どうしても見過ごせない
150の騎士団が敗走する。
我が子であるセルディオの走らせた早馬の凶報にビルギー=アンダルム男爵は……あまりの事に言葉を失い、がっくりと力なく項垂れた。
「事此処に至っては……もはや我が望みを神がお許しにならなかったという事だろう」
美しく恐るべき黄金の女一人に、彼の策謀の全てはご破算となったと言ってもよいだろう。
コツコツと、地道に、猫の額ほどの所領を豊かにせんと東奔西走し、その金をかき集め、雄飛する機会をうかがい続けていたアンダルム男爵。
美丈夫といって良い容姿は力なく項垂れ、もはや10も20も年老いたかのような気落ちした様子であった。
なぜこんな事になったのだ、と思う。自分の策略は完璧とは言わずとも、まず間違いなく成功するように準備を整えていたのに。しかもその理由が、たまたま山奥に天下を揺るがすような英傑がたまたま通りがかっただけ、というのが泣けてくる。
あるいは……自分の野心を察した何者かが、我が身一つで一国を揺るがす英傑を差し向けたのかとも思った。
「いずれにせよ、我が野心は永遠に封じ込まれた……こうなっては仕方ない。満天下に奸物として名を知らしめることもなく、ただの地方領主の男爵として行動するより他あるまい」
無念であったが、もう打つ手がない。持ちうる戦力の全てを注いでも勝てなかったのだ。あるいはセルディオの最初の提案のように、怪物を殺すつもりで仕掛ければ少しは違ったのか。
……アンダルム男爵は、溜息を漏らしながら――己とサンダミオン帝国のつなぎである屍術師を呼んだ。
兵達の敗走を聞きつけた時、屍術師もまた驚愕した。
ローズメイを恐るべき力量の女と思ってはいた。しかし150の兵達を正面から粉砕する化け物じみた武威の持ち主とも思っていなかった。
この事態は、アンダルム男爵を支援し、ガレリア諸王国連邦を内側からかく乱させるというサンダミオン帝国の戦略が頓挫してしまう。……これ以上は屍術師の判断が許されている範疇を明らかに越えていた。
屍術師は人目を避けるように、薄暗い部屋の中へと足を踏み入れ、誰も入れぬように錠をかける。
……彼の為に用意された暗室の中、屍術師は恭しく跪いた。これより使用する魔術は緊急事態にのみ許された、万里を越えた場所に、光と言葉を繋ぐ魔術であった。
「……殿下。ベリル殿下。屍術師にございます」
『……緊急事態、か。言え』
魔方陣の四方に配された石から光が伸び、それらが空中で繋がって小さな人の形を作る。
その先にいるのは、椅子に腰掛けてじとりと屍術師を見下ろす矮躯の男性であった。
ぎょろりと大きくいびつな眼球は左右で微妙に大きさが違っている。仕立てのいい服を着てはいるが、まるで子供のような小さな体に大人の顔立ちが乗っている。足は曲がっており、どうしても歩くときにはひょこひょこと、不自由そうな形になってしまっていた。
……そして、両眼からはそんな風に、生まれ付いた体を嘲る世の人々全てへの、憎悪と憤懣が溶岩のように煮え滾っている。
生まれついての矮躯の為に心ない視線と陰口を浴び続けた、サンダミオン帝国、『毒猿』王子ことベリル第六王子が彼の名であった。
頭の回転は速いが、母の命と引き換えに生を受けた子であり、父である皇帝も、大抵の兄弟たちも醜怪な容姿の彼を嫌っている。数少ない例外は、兄の一人である『龍の住む』ダヴォス王子ぐらいだろう。
彼の仕事とは人を欺き、陥れ、罠に嵌める策謀を張り巡らせること。
すべての人間を平等に憎悪する彼は、職務に対する恐るべき熱心さと残酷さを併せ持つ、無慈悲な策謀家、陰謀屋であり……獄中で死を待つばかりだった屍術師を利用する為に拾い上げた強大な権力者でもある。
屍術師は言う。
「……アンダルム男爵領の一件、完全失敗でございます」
『完全、と来たか。策を暴かれた、のか? どこから漏れたか調べねばなるまい』
「いえ。その……」
屍術師は言いよどんだ。
前準備も完璧。情報の隠蔽も万全。どう考えても成功して当然の策だったにも関わらずに完全失敗してしまったことをどう説明すればよいのか。
「たまたまバディス村に訪れた黄金の光のような女一人に、全て力づくでひっくり返されました」
謀将ベリルは、怪訝そうな顔をした。
だが、それでも彼はまず否定する事はない。ただ黙って聞き、黙って頷いて。
そして尋ねた。
『その黄金の女の名、は』
「ローズメイを名乗っております」
その言葉に……ぴくり、と謀将ベリルは杯に伸ばした手を止めた。
それは……大勢の人間を言葉一つで翻弄し、破滅させてきた謀将ベリルに――予想外の敗北を味あわせた女と同じ名前であったからだ。
「……殿下? その名が、なにか」
『……大嫌いな、名だ』
この人間全てを憎悪するような謀将ベリルが、更に『大嫌い』と付け加えるのだ。これは生半な嫌い様ではない。
だが、個人的な感情を切り離し、彼は言う。
『よし……分かった。アンダルム男爵には長いことガレリア諸王国連邦の獅子身中の虫となってもらうつもりだったが。
もう利用しようもない。屍術師よ』
「はい」
『禁を解く。後先考えず、全力で、アンダルム男爵領に地獄の如き様相を引き起こせ』
屍術師は口角を吊り上げる。
「よろしいので? 私は酷使者に仕える身、現世の権益を求めるあなた方にとっては、死者のあふれる世界は都合が悪いのでは?」
『そこは、ガレリア諸王国連邦の、連中の手腕に期待しよう。なに、地獄の如き状況に陥るのは我々ではない』
「では……承知しました」
『ああ』
万里の彼方でひとつの村を、少領を地獄に落とす決断を済ませると――王宮の中で、謀将ベリルは書簡を記す。
簡単なことだ。
『アンダルム男爵、ガレリア諸王国連邦に叛意あり。
国内に有望な金山を有する彼は、自領の権益を守る為、邪教徒である酷使者の信奉者と手を組んでいる』
全て事実である。
謀将ベリルはこれまでに行った策謀の詳細を、ガレリア諸王国連邦に流せばいい。
お互いに足の引っ張り合いに終始する彼らが、小さな男爵領の持つ山に金山があると知れば貪欲さを隠そうともせずに兵を味方であるはずの男爵領に送りつけるだろう。
ましてや大義名分である『邪教徒の撲滅』というお題目もあるのだ。彼らは飢狼の群れの如く殺到し、金山という甘い蜜を独占しようと戦い――本来の敵国であるサンダミオン帝国との戦いを始める前から勝手に戦力をすり減らしてくれるだろう。
謀将ベリルはこれでよし……と陰謀の指示を出し終えて――ふと、心の中に不安が沸いていることに気付いた。
「ローズメイ、ローズメイか。嫌な名前だ」
彼は肉体には恵まれなかった。
矮人症と呼ばれる、骨格や体格に恵まれない彼は知性を磨くより他無く。だからこそ、知は武に勝ると信じていた。
『王国』での策謀は完璧だった。
兄であり、勇将でもあるダヴォス王子は東の戦線でこちらに回れず。ゆえに『王国』内での不穏分子を扇動し、愚かな王子を手玉に取り――あの『醜女将軍』の性格を読み切り、必殺の罠に追い込んで見せたのだ。
だが、誰が予想できる?
たった11騎で、8000の兵に殴りこみをかけ必殺の罠を食い破り勝利するという――知が、武に、敗れるという事など。
有り得るはずがないと思った。
同時に、その醜女将軍に強烈な羨望と嫉妬も抱いた。体が不自由であるゆえに彼には武で身を立てる未来はない。
けれども、憧れない訳ではなかった。
それも――普通なら女に戦士が務まるか、と言われる身でありながら将軍となり、これほど空前の大功を立てたのだ。
その『醜女将軍』と同じ名前の女。
謀将ベリルは嫌な感覚が背中に這い上がってくるのを感じた。
ローズメイ=ダークサントの遺体は結局確認されないままで捜索は打ち切られ、生存は絶望視されてはいたが……しかし、確実に死亡が確認された訳ではない。
彼は自分の体に走る嫌な予感を否定するべく、ベルを鳴らす。
……その鈴の音と共に、一人の女が姿を現す。
「殿下、お呼びでしょうか」
「ああ。……一つ偵察を任せたい」
「はい」
「場所はガレリア諸王国連邦、アンダルム男爵領」
黒装束に身を包み。部屋の隅で。頭を下げたまま視線を向けずに下知に従う。工作員の女は頷く。
「その地にいるという――ローズメイを名乗る女を探れ」
「ッ……?!」
その言葉に、感情を抑制する術を深く学んだはずの、工作員の女はびくりと身を震わせた。
意外な反応に、謀将ベリルは面白そうに笑った。
「報告を聞けば、目玉の潰れるほどに美しい女と聞いている。別人ではあるだろう、が。
……少しだけ。気に入らん。ギスカー王子の腕の中で見た、かの『醜女将軍』と、そのアンダルム男爵領に姿を現した黄金の女との関連性を探れ」
「はい。あの、殿下。一つお頼みしたいことがあります」
「ああ? なんだ」
その工作員の女は、自分たちに命令を下す謀将を見つめながら、頬を高揚に染めて、言った。
「その任務中のみ――もう一度。シーラ=メディアスと名乗るお許しを」
『毒猿』王子の手は、非道ではあったが、最適と言ってよかった。だが……のちにこの時の決断を悔いることになる。
彼が引き起こそうとしたのは、『ガレリア諸王国連邦』の内部分裂であり、金山という甘い蜜をめぐって諸侯が相食む混沌、弱肉強食の状況であった。
だが時に暴風の如き破壊とは、これまで存在していた様々な既得権益のしがらみを一掃するという一面もある。
そして地位や権力よりもただ強さのみが正しい弱肉強食、戦乱は、一介の平民であろうと天下に名を轟かせる好機の面も持つ。
『毒猿』王子の、毒悪なる一手こそが……ローズメイの雄飛を後押しする結果となるなど、この時点では彼は夢にも思っていなかった。
わたしティリ〇ンだいすき。




