前供養返し
いつもありがとうございます。
明日は更新遅れるか、更新できないかもしれません。
よろしくお願いします。
『傑物を探すなら、まず名馬に学べ』
そんな言葉がある。
なぜなら気位の高い名馬というものは、人間と違って地位や権力、財力におもねることがなく、優れた人物でなければ背中に乗ることを決して許そうとしないからだ。
つまるところ、その人がどのような人物であるのか正確な鑑定眼を持ちたいと思うのであれば、地位や権力、財力などに惑われず見たありのままを評価し、名馬のような気位を持ちなさい……そんな教えが含まれているのであった。
狼龍シーラは薬物と呪術で意識が朦朧としながらも、なお闘志や戦意を衰えさせることがなかった。
目の前の小さな、しかし大きく感じられる女の拳が自分の龍鱗の上から殴りつけるたびに清浄無為の神威が浸透し、体を蝕む悪しきものを焼き尽くすような熱が広がる。
「グッ……ゴォッ!!」
不意に喉奥から何かが競りあがるような感覚を覚え、狼龍シーラは口蓋から吐瀉物を吐いた。
それはべったりと粘つく、黒ずんだ悪血だ。血管の隅々にまでへばりついていた不純物を血として捨て去り、狼龍シーラは全身を歓喜に奮わせる。それはすぐさま自分の尊厳を冒涜し、意に沿わぬ命令に従わせてきた人間に対する憎悪へと変化したが――だが、それよりもまず先になさねばならぬことがある。
自分より遙かに小さい人間とぶつかり合い、自分が圧倒されつつあることは、狼龍の矜持を著しく傷つけた。獣の知性でも相手に対して感謝はしているが……それとこれとは別なのだ。狼龍としてこの目の前の女の姿をした黄金の光を倒さねば、彼女の矜持は回復しないのだ。
狼龍シーラは……ローズメイが看破したとおり、変異種であり、人語を解することができた。複雑な言語や言い回しはできないし、彼らの口蓋は敵を食い破るためのものであり、発音には不向きな構造をしているのが……それでも四苦八苦しながら意志を伝える。
『アリガ、トウ。コロス』
「構わん。来い!」
ローズメイは一見すると恩を仇で返すかのような狼龍シーラの言葉に対し……しかしまるで気分を害した様子もなく笑って見せた。
命を助けてくれたことは感謝している。しかし龍種の誇りにかけて人間と肉弾戦で敗れるわけにはいかないのだ……感謝と殺意の隙間にある言葉を読み取ったかのように、ローズメイは笑った。
笑って、容赦なく殴りつけた。
……三時間あまりの肉弾戦の果てに、とうとう倒れ伏したのは狼龍シーラ。
その巨体が地面へと倒れこみ、僅かな地響きの音さえ立てて。そのまま犬のように尻尾を抱え込んで丸まったような格好になる。
「……畜生の分際でなかなか歯ごたえのあった。さすがシーラの名を継ぐだけはある」
ローズメイも、流石に幾らかの疲労を覚えて、狼龍の頭の上に尻を乗せた。一枚布のドレスの端々が千切れてあられもない格好になっているのだが、不思議と色気を感じさせないのは、恥じらいなど微塵も感じられない堂々とした態度のせいか。
自分の頭に尻を乗せる相手に嫌そうな顔をする狼龍シーラであるが、積極的に拒もうとはしない。つまるところ、殴り合いを演じた結果、人には決して従わず、狼龍種という種族を生み出した国でさえ跨ることが許されたものを一人も生み出せなかった狼龍に、跨ることが許されたのだ。
その歴史を知るものがいれば、ローズメイが両の手を用いて恐るべき偉業を打ち立てたと畏れおののくだろう。
「で、お前達はどうする。戦うか。降参するなら剣を地面に……」
がちゃがちゃがちゃと、鉄の剣が一斉に地面に放り捨てられる音が響いた。
目の前で狼龍種を素手で殴り倒す武威を見れば、そうもなる。この美しい黄金の女は素手で人を殺せるのだ。
ローズメイは狼龍シーラの頭をまるで玉座のように乗りこなしながら、シディアを手招きした。彼女を誘拐しようとした悪漢達の傍に置いておくことは可哀想と思ったためだ。
「近こう寄れ」
「はっ、はい!」
美しいローズメイさまの傍にいけると喜ぶシディア。尻尾や獣耳でもあればピンと立つような興奮具合で彼女の膝の上にお尻を乗せる。
ローズメイは……彼女の白い肌、白い髪を少し羨んだような眼を見せた。戦場で日々汗を流す彼女は陽光で肌が黒くなる事など日常茶判事で、顔に兜の形で残された日焼け跡に惨めな気持ちにさせられたことが良くあった。
シディアの髪をじーと見つめながら……降参した悪漢無頼に問う。
「貴様らの雇い主は」
「へ。へぇ。……このあたり一体を納める領主ビルギー=アンダルム男爵でござんす」
「知らんな」
近隣諸国の主要な貴族の名は頭に記憶しているローズメイ。権力も知力もそれほど持ち合わせていない小物であろうと見当をつける。ましてや、このような悪漢無頼と繋がっておるのだ。相当に胡散臭い人物と見てよい。
ローズメイはじろりと一同を見た。
「まず、お前達の目的をあらかた教えてもらおう」
内容は概ねローズメイの予想通りであった。
……白子の娘が希少だから、生贄騒動を起こして奴隷として連れていく。
その際に幾ばくかの金銭と引き換えにする――そこでローズメイが聞いたのは、このバディス村にいる『神父』とやらの情報であった。
「コイツは俺が、あんたに今しがたぶった切られた頭から、『いざという時、領主を脅すネタ』として聞いたんですが……割と信憑性の高い話だそうで。
この神父は何でも、アンダルム男爵の長男坊だったそうです」
「貴族で僧籍に入るものは珍しくはないが……長男が? 長男が領地を継ぐ以外の道を選ぶのは珍しいな。神の教えが地位や権力より大切だったと?」
「いや。……何でも、『かわいそうといわれるのが気持ちいい性癖』だそうです」
ローズメイは意味が分からず、変な顔になった。
しかし変な顔になってもその気品と美貌は欠片ほども失われていないのが分かる。
「最初は遠乗りの最中に、山崩れで従者を失ったそうです。で、次は年下の可愛がっていた幼い妹。
この両方とも事件性はありやせん。従者は事故、妹は生来体が弱かったそうです。どっちも可愛がっていたそうですが」
「それが?」
「で。まぁ言われ続けてきたんだそうです。……従者殿、お気の毒に。妹様、お気の毒に。おかわいそうに、おかわいそうに……と。
そこまでは良いんです。問題は『神父』が、『お可愛そうに』といわれることに……気持ちよさを感じるようになったそうでして」
「気持ち悪いな」
「ううっ……」
ローズメイは顔を顰めて。彼女の膝の上にいるシディアは、自分を生贄として売り飛ばすつもりだった悪漢無頼から語られる、親切な神父様の一面に怯えたように体を震わせる。
「で、その気持ち悪い『神父様』は、気持ち悪い性癖を拗らせて……母親を殺したそうでして」
「……???」
「……???」
「あ、いえ。黄金の姐さん。それと生贄ちゃん。たっぷり悩んでくだせぇ。正直俺らも最初何がなんだか分からなかった」
ローズメイとシディアの二人は、悪漢のその言葉の意味が理解できずに首を捻った。
だがゆっくり時間を掛けてその言葉の意味に理解が及ぶと……二人とも姉妹のように仲良く嫌悪の表情を浮かべた。
「え、えと……つまり……神父様は、大切な人をなくして『かわいそうだね、大変だったね』と言われて気持ちよくなりたくて……自分のママを殺したの?」
「へい」
「……?」
「シディアよ、深く考える必要は無い。その『神父』の体を流れる血が歪み、ねじれているのだ」
その白い髪をぽんぽんと撫でてやりながら、ローズメイは言う。
「で、『神父様』の殺人はすぐにバレた。もちろんこんなおかしな理由で殺人を犯す長男なんて跡継ぎにできやしない。
僧侶として寺院に押し込めて神の教えに浴せば、その歪んだ性癖も矯正されると思ったそうでして」
「神の教えは有効だったか?」
悪漢の男は首を横に振った。
ローズメイの眼には次第に冷酷な光が漲りだしている。恐らく視界の届く距離に神父がいれば、その襟首を掴み上げていただろう。
「あっちこっちの孤児院に赴任して。まず数年は誠実でお優しい神父様を演じるわけでやして。
で、ある日突然可愛がっていた孤児が不慮の死を遂げるわけです。おかわいそうに、神父様おかわいそうに。あんなに可愛がっていたのに」
シディアは顔を青褪めさせる。
悪漢の言葉が真実であるなら、白子であるにも関わらずに親切に接してくれた神父のその情愛は偽物でなかったという事だ。
そんなシディアを慰めるようにローズメイは彼女の頭を優しくなで、尻に敷く狼龍シーラに声を発する。
「シディア。シーラ。供をせよ。真偽を確かめた後、まことであれば地獄へ落とす」
「はっ、はいっ!!」
「ぐるるるるっ……」
シディアは……ローズメイさまのそのお言葉に、心の怯えや悲しみが消え去り……感情の全ては『神父様』への哀れみに変わった。
彼女は、シディアを助けるために山の『主』に対して自ら食われることも覚悟の上で挑もうとした剛勇にして正しきを成す義侠のお方。『神父様』の正邪を見極め、悪であったなら――苦と惨と非を絡めた刑罰を下すだろう。
かわいそうな神父様。龍種を殴り倒すローズメイさまの強力で殴られるだと思うと、悲しみより先に哀れみが強まるほどであった。
ローズメイは今や己に従う従騎となった狼龍シーラの背中に跨り、ふとももで締め付けて体を固定する。
そのまま騎上より、悪漢達に声を掛けた。
「聞きたい事は聞いた。正道を歩むなら今日この日の事は水に流そう」
「ま、待ってくだせぇ、黄金の姐さん!!」
「うん?」
ローズメイは面倒そうに男達を見下ろした。
「お、俺たちも連れて行ってくれ!!」
「は? 何ゆえだ」
悪漢無頼の男達は言う。
「か、感動したんだよぉ! あんたの喧嘩する姿に惚れちまったんだぁ!」
「素手で狼龍を殴って従えたんだぜ、痺れたぜぇ!」
「滅茶苦茶別嬪さんじゃねぇか! 俺ぁ、あんたの為に死にてぇ!」
ローズメイは剣を握って天空に掲げ、戦意を漲らせて一緒に戦うと叫ぶ悪漢達に目を細めた。
偉大なる強力神のお計らいで、故郷からはまったく遠く離れた地に移った。だがローズメイの生来の気性はまるで変わらず……かつて友軍の窮地を救う為に貴下の兵を引き連れ、孤立無援の兵を救ったときに浴びた感謝と歓声を今もなお、受け続けている。
それに……今まで醜女と言われ続けた自分が別嬪だと言われ、少しは悪い気もしなかったのである。
「シディア。どうする。こやつらはお前を生贄として連れて行こうとした連中だぞ」
だがまずローズメイは彼女に意志を問うた。
シディアからすれば、彼らは彼女にひどいことをしようとした連中だ。怯えるのが当たり前。もしシディアが拒絶したなら狼龍シーラを走らせて振り切るつもりであった。
けれども、シディアは言う。
「いいえ。ローズメイさま。彼らを連れて行ってください」
「……ほぅ」
シディアは馬上から降りて、悪漢無頼の前に進み出る。
ローズメイの黄金の輝きが乗り移ったかのような気力を全身に満たして言う。
「あ、あたし。あなたたちの気持ちが分かる気がするのっ! あなたたち……ローズメイさまに惚れたのねっ!」
「お? ……おうっ!」
「それも顔だけじゃない、その物凄い強さに憧れたのよね!」
「そ、そうだっ! 狼龍を殴って躾けるなんざ……感動しちまった!」
「あたし……ローズメイさまをみて思ったわ! すごくお綺麗で、すごく強くて……ローズメイさまの前にいると、まるで自分が、神話の中の登場人物になった気がしない?!」
「おい……シディア。あまりおれを褒めるな。尻がむず痒い」
「ぐるるっ」
「あたし、変われるかもしれないって思った! あたしこの国の村に生まれて生贄で終わると思ったけど……この方の傍なら、あたし……なんだか凄い何かに変われる気がするのっ! みんな、そうじゃない!?」
「……ああ、ああっ! そうだっ! こんな悪党働きじゃない、なにか胸を張って叫ぶことの出来るなんかになれるかもしれねぇって思えたんだ!」
悪漢無頼の男達は、シディアの言葉に同意する。心の中で燃え上がる熱い何かが、言葉で形を与えられていく。
その熱情のまま、彼らはローズメイに付き従う事を決め。
「シディアを怯え泣かせるような真似をしたなら、死を覚悟すること。
それのみを守るなら、あとは好きにせよ。」
ローズメイはその美貌にほんの少しだけ愉快そうに笑顔を見せて、『物好きどもめ』と応えるのだった。
「あの。それでみんな。ちょっと相談があるの」
「な、なんだい生贄ちゃん」
シディアのちょいちょいと手招きし、密談に誘う言葉に悪漢達は大人しく耳を貸す。
ローズメイさまに聞こえないよね、と確認してから口を開く。
「いまからローズメイさまは、あたしの故郷のバディス村に行くけど。
この話の流れからすると……絶対に『神父様』死ぬよね」
「ああ。火を見るより明らかだ」
シディアは頷いた。
「神父様がそういうおかしな人ってのはショックだけど、仕方ない。けどね。ああいう人でもあたしに優しくしてくれたことはあった。
だから……あたしの前供養に使われた祭器があるんだけど」
「お、おう」
「お礼に……神父様に前供養してあげようと思う」
……悪漢達は、『ああ……』と合点がいったような納得の表情になった。それはお礼というより意趣返しの類ではないだろうか、と思ったが口にはしなかった。
確実に神父様は死ぬだろう。自分達の主、黄金の姐さんローズメイが許すとは思えない。龍種を素手で圧倒する拳骨は惜しみなく奮われ、トテモオソロシイ光景が広がるに違いない。
悪事を重ねてきた悪漢無頼の男達は実に珍しいことに……心からの同情を込めて、神父のために神に祈りを捧げる気持ちになった。