涙のレモンメレンゲパイ(2)
クールさんと一緒にイーガンさんの書斎を出た。
ふと見たクールさんの顔色が少し悪いなと思ったのは気のせいじゃなかったみたいで、階下まで降りたところで、彼はふらふらと窓の方まで寄って行く。
「だ、大丈夫ですか?」
私は慌ててクールさんに駆け寄る。倒れることはなかったみたいだけど、伸ばした手はクールさんの肩を掴んでしまった。
「ああ、大丈夫……少し気分が悪いだけだから……」
そうでしょうね。肩は小刻みに震えてるし、血の気も随分引いてしまっている。
いつからだろう。クールさんの具合が悪くなってるのに気づかなかった。
イーガンさんと話をしていた間だとは思うんだけど……。
不意とはいえ肩に置いてしまった手で、クールさんの背中を撫でた。
痛いの痛いの飛んでけ~なつもりだ。いや、この場合、気持ち悪いのどっかいっちゃえ~い。かな。よく前世での母親にやってもらったものだけど、自分より年上の、まして男の人にやってあげるのは初めてだ。
「…………………………」
「もし気持ち悪いなら出しちゃった方が楽ですよ」
と、大きなお世話かもしれないけれど声がけしてみる。
こういう時、一番の励みは近くに誰かがいてくれることだと思うのだ。
近くにいるということは声が聞こえる。声が聞こえると不思議なことに人は安心するんだそうだ。
「リリエイラは変わらないな……」
「はい?」
突然、何を言いだしたのかクールさん。
「前にも、こうやって触れてくれた……覚えてないかな?」
覚えてないかなって、部屋に入る前も言っていたよね。
こうやって撫で撫でしていることと、理力の使い方を教えてくれるって約束したことだっけか……。
どっちも覚えが……────いや、私に覚えがないんだ。
そうか。そういうことか。今の私じゃない。私が転生してくる前のリリエイラちゃんだ。リリエイラちゃんとクールさんは会ってるんだ。
リリエイラちゃんは病弱だったけど、産まれてから七歳までエルフ村に暮らしてた。クールさんだってエルフだ。どこかで会ってたかもしれない。
なぜ、その可能性に気がつかなかったんだろう。私が転生してくる前のリリエイラちゃんにはリリエイラちゃんの人生があったんだということを────。
私はそのことに気づいて目を見張った。
クールさんの、秀麗で美麗でワンダッホーな美顔を見詰める。
エルフの中でも特に美形なこの顔を、忘れるわけないじゃないかリリエイラちゃんなら……。
ここで覚えてないと言ってしまうのは絶対にしちゃいけないことだ。それはリリエイラちゃんの心を裏切ることになるし、多分クールさんの心も傷つける。
クールさんと会ってたとして何歳頃のリリエイラなのだろう。
幼女エルフはリリエイラしかいないだろうから、覚えやすいっちゃ覚えやすいけど……何か特別な思い出があるような気がする。
だからそれを、私が壊しちゃいけない……。
「あ、の……私…………っ」
どう説明する? 転生者だと口走ったところで「は?」だろうし、かといって覚えてないは酷すぎる。
記憶が無くて……。これも駄目だ。とにかく誤魔化すことは駄目だ。それは不誠実だ。
「覚えてないんだね。フラナンの泉で、初めましてって言ってたからそうだとは思ってたんだよ」
ぽぎゃー私のバカっっ!! あの時ちゃんとクールさんを待ってればよかったんだよ。先走って挨拶なんかしたからこんなことに……!
クールさんは私に合わせてくれたんだ。せっかく再会したのに傷つけちゃった。私ホントばか……!
「違う。覚えてないわけない。クールさんごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……!」
もう謝るしかない。弁解もできない。だってリリエイラちゃんは死んでしまった。もう会えない。二度と再会できない。
それなのにリリエイラちゃんの体に私の魂が転生している。見た目はリリエイラちゃんだよ。でも中身は31歳のBBA……どうしようもない。
本当にごめんなさい。謝り続けていたら涙が出てきた。眦にどんどん溜まってゆく。
どうしようもない。本当にどうしようもない。リリエイラちゃんの記憶を受け継いでいなくて申し訳無い。今際の際にでも聞いておけばよかったのだろうか。
そういえば、最期にリリエイラちゃんはフィンのことを見詰めていた。
魂がすれ違う時に、リリエイラちゃんの言葉が聞こえた気がした。
あの時、あの言葉────
「白髪の……さん、ずっと好き………よろしくね……………」
────そうか、白髪のクールさんのことだ。
リリエイラちゃんの恋する瞳は、瞼の裏にあるクールさんを見ていたのだ。
そしてフィンに視線をやったのは、クールさんの面影を見ていたから。
『正解だ』と脳内でファンファーレが鳴り響く。ちょ、オッサン、突然なに。
簾ハゲのオッサンがエンゼルな格好してもキモイだけだから。普段のお役所の事務員ルックに戻っておくれ。
しかし確認はとれた。リリエイラちゃんの魂を引っ張って逝ったオッサンが肯定したから、間違いない。
あの場にクールさんはいなかった。でもクールさんに似たフィンがいた。
私に訴えたかったのは、フィンに惚れたことじゃなくて、クールさんを呼んで欲しいということじゃなかっただろうか。
苦しい呼吸の下で、リリエイラちゃんが言いたかったのはきっとこのことだろう。
最期の最期に求めたのはフィンじゃなくてクールさん。この想いは伝えなくちゃいけない。
「リリエイラは、あなたのことが好きでした。今はもう会えないところにいるけれど、最期に求めたのはあなたでした。
ごめんなさい。私はリリエイラじゃない。あなたと約束したリリエイラじゃない。あなたに想いを告げれず逝ってしまったリリエイラじゃない……。
ごめんなさい……ごめ……ごめんなさいいいい…………!」
涙が、ぼたぼた溢れ出てきた。なんとかリリエイラちゃんの想いを告げれたけれど、リリエイラちゃんのことを考えると涙が止まらない。
私が代わりでごめんね。自分で告げたかったよね。ごめんね……ごめんね……。
「……っ、君は……リリエイラじゃない……?」
私は涙を零しながら思いっきりこくこくと頷く。
理解し難いことを口走ってすみません。それでも色々と探ってくれたんだね。クールさんの魔力の糸が私の腕に絡んでいるのは、なんとなく分かってた。
【絶対防護】をくぐり抜けて、よくぞ巻き付いた。すごいな。
おそらく理力干渉で、私が泣いて魔力の流れが乱れた隙をついて侵入させたんだね。さすがクール先生。尊敬しまくります。
と、私が心の中で諸手を上げてリスペクトしまくったところへ「リリィ!」と、鋭い声が飛んできた。
「────フィン?!」
声は後ろから聞こえたはずなのに、目の前にフィンがいる。
あ、転移か。だから白い髪でフィンブェナフの姿なんだね。
「なんで泣いている?」
「ほ? え、これはね」
「泣かされたのか?」
て、クールさんを睨むのはお門違いだ違うよー!
なぜかフィン怒ってる。激おこぷんぷん丸なんだけど。
「違うよフィン! 私が勝手に泣いたの。クールさん悪くない」
必死で私が悪いを繰り返すけど、フィンの顔は険しくなっていくばかり。
理由を話せないから説得できないのだ。どうしよう。転生者だと明かす?
リリエイラちゃんが亡くなって私が転生した時に初めてフィンに会ったのだと……。
あの時、あの時は……リリエイラちゃんはフィンのこと好きなんだと思ってた。
私もフィンのこと好きになったのは、もしかしてリリエイラちゃんの心が残ってたんじゃないかと思ったくらい。
そんなわけないよね。この想いは私のものだ。今、切なげに痛むのも、私の心だ。
「……………………そう」
私が考え込んで黙ってしまったからだろう。フィンは残念そうに呟いてから踵を返して行ってしまった。行ってしまう……。フィン……。
「フィン……嫌だ……」
追いすがろうと手を伸ばした。
「いや……待ってフィン……」
手が届かない。フィンは待ってくれる気がないみたい。どんどん遠ざかる。
なんでこうなった? 待って。時間をちょうだい。もう少し考える時間を。
────時間。
手に持っていた三代目タブレットちゃんを動かす。
【神の御業】【時操魔術】【自分以外の時を止めますか はい/いいえ】
"はい"を押して時を止める────。
私の寿命のカウントダウンが始まった。
「……リリィ、またそれ使った?」
フィンの歩みも止まって振り返ってくれた。私をみて呆れた声を出している。
私は涙を流す。安堵の涙と、悲哀の涙だ。胸が痛いっす。
「ふ……ぐす……」
「泣かせたのは俺か……」
ずびずび鼻をすすっても溢れる涙。
涙の膜が視界に張ってしまって、フィンの顔、まともに見えない。
「フィ~~ン行かないでえぇ……」
我ながらまるで怨霊のような泣き声だ。
涙はこすってもこすっても溢れ出てくる。
「嫌いにならないでえ……」
「誰がそんなこと言った」
嘆息気味にフィンが言う。
傍に来てくれて、私の頬を撫でる。頬を伝う涙を拭ってくれる。
「泣かせた。ごめん」
「ふえええええ」
「なんでまた泣くんだ」
謝るのは私の方だ。フィン悪くない。私が何も話さないのがいけないのだ。
フィンは家の事情を教えてくれたのに。私は何も話せない。
このままじゃいけない。このままじゃ停滞してしまう。
二の足ばかり踏んでるのは、もうやめよう。
「リリィ……」
フィンが呼ぶ。私の名前を呼ぶ。
私……私は、漸く覚悟を決めた。
「私は……リリエイラじゃない」
「ん?」
変なことを言ったからかフィンが怪訝な表情で私をみてくる。
目尻に溜まった涙を拭いて、私は事実を打ち明けた。
「リリエイラ・ブロドウェンは七歳のあの時に死にました。私の名前は絵理。本名、笹島 絵里。こことは違う世界から転生してきた……魂です」
と、とりあえず要点だけ。自己紹介してと言われたらこれだってかんじで、なるべく淡々と述べたつもりだ。涙声だけど。
「……エリでいい?」
「ふあ!?」
早くないか?! そんなに直ぐ呼び名をきくとか尋常じゃない!
「えあ、あ、わかった? 今ので理解できるとは思えないんだけど。転生とか理解の範疇超えてない?!」
「君がそう言うならそうなんだろ」
「素直すぎない?! もちっと疑問もっても罰当たんないよ?!」
つっこんだーつっこみまくったー。
一世一代の大決心だったのにフィンたら良い人すぎるんだもん。受け入れるの早すぎるんだもん。びびるわ。
「その姿が本性なのは凄くよく分かった」
「ひいっ。なんで笑顔?! どしたらそんな速度でこんなBBAを受け入れられるの?!」
「BBAてなに?」
「ババアの略だよ!」
「…………どの辺が?」
「魂が! 前世の絵理は23歳で死んだの。エルフになって8年で足して31。31歳なんて若くもなんともないでしょ?!」
「俺より年上だ」
「喜ばないでーそこ喜ぶとこじゃないよー」
あああフィンが分からない。私の方が面食らってしまったよ。
「あの日、父様を連れてきてくれたのはリリエイラ・ブロドウェンだった。病弱だって聞いてたけど、エルフ村に着いてからは元気で手まで振ってた。別人だと思う方が納得だ」
あえ? リリエイラちゃんが連れて……なんのこっちゃい?
私が、ぽかーんしていたからか、教えてくれた。クールさんがエルフ村で療養していたこと。リリエイラちゃんがクールさんを王宮に連れて来たこと。
あの日、三年ぶりに家族が再会できたこと────。
病弱なリリエイラちゃんが、王国まで陸路海路で行くなんて無茶、よく決心したなあと、思ってはいたよね。
そうか、クールさんの為だったんだ。恋する女の子は強いなあ。
命を賭してまで行動したリリエイラちゃんに感服する。
結果、亡くなったわけだけど……代わりに入ったのは私。百万回目の魂は伊達じゃなくて、私の魂が入った途端に復活。
さっきまで死にかけてた幼女が元気になっちゃったらそら疑うわな。
だからこそフィンが別人説を受け入れるのも早かったんだね。私も納得。
「て、転生については……」
「生まれ変わりってことだろ」
あっさり終了。
「大樹から落ちた実から芽が出てまた大樹へ成長する。人も死んだらまた次の人生を歩む。花神連合王国の花樹神殿で教えてもらったことだ。違う?」
「ち、違わないと思います。素晴らしい理解力をありがとうございます。私もうフィン無しじゃこれからの人生歩めないです。今後共よろしくお願いします」
土下座。平伏して拝み倒したい。
「エリ、君が悩んで迷って、その末に打ち明けてくれたんだってことも理解してる」
「恐れ多いことです。わたくしめにそんな情けをかけてくださるなんて」
「顔上げて」
「あう」
変な声でた。平伏しているのに顎クイっとされたらこんな声も出ちゃうよ。
オットセイみたいな鳴き声ね。
間近に迫るフィンの顔。ハリウッドスターばりのイケ顔が正面にきて私の心臓は縮み上がる。
「君にこんなことさせられない。立ってくれ」
こんなこと? 土下座のこと? そういやこの世界にDOGEZAはないか。平伏は服従の印だものね。自分を卑下しすぎて怒られたわけだ。
のろのろと立ち上がって、お膝についた埃を落とす。白いワンピースは目立って汚れたわけじゃないけど、払う仕草をしてしまうの。なんでだろうね。
「君がエルフらしくない理由が分かってスッキリした」
「う。これでも努力してリリエイラちゃんを演じてきたつもりですが」
「俺の前ではいい。エリでいてくれ。俺はエリしか知らない。エリしか見てない」
────て、なにその台詞。流れるように言われてしまったから理解が追いつかない。
今、ボイレコに永久保存したいくらいすごいこと言われなかった?!
「時操魔術を止めてくれ。君の命が失われていくのを見るのは辛い」
タブレットの画面には寿命のカウントが出ている。
フィンは嫌悪の表情でそれを指差した。
前世の世界だと、それファ○キンのジェスチャーだけど……まあいいや。
時を止めることを解除する。
寿命カウントの下に解除ボタンがあるので押すだけだ。時が戻った。
「あれ? 二人共、いつの間に仲直りしたの」
「ふええ……?!」
クールさんの声が聞こえたと思ったらフィンに抱きしめられていた。
2018/2/17
エリの年齢31歳です。全直し…。
前世23歳で死亡。転生して8年なので31歳。