心配してる相手はお前
このケラー子爵の屋敷の中で、ローズメイ一党は食客のような立場であった。
正規の騎士からは『何やら胡乱げな一団』と思われるし、使用人たちからは『仕事を増やす厄介者』という感じの蔑むような視線を受けている。
元チンピラの家来衆もそれほど学はなく、屋敷に逗留するにはマナーが無いため嫌われていたりする。
そんな中、シディアは、というとそういう風に嫌われる事は無かった。元々身寄りのない立場のためか、バディス村ではあっちこっちをいったりきたりして仕事の手助けが必要な人を見つけて手伝ったりと立ち回ったりと、重宝されるようになっていた。その経験はこのケラー子爵の館でも遺憾なく発揮され『風来坊みたいな生活をせずに、ここで働いたらどうだい?』と他の使用人から進められたりもした。
騎士ハリュは、ローズメイ配下の手下たちの中では学のあるほうだった。
騎士は戦うのが仕事ではあるが、それだけで食っていけるほどでもない。ハリュの場合は文章を読むことも書くこともできる技能の持ち主ゆえに、面倒臭い交渉ごとやらを押し付け……任されてばかりであった。
ローズメイという美しくも恐ろしい女に仕えることは、嫌ではない。
アンダルム男爵の下で非道な行いに手を染めることよりは遙かにやりがいのある今に充実感さえ覚えていた。
さて。
このケラー子爵家で適当に手勢を借り受け、最初の目的どおりアンダルム男爵の首を討ち取りにいくものだとハリュは思っていた。
とりあえず男爵のところに行くまで9名分の食料と、可能であれば防具一式。狼龍シーラの鐙など相応に必要なものがある。それなりの金額にはなるものの、命を守るものに金を掛けるべきと信じるハリュは、主君と見定めたローズメイに相談をするつもりであった。
「喜べ、このケラー子爵家の次期領主、ファリク様が妾にしてやろう!」
「…………」
騎士ハリュは――ケラー子爵家の廊下で、ローズメイを見かけて声を掛けるつもりであったが……それどころではない事態に、じわっと服の下で冷や汗がだらだら流れるのを感じた。
ケラー子爵の息子、ファリクの事は話に聞いている。
武勇に優れるがその性質は単純。秀才というほどではないが、しかし配下の言葉に耳を傾けぬ訳ではないので、父の元にいる家臣団の手助けを受けてなら、まぁ……などと陰口を叩かれている。
黄金の女ローズメイに対する突然の『妾』発言もその単純な性格ゆえの短慮だろう。
とはいえ。貴族として銀のスプーンを咥えて生まれてきた人間は、貴種の寵愛を受ける事は平民にとって最高の幸運だと信じているところはあった。
(だが、なんという馬鹿なことを言ってくれたぁぁぁ!!)
ハリュは心の中で悲鳴をあげている。
この数ヶ月の間で、ローズメイが相手の傲慢な物言いや無礼な発言に対してすぐ手が出る性格という事は把握している。
何せ、ハリュはローズメイの強さに疑問を抱いたら、その後死ぬかと思うほどに激しい猛稽古で叩きのめされた経験の持ち主である。
ローズメイが花も恥らう美貌の下で、相手をどう縊り殺そうか、と思案している事が丸分かりだったので、思わず飛び込んだ。
「おお、お待ちくださいファリク=ケラー様!!」
「なんだ貴様」
反射的に声を発して割り込むハリュ。
実に不満そうな苛立ちを見せるファリクに対して、ハリュは本当は『この馬鹿、自分が今殺されかけたことが分からないのか?!』と怒鳴りつけて殴ってやりたかった。。
「ファリク様にはご婚約者もおられる身と聞きます! 婚姻もまだ決まっておらぬお方が妾を招くなどご家庭内での不和を招くことかと!!」
「お前の心配することではない」
自分はお前の命の心配をしているのが分からないのか、とハリュはファリクの襟首を掴んでひっぱたきたい気持ちに駆られているが、それはできない。
見れば黄金の女ローズメイは、ハリュが自分の激発を招かぬように言葉を尽くしている姿を見て面白そうに笑っている。
この……剛勇の美女の性格は、ハリュも良く知っている。もし相手が権力や暴力を用いてローズメイを無理やりに臥所に招いてことに及ぼうとしたら確実に血の雨が降るのだ。
彼女に従うことはいやではない。
しかしむやみやたらとあちこちでトラブルを起こされるのも困る。ハリュの処理能力では元チンピラの家来衆の手綱を取るのもそれなりに大変な事なのだ。
この子爵家で次期領主として敬われてきたファリクからすれば、自分に耳の痛い道理を説いて聞かせる騎士姿の若造は実に小うるさかったのだろう。忌々しげにいう。
「お前は彼女のなんなのだ。うるさいぞ」
「自分は彼女に仕える騎士でありますゆえ。……この方には想い人がいらっしゃるのですっ!」
これは口からのでまかせではあったがお断りの常套手段だ。
ローズメイも相手に対して面倒くさく想っているのは明らか。彼女が口裏を合わせてくれれば行ける。
そう思いながらハリュとファリクはローズメイを見て……びくり、と震えた。
「……ああ、いた。想い人は、いたのだ」
ローズメイは憂い顔を浮かべていた。
ハリュの言葉の意図だって察していたし、上手いお断りの手段だとも想っている。
ただ……想い人と聞いて心に浮かべるのは、幼い頃から好いていたギスカー様の面影であり。
その物憂げな表情と整った美貌が相まって、まるで絵画のよう。
……この黄金の女の美貌を見慣れてきたハリュでさえ、呆然と見とれるほどに美しかったのだ。
いわんや、初対面に等しいファリクからすれば、これぞ我が運命の君と思い込んでも致し方ない事だった。
「お、俺の正妻になってくれぇ!!」
間にハリュがいなければ両手を掴んで懇願していたであろう。
この時貴族として近くの権門の家から一族の為に相応しい嫁を取らねばならない次期当主としての責務など頭から消し飛んでいる。
その言葉にローズメイは面白そうに笑った。最初は驚きはしたが、間にハリュが割って入り、何とか自分を庇おうとしている姿に微笑ましいものを覚えたのである。最初出会った時から自分の事をか弱い貴婦人扱いしていたから、醜女将軍として扱われてきた彼女は彼の真心がくすぐったいのだ。
なお、この時ハリュが庇っているつもりなのは、自分の主であるローズメイではなく、大牝虎とも言うべき女の姿をした武の化身に誤って求婚してしまったファリクであったが、そんな真実は誰が知っても幸せになれないのでハリュは口にしなかった。
ローズメイは笑って応える。
「おれの名はローズメイ。よろしく、ファリク殿。
だが、あなたは地位も権力もあるお人だ。風来坊のような女は相応しくあるまい。
ましてやおれは恋に破れた女だ。そういう気にはならぬ」
「あなたを振るなど、そいつは目がおかしいのか?」
騎士ハリュは、今回ばかりはファリクの疑問の声に同意した。
ローズメイの過去は知らない。分かっているのは彼女が驚くべき実力の戦士であり、見惚れるほどの美貌の持ち主であり、不義に対しては命を掛けて挑む気概の持ち主だという事。
だが、過去に恋敗れた話は、今始めて聞いた。
ローズメイはそのまま言う。
「あなたは、比武招親という言葉をご存知か?」
「む? ……いや、別に」
「知らぬのも無理はない。婿取り勝負を差す。武門の息女が、自分に勝った相手の夫になるという古い言葉だ」
そう言ってファリクの体を見やる。
相応に鍛錬を続けてきたのだろう。体つきは武術を学んでいたと知れる。
そして――ハリュの肩を掴み、ぐい、と引き寄せる。
「これなるはおれに仕えし、騎士ハリュ」
「は、はぁ」
主君が何をするつもりなのかいまいち分からぬハリュは目を白黒させるが、次の言葉に思わず叫びそうになった。
「比武招親の代役として、おれは彼を婿取り勝負の代理人に指名する」
「は。はぁ?!」
「そ、それは……こやつに勝てばおれとの婚姻を受け入れてくれるという意味かっ!?」
「少し違う。おれは、おれより強い人に嫁ぐのだ」
「よし、わかった!」
この時――ハリュはローズメイがファリクと結婚するつもりなどさらさら無いのだと理解した。
いうまでもなくハリュが100人いようとこの黄金の女に勝てるはずがない。ファリクも多少腕が立とうが同様だ。
だが、ファリクは普通の常識で生活してきた普通の貴族だ。まさかこの絶世の美女が単身で数十人を血祭りにあげる剛勇の人であるなどまだ知らなかった。だからハリュに勝つことは、ローズメイ自身より強い人に嫁ぐことと同じだと思い込んでしまった。
……まさか、騎士ハリュより彼女が遙かに強いなど、ファリクにとっては想像を絶していた。
だがそんな事、知るはずがない。
こいつを叩きのめせばあの絶世の美女が手に入ると信じて疑わないファリクは、万全を期すため、喜び勇んで鍛錬場へと駆けて行ったのだった。
「……なんでお受けになるのですか、ローズメイ殿!」
「いやなに。お前の必死な様が随分面白かったのだ」
ローズメイは口元を歪めてくつくつと笑う。
ハリュからすれば文句は山ほど。だが、ファリクという男は自分が強いということに絶対の自信を持つ男と察せられる。絶世の美女ローズメイに負けても認めないだろう。それなら男で騎士であるハリュの方がまだ受け入れやすいし……この時点でなら、まだ貴族同士の婚姻に関わらない、戯れごとで済ませられるだろう。
……彼やシディア、家来衆にとってはローズメイは神聖不可侵の偶像に等しい。
その彼女に言い寄る相手を見ると、どうも落ち着いていられない。
嫉妬をしているのだろうか。彼女に婚約を申し出たファリクに? それともローズメイを昔振ったという名も顔も知らぬ相手に?
そんなハリュを引き寄せ、ローズメイは言う。
「あの御仁、お前がどの程度上達したか、確認するのに良い頃合いの相手だ。
それに……誰かに守られるというのはなかなか新鮮な経験だった。嬉しかったぞ」
彼女は国家の守護者だった。重責を背負って生きてきた。そんな自分を守ろうという相手の存在は、物珍しく、嬉しいもので。
ローズメイに……にっこりと、花のように微笑まれればもう何も言えない。
ハリュは赤らむ顔を自覚しながら歩き出す。先ほど守ろうとしたのがローズメイではなく、相手だったとは言えない雰囲気だ。
とにかく、そう。
こんなにも美しい人に憂い顔をさせた、彼女を昔振ったという男に対するこの言葉にし難い苛立ちの全ては――思いっきり、ファリクにぶつけさせてもらおう。
ハリュは、相手と同じように調整のため、練武場での猛稽古をしに足早に向かった。