お前の名はシーラ
連絡通り、『ハイファンタジー』に変更しました。
よろしくお願いします。
ローズメイは激しく苛立ちながらも、深く呼吸を繰り返して頭を冷やす。
気を高め、覚悟を決め、これぞ人生最後と思えば、目を瞑っていても問題なく始末できる雑魚ばかり。
どうやらこいつらはドラゴンになれぬらしいと知ると、ローズメイは心底不愉快そうに顔を歪めて、持ち上げていた男を放り投げる。
「……もう用はない、その死体を持ってとっとと失せろ!」
男達はびくり、と震える。
彼らはまだ現実を正しく理解しきれていなかった。
容易い仕事だったはずである。領主の命令で白子の生贄を輿ごと受け取り、近くに待たせている馬車に乗せ、攫っていくだけ。
もし善良な村人が、生贄の儀式などおかしいと助け出そうとしたならそれを殺すぐらいの話。
だが、これはなんとした事だろう。普通なら……獲物がもう一匹のこのこ罠に飛び込んできたと喜ぶところだ。
生贄の輿に乗っているのは、高級娼館でも見たことのないような絶世の美女。だが不思議とありきたりな獣欲はなりを潜めている。欲望に忠実なはずの自分の肉体がまるでその気にならないことに、彼ら自身が一番驚いていた。あまりにも美しくて、今すぐひざまずいてそのおみ足に忠誠の口づけを捧げたくなる気持ちだ。
それでも、悪漢無頼の頭は自分達の仕事を思い出して放心から立ち直る。
「ま、待てお前らっ! 落ちつけ! ……なぁ別嬪さん。その輿の中には白子の娘が一人とっ捕まっていたはずだ。
その娘はどうした?」
「戒めを解き、逃がしてやった」
「ほ、そいつは困る……実に困るんだよぉ」
女の足ならそこまで遠くまで逃げられまい。
それに彼らと村の村長、神父はグルで、もし白子の娘が村に逃げ込もうとも『生贄から逃げ出した』と言ってまた輿に乗せて連れて帰るだけである。
その時だった。
「ローズメイさまぁ!」
森の中から駆け戻ってきた白い人影……シディアがこちらへと叫び声を張り上げる。
遠目からでもありありと驚愕を浮かべているのが分かった。山の『主』などと呼んでいた生贄の輿からでてきたところの黄金の女ローズメイ様を、凶相の男達が取り囲んでいるのだから。
「小娘っ! 帰っておれと言っただろう!!」
ローズメイは既にこの時、一度聞いた白子の少女の名前など頭から消えうせている。
黄金の女の叱責の言葉にシディアは鞭打たれたかのようにびくりと全身を震わせたが……シディアは、ぽろぽろと涙を溢して叫ぶ。
「いやですっ!……あたしをいけにえに捧げた人が一杯いる村に帰るなんて……怖くてできませんっ!」
ローズメイはシディアの震えて涙ぐむ叫び声に……ああ、それもそうか、と自分自身の考えの至らなさを嘆いた。
一人の娘を生贄に捧げる――それを黙って見過ごしたなら、村人全員が間接的な殺人に見てみぬふりをして過ごした事になる。
確かに……もう以前の生活には戻れぬだろう。
「済まぬ。おれの考えが至らなかった」
「ローズメイさま……お願いしますっ! あなたの傍においてくださいっ!」
ローズメイはふむ、と頷いた。
将軍として従軍する際、幾度か騎士たちに忠誠をささげられることはあった。ならば彼女の返礼は常に決まっている。
「おれは戦いを生業とする女だ。お前が命を失おうとも常に守ってやれるとは限らんぞ」
「しょ、承知してますっ!」
そうか、とローズメイは頷いた。
それだけで、まず両の手の届く範囲でなら、全力で助けようと心を決める。
悪党の頭は小ずるそうに笑いながら交渉を持ち掛けた。
「な、なぁ、俺たちぁ、確かにドラゴンなんか比べ物にならねぇ雑魚だ。べ、別にあんたと好き好んで事を構えたいんじゃねぇんだ。
酒もやる、金もやる。俺たちゃあの白子の娘を捕まえて持って帰るから、お互い出会わなかった事にしねぇかい?」
頭は勘がよいほうだった。
この目の前の黄金の女を見ていると……先ほどから冷や汗が止まらない。
数ではこちらがずっと上なのに、この女が斬り殺されている光景がまるで思い浮かばない。脳裏にちらつくのは濃密な死の気配。欲張らなかったから今まで窮地を切り抜けていた悪漢は、黄金の女を自分の好きなようにするという欲望など早々に切り捨て、本来の仕事のみに集中しようと心に決める。
ローズメイは剣を握る手に力を込めて、言った。
「ならぬ」
「な……なんでだよ!」
「おれはあの娘、シディアに言ったのだ。『お前は救われる』と」
「た……ただの口約束じゃねぇのか! あんたぁそんな言葉の為に、じゅ、10人と戦うのか!」
「おれは将帥だ。将帥だった。そして人の上に立つ立場の人間とは、ひとたび口にした約束を絶対にないがしろにしてはならぬ。
もし一度でもおれが約束をたがえれば、その言葉は誰にも省みられぬ軽いものになるであろう。
それに……お前は間違っている」
ローズメイは笑った。酷薄な、死神の笑みだ。
「すでに残り9人だ」
なにを、と言おうとした頭の男は、何かとてつもなく冷たいものが自分の喉を横切った感触を覚えた。
自分の声帯がさび付いたように動かない。いや、それどころではない。心音と共に鮮血は――行き場を失ったように首の傷口から溢れて滴る。
頭の男はそこに至って……ローズメイの持つ剣が横に振りぬかれ、切っ先が血でぬれていることに気付いた。
黄金の女の頬に、自分の鮮血が付いている。
(うぉー、様になる女だ……かっけぇ……)
頭の男は、自分の体液が彼女の顔にかかっているのを見て、昂ぶるものを覚えたが、その感覚は既に首ごと切断されている。
黄金の女の剣を振る姿の美しさに見惚れ――そのまま妙に満足げな表情と共に絶命へと至った。
ローズメイは、己の肉体の能力を徐々に掌握しつつあった。
この地に転移する直前まで、彼女は肥満体だった。その膂力は騎士団屈指であり、愛用の大戦斧の一撃を受け止められるものは知る限りではいないほどだ。
今現在、ローズメイは自分の体に張り付いていた脂肪の全てを失っている。
ずっと肉体に圧し掛かっていた重りのような脂肪は消え――重量の理は失った。
その代わりに、今までと同じ膂力と、今まで持ち得なかった速度を得ている。強力と神速。二つの要素が絡み合い、ローズメイの武威を更に恐るべきものへと昇華させている。
こんなにも体が軽い。羽毛のようだ。まるで蝶のような気持ちだ。十年近く無縁な感覚に驚きと喜びが胸に溢れる。
「ち、ちくしょぉぉ! もうこうなったら狼龍を呼べっ!」
「ほ、本気で言ってるのか!? あんな別嬪を食わせるって?!」
「お前はいったいどっちの味方だぁ!!」
この時ばかりは、ローズメイも狼龍を連れて来いと怒鳴った男に同意する。
びぃー! と呼子を吹き鳴らす音が夜の闇に木霊し――森の奥底から巨大な獣が凄まじい速度で姿を現した。
「あ、あれですっ! あれがあたしの村の人を殺した……!!」
シディアが、その四足歩行の陸龍を指差して叫んだ。
ローズメイは、ほぅ、と感心したように呟く。
「狼龍種……だが少し体が大きいな。龍の血が強く出た変異種の類か?」
軽く首を捻り、ローズメイは呟く。
狼龍種はいにしえの魔術によって生み出された強力な戦闘獣だ。原産地はサンダミオン帝国の属領州に組み込まれており、かの帝国の恐るべき切り札として温存されているはずだ。
その歴史は古代の魔術師が狼の性質に龍種の生命力を与えれば、より優れた乗騎が生まれると考えたことから始まる。
全身を覆う黒い龍鱗、背中からは赤いたてがみ。口蓋からは火を吐き、その双腕は鋭い爪を供えている。
臆病な馬と違い、勇敢な性質で戦闘用に躾けるのも簡単。
いざ戦となれば敵兵を屠り去る凶悪な戦力となるだろう。
しかし、そのいにしえの魔術師は根本的なところが抜けていた。
龍種は高い知能を誇る。それに知能の高い狼の性質を掛け合わせたのだ……結果生まれたのは、大変に知能が高く強い戦闘獣だ。
愚鈍な性質の動物は俊敏さや反射速度には欠けるが、従順で人間の命令に従いやすいという性質に繋がる。
そして勇敢で知能が高いという一見素晴らしい美点は……プライドに変化し、人間の命令に容易に従わない厄介な性質に繋がる。
ましてや、亜種とはいえ龍の血を引くのだ。『従わせることが出来れば生涯の従騎となるが、従わせられないなら処分するべき』と呼ばれるのが、狼龍種である。
目の前のソレは変異種で体も大きく、知能も優れていたため、あまりの気位の高さに人間に従わなかったのだろう。
「ゴアアアアアアァァァァァァァ!!」
「このような巨躯の狼龍種、従えられるのは、ひとかどの人物であるはずだが……」
下腹を奮わせるような魔獣の咆哮にもひるむ様子は見せずに、ローズメイは首を傾げる。
だが、その赤く血走った両眼と、口蓋から垂れる涎と……吐息に含まれる薬物の臭いに納得する。
「なるほど。気位の高い狼龍を従えるために違法薬物と呪術を合わせて強制的に従えているな」
そう認識すると共に――ローズメイの胸の奥底で燃えるような『肉体美』の加護が脈動する。
それも当然か、と考える。彼女に加護を与えた『強力神』は戦神、軍神だが、同時に健康を司る神でもある。自らの怠惰による不健康は捨ておくが、薬物によって命令を強制的に聞かせられるような状態には、恩寵を与える事がある。
「よし。良いだろう。神が貴様に手を差し伸べよと仰せだ! 神代の邪龍と決戦することを思えば、格は落ちるが龍は龍!!」
狼龍と戦った経験はない。戦場では万夫不倒の彼女だが、しかしその力は己の膂力に耐えられる超重武器があってこそ、十全の力が発揮できる。
だがそれも、良いハンデになるぞ、と笑ってみせる。
ローズメイは非武装の不利など微塵も見せぬ笑顔を浮かべ、狼龍に指を突き付けた。
「その角の形、お前、雌だな……決めたぞ」
ローズメイは……その顔を見ていたシディアや悪漢たちが震えあがるほど残虐な笑顔を見せた。
「狼龍、お前の事をシーラと呼ぼう。
喜ぶがいい……この名はおれがこの世で最も敬服する淫売の名だ」
ローズメイは微笑んだ。
それこそ王であろうと抗い難い絶世の美女が満面の笑顔を浮かべているのに、その言葉の端々から震えあがるような邪気を発している。
薬物と呪術で理性を失っているはずの狼龍シーラは、目の前の絶世の美女が発するすさまじく不穏な気配に思わず震えた。
シディアも悪漢たちも……相対する狼龍シーラさえも、何かとても酷いことを考えているような気がするローズメイから一歩後ずさった。それでも狼龍シーラは、この黄金の女と戦うことを呪術で強制され、前に進み出る事を余儀なくされる。
敬服していると言っている割に、ローズメイの全身より発せられるのは紛れもなく不穏な気配だ。
「これより貴様を屈従させ、おれが尻に敷く乗騎にしてくれる。
貴様はこれから永遠におれの下僕、これから貴様が住まうのはきらびやかな王宮や宮殿ではなく、馬小屋だ」
シディアは冷や汗を流した。
狼龍種は乗騎として扱われるからローズメイの言葉は別に不当な扱いという訳ではない。
不当という訳ではないのに……何かとてもひどい八つ当たりを見ている気がする。
いったい『シーラ』という名前の女性は、このお美しいローズメイさまにどれほど無礼な行為を働いたのであろうか?
「ガ、ガアアアアアアァァァァァァァ!!」
眼前の、黄金の女が発する邪気に呑まれまいとするように、狼龍シーラは自分を鼓舞するかのような咆哮を上げ、爪を振り上げて突進する。
大柄な軍馬に勝る体躯、それが供えるのは鍛造されたナイフを爪に備えたような腕。その一撫でで人間などずたずたに引き裂ける一撃を繰り出していく。
その一撃を紙一重で見切りながら、ローズメイは握り拳を思いっきり叩きつける。
「よくもおれからギスカーさまを奪ったな、このアバズレがあああぁぁぁっぁ!!」
「グギイイイイィィ?!」
狼龍シーラは龍鱗の上から叩き込まれる壮絶な衝撃に悲鳴を上げ、身をよじる。
吹き飛ばされ、それでも獣の反射で姿勢を正し、大顎を開き、鋭い牙で襲い掛かった。
だがローズメイは、質量、速度に優れた巨獣の突撃を正面から迎え撃つべく地を這う様な低い弾道から、掬い上げるようなアッパーを叩き込み、宙に浮かせる。
「す……すげぇ……」
悪漢無頼の男たちは……黄金の女ローズメイの凄まじい強力、恐るべき剣技の冴えを見て、その暴力が自分たちに狙いを定めれば到底助からないことを知っていた。
それでも目を離せない。
魔法や魔力、武器を使ってならともかく、無手で狼龍を殴りつけ圧倒するあの黄金の女。
暴力を生業にするからこそ、その力の頂に位置する美しき暴威に憧れ、目を奪われ逃げる事など考えもできない。
悪漢無頼の徒も、命の危機に瀕して失禁しているにも関わらず、足は縫い留められたように動けなかった。
そして、シディアは思った。
狼龍シーラと名付けられたその龍種――もはや完全な八つ当たりで殴られている獣に同情するしかない。
もし逃げたいと思っても呪術の力でそれは許されない。
もし……その『シーラ』という人と、ローズメイさまが出会ったら、どんな悲惨な死が待っているのだろう。
どうにかしてローズメイさまを怒らせず、その『シーラ』の特徴を聞き出し、惨劇を避けるよう努力するべきではないかと真剣に考えるのだった。