傾国の美女(物理)
(うっ。う~……いやだ、怖いっ! わたしまだ死にたくないよぉ……!!)
両手足を繋がれ、猿轡を架せられ、シディアに出来ることは我が身に起きた不幸を呪うようなすすり泣きの声を上げることだけだった。
今まで優しかった村の人々は、口々に『すまない、すまない』と、謝罪の言葉を言いながら……その身を押さえつけ、魔術を用いられぬように猿轡を噛ませ、縛り上げ――今しがたまで、自分が死ぬ事が既に定まった事実のように祈りを捧げ、帰って行った。
その事実が、今まで家族だと思っていた村の全てから見捨てられたような絶望へと彼女を陥れる。
シディアは、震えながらどうしてこうなったのかと考え込んだ。
彼女は、山奥の村には珍しい異相のものとして生まれた。
雪のような白い肌に血の色が浮き出たような赤い目。いわゆる白子である彼女だが、日差しに弱いという体の不備を除けば意外とこれはこれで穏やかな生活を送れてきたのである。
神は、意外と話が分かる。特に東方で崇められる『女神』は、獣人や人魚、吸血鬼のような異種異形を哀れみ、族滅されるところであった彼らの姿を隠す『くらまし』の加護を授けてくださったり。
目の不自由なものに、素晴らしい聴覚を与え、なるべく不自由のないようにしてくださったり。
まるで失ったものを補うような『加護』を授けてくださるのだった。
シディアも例外ではなく、神に加護を授かって生まれた。
地に住まい、川に流れる偉大なる力を感じ、それらの力に指向性を持たせる事に長けていた。早い話が極めて高い魔術の素養を持っていたのである。
異種異形として畏れられかねない白子の彼女であったが、彼女は地を耕す魔術を使ったり、水を生み出す魔術を使ったりと自分が山奥の寒村という狭いコミュニティの中でも役に立つことを示してみせたのだ。
山奥の、猫の額ほどの土地を耕して暮らす生活に、彼女は特に疑問も悩みも持たずに生活を続けてきた。
これまで問題なく彼女の世界は回っていたのだ。
野生の龍種が現れるまでは。
龍種。
言うまでもなく生態系の頂点に立つ生命体だ。
神代に詠われるような龍は人間より遙かに深く鋭い知性を有し、強大な魔術を事も無げに振るい、地形をも変化させるような力を持っていたという。
そういった龍の遙か遠い子孫が……現代にも生存する龍種だ。
人間に手懐けられ、飼い慣らされたものもいる。だが野生の龍種によって滅ぼされた村の話など良く聞くぐらいだ。
まず、村一番の腕利きの猟師が殺された。
凶悪な害獣の出現に怯えた村人は、慌てて貴重な馬で、村を治める領主へと急報を知らせに走ることにした。
……だが、馬に乗った若人は、村の門の前に物言わぬ躯になって打ち捨てられた。
村が、外部と遮断された事に村人は恐怖した。
そしてトドメと言わんばかりに、村人の目の前に、龍種が現れ、言葉を発したのだ。
『シロイ、ムスメ、サシダセ』
曲解しようのない明確な命令の言葉に、村人は震え上がり命令に従うことにした。
シディアは震えていた。
(おかしい……なんかおかしいっ……)
そして震えながらも、彼女は今回の事件に対して疑問を拭いきれないでいた。
……野生の凶悪な龍種が村を一つ滅ぼすという話は、多くはないが決して稀ではない。
しかしそれは――たまたま巨大な龍種の進路上に不幸な村が存在していたような、たまたま天災に巻き込まれたような感じで、こう……人間の細やか事情に頓着した感じがない。
だが、今回の事件はまるで人間の汚い、穢れを煮詰めたような悪意が溢れている。
龍種の中には言語を発するものもいると聞く……そんな物凄い、神話にしかいないような存在がどうして山奥の寒村を襲うようなつまらない罪を犯すのだ。
もし言語を介する凶悪残忍な邪龍が存在するのなら、それに捧げられる生贄は、亡国の姫君とかではないだろうか。そして姫君を助ける為に、強力神の寵愛を受けた英雄か、女神が異世界より召喚したりする勇者とか、そういう人物が関わるはず。
(邪龍が出るなら、なんだかしょぼい犯罪だよっ!)
なのにこの事件の龍種は、まるで村人の恐怖を煽る為に村の入口に死体を散乱させていた。本物の邪龍であるなら、例え騎士団が討伐に赴こうともそれを正面から粉砕する強者の余裕を持っているはず。
騎士団の助けを求める村人を殺したという事は――この邪龍は、『騎士団が来たら勝てない』ということだ。
そして、言語を介するほどに力ある龍種であるなら……地方領主の率いる騎士団ふぜいを畏れるなど、とても妙。
この事件の犯人は、まるで……恐怖で混乱する村人の反応を面白がるような、軽侮すべき邪気を感じるのだ。
(けど、そのなんかつまらない黒幕のせいで、あたしが殺されてようとしてるのが一番の問題だよっ!)
「うっ……ううっ……ううう~……」
ちくしょう、ばかやろう、と叫びたくとも猿轡のせいで言葉も発せられず。
シディアは両手足をじたばたと暴れさせる。
時折旅をする吟遊詩人が語るような英雄譚。そこでは囚われの姫君を助ける為に颯爽と英雄が現れてきてくれたはずだ。
ふと、そこでこちらに近づいてくる足音に気付いた。シディアは暴れながら助けを求める。
カモン! 英雄カモン!! 今すぐお助けの必要な姫がここにいますよー!! とか心の中で叫びながら、じたばた暴れ――シディアは、生贄を運ぶ輿の御簾を荒々しく開けるその人を見た。
おうごんのひかりが、おんなのひとのすがたをしている。
シディアは、その女の姿をした鮮烈な光に言葉を失った。
赤い一枚布を巻きつけたドレスから浮かび上がる艶美な曲線は、彼女が女性である事を示している。
肩はむき出しで胸元は大きく膨らみ、まるで蜂のような過激な括れをあらわしている。
腕はそれなりに細いのだが、そのところどころに浮かび上がる力瘤の逞しさよ。節制の末に細くなったのではない。十分以上の食事を取り、鍛錬して鍛え上げ、膂力と俊敏さを両立させた、細く絞り込まれたしなやかな筋肉を纏っている。
そしてその頭髪!!
月光を受けて煌くその長く美しい髪は、まるで陽光のきらめきをそのまま梳ったようだ。月光の光を浴びて輝いているのではない。まるで彼女の髪そのものが、我こそ地上の太陽であると誇らしく主張しているよう。
そして、その顔。
シディアは――声を失う。
美しい。整った耳目と涼やかな眉。玲瓏な美貌と、その身のうちから発される覇気というべき何かが、その美貌を何倍にも輝かせている。
存在の分厚さが違うとでも言えばいいのか。あまりに美しくて、シディアはもごもごと助けを求める言葉さえ忘れ、心奪う絶景を前にしたかのように、ただただ下からその絶世の美女を鑑賞し続け……。
ふと、思い立つ。
心の奥底でなんとなく、なるほど、と納得しまったのだ。確かに白子であることが珍しいだけの片田舎の娘より、まるで太陽を冠にしたかのような黄金の美女ならば、英雄譚の姫君役にぴったりだ。
『すみませんが、邪龍の生贄役はこの私なんですのよ、おほほ』などと言われれば『どうぞどうぞ。あたしのような端役がでしゃばってすみません。できればこの鎖を切っていただけませんでしょうか』とか言ってお役目を譲る気になる。
シディアはじっと美しい人を見――気になるものをみつけて、んん? と思った。
美しい、とてつもなく美しいが……手に持っているのはなんだろう。猪の皮らしきものであり、もう片方の手にはお手製らしき手槍を握り締めている。
傾国の美女らしき容姿なのに……その、携えるものの無骨さはなんなのだろう。そこだけ見ればまるで蛮族の勇者ではないだろうか。その彼女は片膝を突き、小さな短刀で、シディアの猿轡を切った。
そして……その涼やかな唇から言葉が発せられる。
「ここはどこで。
今はいつで。
お前は誰で。
何者に命を狙われている?」
その声は、唇から闘志がこぼれたかのように力強かった。
……シディアは自分の思い違いを悟った。
これは絶対に……鎖に繋がれ、邪龍の生贄に供され、しくしくと泣きながら英雄の助けを待つような人ではない!!
世の女人が羨む絶世の美貌から発せられる、硬質な男言葉!
嗚呼! だが、それがなんと似合っていることか!!
そして、状況を知るための、端的な質問の数々が――彼女が状況把握に努めようとしていることを示している。
シディアは直感した。
……彼女は間違いなく傾国の美女だ!
ただし、王を籠絡して国家に悪臣や奸物をはびこらせ、一国を滅亡に導くのではなく!!
自ら剣を取り兵を指揮し、真正面から一国を破滅させるタイプの、誰もが羨む絶世の美貌をまるで頼るつもりのない傾国の美女(物理)だ!!