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おれは美しい

 さて。

 思わぬところで手下を手に入れたローズメイであったが、そのまま直接バディス村に赴くことはやめる事にした。

 まず夜中に悪相の悪漢連中を率いていくのは、村人を怯えさせるかもしれないから。

 そして、一番の理由はローズメイのその剣の冴えを見て……震え上がった悪漢達に、自分で失禁したズボンを洗うように命令したのである。

 ローズメイも戦場を知る女であり、いまさら糞尿の臭いにあれこれ言う気はないが、別に好んで汚くしたいのではない。シディアが囚われていた輿こしを探す最中に見つけた小川で、顔を洗い始める。

 ローズメイは……意識してみないようにしていた自分の醜女しこめ顔を確かめるように、おそるおそる水面に顔を寄せた。

 あの時強力神の声を聞き、全身に重石のように圧し掛かっていた脂肪の重みが消えてはじめて自分の顔を見る。


「……おれは、ああ。そういえば、こんな顔をしていたな。少しだけ母上の面影がある」


 ローズメイは昔を懐かしむように小さく微笑んだ。水面の顔も、遠慮がちに笑う。

 幼い頃、王国の将来を憂い、身悶えるような焦燥感の中で強力神に祈りを捧げる少し前。記憶にあった顔が成長を遂げれば、このような顔になっただろう――そんな美貌が写っている。

 ただし、ただ普通に成長しただけでは得られない、内面から溢れるような強靭な意志力が絶世の美貌を体の内側から照らし出している。

 ふぅ、とローズメイは物憂げに嘆息を漏らした。

 きっと、この美貌であったなら、ギスカー様の寵愛を得られただろう。しかし……強力神に願わねば、恐らく王国は滅亡し、愛しいギスカー様はどこかで死に。自分は何も出来ないただの公爵令嬢として……意に沿わぬ婚約を、抗い難い権力でもって押し付けられていただろう。


 ローズメイは寂しく笑った。

 結局、自分は二者択一をしたのだ。

 愛しいお方からの愛を失う代わりに、その命を救うか。

 愛しいお方から愛を受け続ける代わりに、その命を見捨てるか。

 

 契約は成ったのだ、きっと。

 愛しいお方からの愛を失い、その命を救い……そして――ギスカー様がどこか遠いところで、幸せになってくださればよい。

 ……いまさら、王国に帰る気はない。ローズメイの心は複雑だ。

 幼い頃に捨て去った美貌を取り戻し、ギスカー様の下に駆け寄ってその愛を得たいという気持ちはある。

 しかし、大衆の面前で、女としての名誉に傷を受けた。愛してはいるが、腹を立てていないわけでもない。


「ま、そうさな。ギスカー様がおれのドレスの裾を掴んでみじめったらしく懇願したら少しは考えて差し上げよう」


 そんな機会は、もうないだろうが。

 ローズメイは気を取り直し、すっくと立ち上がった。その視線が、川の下流のほうでまごまごしている悪漢達に向いた。


「で……お前たち、なぜ洗濯の手を止めている。おれは、おれに仕えるつもりであるなら、相応に品位を身に着けるようにと言ったはずだ。おれは配下にいつまでも失禁の染みがついたズボンを履かせる気はないぞ」


 その言葉に……今まで居心地の悪そうにしていた悪漢達は身をちぢこませる。


「へ、へい。……それはそうなんですが、あの。黄金の姐さん」

「ローズメイだ。……なんだ」

「ま、まず。ズボンを洗濯するには、ズボンを脱ぐ必要がありまして」

「ああ」

「その間中、俺たちは下着で股間がもっこりしておりまして」

「ああ」

「……お願いしやす、黄金の姐さん! これ以上虐めないでくだせぇ!」


 相手は黄金の女。その強烈な威光の傍にいると……不意に自分が何かとてつもなく恥ずかしい事をしているような気持ちになってくる。

 そこで羞恥に耐え切れなかったのか、悪漢の一人がとうとう悲鳴を上げた。

 彼ら悪党たちも……最初は自分達のズボンの洗濯をするつもりであったが、ここで一つ問題が生じた。

 元々公共良俗を鼻で笑うような気質の男達である。人前で裸になる事にまったく躊躇いはない。相手がただの娘であるならげひゃひゃひゃ笑いながら脱ぐだろう。

 さっそくズボンを脱いでじゃばじゃば適当に水洗いをするつもりだった。当然そのためには下着姿にならなければならないのだけど。

 ……狼龍シーラとシディアの二人を残し、ローズメイはまったく平気な顔で、ズボンを脱いだ男達の上流のほうに赴き、顔を洗い始めたのである。

 悪漢達は呻いた。どうしてここに『男性専用』の立て札とかがないのだろうか。川は誰のものでもないから別に黄金の姐さんが顔を洗うのはいいけど、もう少し時間をずらして欲しかった!


 股間が下着一枚でもっこり状態であるにも関わらず、毛ほどの動揺も見せない彼女に、悪漢達は乙女のようにうろたえた。遊び心のある悪漢の何名かは『キャー、エッチー』などとたわけたことを言っている。

 この目の前の黄金の姐さんが不尽な真似をする事はないと分かっているが、それでも彼女を不快にさせることはつつしみたい。


「お、お見苦しいものをお見せするのは流石に……」


 ローズメイの視線が男の顔から股間のもっこりに向き、そして男の肩に手を置き、とんとん、と励ますように言う。


「誇れ。悪くはないぞ」


 まさかの逆セクハラ発言である。

 おかしい。悪漢達は思った。ここは女性が男の裸体を見て叫んで拳骨を見舞う光景ではないのだろうか。

 普通立場が逆のはずなのに……ここだけ羞恥心が逆転しているかのような不可解な状況だ。

 数名の悪漢はなんとなく思った。

 今や地上に降臨した女神の如きローズメイ。あまりに美しすぎて触れることさえ躊躇うような絶世の美貌の方。男の裸を見慣れていなくてドギマギするローズメイを想像して勝手にときめいて。しかし男の股間のもっこりを見て平然とした姿に、少しの落胆と、『やはり姐さんはこうでなくっちゃ』と、大いに納得する気持ちが同居していて、切なげに身を捩るのだった。



 ……ローズメイは狼龍シーラに、シディアと共に乗り、彼女が指差す方向に従って夜の森を進んでいく。

 普通、このような時間帯なら魔獣たちは自分たちの領域に迂闊にも踏み込んできた人間達を乱刀分屍にして胃袋の中に収めるのが普通であったが……今回ばかりは彼らはその目論見を達成する事はできなかった。

 中央に位置する狼龍。そしてその上に跨る黄金の女の発する凄愴の気配を察し、魔獣たちは息を潜めて黄金の光が通りすぎるのを待つのみであった。

 ローズメイは、不意に馬上からシディアや悪漢達に話しかけた。


「シディア。一つ尋ねるが……おれは美しいか?」

「え? はいっ! もちろんですっ、ローズメイさまほどお美しいお方を、あたしは見たことがありません!」

「そうか。では……お前達にも聞こう。……おれより美しい女を見たことがあるか?」

「いや。一度もありやせん。お偉いお貴族様のパレードなら見たこたありますが、あんたほどの別嬪は一度も」


 だが……ローズメイの質問に対して躊躇うことなく肯定の返事が来たにも関わらず、彼女の顔は物憂げであった。

 続けて、尋ねる。


「では、おれを巡って戦争が起きると思うか?」


 その言葉に、ローズメイに従う一同はハッと息を呑んだ。

 古来より歴史に名を残すような絶世の美女は、何かと権力者の獣心を呼んで惨禍を巻き起こすことがある。

 シディアや悪漢達の眼から見て、この黄金の方は歴史に名を残すような美女にしか見えず。彼女を欲して戦争が起こることは、ほぼ確定事項にさえ思えたほどだ。

 その一瞬の沈黙を……ローズメイは、周りの連中が呆れているから言葉を失ったのだと勘違いした。

 珍しく照れたように頬を掻く。


「……いや、ふふ。流石に今の台詞は傲慢が過ぎたか」

「い、いいえ。違いますローズメイさま……その、あると思います。ローズメイさまを欲してどこかの王様が軍を発するというのは……」

「俺たちも生贄ちゃんに賛成だぁ。……黄金の姐さんを巡って戦が起こる」「だな」「違いねぇ」

「そうか。では仕方あるまい」


 ローズメイは頷いた。


「おれは……この地に辿りつくまで戦争に従事していた」


 それは容易に察しが付くことであった。その胆力、剣技、膂力、どれをとっても諸国に冠絶する武の持ち主。かつてはよほど名高き大将軍だったのだろう。

 ……ローズメイはギスカー様を失った。もう剣を振る必要もない。それにこれだけの絶世の美貌を得たのだ、男達の愛など欲するがままに与えられるだろう。

 

 美しさとは、容易く呪いに変わる。


 強いものが弱きものから奪う弱肉強食の時代では、女の意志や尊厳など容易く無視される。

 ローズメイを欲して大勢の血が無為に流されるだろう。

 だが、とローズメイは笑った。

 美貌を欲して女の意志を踏み躙り、後宮に押し込め、無理やりに陵辱せんとする恥知らずな権力者に対して侮蔑と交戦の意志を漲らせた、猛々しき猛虎の笑みである。

 その笑みを見て、シディアは震えた。悪漢達はゾクゾクした。

 その……燃え上がるような戦意の笑みに、彼らはもう惚れていた。


「……生憎とおれはただ黙って奪われるような殊勝な女ではない。おれを欲して王が軍を発するなら、『自分の面を見てから出直せ』と応え、その軍を正面きって粉砕してやる」


 ローズメイはその後で、天を仰いで嘆息した。


「……おれは、美しい」


 それは、いっそ天晴れと言いたくなるほどの傲慢な台詞に聞こえるが……同時に、己の美貌が呼び寄せる嵐の如き禍いを憂う溜息でもあった。

 

「……ローズメイさまは……戦う事はお嫌いだったのですか」


 その声に潜む悲しみの色に、シディアは恐る恐る尋ねる。


「そうだな。おれが戦ったのは……あの方のため、そして国のためだったが……戦いが好きだと思った事はあまりない」

「それなら、ローズメイさまはお顔を隠せば……」


 権力者から眼をつけられずに生きていけるのではないでしょうか……そう発しようとしたシディアの言葉は、自分をぎょろりとねめつけるローズメイの眼光に射竦められる。びくり、と怪物に睨まれたようにシディアは背を震わせた。


「ああ、確かに……顔を隠し、名を伏せ、隠者の如く暮らせば……戦わずに生きていけるやもしれぬ」


 ローズメイは言葉を切り、両眼より闘志を燃え上がらせて叫ぶ。


「だがそれは野ねずみの生き方よ!

 権力者の手から逃れようと息を潜め、顔色を伺う人生にどれほどの価値がある!

 おれは侵略者を駆逐し、敵を屠る生き方をしてきた、いまさら生き方を変えられるわけもないのだ!」


 シディアはローズメイの言葉にごくりと息を飲む。

 彼女が怒っているのではないのは分かる。ただ、彼女の身より発せられる猛々しい感情の噴流に圧倒されていた。


「そして、おれはこの美貌を欲して、おれの自由と尊厳を奪い、陵辱せんとする男から自分自身を守る為に――否応なしに天下に名乗りを上げざるをえんのだ。大陸を統一するなどというご大層な目標はいらぬ。だが、少なくとも大陸の何分の一かを握る諸王の一人にならねば……おれは自分の自由と尊厳を守ることさえできぬ!!

 まずはこの国を奪い、おれの存在を誇示するより他あるまい。

 ん? ……お前達。震えているのか?」

「へっ、へへっ。へっへっへっへ」「そ、そうさ、こりゃ武者震いってやつさぁ!」「たまらねぇ……黄金の姐さん、あんた最高だわっ!」


 悪漢達は笑っていた。まるでローズメイの豪胆な猛気が伝染したかのような笑みを浮かべ、何か偉大な人の誕生に立ち会っているような、後に語られる伝説の始まりに立ち会っているような感覚に震えていた。

 そうか、と呟きローズメイは思う。

 

(ああ……醜女しこめ将軍と呼ばれていた頃が懐かしい)


 あの頃の自分は醜さで目立っていた。

 美しい姿に戻れたら、ギスカー様に愛してもらえるかもと密やかに思っていたが……いざ実際に戻ってみれば、傾国の美貌のほうが生きるのはずっと難しいなんて!

 絶世の美貌ゆえに、今度は権力者の欲望に狙われる新しい人生が始まるなんて!


 女とは……なんて大変なんだろう!!

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Udaさま? 南斗紅鶴拳!
俺は、美しい。 (•ㅁ•́*)✧   「 「 ?(ꈍ.ꈍ)(ˊᵕˋ*)) ⊂(・.・*⊂)姐さんかっこいい
[良い点] なるほど、こう来るか!とニヤニヤしながら読んでました。 主人公の潔さに好感が持てます。 「おれは美しい」(憂い) 一幅の絵のような美しいシーンですね。 [気になる点] たぶんこの欄(不満点…
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