失望に値する敵
時間は開戦の数時間ほど前に巻き戻る。
火事場泥棒に来た貴族より身代金をふんだくり、国外退去を命令した後のローズメイの行動は早かった。
「では、後は頼むぞ。ハリュ。シディア」
「ええ、お任せください」
「ローズメイ様もお気をつけくださいねっ」
立派にローズメイ一党の一員を成すハリュとシディアの二人に、ケラー子爵家の兵達の指揮を任せ、北上してファリク=ケラーの軍団との合流を目指す。それがローズメイの判断であった。
実のところ、彼女が捕らえた貴族軍はローズメイ率いる兵団を最初捕捉できていなかったらしい。
なんといっても百に満たない数。教会などの大きな公共の広間であれば、わざわざ天幕を張って町の外で野営する必要もなく。だから『この町には軍はいない』と敵は勘違いして襲い掛かってきたという。
だが、ファリク=ケラーの配下は300。
子爵家の兵団としてまずまずの数。アンダルム男爵領を支配したい他の貴族にとってはどうにか排除したい目の上の瘤と言ってよく。
ローズメイはまず彼らと合流し、敵の脅威を知らせることにしたのだった。
馬で長距離移動を行う際は、人間よりもまず馬の体力維持を優先させる。
今回、狼龍シーラの存在が大いに役に立った。まずローズメイは愛用の大戦斧や6騎の悪相の家来衆の防具など重さのあるものをまとめてシーラに背負わせることにした。
狼龍シーラはそれらの重荷とローズメイ自身をまったく苦にする事なく。重量負荷の減った騎馬をもおいてきぼりにするほどの体力を見せて走る。
その後は体力が減ってきた馬から人間を下ろして、轡のみを残した裸馬として楽をさせてやる。
時々はローズメイが家来衆の馬に乗り、狼龍シーラには家来衆3名を乗せて走ったりと交代を繰り返して進む。そのおかげで、一行はかなりの距離を進むことができた。
異変を感じたのは、その最中であった。
まず真っ先に反応したのは、その身に混ぜ合わされた狼と龍の血ゆえ優れた嗅覚を持つ狼龍シーラ。
しきりに鼻をひくつかせ、唸るような声をあげる。
「お、おおいっ、どうしたんだよっ」
この時は三名ほどの家来衆たちを背中に乗せていたシーラ。彼女が唸り声をあげて周囲を警戒し出せば、上に乗った三名は驚きと焦りの声をあげる。
シーラは狼龍。その気位の高さから、本来はローズメイしか背中に乗せたがらない。今回はローズメイが彼らを乗せるように根気よく説得(拳骨を含む)したためどうにか背中を許してくれたのだ。
機嫌が悪くなった様子に彼らが慌てて降り立ったのも無理はなかった。
「二人ついて来い」
「へい」「あいよっ」
ついで気付いたのはローズメイ。
耳をそばだてれば、剣戟の音がする。だが戦いの音は次第に静まり、男の悲鳴に代わっていく。
戦いが起こっている。シーラの背負い籠の中から武装を引っ張り出す時間も惜しい。ローズメイは腰に下げた剣と部下をたのみに乗り込んでいくことにした。
物見遊山気分で侵攻を続ける他貴族の連合軍。
アンダルム男爵領を侵略する大義名分を得、その上、金鉱山の存在も確か。
で、あれば。
あとあと男達は労働力として利用できる。適うならば捕まえて獄に繋ぎたい。女子供であれば楽しみようはいくらでもある。
邪神の力によって領都が屍都となったという。
だが、ローズメイからすれば……逃げ出してきた避難民たちに乱暴狼藉を働く彼らこそが、まさしく邪神の走狗として見えた。
数十名の騎兵らが避難民を馬蹄にかけて踏み殺し、逃げ惑う相手を射的の的にようにして弓で射殺している。
避難民は十数名程度の複数の家族たちの馬車だったのだろう。抵抗しようとした男衆は既に死亡し、生き残っているのは女子供ばかり。
磨き抜かれた甲冑。鋭利な剣や槍、馬の恰幅の良さからして良家の子息が連れだって悪い遊びをしている――そんなところなのだろう。民衆を『放置しておけば勝手に生えてくる草』と見下して笑うような、そういう輩であった。
「待てぇ!」
ローズメイは声を挙げた。
これが戦場であったなら物も言わずに突撃して不意打ちし、一人か二人まとめて斬って捨てるところである。
だが馬車より引きずり出された母親らしき女性から、子供が引き離されるのを見て、瞬時に激高した。
「お? な……なんだっ?」
「おお、なんと……」
驚きの声が出る。
高貴なる身分の男は、下劣な蛮行を見とがめられて慌てたのではなかった。
垢と旅塵に塗れた戦に飽き、湯で体を拭う事もままならず。ならば戦でしかできない遊びに出かけようと殺戮の遊戯と奴隷狩りにいそしんでいた最中、国でも見た事のない絶世の美女が勢い込んで乗り込んできたのだ。
これこそ神の恩寵だと、貴族特有の整った顔立ちに下劣さを浮かべながら、今しがた女子供を捨てて襲い掛かろうとし。
だが絶世の美女は騎馬を止めてから降り立つのももどかしいと言わんばかりに――鐙から鞍へと乗り上がり、そのまま疾走の勢いと共に跳躍。槍のように伸びた蹴り足で一人の顔面と脊椎を蹴り砕いてみせた。
「へ?」
唖然としたのは他の連中である。
たった一人の女。どうとでも料理できると――ローズメイの実力を見抜けぬ男が常に抱く思い込みを粉砕する一撃。それは仲間の頸椎をあらぬ方向に捻じ曲げ……彼らの思い込みを打ち砕いた。
「無事かっ!」
「は、はいっ」
こくこくと頷く女子供。ローズメイはならば良し、と応える。
剣を使わなかったのは、万が一にも切っ先が女子供に行かせないため。そんな彼女を数名の騎士たちが剣を抜いて囲んだ。
「き、きさまっきさまぁぁぁ!!」
「よくも、よくもジードを!!」
略奪や殺戮を行うものというのは、自分たちが抵抗されたり反撃されると烈火のごとく怒り狂う。相手も同じ人間で怒りも恨みもする生き物という認識がなく、ただ自分たちの享楽の為に殺されるのが犠牲者の義務だと確信しているようだ。
神に許された神聖な権利を冒瀆されたかのように、被害者顔をする外道相手に、ローズメイは軽侮の眼差しを浮かべ――。
「おれが単騎と誰が言った」
「ひゃっはぁぁぁ~!!」
まるで最初のローズメイの真似をするかのように、疾走する騎馬から跳躍し。馬車の荷物の上から悪相の家来衆が次々ととびかかる。頑丈な甲冑の隙間ではなく。後ろから躍りかかって切っ先を喉元に滑り込ませて始末し。
またはもっとも関節の薄くなる脇から刃を心臓に届けて殺害する。
実力はすでにローズメイに次ぐ剣士へと成長している彼らだが、敬愛する姐さんのように鋼の鎧を紙でも裂くように両断する彼女の真似は……できないわけではないが、疲れるのであった。
「う、動くなっ! 両手を上げろ!」
だが……馬車の中を物色していた騎士の一人が、母親と思しき女性に剣を突き付ける姿と、恥知らずな脅迫に一行の視線が集中する。
物影にたまたま隠れていたのか、短刀は彼女の首筋に突き付けられていた。
いかにローズメイの剛勇と言えども、動くより、相手の短刀が喉を裂くほうが早いだろう。
「へ、へへっ。け、形勢逆転だなっ。やはり最後は我々正義が勝利するのだ」
「……おい」
生殺与奪を握られ蒼い顔をする婦人と、人質を取った男を前にローズメイは呆れた顔で、近くの家来に尋ねた。
「相手の寝言を翻訳してくれ」
「ふはっ」
「避難してきた民衆を、暴力を笠にきて襲いかかり。逆襲を受けたら人質をとって自分を正義という。……おれとお前、本当に同じ言葉を使っているのか?」
ローズメイの言葉に悪相の家来衆は笑いを押し殺せぬように吹き出し。人質を取ったにも関わらずまるで精神的優位に立てない男は青筋を立てた。
「き、貴様、騎士を馬鹿にするかっ!」
「……お前のどこか騎士だ」
「だまれぇっ! お、オマエ達、その女を縛って馬に乗せろ。陣地で何人を相手にできるか試してやるっ」
なんと、まだローズメイを捕らえて凌辱し、その尊厳を辱める気なのか。ここまでずうずうしいとは思わずローズメイは、ふ、と笑った。
醜女将軍の時代であればこんな視線を向けられることもなかったのに。顔と体ひとつの事で男の反応とはずいぶんと変わるのだな、と考える。
「姐さん」
配下が声を発する。どうするので? という意味合いだ。
相手を殲滅するのはたやすい。ローズメイの下知があれば、彼らは即座に人質を無視して騎士たちを殺戮して退けるだろう。だが、指揮官はローズメイ。訓練された猛犬の如く、彼らは闘志を引っ込めて命令を待つ。
「ご婦人」
自分に声がかかるとは思っていなかったのだろう。
ローズメイの声に、母親と思しき女性は頷いた。声を発そうにも喉元近くの刃が気になって頷くのみ。
「おれはただの行きずりの女で、あなたの身の安全と、おれが凌辱され、殺害されることと引き換えにはできない」
「なっ……き、きさま。は、恥ずかしくないのか!」
人質にとったお前が言うな、という気持ちは全員が持っていたが誰も口にはしない。
「一挙動でその卑劣漢を殺し、あなたを無傷で助ける……そんなこと、ただの女であるおれにはできない」
その発言に対して悪相の家来衆が顔を見合わせて、もの言いたげな視線を交わす。
『え? あれ? ……できないの? 姐さんの事だからできるかと……』などとローズメイが聞けば噴飯もののことを考えていた。
婦人はもう、自分が絶対に助からないと知り、気絶寸前の状況になっている。
ローズメイは告げた。
「だが、これだけは約束しよう。
……あなたが殺められたら、あなたの鎮魂のため、人質にとったその騎士は殺す」
ローズメイのその激烈な眼光を浴びた騎士は、自分が人質にした婦人よりも遥かに死人めいた顔色で震える。婦人を締め上げる腕はまるで崩れ落ちる肉体を支えようと人質に縋っているかのようだ。
事実、そうだろう。もし下劣な騎士が人質の命を奪えば、即座に家来衆もローズメイも血刀を振るって殺戮するだろう。
「逃げても追い詰めて殺す。
命乞いされようと殺す。
自害も許さずに殺す」
「ひ。ひいいいい!」
「あ。お、おいっ、待ってくれ!」
他の生き残った騎士たちは殺意に怯え、そのまま泡を食って逃げ出し……敵中に一人取り残された格好となった、人質を取った騎士は慌てて悲鳴をあげる。
だがそれでも人質は手放せない。それが自分の命綱であると分かっているからだ。
ローズメイは続ける。
「……ご婦人、あなたを救えず申し訳ない。しかしあなた以外の家族の身の安全と残される子供の人生が最良のものとなるよう、全身全霊を尽くすことを保証しよう」
「あ。あの……ありがとうございます」
そこで――人質に取られていた婦人は、覚悟を決めた様子で答えた。
彼女は母だ。母を失ったこれ以降の子供の人生が悲惨なものになったり、守ってやることができなくなることを恐れる生き物だった。
だからこそ、自分が殺されても、この絶世の美女が以後の子供の人生を保証してくれるのであれば、喉元の白刃の恐ろしささえ呑むことができた。
「あなたの御心に敬意を表します」
子供を想う母親の心の強さは自分の及ぶものではない。
ローズメイはこんな戦場でなければ深々と頭を下げていただろう。
人質を取った男は、もう完全に主導権を失い。どころか――命乞いさえ許されないと悟った。彼だって人質を取って脅迫した以上心象は最悪だという自覚はある。しかしこの手を選んだのは自分。吐いた唾は呑み込めず、助かる手段はない。
「わ。うわあああぁぁぁぁ~~!!」
卑劣漢の選んだ手段は逃走であった。人質の婦人を突き飛ばし、ローズメイの障害物としてから全力で逃げる。
馬だ、馬の元に辿り着ければ逃げおおせる――だがその思いは……怯えて逃げ出したのだろうか、馬などどこにもいない光景に打ち砕かれて。
もはや万策尽きた卑劣漢の前に、ローズメイが歩み寄る。
「せめて最後は騎士らしく剣で語れ」
最後のなけなしの矜持を胸に、卑劣漢は剣を抜いて躍りかかる。
ローズメイは剣を抜かぬまま相対し、『こんな品性下劣相手には抜く価値もない』と敬意を示さず。
振り下ろした拳槌を兜の上からたたきつけ、頭蓋を胴体にのめり込ませて、一撃で殺害する。
「……騎士道の欠片もないな。こんな奴らが敵なのか?」
倒れた屍には目もくれない。
こんな悪辣な連中が大挙して押し寄せているのだ、アンダルム男爵領の以降を想うと暗然たる気持ちになった。