還すものと送られるものと
ローズメイ=ダークサントは生まれた時からずっと醜女だったというわけではない。
むしろ幼い頃から光り輝くような美貌を生まれもっており……大人になれば大変な美女になるぞ、と両親は褒めてくれたものだ。
それが終わったのは、近年国土を急速に拡大しつつあるサンダミオン帝国との戦いで父と兄達を失ってからだ。
母は、夫と息子を相次いで亡くし、幼子だったローズメイを残して病没。彼女は祖父に引き取られて生活する事となった。
子供の頃のローズメイはあんまり運動が得意ではなく、本の虫で家の蔵書――戦術や戦略の軍学書を貪るように読んだ。
内容を理解し……かつては将軍であった祖父に教えてもらいながら国の事を聞き……。
王国が、もう詰みに近い状況まで追い込まれていると理解できた事は、果たして幸か不幸か。
当時、花も恥らう美少女であったローズメイは第二王子であるギスカーと婚約していた。
本を読んで所見を王子に述べたけども、彼は『ローズメイは心配性だなぁ』と朗らかに笑うのみで聞き入れてくれることはなかった。
(……神様、わがダークサント家をお守りくださる偉大なる強力神様……。
わたしはどうなっても構いません。でも愛しいギスカー様は戦乱の世で生きていけるようなお方ではないのです……)
ローズメイは一族の守護神に祈り続けた。
剣を持ったこともなく。家庭に入り、子をなすことが幸せであると教えられる貴族の子女にとっては、未来に待ち受ける困難に対してできる事など……神に祈ることだけだったのだ。
ただし、その祈りの真摯さに心打たれたのか――ローズメイはその心に、何か偉大なものの声を聞く。
(ローズメイ……我が信奉者の子よ……我はお前に、一つだけ道を示してやれる。
お前には、わが強力の加護を授けることができる……が、この加護は、与えられたら簡単に困難を乗り越えられるような都合のいいものではない。
我が加護は肉体に強く作用する。この加護を得たものは、鍛錬の成果を多く得られるだろう)
ローズメイは、偉大なるなにかの意識に触れた事に、驚愕と共に受け入れる。
(だが……力とは代償と引き換えるものだ。ローズメイ。お前はその代償を受け入れられるか?)
(父母の愛した国を……そして、ギスカー様が無事に生きていける国を残せるのであれば、どうかわたしからすべてを持っていってくださいませ)
そのためらいの無い返答に、しかし――神のほうがためらいを覚える。
(……お前は、美しさを失う)
(……ッ)
(お前は我が加護により、比類なき剛力を、勇者の魂を得るだろう。しかし……美しさを失い――その行き着く果てとして、お前が最も愛する王子から愛される事を失う)
それはある意味、ただ死ぬだけのことより、ずっと残酷であった。
だが……彼女は愛するものの幸せのためなら、自分の幸せを投げ捨てることができた。
できてしまった。
(それでも……それでも、どうか――)
神はローズメイの懇願に、悲しみと憐憫を覚えながら言う。
(神として――最後に忠告しておく。国が滅びるという事は、巨大な流れやうねりのようなもの。
私がしてやれることはお前を偉大な戦士にしてやれることだけだが……偉大な戦士一人がいたところで、国が滅びる流れを食い止めるなど叶わぬ)
神はローズメイの言葉を悲しみはしたが、その意志を尊重して力を与える。
燃える熱の塊が体内に侵入する感覚に、彼女は声を上げてのたうちまわったが――次第にそれは、彼女の胸の中、収まるべき位置に収まったように熱さは引いていく。
(諦めてよいのだ、愛しい子よ……そなたがいつか……普通の幸せを得る事を望んでいる――)
「ぐ……うう?」
ローズメイは自分の人生すべてを変えた神の啓示の夢から目覚める。
体のあちこちが、熱を帯びている。敵将の首を大戦斧の一閃で両断し、そのまま勝ち名乗りを上げ安心した時に、敵の投げ槍が戦車の車輪に食い込み横転したのだ。その際に投げ出され、気を失ったのだろう。戦車から落ちた程度で気絶するとは。疲労困憊もいいところだ。
手傷は山ほど。腹にも幾度か槍を受けたが、この時ばかりは分厚い脂肪と、その下の腹筋の層が切っ先を食い止めて臓腑へのダメージを防いでくれている。
ローズメイは……粉砕された戦車を見、殺された四頭の愛馬たちの姿に涙を溢した。悲しみと共に彼らにお別れのキスをする。
鎧を脱ぎ捨て、兜も捨てて、唯一美しいと胸を張って言える髪が風にたなびいた。
「……生き残りはしたか。我ながら生き汚いことよの」
ローズメイは、本当は男言葉で喋る娘ではなかった。
だがダークサント家の唯一の生き残り、二万の兵士を預かる大将軍は、男所帯である騎士団で舐められないためにずっと昔から男言葉を使ってきた。男言葉はもうすっかり習慣として染み付いてしまっており、祖父の庇護の下で何の苦しみや悲しみも知らなかった頃には戻れぬだろう。
戦斧を引っさげ、武装をそのままに戦場から歩き始める。
「……もう。よろしいでしょう、父上、母上、お爺様」
勝利したのは王国側。
メディアス男爵軍は指揮官を打たれて敗退している。
敵の姿はなく、ローズメイは半壊した戦車に背中を預けながら血を吐いた。
深手はないが、流した血の量が多すぎる。まもなく死ぬだろう。
ローズメイに、しかし後悔はなかった。
強力神の加護を得てから強くなるため、大人でも音を上げる過酷な鍛錬を続け、無理やりに食事を押し込み体を作った。金色の髪を残して自分から美しさが失われていく様に絶望し、悲鳴をあげたくもなった。
だが、それでも国のため……愛するギスカー様のためと思い、戦い続けてきた。
苦しみ多く、報われない人生に、疲れてもいた。
……ローズメイは、死にたかった。
いくら鎧と筋肉で肉体を武装しようと、その心はどうしようもなく乙女でしかないのだ。
だが、愛するギスカー様からはっきりと決別の言葉を向けられ……彼女は肉体を支える強靭な意志が、すっぽり抜け落ちてしまった。
(……ローズメイ……ローズメイ……そなたは結局、最後まで諦めなかったのだな)
血を失い、朦朧とした意識の中で声が聞こえる。
頭に響き渡るその声。忘れはしない。
自分の人生を変えた、あの神の啓示と同じ、偉大なるなにかの意志に触れている。
(……強力神様……精一杯頑張りましたが……おれは、うまくやれたでしょうか)
(そなたの強力は紛れもなく歴史の流れを力づくで捻じ曲げたのだ。我が信徒の中でも類稀なる事。我に仕えし子よ……。もう、よいのか?)
(はい……ギスカー様が生きて幸せになってくださるなら……神よ、どうか御許にお連れくださいませ)
神は、しかし違うと意志を示す。
(そなたに授けた剛力の加護は持って行く。そして我、強力の神に仕える神官として生きるのだ)
(……ですが、おれはもう血を流しすぎて……)
(いや。問題はない。そなたの肉体が蓄える膨大な脂肪分を燃焼させ純粋魔力へと変換させ、強靭な再生因子として活性させる)
だが、神の自分を生かそうとする意志に、ローズメイはうろたえた。
(いや、いやです。強力神様、ギスカー様に振られてしまいました。もう生きていたくありません)
(ローズメイ、我がいとし子よ。どうか生きて欲しい。そなたほど努力し、そなたほど苦しんだものが、幸せになれぬまま死ぬというのはどうにも納得がいかんのだ。苦労した分、幸せになってほしいのだ……)
体が熱い。
今までおなかの中にあった強烈な重量感が低減し、血となり肉となり、失われた体の負傷をつなぎ合わせ、全身にあった荒稽古の古傷を生まれたての艶やかな肌へと塗り替えていく。
そして……胸の一番奥、今まで『強力』の加護が宿っていたそこに、別の何かが強力神から与えられる感触を覚える。
(昔、遠い東の地、女神は勇者コゴロウに、傷つき苦しんでいた化外の民を救う為に大いなるまどわしの力を与えた。
なら信徒の為に、たまには奇跡ぐらいふるってやりたくなる)
体の脂肪の重みが消え、急速な脂肪の消失と皮膚のたるみ全てを、神の威光が癒していく。
生きていかなければならないのか、ローズメイは神の押し付けに似た善意に腹を立てたけど……同時に、一国の命運を賭けて戦わねばならない人生が終わったことに、少し安堵も覚えていた。
ギスカー様に捨てられたことも、いつか思い出になるのか。
(最後に一つ。我、強力の神は肉体と膂力を司る軍神であり、体の健康を司る神でもあるが……一つだけ、知られていないものも司っている)
(それは、初耳です。なんなのでしょうか、強力の神よ)
その偉大な意志は、ほんの少し愉快そうな感情を発した。
(我が司る最後の一つ、そして今そなたに与えた知られざる『加護』。
そなたには、『肉体美』の加護を与えた)
その声を最後に、ローズメイの意識は光に消えていった。




