Ep15:笑顔
テーマはアリス編、です。そのままです。
これから少しの間、アリスの話になります。
メインヒロインはクロアのはず…なんだけど…なぁ…。
「――――というわけで、156年のノヴの月、2日に勃発したモヴランの内乱はサイモン=クロエラ少将の的確な采配により、無血勝利に終わったわけで―――」
先生の声をBGMに、窓の外の風景を眺める。
アッチでいう梅雨は、コッチでは夏であるロドの月からミラの月の後、ちょうど今日から始まったウルの月から丸一月つづく。
気温で言うなら秋にあたるのだが、雨が降り続くので最近は少し肌寒くなって来た。
ここのところ太陽によって乾く暇を与えられなかった校庭は、ぐちゃぐちゃのひどい様相を呈していた。
そのうち生徒会の方に、苦情が来るかもしれないな。
「―――ここはテストに出るからな。そろそろお前らも初めてのテストだから、気を引き締めるように。以上」
ふと気がつくと、先生が荷物をまとめて教室を出て行くところだった。
「あれ、もう授業終わり?」
つぶやくと、あきれ顔のアリスが振り返る。
「ハル君、ずぅっと話きいてなかったですよね?」
「見てたのか?」
「見てません。けど、そのくらいなんとなく分かります」
ため息をつくアリス。
「だって、戦争史って、つまらなくない?それにイェーグ先生の授業ってきかなくても教科書読めば分かるし」
「つまらなくても大事なことです。私たちは軍人になるんですから、過去の過ちを繰り返さないためにも」
「……あれ?もしかしてまじめな話?」
「それなりに。あと、他にも少し…お願いが」
そういうと、伺うような視線で俺を見てくる。
はっきり言うと、アリスは可愛い。
藍色の肩にかかるくらいの髪はさらさらで、髪より少し明るい水色の瞳はどこまでも透き通っている。
その瞳で少し困ったように見つめられると、俺は思わず…
「なんでもどうぞ!」
と言ってしまうわけだ。
男ってのは単純な生き物だなぁ、とつくづく思う。
「え、本当ですか!よかったぁ、私、数式学ってなんだか苦手で…」
アリスがほっとしたように笑う。
「おぉ、何でもどんと…え、数式学?」
「はい、教えてもらえませんか?」
「…」
アリスが差し出して来たプリントを見る。
それは二日前にもらったばかりの俺ももらった課題のプリントで、アリスのそれはほぼ終わっていたが、一問だけ手つかずのものがあった。
それは俺も解けなかった問題。
「………」
プリントを握る手に汗がにじむ。
コッチに来てから好きな武術はもちろん、勉強だって怠ってこなかった。
だから大体の授業は問題なく分かるし、人に教えることだって可能だ。
だけど、この数式学――アッチでいう数学だ――だけは、昔っから相性が悪かった。
そもそも数字を扱う、ということが苦手なのだ。
それに中途半端にアッチで習ったのが頭にあるので、余計分かりにくい。
「………」
「は、ハル君?あの、もし分からなかったら、私もう一度自分で考えてみますから…」
「いや、大丈夫だ!」
だけど、ここは男のプライドとかそう言うものを賭けて、退けない。
「でも、ハル君困って…」
申し訳なさそうにするアリス。
「いやいやいや、大丈夫だ!ただ、少し時間をくれ。…そうだな、今から昼休みだから、それが終わる頃までには、完璧に教えられるようにしてくる」
それを言葉の勢いで押さえ込んで、立ち上がる。
「お、どうしたハル、君昼ご飯は食べないのか?」
「リオール」
気づくと、急に立ち上がった俺に驚いたような顔をしたリオールがすぐそばに立っていた。
ククリもその後ろに居る。
「あの、私が数式学を教えてくださいって頼んだら…」
アリスが事情を説明する。
「…なるほどな。つまらないプライドだ。君にお似合いだが、すぐに捨てた方がいいぞ。今みたいに身を滅ぼすことになる」
「ハルはよくそうやってハプニングを自分から集めてくるっスね」
「う、うるさい!少し自分でも気づいてる!!」
だけど一度切った啖呵だ、引っ込めるわけにはいかない。
「アリス、俺にチャンスをくれ!」
「は、はい?」
「俺、絶対アリスに教えられるようになってくるから、頼むからリオールなんかに聞いてくれるなよ!?」
「…あぁ、はい。わかりました」
アリスが微笑む。
「待ってますから、いってらっしゃい」
「あぁ、ありがとう!」
そう言って、座っているアリスの頭を撫でる。
「じゃあ行ってきます!!」
そして教室を駆け出した。
「…ハル君って、天然ジゴロ、ですよね」
「違うっス。あれはタラシ、って言うっス、女の敵っスから気をつけた方が良いっスよ」
「アレは、自分がどんな面構えなのか気づいていないのか?おめでたい頭だな。だからあんな風に無防備な笑顔をさらせるんだ」
「……それとセットにされてどんな妄想のネタにされてるのか気づいてない男も、そうとう無防備っス」
「なんの話だ?」
「さぁ、っス」
少し顔を赤らめたアリスと、鼻で笑うリオールと、それを呆れたように見つめるククリにそんな会話がなされているなんて気づきもしなかった。
生徒会本部。
「諸事情により、先輩方にご教授願いたいのですが」
今ここには、会長・エミリ先輩・オリビア先輩が居る。
「えぇっと、なんのご教授?」
エミリ先輩が首を傾げながら俺に尋ねる。その手には何か小さな包みを持っている。
「えっと、その…数式学の」
さっきアリスに見せられたのと同じプリントを机の上に出す。
これは俺がもらった分だ。
「あー、やったやった。ずいぶんと昔だけど、やったわこういうの」
隣から会長が覗き込む。その手にもエミリ先輩と同じような包みが握られている。
「……数式学は無理」
向かい側、エミリ先輩の隣に座るオリビア先輩が呼んでいる本から視線をそらすこともなく一蹴。
「オリビア、数式学苦手だもんねぇ。去年それで落第の憂き目にあってたし」
「…エミリ先輩、赤点科目いくつありましたっけ…?」
「わ、私は数式学できるもの!」
「いくつあったんですか?」
「………6、6こ、だった…かなぁ?」
あさっての方を見ながらエミリ先輩が言う。
「7つですよ、先輩…」
「う…」
「来年には同じ学年かも…クス」
横目にエミリ先輩を見て笑うオリビア先輩。
そういや、笑ったの初めて見たかも。
「…そ、それで!課題を見させてもらおうかなぁ!!」
その空気に耐えられなくなったエミリ先輩が半泣きになりながら、俺の会長と逆隣に座って来た。
そしてプリントを覗き込み、「あー、懐かしー!」と頷く。
「うん、でもこれなら分かるかな」
「本当ですか!」
「うん、これはね…「○○○が×××で、△△△だから答えはこうでしょ?」……」
途中まで名誉挽回とばかりに輝いていたエミリ先輩の表情が、会長の横やりにより一気に曇る。
「…はい全く持って、その通りですよぉ!!」
エミリ先輩、涙目。
「なんなんですか、せっかく人が汚名返上しようとしているのにその完璧な解説!!」
「だってアタシ赤点なんてとったことないもん。アタシが説明した方が良いでしょう?」
「うわぁぁぁん!!」
改め、号泣。
「…会長、楽しんでます?」
「うん、すっごく♪」
「でしょうね…」
その笑顔見れば、一ヶ月程度の付き合いでもよくわかります。
「それじゃあ今度はコッチの番ね♪」
そして今度はこれまた恐ろしいことを言い始めた。
「…会長が、俺にですか?嫌な予感しかしないんですけど…」
「たいしたことじゃないわよ、ただ、これをちょっと食べてくれるだけで良いの」
そういって会長が差し出して来たのは、手に持っていた包み。
開くとその中には可愛らしいサイズのお弁当が一つ。
「…なんで、急に何の前振りもなくイベント発生するんですか?」
「恋はフィーリング・タイミング・ハプニングって言うでしょ?」
会長の場合ハプニングしか提供してくれなそうだから恋愛には発展しないでしょうね。
「…まぁ、昼ご飯食べてないんで、いただきますけど…」
一口、パクリ。
「……」
「どう?」
自信満々の笑みの会長。
「おいしいです、すごく」
「でしょう!まぁ当たり前なんだけどー」
そういうやいなや、泣き崩れるエミリ先輩の手から同じような包みをもぎ取る会長。
「はい」
「え?」
突き出されたので思わず受け取ってしまった。
「食べなさい」
「…これを?エミリ先輩のじゃ…」
「エミリのものはアタシのもの、アタシのものはアタシのもの」
「じゃ、ジャイアニズム…!」
「黒猫ちゃんもアタシのものだから、問題ないでしょ?」
「……」
泣きたい。
けど、泣いたところでこのドエスな会長を喜ばせるだけなので、黙って食べることにする。
歯向かうなんて選択肢はありません!
「…い、いただきます…」
中身は会長のものと殆ど…ていうか、全部一緒だった。
それこそ合わせでもしない限り無理ってくらい。
「………こ、これは…!」
「どう?」
「会長の方がぜんっぜんおいしい!!」
びっくりするくらい普通で平凡で面白みのない味だった。
マズくないだけましなんだけど。
「…ふぇ…」
「ふぇ?」
振り返ると、机にうつぶせて泣いていたエミリ先輩がいつの間にか俺を見ていた。
「…あ」
しまった、と思ったが既に遅い。
「ふぇーーーーーーーん!!」
本格的な泣きに入ってしまったエミリ先輩。
「あ、ごめんなさい!悪気はなかったんです!!」
「本気の方が傷つくわよぉー!」
「…バカ」
向かい側から小さな声でオリビア先輩からの突っ込みが入る。
「ち、ちがくって…会長、これ狙ってましたよねぇ!?」
会長は満面の笑顔で答えた。
「もちろん♪」
あ、この人最低だな、と少しだけ思った。
あの後は、大変だった。
とりあえずエミリ先輩を慰めようと声をかければ、あちらこちらの地雷を踏んでさらに悲惨な自体になるし、それをおもしろがった会長がさらにあおるし。
オリビア先輩は止めてくれる気配すら見せないし。
そもそも、あのお弁当はライナス副会長が食べる予定だったらしい。
「でもアイツ、何かを察して逃げてったのよね。年々逃げ足だけは早くなるんだから。あのくらいの勢いで仕事も有能ならいいのに」と、会長が言っていた。
副会長だって、毎度毎度あんな目に遭っていれば、野生の感的なものが発達したって仕方がない。
会長とは10年来の幼なじみだというのだから天晴だ。
称賛に値する。
(でもそう言う意味で言うと、アリスの方が凄いのか)
なんて言ったって、あの横暴女帝の実の妹なんだから。
よくもまぁ、あんだけまともに(たまに人の心を笑顔でえぐっていくけれど)育った物だ。
「でも、とりあえずは回答方法も教えてもらったし…よかったの、かな?」
教室へと続く廊下を歩きながら一人つぶやく。
性格は破綻しているけれど、さすがは会長。なにやら学年TOP3には入る頭脳の持ち主らしく、俺が頭を悩ませた問題も5秒で解いてしまった。
「あ、ハルくん!」
「ん?」
呼びかけられて振り返ると、ちょっと離れたところからアリスが駆け寄ってくるところだった。
「あぁ、アリス。ちょうどよかった」
「え、なんですか?」
きょとんとした顔をするアリスに、手に持っていたプリントを見せる。
「ほら、解けたよ、これ」
それをみたアリスが口元に手を当てて驚く。
「本当ですか!?うわ、すごい!!ど、どうして分かったんですか?先生に…」
「あぁ、ちがうちがう。会長…たちに、きいて来たんだ」
本当は会長だけ、だが、それだとあまりにエミリ先輩が哀れだ。
「…姉様に、ですか…?」
アリスがつぶやく。
「うん、誰かいるかと思って本部に顔出したら、偶然先輩たちがいて、きいてみたら会長がさらっと一発で」
「そう、ですか…」
「会長って頭いいんだね。その、行動には多少の問題点が見られるけど…うん。やっぱり有能な人だよ」
「……」
「…アリス?」
なぜか、黙り込んでうつむくアリス。
その顔はどこか青ざめて見える。
「アリス?どうかした?」
心配になって覗き込むと、慌てたように笑みを浮かべる。
「あ、なんでもないです!ちょっと、その…おなかが痛くって!!」
「…腹痛で笑顔の人って、初めて見たけど?」
「あ゛…じゃあ頭が痛くって!!」
「じゃあって…」
「その、アレです、生理かな!?」
「いや、それは俺に聞かれても!??」
なんか良く分からんけど、テンパってるのだけは分かる。
「あ、アリス、どうかしたのか?マジで体調悪いなら…」
「……あの、ハルくん…」
「うん?」
アリスが不安げに瞳を揺らしながら、俺を見上げる。
「…姉様は、ハルくんからみて…どんな人、ですか?」
「会長?」
「本心で、お願いします」
アリスの目は本気だった。
「…会長は…」
だから、偽らずに本心を告げる。
「優秀な人だ。すごい、と思う。生徒会の皆と顔を合わせたのは一ヶ月前だけど、それだけでよくわかる。
うちの学校って、でかいだろ?」
「はい」
「だから、学級委員会と生徒会とでだいぶ仕事は分散されてるけど、それでもうちの抱える案件は多いし…。
あの仕事量を全部、最終的には会長が決済してるんだ。ひいき目なしに、凄いことだと思うよ。
まぁ、人間性に多少のほころびはあるけれど、ね?」
最後に冗談を含ませて笑いかけるが、アリスの表情は晴れない。
「…アリス…」
「…はい。姉様は、すごいひと、です」
弱々しく微笑むアリス。
目にかかった藍色の髪を耳にかける右手は、小さく震えているように見える。
「すごい、人なんです。自慢の姉です」
「…うん」
「人間性に多少のほころびはあっても、ね?」
そう俺のまねをして、にこりといつも通りの笑顔を向ける。
「これ、少しだけお借りしてもいいですか?」
アリスが俺のプリントを手に尋ねる。
「あ、あぁ、もちろん。終わったら返してくれればそれで良い」
「はい。ありがとうございます、ハルくん」
そう言って笑うアリスは、いつも通り。
「…でも、ハルくん」
「ん?」
「昼休み、姉様に何かされたでしょう?」
「えぇ?!」
「だって、なんかもめたみたいに制服ぐちゃぐちゃですよ?」
「うあ、本当だ」
「本当にハルくんって、姉様に振り回されてるみたいですね」
「幸薄仲間としてうれしい?」
「あはは、そうですね♪直してあげますから、動かないでくださいね」
背伸びをして、俺の襟元を整えてくれる。
その後ネクタイの結び目を微調整して、「よし」と満足げに微笑む。
「これで完璧です」
「ありがとう、アリス」
「いいえ」
くすくすと笑うアリス。
「それじゃあ、そろそろ教室帰りましょうか?次の授業始まります」
「あ、そうだな」
そして二人並んで教室へと向かう。
「………なぁ、アリス」
「はい?」
左隣を歩くアリスが俺を見上げる。
「何かあったら、言ってくれよな。俺、アリスの助けに成りたいから、さ」
「…はい。でも、今のところ平気ですから。それに今日数式学、助けてもらいましたし」
「…そうだな」
「はい」
今、隣に居るのはいつも通りのアリスだ。
だけど俺には分かる。
(笑顔で嘘をつく人間を、俺は見慣れてるんだよ、アリス)
兄貴の笑顔が脳裏をよぎった。