(別話)ゴロムト大公国の闇(後半)
本編の方へ繋がってきます。
ディムナ側からみたリリエイラも。
ディムナ13歳の時、青天の霹靂が起こる。
死んだといわれてた父親が生きて帰ってきたのだ。
「本当に……?」
「遅くなってすまない。メイニル……」
「っ……あなた……!」
両親が熱い抱擁を交わしている間、ディムナは自分の存在意義を見失いかけていた。
これまで父親の復讐の為に生きてきた。魔人を殺したのも、どうでもいい悪人を手にかけたのも、憎しみの心が所以だったのではないか――――。
だが今、父親が生きて帰った今、自分は何を糧にすればいい……?
ディムナは動揺した。復讐を誓う前、自分はどう生きていた?
それすら思い出せないくらい心は闇に囚われていた。
「ディムナ……」
「あ…………」
父親に呼びかけられてディムナは軽く胸が痛むのを自覚する。
今何を考えた……今何を言おうとした……なぜ帰ってきたのだと罵ろうとしたのではないか?
そんなことを思う自分にだんだん嫌悪すら覚えていくが、その思いは直ぐに氷解することになる。
「お前にも苦労かけた。すまない……早く回復すれば良かったんだが……」
三年前と変わらぬ父の姿だと思っていたが、近くで見れば、かなり痩せたことが分かる。
逆にディムナはこの三年、魔術を研鑽し体力作りもしてきたおかげで、背も伸びて筋肉もついてきた。大人の男の肉体に近づいてきているのだ。
父は……並大抵の苦労じゃなかったのだろう。こんなに痩せているということは、殺されたと言われたあの頃はもっと酷い状態だったに違いない。
三年で回復できて、今日ここで会えたことは奇跡なのかもしれない。
「父様……また会えて良かった。生きててくれて、ありがとう」
口からすんなり出た言葉に、ディムナ自身も驚いていた。
「ああぁぁ……!」と母親のメイニルが感極まって泣き伏した。
「ディムナ……!」と父親がディムナを抱き寄せ、母親と一緒に抱きしめた。
三人は抱き合って感涙する。ディムナはこの時、確かに親子の絆を感じた。
父親のクールが家族の元へ帰って来られたのは、ひとえに島エルフ族たち仲間のおかげだという。
「じゃあ、あなた今までエルフ族の村にいらしたのね」
「そうなんだ。連絡も取れずにすまなかった」
「いいのよ。あなたがこうして帰って来て下さったことが何より嬉しいのだから」
「メイニル……」
「クール……」
見つめ合って抱擁……。
会えない日々が二人の絆を厚くしたとかじゃなくて、この両親はディムナが生まれる前からこうらしい。らぶらぶバカップルというやつである。
「それでその、連れてきてくれた子供エルフが病気っていうのは?」
慣れたものなのでディムナも空気は読まずに話を続ける。
「元々病弱な子なんだ。ここに来る時から体調は悪かったんだが、今はもう……」
ほぼ危篤状態だという。
「クールを連れてきてくれた子なら、私たちもその子をご両親の元に帰すべきだわ。ディムナ」
お願い。と母がいつになく強い眼差しでディムナに訴える。
ディムナも二つ返事で引き受けた。断る理由など無い。
ただ、祖父のイーガンが物言いをつけた。
「ディムナの神の御業が他人の目に触れるのはまずい。お前の力はアネッサを救う奥の手でもあるのだから」
「……では、フィンヴェナフを名乗ることにします。それでいいでしょうかお祖父様」
「うむ……それなら、まあ良いだろう。気をつけて行けよ」
分かりましたと頷いてから、ディムナは変装した姿を解いて父親譲りの白い髪をさらす。
王宮内では花神と連合王国国王の庇護があるとはいえ、間諜の目はどこにでもあるものだ。ゴロムトの街を騒がす怪人『暴虐の白い牡牛』がディムナだと知られるのは得策ではない。
特に社交場や貴族の前ではイーガンの孫という立場も合わせて紹介するので、常はイーガンと同じ色合いの姿で行動しており、繊細でひ弱なイメージも植え付けてある。
そんなディムナが貴族たちの前で神の御業を行使したらどうなるだろう。変装が解けてフィンヴェナフの姿を周知することになってしまう。
だったら最初から怪人とまで恐れられる姿でいた方がマシだということだ。
暴虐の白い牡牛の姿がゴロムト大公に伝わったら最後、怪人とディムナを結びつけてアネッサに無理を迫るかもしれない。
それがなくても暴虐の白い牡牛は魔人たちを殺しすぎている。
アネッサの身内がやっていると知れるのは、もしかしたら時間の問題なのかもしれないが……。
兎角、愚行は起こせぬとイーガンは気を引き締めた。
妻のアネッサを救い出すことを諦めたことなど一度もないのだ。
義息子のクールが死ぬ予定だったのは百も承知だったが、かなり肝が冷えた。
殺されたはずのクールが息を吹き返したのには絡繰りがある。
一番の決め手は魔水晶。
アネッサが渡した魔水晶と、他にも幾つか所持していた魔水晶を使って転移魔術を試みたからだ。
上手くいくかは蓋然性の低い賭けだった。
けれど成功して、クールは安住の地――エルフ村へと転移でき、生き延びたのだ。
(自分の持ち駒を最大限に利用せねば、腐りきったゴロムト大公国を再び蘇らせることなどできまい)
だからこそ冷静に、状況を見極め、相手の駒も見定める。
それはチェスにも似た盤上遊戯のごとく、イーガンは戦略を練り、確実にカザストラ家を滅びに導いていく。
(アネッサを助け出したら、亥の一番に家族を犠牲にしたことを謝って、叱ってもらわねば……)
イーガンはクッと口端を上げて、花酒の入ったグラスを傾けた。
*
島エルフ族の少女は死にかけていた。
ディムナはその子の両親の元へ神の御業である転移魔術を使って、送り届けた。
感動の再会。家族の抱擁を目にして、これで良かったのだと安堵する。
王宮で初めて会った時は、あんなに息が苦しそうで今にも死にそうだったエルフの少女が、このエルフ村へ帰ってきて両親と再会した途端、顔色も良くなり元気になった気がする。
純粋に「良かった」と口に出せるほど、ディムナは穏やかな気持ちになれた。
別れ際、視線を感じて振り返れば、エルフ少女はにこやかに笑い手を振っていた。
本当に、あの死にかけた姿はなんだったのだろうと思うくらい晴れやかな笑みだった。
このことがきっかけなのかは分からないが、祖父イーガンは花神連合王国で爵位を賜った。
亡命して三年。王国内での顔繋ぎも終わり、ただの賓客では無いと王も貴族も認めたのだろうか。
王より新しい家名トレアスサッハを、新しい領地インスーロまでも賜った。
インスーロは王家の直轄地。今まで誰も領地として賜ったことなどない有人島だ。
土地としての地力も乏しく自給自足で暮らしている人々が集った島で、連合王国との交易は多少はあるが無きに等しい。
ほぼゼロからの領地経営だが、王はイーガンを信頼しているようだった。むしろ、亡命してきた一家をゴロムトの闇から遠ざけてくれるかのような、粋な采配を感じた。
インスーロへ本格的に移住したのは五年後だったが、その前から領主の館を建てたり特産物を探したりと、人々の暮らしぶりも視察した。
森には島エルフ族が住んでいる。インスーロの人々とエルフたちとの交流もある。
島には緩やかな時間が流れていた。ディムナはこの島で、祖母アネッサと暮らしてた頃のように穏やかな時が流れていくのを感じていた。
だけれど、一旦ゴロムトの地を踏めば真逆の衝動を覚える。
残っている仲間が心配だと、父親のクールと共に再度ゴロムトを訪れてからは、また『暴虐の白い牡牛』として魔人に天誅を下す仕事も請け負っていた。
相変わらず政治は乱れ、大公は堕落し、治安も不安定な暗い国である。
この国に、まだ祖母のアネッサが囚われている。それを考えると、怒りが込み上げてくるばかりだ。
「対なる呪いの魔導具はまだ発見できていない。見つからない限り義母上も戻らない。おそらく大公が隠し持っているとは思うが……」
父から聞いた呪いの魔導具、血の絆の話。
一方が壊れれば、もう一方も壊れてしまう連動性を持った呪いの魔導具だという。
一方を見つけたとしても、もう一方に母メイニルの心臓を握られているので破壊できないし、慎重に確保することが望まれる。
大公の屋敷に潜入することは可能だ。だが……。
「強い奴がいる」
ディムナがそう呟き、クールの表情に痛ましげな影が過ぎった。
「そう。子飼いの獣がいる。あれは鼻が利いて護衛連中の中でも最強だ」
「会ったら俺が殺すよ」
「頼もしいね、俺の息子は」
そう言って笑むクールだが、己を殺した相手だ。その胸中は複雑だろう。
ディムナとしても、父親を一度殺した相手を到底許すことなどできやしない。
祖父に言われるがまま復讐心を煽られ暴虐の白い牡牛として魔人を捌く。
このことに迷いは無いが、先日に再会したエルフ少女──リリエイラ・ブロドウェンの言葉が気にかかる。
――――フィンブェナフさんが来た目的を教えて欲しいの
エルフ村へ、祖父イーガンに付いて行った日のことだ。
転移魔術を使うからと、フィンヴェナフの姿で行った。
この姿が本当の姿のはずなのに、渾名を名乗って本名を隠すのは、別に哀しいことでもなんでもない。
でも、あの少女リリエイラは見透かしたように、なぜ祖父イーガンに付き従っているのかと聞いてきた。
それじゃあ、まるで、俺に何の目的も無いみたいじゃないか――――。
確かに、あの日、自分の意思で行ったわけではない。
イーガンに伴を命じられたからである。
イーガンに付き添って社交界や夜会にだって出たことがある。
だけれど、確かにそれらは自分の意思ではないように思えた。
リリエイラ・ブロドウェン……。
君は本当におかしなやつだ。
「あれ? 何を笑ってるの?」
「………………なんでもない」
目ざとくクールに、口元のニヤつきを指摘されたディムナはそっぽを向く。
追求されるのはご免だった。まだ数回しか会ってないエルフの少女のことを考えていたなどと知られたら、この父親はからかってくるに決まっている。
「ふ~ん。いいけどね……。じゃあ、次の仕事の説明するよ」
ゴロムト大公国は、地下に隠し迷宮を持っている。
その迷宮の一部を使って、密書を回したり暗殺に使ったりしていたわけだが、本当に解明されてるのは、ほんの一部である。
大半は攻略されてない地下通路で、中にはゴロムト大公国建国にまつわるようなお宝が眠っていると伝えられている。
お宝という響きは聞こえがいいが、その実は誰も見たこともないし確証のない話なので、都市伝説扱いだ。
そんな迷宮であるが、代々の大公や大公妃が眠る廟があり、その廟に眠る先代大公と大公妃の遺体から、血の絆は剥ぎ取られ使用されたと思われる。
その遺体の確認が今回のディムナの仕事だ。
呪いの魔導具について調べていくにつれ分かったことだが、この魔導具の効果を薄める又は解呪する魔導具が別にあるらしい。
一方が壊れればもう一方が壊れるなんて取り扱いに危険な魔導具を、人の目に触れるような装飾品として、常に大公や大公妃が身につけているわけがない。
外している時、安全に管理収納しておく魔導具や、万が一、壊れてしまった時に対処できるような魔導具が存在しているはずだった。
それを、遺体の確認と共に探してくるという仕事内容だ。
あったとしても、既に現大公が持ち出してしまっていると思われるが、無かったら無いで、それも大切な情報になる。
何にせよ地下迷宮の廟なんてところ、高ランクの冒険者や聖騎士くらいしか入り込めない。
そんなところへディムナは単独で行くのだ。
クールから幾つもの注意事項を受け、ディムナは廟への潜入を試みた。
そして出遭ってしまったのだ。
あの獣……大公の子飼いで魔獣族とのハーフ、オズワルドに────。
「お前え、ここが大公廟だって知ってて入ってきた賊だな」
「………………………………」
「お館様から、ここに侵入する賊がいるって聞いてから毎日見張り見張りで…………正直、疲れたんだよなあ。だからよお、その賊ってやつが来たら、このひでえ気持ちをぶつけてやろうってえ……て、こら待て逃げんなア!」
もし見張りに会ったら逃げろとクールからも言われていた。
言われずとも、この廟内には墓荒らし対策の為の魔力封じの紋が、そこら中に仕掛けてあるので戦闘はできないのだ。さっさと逃げ出すに限る。
廟から廊下へ出てしまえば魔術も使えるようになる。そうしたら転移で逃げるつもりだった。だが……。
「――――ッ!」
背後から迫ってきたのは強力な風。
空気を切り裂いて向かってきた疾風を、ディムナは身を伏せて避けた。
「ざあんねん。外しちまったか……俺の風迅を避けるとは、お前え、ただもんじゃあねえな」
ニタアとオズワルドの獣じみた顔面が愉快そうに歪む。
強敵に出会えて嬉しいって顔だ。そんな戦闘狂にかまうつもり、ディムナにはなかった。
おそらくあれは父親の仇──復讐してやりたいのは山々だが、ここでは不利だ。
こっちは魔力が封じられているのに、あの獣は……身体能力が異常である。
先程の空気を切り裂くような疾風は、蹴りだ。蹴りだけで風圧を飛ばした。恐るべき脚力だ。そんな技、食らってやる道理も義理もない。
廊下へ向かおうとするディムナを阻むように、オズワルドは風迅とやらを何度も何度も飛ばしてきた。
そのすべてを避けきって、ディムナは漸く廟の巨石扉へと到達する。
「待ちなア!」
と言われて待つ馬鹿はいない。
ディムナはさっさと廊下へ出て転移魔術で逃げ去った。
早く帰りたい理由は他にもあった。
今日は半年に一度の、インスーロに住む人間とエルフたちとが交流する日だ。
魔導具のメンテナスをするという目的もあるが、ほとんどが皆で顔を合わせて近況を喋り合うような、気楽な座談会という雰囲気だ。
そこにリリエイラも来る。指切りなどという呪いじみた約束まで取り付けられたし、会わないと……仕方ない、これは呪いだから。
ディムナは開始時間ぎりぎりにインスーロのトレアスサッハ家へと帰れた。
そうしてリリエイラに逢えたのは良いのだが、肝心の今日の仕事の報告を失念していた。廟にはもう魔導具の類は持ち出されてしまっていて何も無かったこと、それから迷宮や廟内の見取り図も重要な情報になるから作成しろと言われていた。そのことを思い出したのに、報告には行かなかった。もちろん地図も作成していない。
本当は……わざとサボったのだ。
サボってリリエイラと会う。こんなこと初めてだった。
そして会った時「これどうしたの?」とリリエイラに顎についた傷を尋ねられてしまった。傷……もしかしてあの風迅とかいう技でつけられたのか……?
すべて避けたと思っていたのに、顎の下で目立たぬ場所とはいえ、傷を付けられていたのだ。
あろう事かそれをリリエイラに見つけられた。この時、ディムナの脳裏を過ぎったのは、以前にゴロムトの街角で助けたことのある少女の怯えた姿だった。
返り血を浴びたディムナの姿に悲鳴を上げ、走り去った少女……。
その少女と、目の前のリリエイラの姿が重なる。そんなわけないのに、同じなわけないのに、重なってしまったら急に自分が汚れた存在に思えた。
リリエイラと目すら合わすことができない。
また、あの怯えた瞳でみられたらと思うと……いや、リリエイラはあの少女じゃない。それなのに、分かっているのに、心がざわついて、その場にいられなくなった。
ディムナは逃げた。逃げたのに、リリエイラは追ってきた。
――――こんな自分を追いかけて、しかもタックルしてくるなんてもう訳わからない。面白すぎる。どうなってるんだ本当に君は…………。
会う度に新しい発見をくれる。会う度に胸のわくわくが止まらない。君といると本当に飽きないよとキスをしてあげれば、真っ赤に照れる君も興味深い。
誕生日プレゼントに貰ったリリエイラにとっての初めてのキスは、本当にただのプレゼントとして貰っただけだった。
けれど、その後に重ねたキスは、重ねるごとに積もっていく想いを打ち明けたキスでもあった。祝福と敬愛と大切にしたい想いとを……。
更に、厳重な結界が張ってあるトレアスサッハ家へ侵入までしたリリエイラには、どうしようもない羨望すら覚える。
やりたいことを自由に。自分の思いを相手に思いっきりぶつける……。
今までのディムナには考えもつかなかったことだ。
(どうしよう。本当にあと15年も待つのが辛い)
リリエイラの、まだ小さい体を抱き締めて、胸が疼くのを感じた。
いつか君には打ち明けよう。この想いの全てと、これからも闘い続けなければならない、ゴロムト大公国の闇とを――――――――。