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リターン  作者: 乾 澪
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Ep3:別離

やっとトリップものになりました。

最後の皿を洗い終え、右手にある乾燥棚に静かに置く。

「はぁ…」

深いため息をついてからリビングを振り返る。

しんと静まった空気。

しきり代わりの玉簾の向こうに人影はなく、音も、声も、温もりもない。

母さんがいるはずなのに。

いや、いるに決まってる。あの人がこの家から離れるなんてありえない。

こみ上げる不安を無理やり飲み下し、玉簾をくぐってリビングに出る。

「母さん」やっぱり母さんはテレビの前のソファーにポツンと座っていた。

「洗い物終わったよ」

「あら、ありがとう陽雪。」

「いいよ別に。それよりなんかテレビおもしろいのやってない?今日は確か水曜だから…」

「水曜?」

ピタリと母さんの表情が固まった。

「今日は水曜だったかしら?」

その問いに嫌な予感がしながら、そうだよと答える。

「なら…」

そして案の定、母さんは冷たい目で俺を見つめて聞いてきた。

「お兄ちゃんは部活、お休みでしょう?どうしてまだ帰らないのかしら…」

気道がぐっと狭くなるのがわかった。

お兄ちゃん。その単語を聴くと、俺はどうしようもなく死にたくなった。

「兄貴は、すぐに帰ってくるよ」

…ちゃんと笑えてるかな。なんだか今日はすごいつかれたから、自信がない。

「ちゃんと帰ってくるから」

あぁ。俺はあと何回この嘘を吐けばいいんだろう。

いつになったらこの下らない日常は終わってくれるんだろう。

「でも今日はトンカツを作るってお母さんいったのよ?それなのに、こんなに帰りが遅いなんておかしいじゃない!!」

(言ってることがムチャクチャだ)

トンカツを作ると決めたのは俺が帰ってきてからだし、

(いつもいつも、アンタの言ってることはムチャクチャなんだよ)


第一、死んだ人間がどうやって飯を食うと言うんだろう。



「ねぇ陽雪!?」

「分かったよ。俺が迎えに行ってくるから」

そういって母さんに背を向けて玄関へと向かう。母さんが何か叫んでいるのが聞こえるが、今日はもうそれを相手にする元気はない。

尚も縋るように聞こえる声を無視して、俺は扉を強く閉めた。







兄貴を迎えにいく。そんなことは俺が死にでもしない限り無理なわけで。

仕方なしに俺は夜の町をほっつき歩く。

おもしろいもんなんて何もない。ただの閑静な住宅街。

俺はその家々の間に走る道を当てもなく歩いたり曲がったりするだけだ。そう、当てもなく……………。



「なのにどうしてお前がいるわけ?」

古びた街灯が照らす十字路の向こう側。距離にして10メートル前後。

そこに夕方、喧嘩別れしたばかりの優奈がいた。

「どうしてって、うちの近くだもん」

「うん?」

優奈の言葉に辺りを見渡せば、そこは確かに優奈のうちの近所だった。

「…確かに」

「でしょ?」

「うん」

「………」

「…………」

「………あの、」

「それじゃ。お前もさっさと帰れよ」

優奈が話を切り出そうとしているのが分かって、慌てて踵を返す。

本当に今日はもうこれ以上無理。勘弁してください。

つまらない日常。それに甘んじるだめな自分。いつまでたっても現実をみない母さん。それから逃げる父さん。

それに加えて今日は、唯一の(勝手にだけど)救いだった優奈まで、こっちの世界に仲間入り。

本当に、勘弁してほしい。

「ちょっと待ちなさいよ!」

優奈が俺を追いかけようと歩き出した音が聞こえる。

「お前な、古今東西どこ探したってその台詞で立ち止まるバカなんて見つかんねえぞ」

それから逃げるために大股で歩く。

「いいから、止まれって言ってんのよこのどアホ!!」

「だからなぁ、優奈…」

「アンタ、私まで切り捨てるの!?」

その叫びに、思わず立ち止まって振り返る。

少し離れたところに居る優奈はあふれる涙を手の甲で拭いながら、必死で俺に叫んでいた。

「なんで、泣いてんだよ」

「アンタが、変わったから!正陽くんがいなくなって、アンタ変わった!アンタの世界全部変わった!!

 アンタのそばに居る人は皆いなくなって、アンタが全部切り捨てて。

 次は私!?ふざけんじゃないわよ、そんな勝手にされて黙ってられるほど従順じゃないのよ私は!!!」

優奈が大きな声を出すから。優奈が馬鹿みたいなこと言うから。

俺も思わずむきになって反論する。

「俺が切り捨てた!?それこそふざけてんじゃねえかよ!俺が変わった?!変わらざる得ないだろあんなの!!!

 兄貴がいなくなって、周りは全部変わった。その中で俺だけ昔みたいに、何にも考えない馬鹿でいられるわけねぇ

 だろ!!」

「それでもアンタは辛そうだった!嫌だったんでしょう、あの薄っぺらい笑顔浮かべてんの!!」

「当たり前だろ!あんなの楽しい訳あるか。でも仕方ねぇだろ!学校で、外でいくら前の俺でいたって、家に帰れば

 母さんが兄貴を待ってんだ!!俺が、俺が嘘ついてやらないと、あの人飯も食おうとしねぇんだ!!!」

「そうかもしれない!…うぅん、きっと、そうなんでしょうね。でも!!」

すぅ、と優奈が深く息をすう音が聞こえる。

それほど辺りは静かで、俺たちの怒鳴り声の残滓だけが空間に残っていた。

優奈が俺をみる。

「…私は、アンタに前みたいに、馬鹿みたいに、笑っていて欲しいのよ………」

その視線に耐えられなくて、俺はうつむいた。

ほら。すっかり俺は、逃げ癖が着いてしまっている。

夕方、優奈から逃げた。さっきは母さんから逃げた。そして今また、優奈の視線に耐えきれず俺はうつむいている。

(当たり前か)

俺はずっと「諦めて何もしない大嫌いな自分」から逃げてきた。

兄貴が死んだあの日からずっと。反省じゃなくて、後悔しかしない自分からずっと。

「俺はさ…自分が大嫌いなんだよ」

「そんなの…!」

「うん。変わる前の、お前の中の俺は、よくわかんないけど。今の俺は、嫌いだよ。

 だから自信も持てないし、死にたいってよく思うけど、死ぬほどの度胸も覚悟も俺にはない。

 お前がアイツに惹かれていくの見ていて引き止めることもできなかった」

「アイツ、って」

「さぁな。分からなくていいんじゃねえの。お前と俺は、ここまでだし」

「え?」

だけど、今だけは。

逃げないで、優奈と向き合って。

せめて優奈だけはこの世界から解放してあげようと、思う。

「優奈。お前、俺なんかにかまってる場合じゃないだろ。お前にとって大事なのは、俺じゃない」

「ばっ、何いってんの!?アンタが大切じゃないだなんてこと、あるわけないでしょ!!」

「でも俺以外にずっと大切なものがあるだろ。それを大事にしろよ。優先順位を間違えるな」

「アンタこそ何馬鹿みたいなこと言ってんのよ、いい加減にしないと本気でぶん殴るわよ!!?」

「優奈」

「なによ!!」

「ごめんな」

そして俺は歩き出す。そろそろ帰らないと、母さんがまたおかしなことしでかしてるかもしれないし。

「え……ちょっと、陽雪?」

「お前まで、こんなつまんない世界に巻き込めない。彼氏と仲良くな」

とかなんとか言って、俺はまた結局逃げてるだけなのかも。

うわ、マジで救えないな、俺。

でもこの世界に優奈を巻き込むのが正解だとは思えないし。

(これで、いいんだよな…)

だめな俺にできる、優奈への精一杯の救いだと、思うから。

「陽雪っ!!」

俺の名を呼ぶ優奈を振り返って、最後に一言。

「優奈、いままでありが…………」

何かがチカリと俺の視界に入る。

それはミラーに映る車のライトで、俺から見て左の道から車がすごい勢いで走ってきていた。

「ゆうな…!」

優奈を見る。俺の方へと駆け出そうとしている優奈は車がきていることに気づいていない。

車を見る。普通ならミラーに映った優奈の姿で減速しはじめそうなものの、その様子はみじんもない。

居眠りしているのか、暗闇の所為で優奈が見えないのか。

理由は知らないが、このままだと優奈が轢かれる。

俺の目の前で。

(兄貴と同じように)

「優奈、来るなっ!!!」

叫ぶが、優奈は止まらない。車も止まらない。

(っざけんなよ!!)

俺も優奈に向かって駆け出す。

なんでこうなるんだろう。俺のつまらない日常にこんなトラブルは今までなかったのに。

なんで今日に限ってこうなるんだろう。こんな閑静な住宅街で、今まで暴走車との人身事故なんてなかったのに。

ムカつく。俺が何をしたというんだろう。

…何もしなかったのか。何もしなかったから、こうなったのか?

知らないけど、もし神とやらがいるのだとしたら、髪をむしり取ってやりたいほど腹が立つ。

兄貴を奪ったこと。母さんをおかしくしたこと。俺をもっと強い人間にしてくれなかったこと。

そして優奈を、こんなトラブルに巻き込んだこと。

「もしこれで俺が死んだら、テメェ、覚悟しておけよな!!!!」

地獄行きになってでも、ボッコボコに顔つぶしてやる。

「優奈ぁっ!!!」

「陽雪っ…!」

突き飛ばす暇なんてない。優奈の腕をつかんで、胸の内に抱き込む。

「陽…?!」

ぎゅっと強く。車に背を向けて、少しも優奈がけがしないように。

(神様、頼むから)

今まで一度だって願いを叶えてくれなかった神様。

(お願いだから)

優奈だけは、助けてください。




視界が真っ白に染まるような強い光の中。

俺の意識は、そこで掻き消えた。



















次に目を覚ましたのは、見知らぬ世界。

『〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜?』

見知らぬ男が、聞いたことのない言葉で、満面の笑みを浮かべながら俺を見ていた。




俺の新しい世界が始まった。

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