白髪の彼とフルーツサンド
夢見心地の中、ふと感じた違和感。足が……足が……くすぐったあああいいいい!
ハッと目を見開き、足の裏に力を入れる。それでもくすぐったさは消えなくて、私の足下で何が起こっているのか確かめようと身を捻った。
「ピーエ?」
蒼月の光の中、犯人と目が合う。
私の足裏を舐めているピエタと目が合った。お、お前かーい。
道理でくすぐったいわけだ。舐めないでおくれピエタ。
小首かしげて「起きた?」なお前も可愛いよ。でも起こし方が間違ってる。
もうちょいソフトに、優しく歌でも歌って起こしておくれよ。
「ピエピエピー」
時間? 早く帰らないと間に合わない?
あ、そか、今はディムナのおうちにいるんだった。しかもベッドで一緒に寝てしまってた。いけないいけない。ここに滞在できるのは夜明けまでなのだ。
もうすぐ夜明け?
ピエタが急かすように今度は鼻で私の足をつっついてくる。
ひゃお! 鼻面冷たくてくすぐったいよ!
「もう行くのか?」
私の尖んがりお耳に聞こえた低い声。ディムナの寝起きの声。レ、レア……!
と、ときめいている場合じゃなくて、私はもう、お暇しなくては。
「お母さんが起きる前に家に帰らなくちゃ……」
と、振り向いた私の目に飛び込んできたのは白。白……真っ白な……髪だ。
「フィン……?」
「ん、ああ……魔法が解けた」
顔を覆わんばかりの長く白い髪が蒼月の光に輝いて、私の目を眩ませる。
この姿を見たのは初めて会った時と、エルフ村で会った時と、初めてのメンテナンス日があった三年前の三回だけだ。
今回で四回目となるフィンブェナフとしての姿に、不必要なくらい心音が高まってしまう。くうう不意打ち卑怯なり。
やはり初恋時の惚れた時に見た姿は強烈に、そして鮮烈に脳内へと焼きついているらしい。この姿を見ただけで胸が苦しくなるなんて私もう病気じゃないか?
そう、恋の病ってやつだね!
だからといってディムナに恋してないとかじゃないよ。ディムナだってフィンなんだから。フィンはディムナで、ディムナはフィンで…………て、あれ? どっちの姿が本当の彼の姿なのだろう? ディムナの黒髪で瞳は臙脂色な姿はお祖父様にそっくりだから、遺伝的にはこっち?
でも今、魔法が解けたってフィンの発言。そうすると、もしかして、ディムナの姿の方が、仮の姿だったり……?
「フィン……フィンブェナフは渾名だって前に言ってたよね」
「よく覚えてるな」
「でも、本当はフィンの方が本当の姿なんじゃないの?」
「そうだ」
あっさり答えられたー!
隠すことじゃないんだね。そうなんだね。もうちょっと悩むことかと思ったわ。
「普段は魔法で変装してディムナの姿でいるってこと?」
「そう。特にお祖父様と一緒にいる時は」
「え? でもエルフ村に来た時はフィンだったよ」
「あれは転移魔術を使ったから」
そういえば初めて会った時も転移魔術を使ってエルフ村に運んでくれた。
シャドランに連れ去られたところを転移魔術で追ってきてくれたりもした。
どっちもフィンの姿だ。そうか。転移魔術は変装の魔法と併用できないんだね。
「じゃあ、なんで今、変装の魔法は解けたの? 転移魔術を使おうとした気配は無かった気がするんだけど」
「寝ると解けるんだ。魔力伝達が未熟で……練習はしてるんだがな」
「おお意外。フィンにも苦手なことあるんだ。私もね、お酒が飲めないよ」
「それはお子様だからじゃないのか」
「お子様じゃないよ! もう15歳だもん!」
さらに前世足したら31歳ですわ。31歳が「~だもん」とか語尾に付けねえよとは思っている。だがしかし、ここはリリエイラちゃんらしくありたいところで、演技なわけだ。演技過剰で子供過ぎたのは要反省だね。今後、徐々に大人っぽくアダルティに色気も加えていこうと思う。
フィンの手が頭に乗った。そのまま、なでなで……て、私、撫でられている。めっちゃ子供扱い。やはり「~だもん」は過剰な演技だったようだ。
今度は「~にゃん」でも付けようかな。いや、ないな。これは、猫科のもふもふが付けてこその至高だ。
「また、おいで」
そう言ってくれるフィンの声は優しい。
ピエタに激しく足裏を舐められ鼻で足をつつかれ中の私に、なんという優しい言葉……!
ごめんピエタ。一生懸命アピールしてくれているのに無視して。
こくこくといっぱい頷いて、「絶対また会いに来る」とフィンと約束をした。
前のように指切りではない。些細な口約束かもしれないけれど、半年に一回しか会えないのは少なすぎるから。また忍んで来るね。
窓枠を越えてピエタの背に跨る。
背中にあるふわふわの鬣は上質なファーみたいなものだ。お尻が冷えなくていいね。快適な空の旅にする為に各種魔法をかけてから、私はフィンに再度のお別れを言った。
「またね。今度は……メンテナンスの日が近いかな」
「ああ、確約は出来ないけど」
「そんなこと言って、前は、お仕事サボってまで会ってくれたのは誰?」
私の言葉にフィンはニヤリと笑ってくれた気がした。
いじわる笑顔レア……!
そろそろ空が白んできた。本格的に夜が明け出してしまった。名残惜しいが、お別れだ。私は涙をこらえて無理矢理に笑顔をつくった。心で泣いて笑顔で別れるのだ。
大好きともう一度言えたら良かったのだけど、まだまだ本音は素直に表せない私である。シャイで喪女だった前世の影響だろうか。
「リリィ……君に逢えたことで、俺は確実に何か変わったんだと思う。仕事をサボるなんて、今まで考えもつかなかったから」
え。それは良い方向に変わったと思っていいのか微妙なんだけども……。
まあ、仕事の内容によるかな。フィンのお仕事って、お祖母様を救い出すためのあれこれなわけでしょ。あまり健全な仕事じゃなさそうなんだよね。
「君にはいつか本当のことを話す。もし今後も変わっていくことができたなら……」
なんだろう。フィンは重要なことを言おうとしているに違いないと、私は腰を浮かせて聞き入った。
フィンも視線を合わせてくれて、私たちはしばし見つめ合う。
が、突然にピエタが動いて「わっ、わわわ!」私の体は上空へと持ち上げられた。あれだ。急に動いたエレベーターの感覚。おえってなるよね。
魔法をかけてあるから私の体幹はブレることはなく、ピエタの背からも落ちることもなかった。けど、ヘタしたらこれ落ちてたよ。気をつけてピエター。
「リリィ…………!」
フィンが私の名を呼び叫ぶ声が下方からする。
尖がり耳をピクピク。そばだててみる。
「俺は君のことを る──……!」
どああああああ肝心なとこ聴こえなかったあああああああ!
どんどん上昇していく気流音が耳を遮って、聴こえまてん。
あああ何か重要なことを聞き逃した気がするううう。
ピエタ戻ってええ! と、竜の首をペチペチ叩いてみるけど、ピエタは鼻を鳴らして拒絶した。
「ピッピッピエ」
邪魔してやったぜ? みたいなこと言ってる?
…………てことは、これは確信犯なのピエタ?!
「ピエ~」
頷いてるね。さも俺はやったぜ、やってやったぜ的な得意満面なかんじで。
先人はそれをドヤ顔と表したんだよ。ドラゴンのドヤ顔。レア?
なんてこった。まさか身内からのこの仕打ち。
ここまでたくさん協力してくれたはずのピエタなのに、一体どうしたことだい。
……分かってる。もう帰らないといけない時間だってことくらい。でも別れ際の演出くらい好きにさせて欲しいですわ。
フィンは最後に何を伝えたかったのだろう。
君のことを……珍妙な生物だと思ってる……とか?
いや~それはどうだろう。
ある意味、嬉しかったりするから微妙だ。
夜が明けてくる地平線。幻想的だった蒼月は隠れて、明るい太陽が顔を出す。
朝日は眩しい。眩しくてやけに瞳へと染みるよ。
「綺麗だねえ、ピエタ」
「ピエ」
魔法で外気温調整しているから寒さは感じない。
でも風の唸り声や大気の流れは感じる。
そして頬に触れる熱い雫も……。
家に入る前に、ハンカチでそっと拭った。
*
15歳になったからって村での生活が変わるわけはない。
穏やかな時が流れるエルフ村では、15歳なんてまだまだひよっこなのだ。
仕事もなければ役割もない。すべて親の庇護下に置かれ安寧とした生活を貪る。
はっきり言って暇である。
子供は遊ぶのが仕事だと言われても、遊ぶにしたって遊具があるわけでもないし、たとえ遊具があったとしても中身31歳のBBAは遊ばないだろう。
ちなみに同年代の子供エルフもいない。ここでは珍しいことでもなんでもない。
エルフは子供が出来にくい種族だし、授かったとしても村規模だと百年に二人も無事に産まれれば良い方だろう。
私なんか二百年ぶりに産まれた純エルフの子だから、超絶希少種扱いである。
人間の国のこけし王までハッスルしちゃって王城に呼び出されちゃったのは記憶にも新しい。
村人全員に見守られながら、私はすくすく成長中なのだ。
さて、暇をつぶす遊びに関してである。
幸い私にはお絵描きという絶好の暇つぶしツールがあるので、実のところ暇だと思ったことは一度もない。
絵を描くのに飽いてきたらお菓子を作ればいいだけだし。お小遣いを家計簿みたいにアプリで管理してみたり、コツコツと何かをやるのが性に合っているようだ。
そして今日も今日とて、私はエルフ村近くの小さな泉、フラナンの泉までやってきた。
フラナンの泉には先客がいた。珍しい。そりゃあ時々ここでエルフ村の住人にも会うけれど、今回会ったエルフは初めて見る男性エルフだった。
基本、エルフ村の住人は全員顔見知りだ。知らないエルフがここにいることこそ珍しい。
この世界にエルフ村しかエルフにとっての故郷はないから、エルフ村出身ではあるだろうけど、世界樹の森より外で暮らすエルフもいる。
彼は外で暮らすエルフなのだろうか。今日は里帰りでこの泉に寄ってみたとかだと思う。
「おや君は……」
言いかけて、何か不思議なものを見るように見つめられている。
言いかけたなら最後まで言いましょうよ白い髪したエルフさん。
そう、この人の髪、すごく白い。真っ白。まるでフィンみたい。フィンもキラキラ綺麗な白髪だけど、この人も同じくらい輝いた白髪で……似ている。
「確かカドベルんとこの……」
「そうです。初めてお会いしますよね。私、リリエイラ・ブロドウェンと申します」
最後まで待ってられないのはご愛嬌ってことで、私はさっさと挨拶した。
なんだかこのエルフ、のんびりで間が抜けてそう。しかしそこはエルフ。エルフだから美形である。しかも美形中の美形。スーパー美形かもしれない。
エルフ村に暮らしていると毎日美形が拝めるわけだけど、そんな風に美形を見慣れてしまった私ですら一瞬「おおっ」と声を上げそうになるくらい、このエルフさんは容姿が整っている。
なんというか、美貌が栄えている。普通の美形が間抜け面だと幻滅だけど、このエルフさんの場合はそれすら似合いそう。間抜けそうに見えて、のんびりしている中にも風情があるっていうか、もしかしてこれが隙がないってことなのかもしれないけど……。
あ、私もしかして今、観察されてる?
「そうかい。やっぱりねえ~子供のエルフは君だけだもの」
「父から何か聞いてましたか?」
「うん。子供すっごく可愛いって~嫁にはやらんって言われたよ」
どんだけ未来の話だ。お父さん、雲が棚引くような流麗な貴公子エルフなんですが、ちょっと娘に愛情過多っぽいのです。
普段はハグしたり、ほっぺにチューくらいなんだけど、私がディムナの為にお菓子焼いていると、探り入れてくるのよね。
今のところバレてないけど。ちゅーまでしているとバレたら、お父さん鬼になるかもしれん。
「あ、俺の名前、クールっていうの。よろしくね~」
そう言って笑顔で手を差し出すクールさんとやら。これは握手ですね。
前世ではシャイな日本人だったのでこの慣習はなかなか慣れない。
しかし、ここは魔法世界<ウィーヴェン>だ。この世界に産まれたからには、この世界の慣習は普通に身につけなければならない。
私は気軽にクールさんの手を握り「よろしくお願いします」と返した。
年上には敬語をつかう。これ基本。
立ち話もなんなので、いつもの場所にシートを広げて、二人してそこに座る。
ジャジャーン。今日のおやつはフルーツサンドイッチだー。
苺サンドと黄桃のサンドを作ってバスケットに詰めてきた。
実はエルフ村、フルーツ天国なんである。稲作と同様に、ハウス栽培できるものは大体、地下で年中育てている。
元々、世界に大穴が空く前、大陸にあったエルフ王国がフルーツ王国だったらしい。その農業技術が今も引き継がれているそうだ。
ハイエルフ様が言ってた。「生き残りを探すの大変だった」って。技術も人がいないと伝わらないものねえ。
そんな血と汗と涙の結晶で作られたフルーツと一緒に、ホイップクリームだけじゃなくてカスタードクリームも挟んで豪華なサンドイッチが出来ました。
毎度おなじみリザ姉さん特製ブレンドコーヒーを水筒から注いで、いただきます。
もちろん、クールさんにもお裾分け。ピエタは虫に夢中みたいだから後でね。
「お口に合うかどうか分かりませんが、どうぞ」
「聞いたよ。お菓子作り上手なんだってね」
そう言いつつクールさんは苺サンドを頬張った。
「お。うまい。これ、パニーノに似てるけど、あれより弾力のあるパンだね」
「そのパン、ベーグルって言うんです。エルフのパンは固いので、フルーツサンドに合うのを作りました」
「え。パンまで手作りなの? すごいや」
へえ~と感心した声を出してから、クールさんは黄桃サンドの方も食べてくれた。それからまた苺のを二つ食べて……苺好き?
けっこう大きいと思うけど、ベーグルサンドイッチ四つをペロリと平らげたクールさんは見かけによらず健啖なのかもしれない。
彼はエルフらしく線が細く、そんなに食べない気がしていたから予想外だ。
斯く言う私はベーグルサンド二つ食べた。残りはピエタの分である。
「ねえ、リリエイラ。もし俺が悪人だったらどうする?」
いきなりなんだ。
ベーグル食べ終わって、コーヒー飲んでホッと一息ついてたらいきなりこの発言。
「…………へ? それはないと思いますよ」
とりあえず否定した。悪人にゃ見えないよ。
本当に悪い人は、こんな楽しそうに食事しないと思うし。
食事どころか、もっと禍々しくて険悪な雰囲気になっちゃうでしょ。本当の悪人なら。
「どうしてそう思うの? 根拠ある?」
「根拠って……ここはエルフだけが住む世界樹の森でしょ。悪い人は入って来られないはずです」
「確かにそうだねえ~……ふむ、これは失敗したかな」
失敗って……何かされていたのは分かったけど、何されたかは分からなかった。
ただ、私の転生特典【絶対防護】が発動して、クールさんに何かされたことを弾いたようだ。