―起―
「昔の自分が今の自分を見たら、ゾンビかと思うだろうな」
肩にフケの浮いたジャケットを羽織り、センタークリースの消えたスラックスを穿き、踵の磨り減ったビジネスシューズを履いた痩せぎすな男が、電灯の下にある水溜まりを見ながら、ひと気のない夜道でボソリと呟く。
水面には、眼鏡を掛けた目の下にクマ、削げた頬、若白髪の顔が映っている。
彼の実年齢は二十五歳なのだが、どう見ても三十路を過ぎているくらいに老け込んでしまっている。
「帰ったら、明日の講義で使う教材を作らなきゃ。それから、アレも片付けないと。フッ。社会の歯車になんかなるものかと息巻いてたのに、今や立派な社畜だな」
自嘲気味に薄気味悪くわらうと、再び自宅である家賃三万八千円のアパートへと歩みを進める。
*
彼がここまで窶れてしまった理由は、他でもない。
彼の勤め先の労働環境が劣悪であるから、という一点に尽きる。
「フランス革命は十八世紀だから、選択肢から外れるし、アメリカ独立宣言は革命前だから、これも違うよね。そうなると、残った選択肢は何かな?」
「わかんねぇよ。答えは?」
「えーっと……」
ここは、ワンマンの塾長が経営する進学塾。
名前を書けば受かると言われている市内のワースト校に近いこともあり、生徒の大半は、親の過大な期待にまったく応える気がない不良ばかりだ。
冒頭の男がもう一度説明しようとしたとき、天井のスピーカーからチャイムが鳴る。
金髪に赤いメッシュを入れ、第二ボタンまで開けたシャツの隙間からドクロのシルバーアクセサリーをのぞかせている青年は、筆記用具を乱暴にをエナメルバッグへと詰め込み、挨拶も無く席をたって行った。
「この調子では、またノルマ達成できないな」
男は小声でため息交じりに雑感をもらし、ペンをジャケットの胸に挿すと、プリントを片付け、塾長室と書かれた衝立の方へと重い足取りで歩いていく。