Ep17:鼓舞
アリス編、山場です。過去最長です。
区切ればいいんだけど…毎度毎度、切れるところがよくわからない…。
とりあえず、次でアリス編終わりです。
「すいませーん、けが人一人つれてきましたー」
ずるずる ドサッ
床に放り捨てられる俺。
「はいはい、どちら様…って、またアルエルドくん?」と、奥から出てきた看護教員のレーナ先生が呆れ顔で俺を見る。
「…どうも…」
「今日は、っていうか、今日も、ランバルディアさんにやられたのね?」
頬に手を当ててため息をつくレーナ先生。
「や、やられたって先生、人聞きが悪いです。私は落ちていたものを拾っただけです!」
「嘘をつくなら、メリケンサックをはずしてからにしなさいね」
「うぐっ!」
「まったく…毎度毎度タイミングよくアルエルドくんを見つけるランバルディアさんがすごいのか、タイミング悪く怒らせるようなことをしているアルエルドくんがすごいのか。
どっちにしても、いい加減私も面倒なんだけどね?」
「ひどい…」
泣けてくる。
この学校に俺の味方はどこにもいないのか。
「それに、私も書類仕事が残ってるし…用具とか何でも使っていいから、勝手にやってって」
そういってレーナ先生は手をひらひらとさせながらまた部屋の奥へと引っ込んでいった。
「はーい、分かりましたー!」
余計な追求をされずにホッとしたのか、クロアもニコニコしながらソレを見送る。
「…さて、と。それじゃあ釈明タイムと参りましょうか」
「ウス…」
そして俺は後ろ襟をクロアにつかまれ、ずるずると引きずられながら移動することとなった。
「―――というわけで、アリスの様子がおかしいからだなぁ、俺は心配をしていたわけで。それだけなわけで」
と一気に言い終えた後、俺がさっき入れたフェアリーフより少し高級なルナリーフの紅茶をごくりと飲む。
「ふぅん…」
クロアも相槌を打ちながら、両手に持ったカップを傾ける。
「アリスの様子がおかしい、ねぇ…まぁ、確かにいつもと言動が違ってたけど…あ、思い出したらなんか腹立ってきたんだけど」
「茶を飲んで落ち着け。頼むから。ほら、茶菓子もここに入ってたから」
茶葉を見つけた棚の下の段を開ける。そこには多種多様の菓子がごろごろ入っていた。
「本当?わ、コレ私好きなんだぁ」
その中から高級そうな箱を取り出すクロア。
中にはうちでもよくおやつに出た焼き菓子。
「知ってるよ。ほら、食べて良いから」
「ありがとう!…ん、ルナリーフとすごく合う。うちの茶葉もルナリーフにしよっか?」
「んー、でもガイがフェアリーフ好きだろう?それにメイカさんもよく料理に使うし」
「そっかぁ…」
「まぁ、お前が飲みたいなら頼めば買ってくれるだろう。そのときは俺が煎れてやるよ」
「やった!私、ハルが入れるお茶が一番好き!」
クロアが笑う。
それをみて、俺も思わず微笑む。
「そうか?そりゃうれしいな」
「うん!」
「…はは!」
「えへへ」
久しぶりにのどかだ。
学校に入ってからはこうしてクロアと二人で話すことも少なくなっていたし、二人でのんびりすることなんてほとんどなかった。
怪我の功名、というやつだろうか。
「ちょっと貴方たち、もうすぐ休み時間終わるわよぉ?」
そんなほのぼのとした空気の中、レーナ先生が奥から顔を出す。
「あ、先生」
「別に私は貴方たちが授業サボろうとどうでもいい…じゃなくて、自主性に任せるけど、さすがに保健室でサボられるのは…」
と、先生の目がクロアが今正に口に入れた最後の焼き菓子に注がれる。
「………待って。もしかして、私が釣られたこのいい匂いって、隠しておいたルナリーフの匂い?」
「アレ、隠してたんだ」
湿布を探すときに適当にあけたら入っていたんだが。
「そして今ランバルディアさんがほおばっているのは、勤務時間中に抜け出して長い行列に並んで買ってきたオースティンの焼き菓子?」
「ほぅですけど」
口をもぐもぐさせながらクロアが言う。
「……」
黙り込んだ先生の体が震え始める。
「…あー…」
ヤバイな、と直感する。
自慢じゃないが、俺はこういう危機回避能力に関してはずば抜けていると思う。
日々、なんやかんや命の危機にさらされ続けて獲得した能力だ。
「クロア、立て。行くぞ」
クロアの腕を掴み立ち上がらせる。
「えぇ?まだお茶のみ終わってないんだけど…。それに、ハルの治療も終わってないし」
「ほっときゃ直る。それに慣れてるし…このままここにいるほうが、きっと怪我もひどくなるから」
「…?どういうこ―――」
クロアが尋ねようとした瞬間、
「くぁぁあああああえぇぇぇぇせぇぇぇぇぇぇーーーーー!!!」
鬼と化したレーナ先生がクロアに飛び掛った。
「きゃぁっ!」
「あぶなっ!!」
慌ててクロアを引っ張り、抱き寄せる。
「ぐるるる…」
獲物を捕らえ損ねた先生が振り返り、こちらを威嚇する。
「な、なにアレ、どうしたの先生?!」
「き、きっと、食べ物の恨みは恐ろしいぞ、ということだろう」
「恐ろしすぎない!??」
涙目で俺を見上げるクロア。
「…確かに」
あれは泣くほど怖い。
「私のお菓子ぃぃ……今日の唯一の楽しみぃぃぃ……」
背後にゆらゆらとオーラを背負った先生が、微妙に寂しい恨み言をつぶやく。
それが余計に怖い。
「逃げるぞ、クロア」
「逃げれるの、あれ?」
「大丈夫だ」
不安そうなクロアに微笑みかける。
「俺、いつもあんなクロアから逃げてるから」
「…す、少し控えようかしら、私も」
アレと一緒にされて少し自らを省みたらしい。
「そうしてくれると助かる………よし、行くぞ!」
そしてクロアの手を引いて出口へと走り出す。
「にぃぃがぁぁすぅぅぅかぁぁぁぁーーーー!!!」
ソレをおってくる鬼。
「きゃぁぁーーー!アラサーが追って来るぅぅぅーーー!!!」
「まだ28だっつぅの、この小娘がぁぁぁぁぁーーーーーーーーー!!!!」
だったらアラサーに間違いはないんじゃないか、とは口にしないでおこう。
というよりは、
「きゃぁぁーー!!」
「ぎゃぁぁーー!!」
「おらぁぁーー!!」
そんな余裕がないし。
………
……
…
「は、っは……怖かったぁ。アラサーの恨みは怖かった……はぁ…」
「そういうこというから、っは、余計に怖くなるんだ…」
走って切れた息を整える。
隣では同じようにクロアが膝に手をつき荒い呼吸をしている。
「今、えっと…授業開始3分前?私は教室近いから間に合うけど…」
「俺は微妙だな。また走らないと。はぁ…」
ため息をつく。
今日はなんだか疲れる日だ。
「それじゃあ、俺行くから。またな」
かといって授業に遅れるわけにも行かないので、急いで教室にいかなくては。
「あ、ハル!」
しかしクロアに呼び止められて、足を止めて振り返る。
「ん?」
「あのね、さっきの話聞いて思ったんだけど…」
「さっきの?」
「アリスのこと。きっと、あのセクハラ会長が関わってると思うの」
「…お前、ひょっとして会長のこと嫌い?」
「数式学のときも、戦闘訓練のときも共通して名前があがってるのって、その淫乱会長だけだもの」
「嫌いなんだな」
「嫌いじゃないわよ。むかつくだけで。………ったく、私からハルを奪い取ろうなんて100年早いのよ……」
「は?なんて言った?」
「嫌いじゃない、っていった。とにかく、なんかしら会長が関わりあるのは確かよ。これ、女の直感」
そういってクロアが胸を張る。
「女の、ねぇ…。まぁ、あながち間違いでもないか。俺もちょっとそう思ってたし」
「でしょう?」
「あぁ。それじゃあちょっと、会長のほうも探ってみるかな。どうせ放課後生徒会あるしな」
「…あの巨乳に惑わされるんじゃないわよ…アレには女のどす黒い野望と欲望が詰まってるんだから…」
といって、今度は自分の体を抱きしめるクロア。
その顔はどこか陰鬱そうだ。
「別に、俺巨乳好きじゃねぇよ」
「アンタみたいな歳の男子なんてみんな脊髄反射で巨乳にとびつくものよ」
「ていうか、メイカさんのほうがでかくないか?」
そういった瞬間、
(あ、間違えたな)
と、ギラリと輝いたクロアの瞳を見て悟った。
「アンタ、やっぱりメイカのこと、そう言う目で…!」
「さ、さぁて、授業始まっちゃうから俺は急いでかえらないとなー!」
「あ、ちょっと待ちなさいよ!」
「それじゃあな!!」
こういう時は逃げるのが一番。
「アンタ都合が悪くなるとすぐに逃げるんだから!もぅ!!」
背後でクロアが叫んでいる。
(その台詞、ずいぶん前に違う幼馴染からも言われたよ)
俺も成長しないな、とか思いながらその場をすたこらと後にしたのだった。
カツカツと黒板に綺麗な文字を書き終えて、ライナス副会長が振り返る。
「―――とまぁ、こんな感じでいいかな?武闘祭について他に意見はないな?」
副会長が席についているメンバーをぐるりと見渡すが、特にこれといって意見のありそうな人物は俺を含めていないようだ。
というか、実際今年がはじめての俺には意見することなど最初からないのだけれど。
「ていうかさぁ、三ヶ月後の武闘祭について今どうしても話し合わなきゃダメ?アタシ他にもやりたいこととか色々あるんだけどー」
机にぐったりと伏せた会長がやる気なさ気に言う。
「三ヶ月先といっても、近いうちに試験週間になるし、武闘祭が終わったらすぐに新年休暇に入るだろう?それを目の前にしたらどうせお前なんか会議に身なんて入らなくなるんだから、今のうちに出来る限り話は固めておかないと。武闘祭委員にも迷惑かかるだろ、なぁハル?」
と、こっちを向いて副会長。
「え、あ、そうですね」
突然話を振られて驚いた。
副会長、俺が武闘祭委員だって知ってたんだな。
「なに、黒猫ちゃん武闘祭委員もやってるの?」
少し興味が湧いたのか、伏せていた体を起こして隣に座る会長が俺を見る。
「はい、アリスと一緒に…」
「アリス?武闘祭委員って男女ペアよね?」
最後の質問は副会長に。
「ん?そうじゃなかったかな」
「よね」
といってまた俺を見る会長。
その顔にはいやらしーい笑顔が浮かんでいる。
「ねぇ、黒猫ちゃん。まえ此処に来た時といい、今回といい、なぁんだかアリスと仲良くなぁい?ん?お姉ちゃん気になるなぁ〜」
「え?いや、まぁ仲は良いですけど…そういうのじゃないっていうか」
会長に困らされてる者同士、何か感じるところがあったというか。
「え〜?そうかなぁ〜?アタシとしてはそう言うほうが面白いんだけどなぁ〜」
「俺、何でもかんでも会長のエサになるつもりありませんけど」
「アタシはするつもりだからなぁ〜」
「………でしょうね」
「そうなの♪」
会長は楽しそうに笑う。
笑いながら、俺のほうへと手を伸ばす。
「…なんですか?」
後ろにのけぞってソレを避けるが、会長の手は追随してくる。
「ちょ、狭いよハル君」
「あ、すいません」
しかし後ろ(というか隣?)にはエミリ先輩が座っているのでこれ以上後ろへはいけない。
「って、じゃなくて、助けてくれません?俺いかにもかわいそうなことになりそうな雰囲気じゃないですか」
「…だって、今までそのポジション私だったから、ハル君が引き受けてくれてラッキーって感じなんだけど」
「あ、ずるい!」
「ずるくないよぅ!そう言うのは新米の役割なんだから、黙って引き受けてればいいのぉ!」
と、エミリ先輩は言うが納得行かない。
「じゃあどうしてオリビア先輩は何もされてないんですか?!」
エミリ先輩の向かい側で本を読みながら座っているオリビア先輩を指差す。
「え?」
するとエミリ先輩はギクッとした顔をする。
「それは、ほら、あの、オリビアはお家柄が高貴だから…」
「私のうち、一般家庭ですけど…。親は自営業で、私は一般受験ですから」
「え?!そうなの!?」
知らなかったのか驚きの声を上げるエミリ先輩。
俺も知らなかったけど…先輩は知っておいたほうがよかったんじゃないだろうか。
「それ、常識じゃない?一般から入った氷のお姫様ーって一時期噂になってたじゃない」
そう会長が解説を加える。
相変わらず俺を拿捕せんと腕を伸ばしてくるが。
「…それ、やめてください。本当に迷惑してた…」
オリビア先輩はそのあだ名が気に食わないのか、初めて本から顔を上げて心なしかキツメの視線を会長に注ぐ。
―――黒曜石のように光る黒髪に、時折注がれる相手を射抜くような青い瞳の視線。
「…確かに、氷のお姫様、って感じかも」
言葉数も少ないし、背も小さめだから正にお姫様って感じだ。
「…ちょっと、アルエルド。今何か言った…?」
「え?いや、その…お、お似合いですね?」
「……」
じろり、と睨みつけてくるオリビア先輩。
その視線はとてつもなく重たく、何を考えているか分からない人だから余計怖い。
「……えっと、その…すいま
「会長、アルエルドの首筋に虫刺されがあります」って、えぇ!??」
「虫刺され!?」
オリビア先輩の爆弾に食いつく会長。
「虫刺され!?そんな、まだ1年生のくせに!早すぎよ!私だってまだなのに!!」
別の人も食いついてきたが。
「ちょ、会長!違います、嘘です、キスマ、じゃなくて、虫刺されなんてありません!!」
忍び寄ってくる会長の手から逃れるために後ずさる。
「ちょっと寄らないでよ!エッチ!!」
するとエミリ先輩が顔を紅くして俺を見る。
「なに過剰反応してるんですか、エミリ先輩!むっつりスケベ!!」
「ちょ、女の子にそう言うこと言う!?」
「とにかくそっち行ってく・だ・さ・い!俺エミリ先輩の相手してる場合じゃ…」
「ハァ、ハァ、ハァ…!」
恐る恐る後ろを振り返る。
「黒猫ちゃん…お姉ちゃんに、虫刺されみせてごらん?ちゃんと治療しなくちゃね…!」
頬が赤い。目が潤んでいる。息が荒い。
「ふふふふふふ副会長ぉぉぉぉーーー!!???」
SOS!SOS!!
「……ハル…」
「副会長!」
「…俺より先にだなんて…」
「そっちぃ!!??」
この生徒会のメンバーってどんだけそのことに関して興味津々なんだろう。
まぁ、年頃だからなぁ…。
「ていうか俺、11ですから!そういうのってまだまだ先ですから!!」
少なくとも肉体年齢は11だ。
少なくとも、ね。
「大丈夫、大丈夫…!私、プラスマイナス10歳までOKだから…!」
会長の手が、俺のネクタイを掴む。
「ひぃっ!」
マジで怖い。目が爛々と輝いている。何かを求めている。
この際、この際悪の根源でも助けてくれるのなら構わない。
「オリビア先輩っ!!」
「……アルエルド」
「はいぃ!」
「…いい気味」
視界にニヤリと笑うオリビア先輩の顔が見えた。
「でしょうねぇぇぇーーーーー!!!」
その瞬間、ガッ!と強くネクタイが引っ張られ、視線は自然と会長のほうへ。
青色の瞳に紫色の炎を灯して、会長が叫ぶ。
「くくくく黒猫ちゃんのキスマーク確認いただきまぁーーーす!!!」
「いやぁぁぁぁぁーーーーーーーー!!!」
「しくしくしく…」
うつむき、手で顔を覆う。
今の俺の様子は悲惨だ。
髪はグシャグシャで、シャツのボタンの半分は会長に引きちぎられたから半裸状態。
なんとか下の方は死守したけど、
「ボクサーパンツ派!?萌ぇーーー!!」のセリフから下着のタイプはバレたらしい。
「俺、もうお婿にいけない…」
ちょっと前にも同じような台詞をいったような気がする。
「…えーっと、そのぉ…ごめんなさい」
そしてそんな風に嘆く俺の額に、絆創膏を貼りながらアリスが言う。
ここは教室。
生徒会本部から這々の体で逃げ出して駆け込んだら、ここに何か思い悩んだような顔をしたアリスが先にいた、というわけだ。
「いや、アリスが謝ることじゃないんだけど」
「一応あれでも姉、なんで。謝るような人じゃないですし、悪いとすら思ってないと思います」
と苦笑するアリス。
「なんだよなぁ。そのくせ嫌いになれないのがまた憎たらしい」
「…姉様は、そういう人です」
そういってアリスは立ち上がると自分の席へと歩いていく。
そして俺に背を向けたまま話を続けた。
「ハルくんは、姉様のこと好きですか?」
「ん?まぁ、前にも言ったけど、尊敬はしてるよ。人としてどうかとは本気で思うけど」
俺もその背に答える。
「…そうですね。私も、尊敬します」
アリスはそういって自分の鞄を開けて、中から小さな箱を取り出して振り返る。
「ハルくん、上脱いでください」
「えぇ!!??」
十数分前の惨劇を思い出して思わず体を抱きしめる。
「あああアリス、お前まで…!」
「え?…あ、違います!とれたボタンなおしてあげようと思っただけです!!」
俺が何を言っているのか分かったのか、顔を真っ赤にして否定するアリス。
「え?なに?違うの?」
「違います!」
「マジか。……その」
「なんですか!!」
いわれのない避難を受けてかなりご立腹のアリス様。
「ごめんなさい」
素直に頭を下げる。
「本当ですよ、まったく!!」
「それと、よろしくです」
脱いだシャツを頭を下げながら差し出す。
「……本当に、しょうがない人なんですから」
するとアリスはまだ少し赤い顔を不機嫌そうに歪めたまま俺の手からシャツを受け取り、イスに座って作業を始めた。
すいすいと進むその手に迷いはなく、とてもお偉いさんの娘とは思えないほど手馴れたものだった。
「アリスって裁縫とかするのか?」
尋ねると、アリスは笑顔で答える。
「はい、好きですよ。私がやるのは刺繍とか、そういうものですから趣味みたいなものですけど、ボタン付けとか裾直しとかも一通りは」
「へぇー。すごいな」
「そんなことないですよ、女の子なら、大体できるんじゃないでしょうか」
苦笑するアリスはそういうと一旦手を止めて、
「はい、一つ終わりです」
と俺に見せる。
「うぇ?!マジで!!早っ……いや、ボタン付けはできても、そのスピードはすごいだろ」
少なくとも「ボタン付け?出来るに決まってるでしょ!」と意地を張ってきた歴代の幼馴染は、二人ともぼろっぼろの出来で「シャツが悪い!」の一言を添えてシャツ突っ返してきたし。
比較対象があれかもしれないが、十二分にすごいと思う。
「そうですか?あんまり人のボタン付けってしたことないんで、そういうこと言われたの初めてですけど…」
「うん、すごいよ。…うん……」
改めて、目の前の少女を見つめる。
アルセリス=リーン。ドンウォール支部所属、ファルコン=リーン大佐の娘。
大佐の娘ともなれば、それなりのお嬢さまで世間に通る。
なのに…といっていいのかは分からないが、ソレを鼻にかけたような嫌味なところはなく、いつも笑顔で。
少し落ち込みやすいところもあるが、それでも笑っていようとする強さも持っていて。
「…ハルくん?どうかしましたか?」
急に黙り込んだ俺をアリスが不思議そうに見つめてくる
「…いや、さ。アリスって、やっぱりすごいよ。今まで傍にいたことのないタイプの女の子だ」
「え?な、突然どうしたんですか…?!」
アリスが少し照れたように笑う。
「うん、その笑顔だ」
「え?」
「アリスは、やっぱ笑ってるほうが可愛いよ」
「えぇ!?」
「最近、なんか落ち込んでるっぽかったけど、…うん、やっぱな。笑ってるほうがいい」
じっとアリスの顔を見つめて、頷く。
…うん。
「うんうん!」
「や、ちょっと…そんなに見ないで下さい…私なんて、べつにそんな」
しかし、そんな風に謙遜するアリスの様子にむっとする。
「なんて、とかあんまり言うな。前もいったけど、自分を卑下するのは良くない」
「む…」
「アリスは本当にすごい子だよ?俺の周りって、今まで…ていうか、現在進行形で我が強いっていうか、コッチの言うことの一言目から聴いてないって言うか……」
脳裏によぎる数々の女性の顔。
優奈、クロア、メイカさん、会長、エミリ・オリビア先輩……。
果たして彼女たちが俺の言うことを一回でも素直に飲み込んでくれたことがあっただろうかと思い返すと、気が遠くなる。
「…うん。とにかくそう言う子しか居なくて…でも、アリスはきちんと俺の話聞いてくれる。
俺だけじゃない。誰の言うことも放っておかないで、きちんと受け入れてくれる。笑顔で。
それは、とてもすごいことなんだ。
自分がないわけじゃない。それでも、ちゃんと人を受け止めるって言うのは」
「…ハル、くん…」
アリスが少し呆然とした顔で俺を見る。
まぁ、突然半裸(そういや俺、まだ半裸だった)の男にこんなことを言われたら、驚きもするか。
でも、コレは前々から言っておきたかったことだ。
自分を過小評価して、自分に価値を見出せなかったアリスに。
「裁縫できるのもすごい。笑顔でいるのもすごい。辛くても一人で耐える強さもすごい。
ただ、それを素直に認めることができないのは、弱さだ」
「……それは…そう、ですね…」
アリスはそう言うと、手に持った俺のシャツを握り締めてうつむきがちに微笑む。
「多分、気付いてるとは思いますけど…」
「うん」
「私、姉様に、軽い…くもない、コンプレックスあるんです」
「ぽいね」
「…あの人、横暴なんです。自分勝手で、わがままで、やりたい放題で、欲しいもの全部掻っ攫ってって」
「あぁ」
「…なのに、本当に、本当に大切な物は、私のためにとっておいてくれて。それに気付かせないように小細工までして。優しくて。優秀で。人から好かれてて…尊敬されてて。私も、尊敬してて」
「…うん」
しかし言葉を続けるうちにその顔に笑みは無くなり、グッと何かに耐えるように眉根を寄せる。
「だから余計、辛くって…!私、あぁなりたいのに、なれなくって。あの人はいつも私のずっと先で微笑んでて、追いつきたいのに、追いつけなくて、追いつかせてくれなくて!!」
「辛いな」
「………私、自分が、嫌いです…」
「アリスは、すごいよ。俺が認める。誰が認めなくても、お前自身が否定しても」
「……ハルくんのほうが、すごいです。臆面も無くそう言うことを言う…」
「ん?」
「ホント、ハルくんって……」
アリスが顔を上げる。
その顔には、確かにいつものアリスの笑顔があって。
「しょうがない人ですね」
「え、な、どうして今の流れでそうなる?」
「だって、絶対いつかその素直さで自分の首、絞めますよ?……ていうか、今日からさっそくひどいことになるかも……なんて。ふふっ」
アリスが笑う。
ソレはいいのだが、その前の台詞が不穏すぎる。
「ど、どういう意味だ。俺、なんかしたか?」
「いえ、ただ、ハルくんが『女ったらし』ってククリくんに言われ続ける理由も分かるなぁーって」
「…おい、俺を言葉攻めでどうしたいんだ。落ち込ませたいんだな、そうなんだな」
「違います」
そういって、アリスは座る俺の膝の間に入り込んで、ぎゅっと俺の首に抱きついてきた。
「え、えぇ!?」
俺の心臓もぎゅっと飛び跳ねる。
忘れもしないが、アリスはいっぱしの美少女なのだ。
俺だって朴念仁じゃない。可愛い子に抱きつかれれば緊張する。
「…元気付けてくれて、ありがとうございます、って、ことです」
しかしアリスはなんでもないかのようにいつもどおりの調子でしゃべる。
「あ、はい、どういたしまして!?」
「それと………これからちょっと大変なことになるかと思いますが、よろしくお願いします、頑張ってください、って、ところですかね?」
「………ねぇ、やっぱ、なんかあるよね?ね?何かする気だよね?」
「さぁ?…あ、それと」
アリスが抱きつく力を緩め、ちょっと離れて俺を見る。
「ハルくんて、彼女とか欲しいと思いますか?」
「…彼女?」
…考えたこともなかった。
正直、コッチに来てからはまず言葉を覚えて、その次に勉強して、同時に訓練もこなして。
ともかくコッチの世界になじむことが最優先だったのだ。
恋がどうだの、あぁだのだなんて。
第一、そんなことを言うほど世界が広くなかった。
俺の世界にはガイと、クロアと、メイカさんと、屋敷の皆しかいなかったから。
アッチに居るときも、彼女がどうだなんて。そんな余裕はなかった。
そもそも生きていることすら苦痛だったのだ。
好きな人は…居たけど、叶うことのない恋だった。叶える気もなかった。
告白されたことはあるけど、受けようと思ったことは一度もない。
だから。
もしかしたら、エイファン學園に来てからが、一番「恋愛」というものに近いのかもしれない。
「……彼女、ね」
「はい」
「…それも、いいかもな。きっと楽しいんだと思うよ」
「そうですよね!」
ぱっとアリスの顔が明るくなる。
「あぁ。まぁ、肝心の相手っていうか、好きな人がいないからどうしようもないんだけど」
「そんなこと、どうにでもなりますよ!」
「そ、そんなことって…」
「私がどうにかしますし!」
「…?」
それはどういうことなのだろうか。
誰かいい子を紹介してくれる、とか?
「でもさ、俺らはまだ1年だし、彼女とかいいとは思うけどもうちょっと先でもいいかなって…」
「大丈夫ですって!どうにかしますから!」
「いや、だから…」
「どうにかしますから!!」
「…アリス?」
「私が!」
俺の話を完璧に聞いてない。
ものすごい笑顔だし、元気が出たならいいことなんだけど。
なぜだかその笑顔が、会長のソレと重なる。
「あ、アリス、その…」
「あぁ、そうと決まれば私、やらなくちゃいけないことがあるんで!」
声をかけた瞬間、さえぎるようにアリスが立ち上がる。
「ハルくん、ありがとうございました。私、とっても元気になりました!」
「そ、そう?それはよかった…」
「はい!私、もう負けません!クロアちゃんにも、姉様にも!!」
「…クロアにも?」
「それじゃあ、失礼します!!」
といって、ぺこりと頭を下げて歩き出すアリス。
その手には、俺のシャツ。
つまり俺は未だに半裸。
「ってアリス、それ、俺のシャ…!」
慌てて声をかけるが、届かなかった。
…ていうより、意図的にアリスは早歩きで教室を出て行ったように見えたんだが…。
「…寒い」
突然ゾクリと寒気が走った。
長いこと半裸でいたのだから不思議ではないが…。
「…アリス」
最後のほうの、あの人の話の聞かなさっぷり。
なぜだか、会長を思い出した。
――外面は似ているけれど、性格はまるで正反対の姉妹。
その認識は、間違っていたのだろうか?
「そんなことないよな、アリス…!」
背筋を走る寒気は、止まらない。