響を及ぼす危険性があるため、最優先で捕獲すること』
身柄だけではない。遺体までその対象なのだ。
デッド オア アライブ。生死は問わず。
それだけの危険性があると見なすのが妥当だ。
(……このまま長時間治療を行わなければ、少年は死ぬ)
ことがことだ。おそらく軍は、人体実験も辞さないだろう。
(私が軍へ連れて行けば、この少年は死ぬ)
しかし私が連れて行かなければ、一般市民に被害が及ぶかもしれない。
私は、軍人だ。市民を守るべき者だ。
「……すまない」
覚悟をきめ、少年の肩をつかんだ。
そのとき…
「ゆう、な…」
その言葉を聞いた瞬間、心臓が飛び跳ねた。
ユーナ。
この世界で信仰されている、唯一神・ユーナ。
少年はその女神の名を口にした。
聞き間違えかもしれない。その可能性のほうが高い。
しかし、いまだに少年は苦しみながら、なお大事そうにその名を呼ぶ。
「話が、出来すぎだ」
助けを求めているのか。許しを乞うているのか。
死者のものにして清浄なる色をもつ少年は、自らの死を目の前にして女神の名を呼び続ける。
女神の名………それは、私のなくなった妻の名でもあった。
「…チッ!これで死んだりしたら、容赦しないからな!!」
私はいまから、軍規に背く。
「キリマっ!」
名を呼ぶとキリマはまさに飛ぶように私のそばへ来る。
「特急で家に帰るぞ。人の一人や二人、はねても構わん」
「ウォウ!!」
うれしそうにキリマが吠える。……生まれ持っての闘争本能に、火をつけてしまったような気がする。
「いくぞ!!」
そんな不安を無視して、少年を抱き抱えてキリマにまたがる。
その速度はまさに疾風の如く。
キリマは大地を駆ける風となり、次に目を開けた時には家の門前へと到着していた。
そして数日後、目を覚ました少年はその瞳を不安げにきょどきょどさせながら、わけのわからない言葉で私に感謝してきた(のだと思う)。
少年が眠っている間は私も警戒していたが、その邪気のない寝顔を見ているうちにその少年が娘のクロアとほぼ同じ年頃なのに気がついた。
そう思ってみると、なんだかその少年に情愛が湧いてきて、目覚めたときには随分と大喜びしてしまったものだ。
そんな私の過剰な喜びにも、少年は戸惑いながらも好感を抱いてくれているようだった。
「………ガイ」
ぼそりと自分の名前を呼ばれた時は、初めてクロアに「パパ」と呼ばれた時と似た感激が胸を突いた。
そこで私はハッキリと、もうこの少年を軍へ突き出すことはできないと確信した。
守りたいと、思ってしまったのだ。
(目が赤いだけじゃないか)
そう。その少年は瞳の色が赤いだけだ。
黒い髪は結構珍しい部類にはいるが、いないわけではない。
それに、これといって危険な様子はないのだ。
ただの、ちょっと青白い華奢な少年。
むしろその顔は愛らしく、成長すればさぞかし美しい青年になるだろうと思わせる素養が備わっていた。
言葉がわからないのには驚いたが、知能指数が低いわけでもないよだった。
私たちとは違うものではあるが、言語を約二種類操り、たやすく文字だと思われるものを書いて見せた。むしろ少年は非常に賢いともいえる。
それに、確かにアルノード帝国は中央大陸のほぼ全域を手中に収めているし、使われている公用語はほぼ全世界で統一されているものだ。
しかし、点在する島々までがそれにならっているわけではないし、私たちには踏み込めない領域に住む種族がいるのも発見されている。
他言語を話すからと言って、超一級危険人物、と言われてもそう簡単には頷けない。
(それに…)
テラスでメイドの入れるお茶を飲みながら、書類に目を通す。
今のところ軍から妙な茶々を入れてくる様子もない。ハルの存在はばれていないと思っていいだろう。
『うぉ、ちょ、クロア!!』
ふと庭を見ると、黒髪の少年が必死の形相で金髪の少女から逃げ惑う姿が見えた。
『なんだよ、なに怒ってるんだよ、いいからやめ…ちょ、ものを投げるな!!』
何を言っているかはわからないが、ハルを追いながらものを投げる娘を見る限り、また彼が何かして彼女を怒らせたのだろう。
『あ、あぶな!今のハサミだろう!?ハサミっていうかは知らないけど、ハサミだろう!!?
殺す気か……て、ナイフーー!!!わ、わかった、謝るから!!えっと、ごめんは、えっと
……「ご、ごめん」!!』
あ、謝った。
「ごめんですって!?謝って、なんて、わたし頼んでませんわ!!
ただ、いい加減メイドたちにデレデレするのをやめなさいと注意しているだけです!!」
それに対して「ごめん」、じゃなかったらなんと返答すればいいのだろう。
あの傍若無人な怒りっぷりは、ユーナの遺伝だと言うほかない。
『うぇぇ!?謝ったのにまだ怒ってるし!!あ、「助けてガイ」!!』
私が見ているのに気づいたハルが私に助けを求めてきた。
彼が私との授業で今まで覚えた言葉は「ありがとう」「ごめんなさい」「おはよう」「こんにちは」「こんばんわ」「おやすみなさい」。そして、「助けてください」。
必要に迫られて覚えたらしい最後の言葉が、非常に悲しい限りだ。
「クロア、そこらへんで許してあげなさい」
これ以上、クロアにいじめられるハルを見ていられないので助け船を出すことにする。
「だってパパ、ハルったらいつまでたってもメイドたちにデレデレと…!」
「ハルだってデレデレしているつもりはないんだろう。それに、お前が何を言っているかよくわかっていないんだ。反省のしようもない」
「だったらパパがさっさと言葉を教えればよろしいことでしょう!!」
……怒りの矛先がこっちに向いてしまった。
「…お前は本当に、ハルが好きなんだな」
それをちょっと横にそらすため、最近の娘によく効く爆弾を投下してみる。
「なっ…違います!同居人として、さ、最低限のマナーを教えているだけで…!!」
「はいはい、わかったわかった」
「ぱ、パパ!!」
顔を真っ赤にしても説得力がないと思うのだが。
なにはともあれ、ハルに対する攻撃は沈静化したのか、ハルがほっとした顔で「ありがとう、ガイ」と私に言う。
「気にするな、我が息子よ」
たぶん言っていることはわからないだろうが、それでもハルはうれしそうにほほ笑んだ。
(あー………かわいいなぁ…)
うちの子はみんな可愛い。
いまだにギャァギャァ文句を言っている実の娘は口やかましいが、見た目だけでいえば天使のように愛らしいし、妻に似て将来は美人になるだろう。
それにあんなひねくれた性格のくせに、一目ぼれ、だなんてかわいいじゃないか。
「クロア」
「なんですか!!」
「素直にならないと、トンビに油揚げをさらわれるぞ」
「なんのことです!?」
「うしろ」
「え?」
クロアが後ろを見る。
そこではクロアにつけられた切り傷、打ち身、その他をやさーしくメイカに治療してもらっているハルの姿。
「大丈夫ですか、ハルさま」
『「あ、ありがとう、メイカさん」』
それをみたクロアが面白いように固まった。
「は、は……!」
『あ』
クロアの不穏な雰囲気に気づいたハル。
(だけど、もう遅いだろうな)
ずず、と冷めたお茶をすすりながら書類に視線を戻す。
「ハルの馬鹿ぁぁぁぁーーーーーー!!!!!!」
愛娘の叫び声が、休日の青空に高らかに響き渡った。