『火を噴く黄金の女』
この時代の村人にとって、周辺諸国の情報……北方のサンダミオン帝国の情勢や、それに対する『ガレリア諸王国連邦』の行動など、情勢に関する情報は旅人や商人などが伝える事になる。
もちろんデマや噂など確度の低い情報だってある。
それらが正しいかどうか、真贋を見極める目のある人なら良いが、大抵は噂に流されたり、不安に駆られたりしながらも……『そんなひどいことがおこるはずが無い』とどこか諦めたような、あるいは誤魔化すような笑みで目をそらしてばかりだ。
だから、現実にあった胸のすくような痛快な話や華々しい武勲伝は大勢が喜んで聞く。
「……口から火を噴く黄金の女のことを知っているか?」
それは最初、ただの噂話と思われた。
アンダルム男爵領の片隅から姿を現した絶世の美女が、悪相の男達と、白子の娘、歳若い騎士を引きつれ、更には決して人に慣れぬはず狼龍に跨って旅をする。その後ろの荷馬車には罪を犯した貴族の権力者がさらし者にされ、自分が戯れに殺した哀れな子供の墓の前で額づかされていたという。
口から火を吹く黄金の女の噂を聞いたものは、大抵それは噂だろうと嘯いた。
どんなに美しかろうと、社会の頂点に立つのは貴族であり王族だ。いったいどこの誰が貴族の縁者をさらし者にして、兵を差し向けられないでいられようか。ましてやそんな絶世の美女であるならば、きっとどこかの貴族か奴隷商にでも目をつけられ、首に値札をつけられ高値で売りさばかれるだろうよ、と。
ああ。だけど。
もし本当に、ただ踏み躙られるだけのモノたちの、悲憤の代弁者のような英雄が本当にいてくれるなら。
アンダルム男爵領における物流の動脈の一つ、クロストの町で一つの喧騒が起こりつつあった。
一方はクロストの町における揉め事の仲介や法の遵守を請け負う警邏たち。
そして一方は、野人めいた格好をした蛮族の一団と見まごう連中であった。
群集の視線は――しかし自分たち民衆を守る側の警邏たちではなく……その蛮族達に注がれている。だが無理もない――それこそ一生に一度お目にかかれるかどうかの絶世の美女が堂々とした立ち姿で、狼龍の頭の上に尻を乗せていた。
ああ。噂など当てにならぬ。どんな語彙も、どんな旋律もこの絶世を言葉では言い表せない。じかに己が両の目でしか理解できない堂々とした美女が、王者の尊厳を持って警邏たちを見据えていた。
警邏たちは30名だが、彼女の美しさに魂を飛ばしたように何もできぬまま動けないでいる。
それでもやるべき事を思い出した警邏たちの指揮官が前に進み出た。
「謀反人、ローズメイとは、き……きさまか!!」
まるで皇帝と謁見した敵国の使者のように、目の前の美貌の女を呼び捨てにする。
黄金の女、ローズメイは笑った。まるで親が子供の悪戯を笑って見逃すような鷹揚な笑みである。
「謀反とは異な事を。おれはこの後ろの神父を……ああ。なんて名前だったか。……なんとか=アンダルム神父の償いの旅に出ているだけであるぞ?」
「もがー! もがががかー!」
ここで警邏たちが頑張れば、自由になれるかも知れないと考える神父は身を捻り、大声を上げるが、生憎とそれは警邏たちの仕事ではない。
アンダルム男爵は既に、長男のことを切り捨てている。
「だ、だが罪人の捕獲、刑罰は領主であるアンダルム男爵の仕事である!」
「そのアンダルム男爵の下す法が、正しく執行されていないから、おれはこやつを贖罪の為に引き回している!
話によれば、この男は既に数件の子殺しを成し、果てには親殺しを成した。その墓の前に額づかせることの何が反逆であるか!
子殺しを数件! 果てには親殺し! 死刑以外の判決を下すならばそれはアンダルム男爵が肉親の情に目が眩み、正しく法を運用していないことの証明ではないか!」
その声と共にローズメイの唇から炎がぼぅぼぅと燃えた。
ローズメイは、アンダルム男爵を追い詰めるための兵を挙げる当てがない。
しかし……アンダルム男爵の不正の証拠をたまたま手中に収めていた。彼の長男である。
そしてローズメイがどれほど強大な戦力を有していようが、正義や大義のない暴力は決して人々の支持を得られないことを知っていた。
「義者ローズメイ!」「火を噴く黄金の女!」
そして、領主であるアンダルム男爵と黄金の女ローズメイのいさかいを遠くから見世物のように観戦するもの達は、囃すような声をあげる。
いつの時代でも人々は立場が弱いもののほうに味方したがる。それが目も眩むほどに美しい絶世の美女ともなれば、それが貴族の権力で揉み潰された罪を弾劾する行為であれば、応援の声には一層の熱があった。
「あ、アンダルム男爵様に逆らう謀反人……ほ、捕縛せよ!」
警邏隊の隊長の命令に従い、兵士達は殴打用の棒を手に突進してくる。
ローズメイは配下に下知を飛ばす。
「警邏の方々はこちらに剣は使わぬ配慮を見せてくださった。
徒手にて応対せよ。よいか、殺しはご法度だ」
「はっ!!」
家来衆は歯を剥き出しにして笑った。
このアンダルム男爵領を進む一ヶ月の中、ハリュやシディア、家来衆たちはその実力をめきめきと伸ばしている。
今や隆起した筋骨を誇示するように腕を振り、叫んだ。
「あんとき俺たちゃ!!」
「「「「「ただのチンピラ!!」」」」」
「今じゃ少しは!!」
「「「「「ドラゴンかもよ!!」」」」」
ハリュとシディアが聞いても意味の分からない謎の掛け声と共に家来衆たちは真正面から警邏たちに突撃していく。
本来警邏たちは圧倒的な人数にものを言わせ、複数人でさすまたを用いて犯罪者を捕らえるのが常であった。しかしハリュを含め、七名の成人男子が横一列に隊列を組み、突進してくる場合はさすまたの威力は半減する。
それでも彼らは数で勝る。相手が剣を使わないなら殴っていう事を聞かせる――そのつもりであった。
「真正面からだー!!」
「おおぉぉー!!」
しかし家来衆は、宣言どおり、複数集団へと頭から突っ込んだ。両手で脳天を守り、そのまま練り上げ続けた脚力で持って自らを弾丸のように突っ込んだ。
「お、押せぇ! 押し返せぇ!!」
警邏の指揮官が口角から泡を飛ばして命令する。しかし今や自らを小龍の群れと少しは胸を晴れるようになった元悪漢は警邏たちを有り余る膂力で押し出していく。
それを見ている民衆たちからは驚愕と賛嘆の声が上がった。
30名近くの警邏たちは別に貧弱な体格と言うわけではない。しかし姿勢を低くして押し出していく彼らに抗する術はない。棒を頭上から打ち下ろしはするが、家来衆の体を包む獣の外套は意外と打撃に対する優秀な防具でもあったし……顔と違って、背中は肉体の中でも特に痛みに強い部位である。
足を踏み込む。小指を、まるで地面に杭を打ち込むように力を込め、両足から膂力を搾り出す。
憧れのあの黄金の女の前で無様な姿はさらせぬと意地を見せる。この数週間で人生の変わった幸運を胸に、変化した自分たちの力を試すように力を込める。
「こ……こいつらっ、嘘だろっ?!」
そのまま6対30という、人数に差のありすぎる力比べに――家来衆は勝利して見せた。
今まで人数差で対抗していた力の均衡が崩れ去れば、これはもう勝てぬと警邏たちも列を乱して去っていく。
「修練にお付き合いくださり恐悦至極! お手柔らかにしてくださりありがとう! お怪我はありませんか?!」
そしてローズメイは逃げ散っていく警邏たちの背中へと声を掛ける。
「ローズメイさま、お疲れ様ですっ!」
「……シディア、流石にそれは彼らに言ってやるべきであろう」
ローズメイの横に控えていたシディアはキラキラした目で話しかけるが、さすがにローズメイも呆れたような目で見つめ返した。
「それにしても、彼らも懲りないですね。警邏程度の戦力じゃローズメイさまやみんなを止められはしないのに」
「負けると分かっていても意地があるのだろうよ」
ローズメイは満足げに自分の周囲へと集まり固める家来衆に『おう』とか『うむ』とか返事しながら考え込んだ。
ローズメイの一団は、町での補給を済ませるとすぐさま次の目的地へと進んでいた。
鍛え抜かれた古強者の風格を漂わせ始めているこの一団は、町の住人ともいさかいを起こさぬようによく厳命されていたし、事実ローズメイは不当な暴力で略奪を行った場合、首を刎ねると言明していた。
「さて。今回の小競り合いで何回目だったかな」
……既に、こういった警邏との小競り合いは、町を移動中に何度も行っている。
アンダルム男爵は既に報告を受け取っているから……ローズメイとその一党が既に60名から70名程度の戦力を真正面から叩き潰したことも把握しているだろう。
チンピラ混じりとはいえ、中には正規の騎士だっていた。これを確実に仕留めるとなると、もっと数がいる。
しかし……戦力を集める間、アンダルム男爵の不正を暴くかのごとく行動するローズメイ一党に何もしないというのも沽券に関わるのだろう。
だからこそ、面子を保つ為にこうして警邏を動かし、民衆に対するポーズとして彼らに喧嘩まがいの戦いをさせているのだ。
「ハリュ。騎士ハリュ」
「御用はなんでしょう、ローズメイ殿」
ローズメイにとってこの歳若い青年の存在はなかなか得がたい希少なものであった。
家来衆や村娘だったシディアと違い、このアンダルム男爵領で騎士階級であった彼は、近隣の情勢などに通暁しており、案内役として重宝していた。
「……この後ろでもがもがと言っている神父の母御のご生家まで、あとどれぐらいだ?」
「アンダルム男爵と隣接する領主、ケラー子爵のご領地は、早馬ならば一日と半。無理のない行軍速度を維持するなら三日は欲しいですね」
ローズメイは頷いた。
ハリュから見せられた地図を記憶の中から引っ張り出して考え込む。
……ローズメイは顔が良いとはお得であるなぁ、考えている。
今や黄金の女の噂は、このアンダルム男爵領はおろか、周辺の領主たちにも聞こえ始めているだろう。同時に、その目的が残忍に殺された孤児たちの鎮魂の旅であるとも。
確かに……殺害された孤児たちの死を隠すことは貴族の権力を用いれば容易かろう。
しかし、相手が貴族であったなら?
ケラー子爵は真相を知らせぬままにしたアンダルム男爵に、烈火のごとく怒るのではないか?
アンダルム男爵も不幸なことだ。かわいそうと思われるのが気持ち良い性分の長男が、常人には理解し難い理由で殺人を繰り返す――そんなひどい醜聞が広まるより真実を隠したほうがいいと感じたのだろう。
だからこそ、付け入る隙がある。
ケラー子爵の前で神父に真実を吐かせれば、ある程度の信頼は得られよう。
その後で、アンダルム男爵の目論見を明かせば戦力を貸してもらえるかもしれない。
だから――アンダルム男爵が、ケラー子爵との合流を恐れて、ローズメイを殺すために攻めてくるならば……そろそろのはずだ。
背筋に雷光の如く走る危機感。
ローズメイの研ぎ澄まされた聴覚は、矢の羽音を聞きつけた瞬間にカッと見開き、帯に下げた剣を鋭く一閃していた。
不意を付くように放たれた矢を断ち切り、落としてみせる。
「も、もがあああ~!!!!」
「神父狙いか、良く分かっている」
「次、矢、防ぎますっ!!」
シディアが両手を掲げて起風の魔術を紡げば、強烈な突風が巻き起こり、矢の軌道をそらしてみせた。
ローズメイは森の中より射撃を行った敵の位置を見定める。森の中であっても武装特有の、鈍い鉄の輝きは隠しきれない。
そのままローズメイは剣を一閃させ、狼龍シーラと荷馬車を繋いでいた紐を切断する。
「シディア、ハリュ。神父を頼む。ケラー子爵の協力を仰ぐ為になるべく生かしておきたい」
「ローズメイ殿はっ?!」
「潰してくる」
そのままローズメイは荷馬車の縁を掴むと……みしみしと筋骨をきしませて――荷馬車を持ち上げていく。
『……お、おおおおぉ?!』
遠方から目を剥くような驚愕の声が聞こえる。ローズメイの美しさは目で見て知っても、その細く麗しい外見から発せられる超絶の強力は実際に目で見ても容易に信じられるものではなかった。
そのまま勢いをつけ、横倒しにして遮蔽物にする。これで遠間からの弓の射撃で殺される事はなくなった。
強力な魔術師がいたら、この荷馬車ごと吹き飛ばされることもあるかも知れないが……ローズメイが長い戦歴の中で培った戦士の直感は、敵中に警戒するほど強大な軍氣の持ち主はいないと告げている。
そのまま、ひらりと狼龍シーラの背に乗った。とっとっとと歩む狼龍シーラの隣で、家来衆がなめした皮を貼り付けた盾を構える。彼らにローズメイは言葉を投げる。
「姐さんっ! どうしやすかねっ!! 敵は森の左右から! 」
「お前たち6名で力を合わせ、森から出てくる右の連中を迎え撃て!」
「姐さんはっ?」
ローズメイは左の敵陣を、切っ先で示した。
「おれは左だっ!」
「ごあああぁぁぁぁぁぁ!!」
そのまま狼龍シーラの腹を軽く蹴れば、主人の意図を汲んだかのように咆哮を張り上げながら狼龍シーラは疾走を始める。
ローズメイは、手に道具を持った。バディス村に居た時自作していた、靴べらのようなものに猪牙の手槍を宛がい――肩に抱えるような位置へ構える。
その道具の名はアトラトル。
またの名を投槍器と言った。