意外と楽かもしれない
ローズメイは目を白黒させた。
彼女も戦歴は長いが、自分の口内から炎があふれ出てくるという状況は生まれて初めてで混乱する。
それにしても不可解な炎である。彼女のうちから溢れるそれは、火にしか見えないが、しかし唇を火傷するという事もない。
「あ、姐さんっ! だ、大丈夫なんですかいっ!?」
家来衆たちもローズメイが突然口から火を吐いた様子にびっくり仰天といった様子で心配の声を上げた。
もちろん自分が火を吐いたことなどには驚いている。
しかし毒蛇が自分の毒で死ぬ事がないのと同じように、我が身より発する炎が我が身を蝕むことはあるまいと判断すると、ローズメイは自分の口からでた燃える炎の件を後回しにした。
「口から火が出る? それがどうした、些事である!」
いっそ見事と言いたくなるほどに素早い切り替えだ。
だが、それを見ていた眼前の魔術師は忌々しそうに目を細める。
「これはまた……身中に『龍を住まわせる』とはっ! ダヴォス王子と同じく、英傑の定めに生まれたか、女ぁ!」
ローズメイはその言葉に思わず、これが、と自分の口蓋より溢れる炎を見つめる。
「ローズメイさまっ、お手伝いを!」
どうするのか、と思ったローズメイの前で、敵の騎士より分捕った剣の刀身が炎に包まれた。
炎の魔力を這わせるシディアの魔術だろう。ローズメイは(……この炎に包まれた刀身ででは、肩に担いだら燃えそうだな)などと考えつつ魔術師を見た。視線を相手に固定したまま叫ぶ。
「これ以上の助太刀は無用、他の面倒を見てやれ!」
「はいっ! ローズメイ様もご武運を!」
自分に絶対的な信頼を置いているのだろう。シディアは躊躇うことなく家来衆の援護に向かった。
「おお、怖い怖い。……確かに炎には我が酷使者の神の聖なる気を焼き払う天敵の属性がありますからね」
「お前が言う聖なる気、我々はそれを邪気と呼ぶ」
だが踏み込もうとしたローズメイの眼前で、魔術師を守るように……先ほど斬り殺した死体たちが起き上がった。
「……尋常な剣士ではありませんね。あなたは。一対一では命が幾つあっても足りますまい。まぁ、であれば。死体を再利用するだけの事」
「お前が死んだ後も動き続けるのか? 試そう」
ローズメイは腹を立てた。死してからの安息を許されず、ただただ酷使される死者の運命に憤る。その彼女の激情を表現するかのごとく口蓋から溢れる炎は勢いを増し、ちろちろとその黄金の頭髪の毛先を炙った。
「死んだ後も動くかどうか? 可能ですねぇ。……あの生贄の娘さえ譲ってくれるなら」
「ふん?」
ローズメイは油断無く隙を伺いながら魔術師の言葉に返事する。
「シディアを欲してなんとする」
「あの娘、白子でしょう? あのような陽光に祝福されざる娘というのは、闇の力に対して親和性が高いものなんです」
「……例えそうだとしても。あの娘は創造神である『水底に揺蕩う蒼い闇の女神』のお方に愛されたのだろう。
断じて貴様の信奉する酷使者の寵愛など受けてはおらぬさ」
「そう考えるのはあなたの勝手ですがね。闇の魔術への親和性の高さは、あなたが邪悪と断ずる悪神の力も増大してくれる。この程度の人数では収まらない。
食事もせず、休息もせず、文句も言わず、死した体が完全に壊れるまで働き続ける――そういう素晴らしい労働者を生み出す」
「その上前を掠め取るのが貴様とアンダルム男爵という事か」
ローズメイの言葉に相手は答えない。
魔術師が指揮するように手を振りかざせば、生きる屍となった先ほどのチンピラたちがローズメイに襲い掛かってくる。
「屍は、生者が無意識に押さえ込んでいる膂力も出せる。ハハッ、組み付かれればおしまいだぞっ!」
飛び掛ってくる屍者に対し、ローズメイはふん、と鼻を鳴らした。
動く屍者という――この世にあってはならない不自然な存在を、彼女の中に宿りし強力神の威光は修正するべき病毒と見なした。その威光が彼女の五体に力を与える。
「首を断ち、両腕両足を絶つ。そこの死人! 死して更に殺業を重ねることもあるまいっ!」
ローズメイの剣が五閃する。
頸部を飛ばし、両手首を切断。そのまま地を這う低い姿勢からふとももを諸共に両断せしめ、危害を加えることを死者に禁じた。
「ぐああああぁぁっ」
「臭いな……!」
その隙にもういったいの屍者が襲い掛かってくる。接近を許し、強烈な臭気が鼻腔を突き刺した。
ごぼっ、と、口の中から広がる炎がその臭いを焼くように溢れる。
ローズメイは相手のかみつきを避けるように鋭く膝立ちの姿勢に移りながら、咄嗟に握り締めた拳骨をカウンター気味に相手の胸板へと突き刺した。
その凄まじい膂力を受けた屍者が矢のような勢いで吹っ飛んでいく。自分を守る盾でもある屍者を失い魔術師はさすがに唖然とした顔をした。
「……容易に抗える膂力ではないでしょうに」
「単に数倍に増強された屍者の膂力より、おれの素の力のほうが上だっただけよ」
「でたらめでしょう。あなた。何者です?」
「ローズメイ。ただのローズメイよ」
その言葉に、魔術師は片眉を振るわせる。
「……絶世の醜女の名を名乗る絶世の美女とは……おかしな事を仰せになる」
「親から授かった名をなんで捨てる必要がある」
すでに戦闘の趨勢は決しそうになっている。
ローズメイの周囲では、家来衆がチンピラや騎士たちを駆逐し、狼龍シーラの凶暴さにおそれをなした兵は皆四方へと逃亡をはじめていた。
ローズメイは切っ先を魔術師の首筋にあてがう。まったくの躊躇いもなしに、首を断った。
「……ハ、ハ、ひどいお方ダ。交渉する気もないと見えル」
だが、不気味な事に首を断たれたにも関わらず、魔術師はけたけた笑いを浮かべた。
首を完全に断たれたにも関わらず――未だ反応する相手にローズメイは顔を顰める。恐らくはこの魔術師もまた本体である屍術師が遠隔で操作する使い魔のようなものだったのだろう。
火を、と家来衆に命じれば彼らは敵の陣地の四方へ散って薪と松明を持ってきた。屍者がうごめくというのなら、炎で焼き清めるほかあるまい。
「……ローズメイどノ、一つ提案をしたイ」
「一応聞こう。なんだ」
「主であるアンダルム男爵様ト話す気はありませんカ?」
ローズメイは不可解そうに目を細める。
「あのバディス村ですガ、一つ村長に確かめるといイ。あそこは砂金が産出されル。アンダルム男爵様はあの村の上流に位置する金鉱脈を隠し金山にするおつもりだっタ。会議ばかりで実際には何も出来ない『ガレリア諸王国連邦』の欲深な主君たちから国土を守る為にネ」
「……なるほど」
その言葉で、ローズメイは今回の事件のおおよその背景を察する事ができた。
隠し金山というのなら、その際に下流に位置する川は鉱毒で汚染される。……まっとうな君主であれば、鉱毒の害を防ぐ為に色々と手を尽くすだろうが……アンダルム男爵は発生する利権に群がるであろう『ガレリア諸王国連邦』の他の王達から金山を隠すつもりだ。
バディス村はその犠牲の生贄。狼龍シーラがどの程度実戦で使えるか試験し、そのまま村からシディアを確保。
彼女を悪神の生贄へと捧げ、村人やあるいはこのチンピラたち全てを屍者として労働力に変えるつもりだったのだ。確かに秘密を守るためなら労働に従事する全てが死者というのは都合がいいかもしれない。鉱山採掘に際しては細い坑道を通るため体の小さい子供が良く使われるとも聞く。ある意味では恐怖も苦痛もない屍者を使うのは人道に沿うのかもしれない。
ローズメイは、家来衆からたいまつを受け取ると、それを魔術師の死体の周りに組まれた薪へと放り込んだ。
その行動に魔術師が仰天する。
「ばっ?! バカナ?! なぜ私に従わなイ?! その美貌、その剣腕、アンダルム男爵殿は話の分からぬ男ではなイ! きっとあなたを重用してくださル!」
「生憎だがおれは元公爵でな。いまさら男爵風情に従う気になれんのだ」
はい追加ー、と言うように次々と家来衆は薪を放り込み、シディアは風の魔術を用いて更に火勢を煽っていく。
「あなたはわからないのカ!! 『ガレリア諸王国連邦』は烏合の衆、サンダミオン帝国に内通し、この隠し金山で得た武力で領土を富ませる男爵の考えは決して間違っていなイ!! そのためならば……」
「そのためならば、村一つ全滅させても構わない?」
ローズメイは魔術師の言葉を先取りし、口より憤怒の炎を吐きながら言った。
切断された首を焼く炎の中で魔術師は叫ぶ。
「……そうダ! 一つの村を犠牲にする事デ、この男爵領は存続する! 少数の犠牲で大勢が助かるのダ!!」
その言葉にローズメイは静かに激怒した。
「ならば滅べ!!」
その凄まじい獅子吼、激情と共に噴火するような勢いで炎を吐くローズメイの眼光に射竦められ、魔術師は絶句する。
「辺境の村で平穏に暮らしていたかよわい女子供を生贄に捧げ! 罪もない老若男女を殺害して! その者らの屍を辱めて、永遠の労役を強制する!!
女子供は国家の支柱、それを害して存続する国家は、自らの足を食うに等しい愚行!
そんな手段を用いねば存在できない国など滅亡するが天命よ!!」
ローズメイは宣戦布告する。
「聞こえているか魔術師ぃ! まだ意識が繋がっているならアンダルム男爵に伝えよ!
そのような外道下劣に身を落とすならば滅んで結構!! アンダルム男爵家も滅んで結構!!
今から貴殿の首を頂きに参るための軍勢を起こすゆえ、お待ちあれ!
おれの名はローズメイ、貴殿の敵である!!」
魔術師の首は――信じがたいものを見る目で、炎のなかから黄金の女を見上げた。何もいえぬまま燃えていく。
ローズメイの言葉に返事をしなかったのは、遠隔で操作する魔術師の首がもう炎で清められつつあったからか。
あるいは。
たかが数名の手下と自分自身しか持たない、貴族からすれば取るに足らない小物が、こうも堂々と貴族の非を打ち鳴らし、真正面から宣戦布告する高貴なる姿に絶句したからのだろうか。
ローズメイは、たった七名しかいない部下を見た。
前は11騎で8000の兵と戦った。
今度は7名で男爵家の軍勢と戦う事になった。
どう考えても無茶無理無謀のはずである。
だが……彼女の武勇を知るものがいたならば。
「……おや。意外と楽?」
彼女の言葉を、決して笑いはしなかっただろう。
そして彼女に従うシディア、家来衆、狼龍シーラは――主君の言葉を笑いもせず、冷静に頷いた。




