ドラゴンになれよ
いつも読んでいただきありがとうございます。
お知らせです。
今回感想含め、作家仲間の方からこの作品はハイファンタジー区分というご指摘を受け、次の更新の際にハイファンタジーに変更いたします。
よろしくお願いします。
死ぬにはタイミングというものがある。
ローズメイは、8000の敵に対して11騎で立ち向かった際、まず生きて帰れないと思っていたし、強力神の介入がなければ事実そうなっていたであろう。
かといって、いまさら自ら死を選択するような軟弱な事をする気はなかった。
彼女は、美しさを捨てて十年近くを戦争に明け暮れてきたのだ。なら、死ぬならそれに相応しい死に様が良い。
圧倒的な大軍勢に寡兵を持って挑むか、あるいは強大な魔獣と一対一で立ち会って華々しく散るような、そんな死を望んでいた。
だから、正直なところを言うと、強力神の寵愛は有難くはあったが、同時に死ぬタイミングを覆されて『余計な事をしてくださった……』と、少しだけ神をうらんでもいたのである。
(だが、ようやく神の思惑を理解できた。
あの偉大なる強力神は、おれにただ命を捨てるのではなく、この生贄の代わりになり、山の『主』と呼ばれる存在と戦い、勝つか、あるいは食い殺されろと仰せなのだ。
確かに無為に命を散らすより、生贄にされた哀れな者を救う為に死ぬほうが遙かに意味のある死と言えよう。
よかろう。ここでおれは死ぬ。満足する死である)
この時、ローズメイは彼我の戦力差とか、生きて帰るとかそんな殊勝な事は考えていない。
醜くなってまで力を求めたお方から愛される事は無い。ならば十年を練り上げたこの武威を用いて有意義な死を迎える気満々なのであった。
「ええと、ここは竜骨山脈のふもと、バディス村から少し山側に上った場所になります」
「……おれが決戦した場所から相当離れた山の山中であるか」
「い、今って言っても良く分かりません。年号なんか村では使わないから」
「そうか」
「……あ、あたし……シディアと言います」
「そうか、おれはローズメイという」
「そ、それで、あたしはその……龍種の生贄にされて」
「ぐ、はは。いいぞ。我が生涯最後の敵に相応しい」
ローズメイは人が見惚れるような麗しく魅力的な笑みを浮かべた。
ただしその笑みは迫り来る死の気配をも端然と迎え入れ、待っていたぞと微笑むような剛毅の笑みであった。
彼女は自分の手製槍の先端、猪の牙を固定する布をより一層強く固定しなおす。
シディアはこの絶世の美女は何者なのだろうという疑問ばかり沸いてきた。
先ほどまでは邪龍に食われる生贄役などと考えていたが……まぁ、冷静になればそんな考えも消える。
助けを求めに行った人は死んでいるし、税金を貰っているはずの領主様の騎士団は大抵足が遅い。騎士団は役に立たないから、どこかで傭兵でも雇うべきという意見だってあった。
では、彼女はたまたま通りすがった武者修行中の騎士様なのだろうか?
それも違う気がする。シディアは村の中では一番の器量よしと褒められたこともあったが、ローズメイを名乗る彼女は村一番どころか大陸一番の器量よしと言われても納得の美貌だ。
こんなにも美しい人がなぜわざわざ、一人で、槍と猪の皮を担いでいるのだろう。
「その、ローズメイさまはどうしてこの村に?」
「神に、戦って死ねと言われたのだ」
「ひえっ……」
その満面の笑みに……シディアは驚嘆した。
天に御座す神々に直接言葉を掛けられ、その使命に殉ずるおつもりの麗しき女(蛮族)。
彼女はシディアの頭に載せていた花冠をひょいと摘んで自分の頭に載せる。
「おれが、代わりに食われよう。あるいは山の『主』とやらを殺すやもしれぬが。そこは、ま、許せ」
ローズメイの笑みに、シディアは息を飲む。
今回の事件で疑問はところどころあったが……一つだけ分かっていることがある。それは付近に小型とはいえ龍種を見た人がいるということ。それだけは本当なのだ。ヘタをすれば、龍種と戦うかもしれないのに……見ず知らず、初めて出会う自分の為に命を賭けて戦う人がいる事実に……まるで救われたような気持ちで、ぽろぽろと涙を溢した。
ローズメイは指でシディアの頬を伝う涙を拭った。
「泣くでない。お前は救われるのだ」
「で、でも……でもあなたが、しんでしまいますっ!」
「構わぬ、一度捨てるつもりであった命だ。失おうとも別に惜しくもなんともない」
シディアはふかぶかと頭を下げた。
腕を縛る鎖を引き千切ったローズメイによって自由を取り戻し、生贄をのせた輿から出て走る。
あそこから逃げなければ、逃げなければ。
そう思って走り出し……しばらくして不意に、彼女は足が止まるのを感じた。
「あたし、どこに帰ればいいんだろう」
ふるさとである村の人々から、自分は生贄にされたのだ。帰ったところで本当に受け入れてもらえるのか。
つまるところ、シディアの人生がどうなるのかはあの黄金の女に託されている。
彼女が生贄を要求する何者かに倒されたなら……きっと村の人は『シディアが生贄にならなかったから』と言い出すに違いない。
今まで村の一員として仲良くやってきたつもりだったけど、命がかかっているとなれば彼らは簡単に自分を犠牲にする方向でことを収めようとするだろう。
それになにより。
生贄にされかかっていた自分を助ける為に輿に残り、自ら邪龍と戦う覚悟を決めた彼女。
それはよく物語で見かける英雄の振る舞いに他ならない。
シディアは全身を震わす感動のまま、元来た道を戻って駆け出した。
なんて美しいんだろう……! 顔形の美しさだけではない。死地に残るというのに、気にするなと微笑む姿が美しい、あの人の美しさは外見だけではない、高潔な内面によってあの人、ローズメイさまは内側から光り輝いているのだ!
シディアは走る。まるで自分が物語の英雄譚の端役に任ぜられたような気分。巨大な歴史物語の中で、英傑の端に名前が引っかかるかも知れない強烈な期待感。
あの人は太陽だ。周りの星を無理やり輝かせるような黄金の光。あの輝きに浴せば……ただの村娘のまま、怪物に食われて終わるはずだった人生が劇的に変わるかもしれない。そんな思いに突き動かされる。
いや、それも正しいようで違う気がする。
シディアはあの人から目を離したくないのだ。あの美しい人を間近でもっと見続けたいのだ。
あの美しい顔と、美しい生き様を兼ね備えた『美の化身』の如きローズメイさまを、もっと近くで見続けてみたいのだ!!
この時点で、発生している事件の事を知る者は多くはなかった。
つまり……これは彼ら領主配下のならずものと、村長、神父との秘密の取引であった。
山奥に白子の娘がいる。珍しい肌の色とそれなりに整った容姿は珍重されるだろう。
狩人を殺し、助けを求めようとした村人が殺されたのは――領主が近隣から買い付けた狼龍種と呼ばれる陸龍の一種の腕試しだった。
村長は生贄という形式を取ることで、村人から恨まれることなく領主様の意向に従い報酬として金銭と税金の免除を認めてもらい。領主は珍奇な髪の色の娘を愛でて、飽きれば適当に奴隷商に売り飛ばすつもりであった。
領主にとっては何の罪もない二名の村人の死など、気に留める必要もないささいな話でしかなかった。
「お。ここだ、ここだ。お待たせ生贄ちゃんよぉ」
数名の悪漢無頼の徒が、にやにやと笑みを浮かべながら生贄の入った輿を見つける。
領主の走狗である彼らはそれぞれが輿に近づき、抱え上げ――近くに待機させている馬車へと運ぼうとするが……少し気の早い男が、その輿の中を覗こうとした。
「おいおい。何する気だ。手ぇださねぇのも仕事のうちだぞ、おい」
「へへ、別にいいじゃねぇかよ味見ぐらい。白子とかはじめて聞くぜ。どんな肌の色してんだ?」
男の一人はそのまま輿の御簾を乱暴に開き――びくり、と震えた。
顔は驚愕に染まり、本当に美しいものを眼にした時、誰もが浮かべる畏敬に満ち溢れた顔となった。
輿の中ではこの世のものとは思えない絶世の美女が膝立ちしており。
生贄の証である花冠をかぶった彼女は途轍もない落胆と失望を湛えた半眼で男を見つめ返していた。
男は振り向いて仲間達に叫んだ。
それはまるで敬虔な教徒が神威を目の当たりにしたかのような驚きと憧れがあり――この悪漢無頼の男が、こんなにも罪のない表情を浮かべることが出来たのかと感心するような、純真無垢な喜びに満ちていた。
「す、すげぇ! すげぇ!! すげぇ美人がっ、がっがっ……?!」
男の貧困な語彙力ではただただ感嘆を繰り返すだけしか出来なかったが――その声は一瞬で断ち切られる。
御簾の中から鋭く走る鋭利な刃物が伸び――男の背中、脊椎を貫通し、口蓋から飛び出た血塗れた刃が一撃で命を奪う。
男達は突然のことに反応ができなかった。
鎖と猿轡で身動きの取れないようになっている生贄がなぜ動けるのか。猪の牙と木材を掛け合わせた粗雑な手製の槍に貫かれた男は数回の痙攣の後に絶命する。
そして、内側から御簾を開けて――まるで、黄金の輝きが女の姿を取ったように現れる。
彼女は輝いていた。両眼から怒気を漏らし、感情にあわせてか、炎の王冠の如く輝く頭髪を見せつけながら、女王のように、あるいは敵を目の当たりにした戦士のように男達を睥睨した。
それは例えるなら――巨大な魚を釣り上げようと綿密な準備と計画を立ててきた釣り師が、大物を予感させる手ごたえに喜び勇み、引き上げた魚が……とてつもない雑魚であったような、とてつもない落胆と失望で満ち溢れていた。
「この……この……この期待はずれのくそ雑魚どもがああぁぁぁ!!」
男達は自分の仲間を殺したはずの美女に対して、まず憎悪と憤怒を掻きたてられるより先に、その絶世の美貌に魂を飛ばし、しばしの放心を覚えた。
布一枚での扇情的な姿。絶世の美貌。比喩抜きで輝いている黄金の髪。
「なん……だ」
悪漢達の中で、一番の腕利きの男は、その頬を伝う汗の感触を感じる。
このような山奥の人通りのない場所なら美女に欲望のまま襲い掛かるのが常の悪漢なのに――彼は、自分の股間の男性が、ぴくりとも反応しないことに違和感を覚えた。
あんなにも美しい女なのに、まるでその気になれない。
あまりにも美しすぎて穢し難いと感じているのか――否。
男は、黄金の女を前にして……しばしの後で、ようやく、自分の奥歯がカチカチと震えているのを感じた。命のやり取りになれた本能が……目の前の黄金の女より発せられる戦力を察していた。怯えているのだ。自分は。
当たり前だ、獅子に欲情する人間などいるはずがないのと同じだ!!
「おれはこれが最後の決戦と思って挑んだ。龍種がいると聞いて我が生涯最高の戦と思って心躍っていたというのに……!」
歯ぎしりし、燃え上がるような憤懣で両目を怒らせながら、黄金の女は今しがた突き殺した遺体から剣を抜く。その手入れの悪さ、低品質に投げ捨てたくなる衝動を堪えつつ……ふいに何かに気づいたかのように、1人をにらんだ。
「そうか……聞いたことがあるぞ! 力ある龍種は時に人へと姿を変える力を持っていると聞く!
貴様ら、さてはドラゴンが人に変じているのだろう!!」
ローズメイのその動きを眼で捕らえられた者はいない。長年の間、重量級の肥満体を支え続け分厚く強靭に発達した彼女の大腿筋は、神速の踏み込みを実現する。その腕が走り、男の襟首をつかんで、片腕一本で持ち上げる。
男は驚愕した。女が長身で鍛え抜かれているとはいえ、その麗しき外見からは想像しがたい強大な膂力。足をばたつかせ暴れて脱出しようとしても、びくともしない。
膂力の桁が違う。
ローズメイは片腕で持ち上げた相手の顔面に切っ先を突き付けた。
「お前か! お前がドラゴンか!!」
突然の理不尽な決めつけに、男は泣きたくなった。
ぶるぶるぶる、首を横に振る。
ローズメイは苛立たしげに刃を振りながら叫んだ。
「ならこの中にドラゴンに変身できる奴がいるのか!!」
ぶるぶるぶる、首を横に振る男。
ローズメイは憤怒のままに叫んだ。
「ふざけるな! ドラゴンになれよ! ドラゴンになれるだろお前!
おれの生涯最後と心に決めた戦場なんだぞ! 気合を入れぬか! 丹田に力を込めて封印されていた血を蘇らせてみろ!
ドラゴンになれよ貴様らあああぁぁぁぁぁ!!」
「で、できませぇ~~~~~~ん!!!!!」
男は――とうとう見栄も外聞もすべて失い……目の前でちらちらと揺れる切っ先と、絶世の美女の無茶苦茶な要求に悲鳴をあげるのであった。