表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

25/58

敵か味方か

 アンダルム男爵の末子、セルディオはケラー子爵への事情説明から帰還する最中であった。

 それほど名が売れているわけではないが、諸国の本を通読し、諸事に通じた彼の名は知る人ぞ知る、と言ったところだろう。義理の母の実家ともあって何度か足を運び、蔵書を読ませてもらったこともある。もっとも彼の場合は傍仕えのメイドに読んで聞かせてもらってだが。

 ゆえに、セルディオはケラー子爵とも顔見知りで親しい関係である。

 だからこそ父、ビルギー=アンダルム男爵の使者として送られた。


『国境付近にて軍事演習の予定あり。そちらへの侵攻の意図なし』


 伝えた内容は、簡単に言えばそんなところだ。

 ケラー子爵もその話は信じただろう。アンダルム男爵の兵は少ないながらも精強ではあるが……それでもアンダルム男爵より大きな領土を持つケラー子爵の兵達を倒せるほどではない。ケラー子爵は、軍事演習の話も怪しいなー、なんでこの時期に、と思わなくもないだろう。

 

 それは、セルディオ自身の疑問でもある。

 最近、父は怪しげな魔術師――それも、どこか死の穢れを感じさせる臭いを、頭から爪先まで漂わせるような――を引きこんでいる。

 以前にも、まる伝説に詠われるような超戦士を倒すにはどうすればいいのかさえ聞いたりしてきた。

 セルディオ自身の能力は、指導者として十分なものだと思えるが、しかし世にはただ闇の女神に目を隠されたというだけで相手を一段下に見下すものもいる。貴族として権力を持つなどセルディオには無理だったし、何より本人が無位無官を望んでいた。

 それほど大きくはない所領で、ただ本を読み、剣術を研ぎ、雨粒の音を聞きつけながら思索に耽る――セルディオは、自分の事を幸運だと思っていた。



「軍事演習の場所はこの方面で正しかったかな」

「ええ、そうです、若様……」


 さて。

 別に目が見えなくても自分の事は並み以上にこなせるセルディオであったけども、流石に馬を操ることは出来ない。

 大人しい気性の馬の鞍の上に跨り、手綱のほうは前を歩く従者に手を取ってもらう。傍には旅装を纏った忠実なメイドを控えさせている。

 名をリーシャと言った。

 商家出身の娘で文字と数字に明るく、また大変に記憶力が優れている、という長所を持っており、現在では領地統治のいくらかを任されているセルディオ付きの私的秘書のような役割に収まっている。というのも、彼女自身がそういった仕事に付きたいと思っても、女の身ではそういう仕事に就ける礼は少なかったからだ。


 ……セルディオは、特に何も問題はないと思っていた。

 父であるビルギー=アンダルム男爵は、ケラー子爵との領土付近で軍事演習を行うのは、彼らの警戒心を煽らないか? というセルディオの疑問にも『単に150もの兵を十分に動かせる場所が無いため』と言っていた。

 その軍事演習が終われば、男爵家の人間として、汗水流して訓練に励む兵士達に慰労の言葉を投げかけてやってくれ――と、そう言われていただけだった。



 ……ビルギー=アンダルム男爵の、その思い込みをあさはかとあざけるわけにはいかないだろう。

 彼が抹殺しようとしているのは、10名を越えない一団。そこに150名の兵士を投入したのだ。狼龍が敵についていることは警戒すべきだが、方陣を組んだ兵士には無力とさえ思っていた。

 セルディオが用件を終わらせた後、悠々と領地に帰還する頃には反乱者の抹殺は完了し、意気軒昂とした兵士達と面会するのだと思っていた。

 だから、その見通しの甘さゆえに、セルディオは――遠方から聞こえてくる、鋼と鋼がぶつかり合い、血飛沫が舞い、人が苦悶のうちに死んでいく地獄の如き様相を、まず耳で感じることになった。



「……全員下馬っ!」


 セルディオの下知に、彼に従う護衛たちは訝しげな顔をしたものの、一斉に馬を降りる。

 

「リーシャ、身を隠しつつ周囲の様子を確認できる高所は?」

「右前方に、歩数にして130ほどの距離にございます」


 メイドのリーシャはこういう時、主人の意志をいち早く汲んで応えた。

 

「半分は馬を隠すために森へ。残りは僕に付いて周囲の確認を」

「……若様。何があるんです?」

「……人が死んでいる」


 びくり、とリーシャが肩を震わせた。

 距離にしてそろそろアンダルム男爵領へと帰還する位置。ならば、男爵家の軍勢が何者かと戦闘を行っているのだろうか?

 その予想はセルディオもしているが……彼はもう一つ感じているものがあった。


(……いる。何かとんでもない化け物がいるぞ。万里の彼方からでも存在を感じることの出来るような強烈な軍氣の塊だ)


 それは盲目でありながらも凡百の剣士よりずっと精緻に剣を操ることの出来る、武人の端くれゆえに感じることのできた直感であった。

 リーシャに手を引かれつつ、セルディオは茂みの中を進んでいく。金属製の武具は外させ、光を反射せぬように。身を屈め、まず位置を気取られぬようにせよ。その下知に従う兵士達と共に進み……セルディオは、鼻腔に突き刺す死の臭いに顔を顰めた。

 恐怖によって発せられる高揚アドレナリンの臭い、鮮血の臭い、死の臭い。

 

「……うっ、うわっ?!」

「リーシャ。落ち着いて。大変ひどいことになっているんだね」


 光に愛されないセルディオは、リーシャが見ているであろう戦場の光景を見ずに済んである意味幸せなのかもしれない。

 セルディオは同時に首を傾げる。150名の正規軍を倒せる勢力となると……これはもう山賊や野盗の集団風情ができる所業ではない。しかし近隣諸国が何か怪しい行動をしていたという話は聞かない。150名の兵士と戦う相手はいったいどの勢力だ?


「旗印は見えるか?」

「あ、ありませんっ……」


 セルディオは更に首を捻る。

 という事は近隣の正規軍が所属を隠したまま不意打ちじみた攻撃を仕掛けてきたのか? 


「敵の数は?」

「……わかりませんっ、遠方からじゃ――え、でも。……少ない、とても少ないですっ。

 うちの兵士達に姿が隠れるぐらいに……とても少ないですっ! あ、あんな……有り得ないっ!!」


 150の兵士をごく少数の兵士で圧倒する? セルディオは自分の両の眼で確認できないことにもどかしさを感じた。

 だが……耳を済ませてみれば確かに聞こえてくる。近くより聞こえてくるのは戦を愉しむような哄笑がごく僅かで、それ以外の全てがほぼ、悲鳴と恐怖に彩られている。

 圧倒的寡兵が、圧倒的多数を圧倒している? セルディオは頭の中で浮かべた結論を、言葉遊びか、と思った。

 少なくとも起こっているのは異常事態だろう。


「戦況は?」

「こ……殺されています。ウチの兵士達が……向こう側で暴れてるのは陸龍か何かで……そんな。ああっ――きれいな、きれいな黄金のひとがっ」


 リーシャの声にはありありと、畏怖と恐怖が刻まれていたが……ふいに何かに気づいたかのような響きを帯びた。

 彼女の視線は遠方の、己とシーラの2人で80名の兵士を殺戮して回る悪鬼じみた怪物を視覚に捕らえていて――そんな恐ろしい死の光景を築き上げている怪物を見たにも関わらず、まるで魅入られたかのような陶然とした色を帯びた。

 

「きれい? 国色天香のお人でもいたのかい?」


 きれい、という、戦場にはあまり似つかわしくないリーシャの声に、セルディオは思わず怪訝そうに尋ね返す。


「ええ、若様。……とても恐ろしいのに目が離せないんです……」


 セルディオはその言葉に、なんとも言い表せないほどの危機感を覚えた。

 自分たちの仲間や同胞を殺戮している敵に対して、憎悪や殺意よりもまず美しさへの称賛を感じさせる絶世の美貌。

 それはこの世に存在するどれだけ優れた魔術よりも、ある意味恐るべき力ではないだろうか。

 自分たちの警護役である兵士達も――その遠方に見えるという美しき殺戮者に対して、声から溢れるのは美しさにに対する嘆息。


 それが、恐ろしい。


 セルディオは、その遠方で戦うのが魅了の力を持つ吸血鬼などの化外の民であってくれ、とさえ思った。

 だが、今は天頂に日が照っているのが、肌を焼く日の光で察せられる。

 ならば素の美しさと力で、見るものに恐怖と畏敬を覚えさせているのだろう。


(……父上の相談事とは、これかっ……!!)


 ぶるりと背筋を震わせる。

 今もなお150名の兵士達が力戦しているにも関わず――まるで人数差が逆転したとしか思えない悲惨な声が聞こえてくる。

 その圧倒的な数量差を覆す絶対的な武と、殺戮を繰り広げているにも関わらず、見たものを魅了する美。


 これほどに恐ろしいものが存在しようものか。


 セルディオはぶるりと背筋を震わせた。

 この相手がアンダルム男爵家に仇名す恐ろしい敵である事は間違いない。

 それになにより……アンダルム男爵家にとっても150名という兵士が討ち減らされる事は看過しえない強烈な打撃となるだろう。150でもダメならもっと多数の兵を繰り出すのが常道だが……恐らく、男爵家には余力が残らない。

 そして150名の生存者たちの中から、敵の凶悪さは伝え広がるだろう。


(倒す……だが、どうやって? 遠方からでも肌を刺すような闘氣を感じる怪物だ。あらゆる状況をこちらに有利になるように考えねばならない。

 いや、いや。とにかく相手の事を掴まねば。

 まず、相手を知る事だが)




「……あ。あれ? ハリュ?」

「どうしたんだ? リーシャ」

「いえ……敵の中に未帰還者として聞いていたウチの家の騎士がひとり、見えます」


 未帰還者の騎士が、アンダルム家の敵として行動している?

 そこから何か掴めるかもしれない。


「……父上にこのことを馬で知らせよう。リーシャ。その騎士ハリュと繋ぎはできるかい?

 ……戦うにせよ、和睦にせよ、相手の情報が欲しい」

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ