想いを脱ぎ捨てて
妙に好評であたふたしております。
今回はじめてレビューもいただきました。
現在ちょっと頭痛で返信できてませんが、感想もすべて拝見させていただいております。
今後もよろしくお願いします。
がしゃん、がしゃん、と鎧が己が身より外れて地面に落ちて立てる音で、ローズメイは眼を覚ました。
「あれ?」
不思議な感覚である。
とても体が軽い。これと比べると、今までは自分の肉体の上に重石を纏いながら生活していたようだ。
声も違っている。まるで銀の鈴を転がすような軽やかな声。喉にべっとり張り付いた脂肪が抜け落ち、声が透き通っている。
なにより一番変わっているのは、自分の体。
樽の如く膨らんだ体型が是正され、蜂のように括れた細腰と、見事に割れた腹筋が晒されている。
鎧はない。先ほど鉄が地面に落ちる音は、細く括れた体からずれ落ちた鎧が解ける音のようだった。
しかしその着衣は肌を隠す役目を放棄し、サイズ違いとなった衣服は全てだぼだぼであった。
子供の頃は貴族の子女らしく裁縫や刺繍などを教えられたこともあったが、当然そんな女らしい習い事からは無縁である。自分の指を縫う自信しかない。
「……では、こうするか」
衣服を今の体型に合わせるのは不可能と判断すると……ローズメイは自分の背負ってきたマントを自分の肌にまきつけることにした。
胸元から脇へ通し二度三度巻く。後はブローチで要所を止める。そうすればちょっとしたドレス風の一枚布であった。
そうして、ひとまず着るものを確保すると今の自分の状況に思いをめぐらす余裕も出てくる。
「……これも、つまり強力神様の思し召しという事か」
ローズメイは周囲を見回す。
戦場から遠く離れた場所であるのは間違いない。
あの戦場で積み上げた屍の山は百里離れていようとも鼻腔につくような、濃密な血の臭いであった。
……それに比べ、ここにあるのは静かな川のせせらぎ、小鳥のさえずり、木々の隙間から差し込む陽光。
10年近くを戦争に費やしてきた醜女将軍は、自分の体の軽さに困惑しながらゆっくりと歩き始めた。
まるで脂肪と一緒にこれまで背負ってきた母国の命運も解けて流れて、気楽なものである。
どうするべきだろう。
ローズメイは考えていた。
彼女にはもう、戦うべき動機が欠け落ちていた。
『サンダミオン帝国』の将帥は有能だ。現在、彼らの優秀な将帥である『ダヴォス』王子は一軍を率い、東リヴェリア王国へと戦争を始めるつもりだ。彼らリヴェリアの民が持つ、海を埋め立て、山を削るゴーレム魔術を欲しているのだろう。戦力を向こうに抽出するため、こちらにはそれほど数を裂きたくないから、策を仕掛けてきたのだ。
だからこそ、策破れ、メディアス男爵の反乱軍が失敗した今、力押しで攻めてくることはないはず。
ローズメイが手塩にかけて育てた二万騎があれば、勝ちは無理でも、負けぬ戦いはできる。そうすれば、有利な条件で降伏する事もできるだろう。
「…………」
もう、ギスカー様は死なない。後はサンダミオン帝国の王族の娘を貰って穏やかに彼らの統治に組み込まれていくだろう。
ローズメイが無理をして戦う理由もない。公爵位といっても、実際の統治は信頼できる叔父に任せてきたから問題ない。
それになにより……王宮には顔を出したくない。
ギスカー王子の姿を見るのは辛かった。ぼたぼたと涙が頬を伝う。
悲しくて仕方ないのに……しかし健啖な彼女の胃袋は旺盛な食欲を訴えていて。
肉体の正直な反応に顔を赤らめ、彼女はどこか人里か、あるいは獲物を探して歩き出した。
ローズメイは騎士団の指揮官として長いが、当時はまだ元気だった祖父に狩りの仕方を学んだことがある。
本当は弓矢があれば簡単なのだが、一連の武器をはじめ、愛用の大弓を強力神は一緒に持ってきてくれはしなかったらしい。
「……はて。おれはどうしたんだ」
最初ローズメイは適当な木の枝か、あるいは希少な『竹』を探した。
木の枝を削って杭にするか。もしくは竹を割って竹やりとするか。
だが……その最中に猪とばったりと遭遇したのだ。もちろん手に槍なり斧なり獲物があれば倒す自信はあったが、無手だ。
咄嗟にローズメイは拳骨を握り固め、突進してきた猪を殴り殺したのである。
「……この剛力、どういうことか」
以前の贅肉と脂肪で重量を増した状態ならまだ分かる。
だが、ローズメイは痩せていた。体にへばりつく全ての脂肪は抜け落ちていた、格闘で有利な重量の理は彼女から失われていた。
にも関わらず、猪を殴り殺せる力があることが信じられなかった……。
まぁ殺した以上もったいないので、ローズメイは猪をさばく。
使うのは、叔母から譲られた切れ味優れた美しい守り刀だ。
もっともこれは敵によって辱められそうになった場合、自ら自害して貞操を守るための最後の手段である。
こんな普通の乙女が使う守り刀ではローズメイの分厚い皮下脂肪を貫けないし、最強の戦士であった彼女を辱めることの出来る男など滅多にいないし……何より、自分のような醜女に食指が動くような奇特な男がいたら、逆に自分のほうが男を辱めてやろうと思っていた。
あんなに醜い肥満体の巨女となっても、やさしい叔母の心の中では、自分は小さくて可愛らしい姪っ子のままなのだろう、
猪の臓腑は寄生虫が怖いので牙を使って地面を掘り、地中に埋めておく。他を食えるだけ食う。流れる血はなるべく溢さずに啜り、飲み干す。
戦場も同じで、すっかり食えるときに食えるだけ食う習慣が既に染み付いている。
その後、毛皮をはぎ、ドレス風マントの上から上着代わりにする。
沼田場でノミやシラミを落としたばかりだったのか、かゆいかゆいと叫ばずに済みそうだ。
ローズメイは鋭い猪の牙を、縦に割った木の枝に挟み、髪を結うのに使っていたリボンを巻きつけて手製の槍代わりにする。
一撃だけなら事足りるだろう。
立派な蛮族姿になったローズメイは、どこか適当な村か、あるいは風雪を凌げる場所を目指して歩いていく事にした。
しばらく歩き続けると……川のせせらぎの音が聞こえる。人は水に集うものだ。下っていけば村に行き当たるかもしれない。ひとまずこれから向かう場所のめぼしをつけて、本日は休むことにした。
半覚半睡の、目覚めたような寝ているような、うつらうつらとした状況で体を休ませていたローズメイは……不意に、森の中を歩く足音に気付いた。
人数は十数名ほど。彼らは山奥に向かうのか、山中の広間で野営の準備を始めている。
「輿? だれぞやんごとなき貴人を乗せておるのか」
そこでローズメイが目を惹かれたのが、四人ほどの男衆が肩に担いで運ぶ輿である。
地面にゆっくりと降ろされ、神官と思しき男はその輿の前に小さな祭壇を置き、なにやら祈りの言葉をささげている。
その輿の前には数匹鶏を絞め、ちょっとした宴のようなことをはじめていた。
供されるのは肉や山菜に……自家製の酒の類であろうか。ローズメイは腹が減ったままであったので、どうにかお相伴に預かれぬかな、と様子を見ていたのであるが……どうも、観察しているうちに不可解な事に気付いた。
酒や山菜、鶏など、平民の暮らす村々ではちょっとしたご馳走である。
こんなご馳走を供する理由といったらなにかおめでたいことでもあったか――と思うところだが……雰囲気が違う。
どう考えてもおめでたいことではない。彼らの表情は一様に沈痛にゆがみ、男衆の一人が耐え切れなくなって嗚咽の声を溢していた。年かさの男性が慰めるように彼らの肩を叩いていたりしている。
輿の中の人物は微塵とも動かぬままだ。周りはご馳走を食べているのに。
そう思っていると……一人の神官らしき男が、一同に話しかける。
「……これにて、儀式は終了いたした。
みな、山をお降りください。後は主様がよいように計らってくださいましょう」
神官の言葉に従い男衆が皆立ち去っていく。
その最後に立ち去っていく神官の服が――黒であることに気付き、ローズメイは全身に不吉な予感を覚えた。
黒は、喪装だ。
先ほどの神官が唱えていた言葉は……あれは不遇の死を遂げた者へ送る、来世の幸福を祈る供養の言葉ではないか? 目の前で出されていた小さな村の精一杯の馳走は、送るためのものではないか?
うっ……ううっ……ううう~……
誰もいなくなった輿の中から女の呻き声が聞こえる。
自らの将来が永遠に閉ざされる運命への、諦観と絶望の泣き声だ。
ローズメイは不意に悟った。
これは、前供養だ。
これから何らかの要因で死を迎える娘の魂を慰めるためのもの……。
ここで行われようとしているのは、人身御供だ!!
ローズメイは蛮族そのものの出で立ちのままで、 毒づいた。
「蛮族めがっ!!」
事情は分からぬままではあったが、誰もいなくなったことを確かめ……その輿へと近づく。
なお少し固有名詞がありますが、これは同じ世界観に登場する別作品のお話になっています。