己を含める全騎に死を命じる
「お。お前達、ナニを言っている?!」
王子の言葉にシーラ男爵令嬢は、愛を囁く時からは想像もできないほど、冷たい笑顔を見せた。
「私の目的は、ローズメイ将軍を、彼女に信服する二万の騎士団から引き離し、孤立させることにあった」
「な……なにを?! 何を言っている! シーラ! お前はわたしを愛しているのだろう?」
「ええ。ええ。……殿下、愛してますとも――と、自分自身に思い込ませることができるのが……真の工作員というものでございます」
ギスカー王子はへたり込んだ。
今まで愛してくれていると思い込んでいた相手の手ひどい裏切りの言葉に、声も出ない。
そんな王子に、ローズメイはちらりと悲しげな視線を向け、シーラを見つめる。
「……サンダミオン帝国は、『龍の住む』ダヴォス殿下など綺羅星の如き傑物を抱える国家だ。
二の矢、三の矢は既に放っているのだろう」
シーラは、こくりと頷いた。
まるでタイミングを計っていたかのように……慌てた様子で急報を告げる騎士が飛び込んでくる。
「反乱でございますっ!
メディアス男爵反乱っ! 周囲の中小貴族を引き込み、8000の兵が反乱を起こし、この首都を目指しております!」
その言葉に――周囲の貴族たちが慌てふためいく。
メディアス男爵領はこの首都から半日の距離にある。今は夕方。日が変わる真夜中頃には既にこの首都を取り囲むであろう。
今すぐ首都を脱出し、所領に帰ろうとするものや手勢をまとめようとするもの。家に戻って財産をかき集めようと相談するもの。
本来この場を仕切るべき王子は、愛していた男爵令嬢シーラの豹変についていけない。
「うろたえるな、小僧ども!!」
だが、足をどすんと踏み鳴らし、つんざくような雷声を受けて、この場に出席する貴族のすべてが一斉に押し黙る。ローズメイより年かさの貴族など山ほどいたが、しかしこの場で毛ほどもうろたえていないのは彼女であった。
ローズメイはシーラ男爵令嬢を見た。
「なるほど。おれの配下である二万の騎士団は、サンダミオン帝国とのにらみ合いで動けぬままだ。この策は――ただおれ一人を戦場にて討つためのものか」
「はい。ローズメイ将軍。あなたはこの国に忠誠を尽くしています。ゆえにこそ首都陥落という事は見過ごせません。……それが、8000の敵に対する無謀な勝負と分かっていても挑まずにいられぬでしょう」
ローズメイは頷いた。
この醜女将軍は、父祖の愛した国を守りたいと思っていた。なにより……ギスカー王子を愛していた。その愛が絶対に報われざると分かっていても、まだ愛していた。公衆の面前で婚約破棄を宣言され、女としての名誉に深い傷を受けた今もなお……愛していたのだ。
心の傷が痛む。けれどもローズメイはそれを強靭な意志力で捻じ伏せ……工作員シーラに笑って見せる。
「だがな、シーラ。お前の飼い主の策には一つ、欠点がある」
「はい?」
「おれが……メディアス男爵率いる8000の兵を、おれとおれ直属の十名の騎士たちが正面から粉砕するという可能性に思い至っていないことだ」
「?! ば、バカな。そんな事できるはずが……!!」
「できぬ、と思うか」
ローズメイの豪胆極まる言葉に気圧されたように、シーラは震える。
普通に考えれば、8000と11騎は、戦いにすらなりはしない。圧倒的な数の差に押し潰されるのが関の山だ。
だが、その威風堂々と応えるローズメイの姿にシーラは、頬を伝う冷や汗を感じる。
(できる……かもしれない。この剛勇で知られた女傑ならば、ほんとうに、たった11騎で8000の兵を粉砕してしまうかもしれない……!)
「シーラ=メディアス男爵令嬢、いや、工作員シーラ。王子殿下を操り、おれを手足である騎士団から引き離し、窮地へと追い込んで見せた。みごと!
敬意に値する敵として、自害を許す。誰ぞ、毒杯を持てい!!」
「……格別の慈悲を賜り、感謝いたします。ローズメイ様」
シーラは内心、この醜女に心からの忠誠をささげたくなる衝動に駆られた。
工作員など所詮は日陰者。そんな自分が天下に名だたる将軍に認められたことは心の底より嬉しい。それに正体の発覚した工作員など、拷問の末の死が当たり前だ。それを思うなら、自害を許す彼女は慈悲深いとさえ思える。
「し、シーラ、シーラ! ……ローズメイ、貴様は彼女の美しさを妬んで!」
「ッ、この阿呆がっ!」
ギスカー王子は、事態の急変についていけないのか、罵声を張り上げ――まるで彼女を庇うように前に出た。彼の頭の中からはシーラの裏切りを受け入れられず、ただローズメイがシーラを殺そうとする事だけは理解できたのだ。
だがシーラはこの千載一遇の好機を逃す理由はない。命を捨てて任務に当たるのが工作員ではあるが、別に好き好んで死にたいわけでもない。即座に王子の腕を捻り上げ、刃を首元に突きつける。
兵士達もローズメイも王子の命を盾にされては動けない。
「ローズメイ将軍! 策の手足となる影の身にとって、あなたのご賞賛、生涯の誉れにございますっ!」
と、共にシーラの手より放たれた煙玉が一気に噴煙を撒き散らし、視界を塞いでいく。
それが果てた時には――既に男爵令嬢、シーラ=メディアスの姿は忽然と消え去っていたのであった。
ローズメイは、混乱したままの王子や貴族とは違い、逃がした敵の工作員にこだわることはなかった。
「敵は圧倒的多数を頼み、確実に気がゆるんでいる。
平原にて接敵、敵陣中央を突破し指揮官を狙う。お前等、準備は良いな!」
彼女の直属の騎士十名が深々と頷く。
ローズメイは贅肉塗れの顎を震わせて笑う。
「もし敵将の首を取った奴がいたなら、おれが熱いベーゼをくれてやる。嬉しかろう、励め!」
「うへぇ、将軍!! どうかそいつはご勘弁を!」
「そんな事を言われたらお互い大将首を譲り合うなんて事になっちまう!」
「がははっ、この無礼ものどもがっ! 罰として生き残ったならば全員おれの寝台に侍ることを許してやる!」
それはどうかごかんべん、といっせいに頭を下げる騎士たち。
ローズメイ自身も自虐の入り混じった言葉に対して、げらげら笑う配下を罰することはない。なぜなら……この場にいる全員が、恐らく全滅するからだ。
彼女の命令は――死を命じることに等しい。8000の兵が王都に迫っている。篭城策は救援が来ることを前提としている。ならば二万の騎士団がサンダミオン帝国との睨み合いで動けず、救援が期待できぬなら、野戦で勝利するしか手立てはない。
だからこそローズメイは10騎の配下に、敵軍8000へ挑むという『死ね』と言うに等しい命令を発する。
そして配下がそれを粛々と受け入れるのは――ローズメイ自身が、己自身さえも戦死の勘定に入れているからだ。
指揮官自らが確実に死ぬ戦場へ赴こうとしている。彼女に信服する10騎は、その背を見ながら死ぬのだと心に決めて微笑んだ。
我らの戦乙女はとびきりの醜女だが、共に戦う仲間としては最高と言ってよい。恐らく彼女旗下の二万騎も同じ気持ちであろう。
「ギスカー王子」
「あ、ああ、ローズメイ」
ギスカー王子は、愛しいシーラに切っ先を突きつけられ、その刃の冷たさを感じてようやく現実を受け入れることが出来たのだろう。
恋に目が眩んだ心も、今は少し落ち着いているようだった。ローズメイは言う。
「恐らくおれは死にます。殿下」
「……な、何を言っている。ローズメイ」
「配下にはああ言いましたが、まず敗北して当たり前の状況です。殿下、いまさらですがおれはあなたを愛しておりました。今回のことも責める気はありません。おれも男であったなら、おれのような醜いデブの女などごめんこうむりたいと思いますゆえ」
ローズメイは笑った。
その笑みに、ギスカーは背中を奮わせる。自分の失敗を、彼女は命で購おうとしている。それも、自分がシーラの口車に乗ったせいで。誰も彼も従う王家の威光というものは諸刃の剣、一度判断を誤れば自分以外の誰かが死ぬのだ。ギスカー王子はとたんに王という生き方が、恐ろしい重責のように感じられた。
彼女は四頭の名馬が引く自分の戦車へと飛び乗った。彼女の体重を支えることが出来るほど強靭な鐙など存在しないからだ。戦車には肉厚の大戦斧と十人張りの大弓、矢筒が備えられ、その両腕には巨大なトゲ付き鉄球を備えたモーニングスターを握り締める。
「それでは殿下っ! おさらばにございますっ!」
ローズメイはその肥満体からかけ離れた快活さ溢れる笑いと共に、兜を小脇に抱えて戦車を走らせる。
容姿こそ醜いが、結い上げることをやめ、風に棚引く黄金の髪は――死に化粧としては最高に美しかった。
彼女は、恐らくは生きて戻れぬ戦場へと赴く。
「ローズメイ! ローズメイ!」
ギスカー王子は全身を縛り付ける罪悪感と共に悲鳴のような声を上げた。
確かにローズメイは醜い。結婚など考えたくもない。しかし国家存亡の危機に自ら手勢を率いて赴く姿は堂々たる大将軍の風格であった。
謝らなければならない。彼女の事を女として見る事は不可能だが、しかし友人としてなら、うまくやれるのではないかと。少なくともこのまま彼女と終わるのは、絶対に嫌だった。
……こうしてローズメイ=ダークサントは8000の敵陣に、11騎で突撃。
敵将であるメディアス男爵の首を取り、劇的な勝利を遂げた。
だが、この11人の騎士の英雄的活躍の代償は大きく、生き残ったのはたったの二名。
生還した彼らは、後でやってきた王国騎士に医務室へ連れて行かれることを拒み、指揮官であったローズメイの遺体を回収すべく狂獅の如き様相で戦場跡を駆け回ったという。
だが惜しまれることに、将軍であるローズメイ=ダークサントは生還せず、その遺体も死体にまぎれてか、見つかることはなく。
……この一年後に、国家の支柱であったローズメイを失った国はサンダミオン帝国に、併合という形で吸収される事となる。
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