Another Ep1:葬送
重いです。
読まなくても本編は分かりますので、純粋にトリップものが読みたい方は読み飛ばしてください。
真夏の、久しぶりに雨が降った日。
陽雪の葬儀はひっそりと行われた。
喪主は陽雪のお父さん。なんだか、ちょっと見ない間にずいぶんと老け込んでしまっている。
「おじさん」
声をかけると、おじさんは陽雪と良く似た、困ったような笑みを浮かべた。
「あぁ、優奈ちゃん。忙しいところ、わざわざありがとう」
「いえ…」
おじさんは、知っている。
陽雪が死んだのは私を居眠り運転の車からかばったからだということを。
車は私たちをはねて数メートルのところで停車した。
轢かれた衝撃で私はパニックになっていたから良く覚えていないけど、その人が呼んだ救急車で私たちは運ばれたらしい。
記憶があるのは、病院についてから。
奇跡的なことに私には殆ど外傷と言う外傷はなかった。
痣、擦り傷……日常生活でもできるようなものだ。
「あの……陽雪、は?」
私の治療をしてくれている看護士さんに尋ねたが、曖昧な笑みで「まだ治療中よ」と言うだけだった。
それからしばらく、私はただ待合室で待った。
『帰っていいわよ』と看護士さんが言ったが、私はそれを受け入れなかった。
ちゃんと言葉の意味を理解できていたかもよくわからない。
ただそのとき私は陽雪のことだけを考えていたから。
『優奈っ!!』
最後の記憶は、私の名を叫びながら駆けてくる陽雪の姿。
あの後すぐに私たちは白い光に包まれて、そのあとの記憶はない。
(優奈)
ふ、と。
陽雪に呼ばれた気がした。
薄暗い待合室のベンチから立ち上がる。
(優奈)
呼ぶ声はまだ聞こえた。
導かれるように私は歩いて、歩いて、歩いて。
辿り着いたのは、ドラマで見るような光景。
見上げる私を目の前にして、ふっと消える「手術中」の紅いライト。
厚い扉の向こうから人が歩いてくる音が聞こえて、私はあわててそばにあった非常階段へと逃げ込んだ。
「ご両親と連絡はついたのか?」
中年の男の人の声が、鉄の扉越しに鈍く聞こえる。
それに「はい、今ご夫婦でこちらに向かっているそうです」と女性の声。
「一緒に運ばれてきた少女のほうは?」
「彼女はごく軽傷でしたので、治療は完了したとのことです。ですが、どうも軽いショック状態になっているようで…。
確か、まだ待合室で、その…彼のことを、待っているはずです」
「…そうか。その子の方のご両親も呼んだ方がいいな」
「はい。既に連絡済みです」
「わかった」
はぁ、と胸の奥から吐き出すようなため息の音が聞こえた。
「…しかし、こういうのは何度やっても、慣れないものだな」
「そう、ですね」
「特に若い子はだめだ。相手を失う覚悟なんて、できているわけがないんだからな」
「…私だって、いますぐ旦那を失ったら…どうなるか」
「相手の少女は、ほぼ無傷、なんだったな」
「はい」
「そうか」
そしてまた漏れる溜息。
この人たちは何を話しているんだろう。誰の話をしているんだろう。
そんな嘘を自分につきながら、私は自分の中に聞こえる声にだけ集中した。
(優奈)
「陽雪」
(優奈)
「陽…雪」
男の人の声が聞こえた。
「彼の傷は、まるで二人分の傷を一身に受けたような、ひどいものだった」
「…はい」
「よほど守りたかったんだろう。気づいていたか?彼の手は、ずっと握られたままだった。
何も逃がさない、何も傷つけさせない……そんな意地を、見ているようだったよ」
「はい…!」
声に涙を混じらせる女性に「行こう」と男性が言って、二人は歩き去っていった。
私は、私は。
(優奈)
声が、聞こえた。
「おじさん、私、」
「優奈ちゃん」
切り出そうとする私の言葉を遮って、おじさんが話を始める。
「ありがとう」
「…え?」
困惑する私。
ありがとう?それはおかしい。だって私は陽雪を…。
「私が言えた義理ではないんだけどね。私は、逃げていた。
おかしくなった妻から…正陽の居なくなった家庭から。そこには、幼いアイツも居たというのに。
逃げ場があった私はまだ良かった。だけど、アイツは家しか帰るところがなかった。
だから、その気がなかったとしても…結果として、私はアイツに、家のことをすべて押し付けてしまっていた」
「おじ、さん」
そういうおじさんの顔は、ぐったりとくたびれきっている。
目の下には濃いくまができているし、肌の血色もずいぶんと悪い。
そんな中、おじさんの瞳だけが、何かに対する決意でギラギラと輝く。
「日が経てば経つほど、丸み帯びていたアイツの空気が、どんどん鋭利になっていくのが話さなくても分かった。
それで余計に、家に帰れなくなった。アイツの顔を見れなかった。
でも、たまに、家の空気が軽くなるのが分かっていた。それがどうしてか分からなかったけど、そう言うときはいつも
何かしらデザートが冷蔵庫に入っていた」
「あ…」
それは、知っている。
私がたまに思い立って作ったお菓子。それを家の分、友達の分、彼氏の分と分けて、最後に余ったヤツを陽雪にあげていた。
「きっと、優奈ちゃんが持ってきてくれていたんだよね?」
「は、はい…」
「だから、ありがとう」
「そんな、だって私、単に余ったのを陽雪にあげていただけで!」
私は謝らせて欲しいのに。謝って、楽に、なりたいのに。
しかし、「それでも」とおじさんは笑って言う。
「アイツはそれに、救われていた。話さなくても分かった。その日だけは、前のうちみたいな空気になっていたんだよ。
父として、大人として私はアイツに何もしてやれなかった。…それどころか、傷つけ続けた。
それを、君は救ってくれた」
おじさんが頭を下げる。
以前よりずっと白髪が目立つ頭が、私の目の前に。
「ありがとう、優奈ちゃん」
「おじさん…」
あぁ。どうやって、こんなに感謝してくれる人に独りよがりの謝罪をいえるのだろう。
きっとおじさんは、私を一種の救いにしているのに。
その人に救いを、許しを求めることは、私には………。
家に帰ると、喪服を着たお母さんが塩を持って出迎えてきた。
それを見てカッとなった私はお母さんを怒鳴りつけて、すぐに部屋に駆け込んで鍵を閉める。
「なんなの、どうして、そんなに簡単に陽雪を消すことができるの!?」
昔は自分の子供みたいにかわいがってたくせに。ちょっと前までちゃんとご飯を食べているのか気にしていたくせに。
死んだら、塩をふって厄介払い?
「冗談じゃないわよ!!!」
そんな私の怒鳴り声に呼応するように、携帯がなる。
煩わしく思いながら画面を見ると、そこには見慣れた一人の名前が映し出されている。
「……はい」
気が進まないが、一応出る。
『あ、優奈?俺。昨日メールしたんだけど見た?』
携帯からは、いつもと変わらない能天気な声が聞こえてくる。
(能天気?前まではその明るさが好きだったのに…私もずいぶんと、変わったのね)
ただ、いまはその明るさにひどく苛つく。
「…ごめん。見てない。いまちょっと、忙しくて」
『マジで?どうしたの、なんか用事?』
「うん。ごめんね。だから今はちょっと…」
『あ、じゃあさ、日曜は空いてる?俺、ちょうど見たい映画があってさ…』
(だから……)
「だから、今は話したくないの!分かんないわけ!?」
『え、優奈…?』
「名前呼ばないで!!!」
貴方に呼ばれると、陽雪の声が消えてしまう。
最後の陽雪の声。忘れたくない。
『優奈、どうしたんだよ、何かあったのか?』
「そう、何かあったの、貴方には到底理解できないとっても悲しいことがあったの。
だからこの後、私から連絡するまで絶対電話かけないで!!!」
そのまま乱暴に電話を切り、ベッドに投げつける。
携帯はベッドの上で数回跳ねたあと、また元のような静寂を取り戻す。
「っは、はぁ、はぁ………」
ずるずると、扉を背にして座り込む。
なんだかすごく疲れた。
「疲れたよ、陽雪………」
呼びかけると、声がする。
(優奈)
「陽雪…」
(優奈)
こみ上げる涙が、頬を伝って絨毯に落ちる。
ベッドの上で、携帯が鳴る。
「陽雪ぃ……!」
失ったものが、重すぎた。