9.厄介事
階段を上がった先にあるのは、キースだけに見える禍々しいオーラを纏った扉だった。
今回は一体どんな無理難題を言ってくるのか、それを考えるだけでキースの胃は痛む。
「あーくそ! 行くしかねぇ!」
「そこまで覚悟を決めなくても……噂は噂なんですし……」
「その余裕が羨ましいぜ……」
キースとしては十分に、エルシィからすれば些か気張り過ぎな様子で、扉を叩く。
コンコンコンと、木製の板がやけに響く。
「おう、入ってこい」
先に部屋に入り、キースたちを待っていたのだから当然だが、グレイブが声を返してくる。
扉越しのため姿は見えてないはずだが、グレイブは疑いもなく入ってこいと言ってきた。既に彼の実力の底が見えなくなる。
ドアを開けると、そこにはギルドマスターという権力者の部屋にしては質素な内装に、荒くれ者の集うギルドには相応しくない、少女が椅子に座っていた。その後ろには、灰色の髪色をした壮年の男性と、紫紺の髪が妖艶なメイドが立っている。
プラチナ色に輝く絹のような髪に、透き通った海を思わせる瞳を持つ少女は、ドアを開けたまま固まるキースに、ただ視線を送ってくる。
「あぁ? なに固まってんだ。さっさと入って座れ」
「えっ、あ……はぁ」
自分が目を奪われていたことに気付かされ、覇気のない返事が漏れ出る。
そのまま目を離せずに少女の対面に座れば、同じような反応をしたエルシィが隣に腰を下ろした。
その視線が向かう先はキースと同じで、2人から興味深そうに見られた少女は、少し窮屈そうだ。
「さてさて、熱い視線を向けるのもいいけどよ……さっさと話に入らさせてもらっていいか?」
そんなぎこちない空気を嫌ってか、単純に仕事を早く終わらせたいと思ったのか、グレイブが気だるげに言い出す。
キースやエルシィとしても、訳の分からないままは困るので、願ったり叶ったりと言った所だ。
2人が構わないと頷いて見せれば、対面の少女も同じように微笑みながら頷く。
それを見たグレイブが、今回の厄介事について話を始める。
「まずはお互いの紹介をした方がいいかぁ? とりあえずこの冴えない男がキースで、犬耳がエルシィだ。んで、こっちのべっぴんさんがイヴ・フォーサイス様だ。我が国プリシアナの公爵家のご令嬢だ、不敬を働かないようにな」
それぞれに手を向けながら名前だけの簡単な紹介をするグレイブ。
どうも、と頭を下げるキースだったが、グレイブの最後の言葉を耳にした瞬間、その体は氷像の如く硬直し、滝のように汗を流し始めた。
不敬を働かないようにと釘を刺してきたが、既にキースもエルシィも、ジロジロと見るなんて愚行を犯しているのだ。
人生最大の山場かもしれない重圧に、再びキースの胃が痛み出す。
「……やっべぇだろ、貴族とか聞いてねぇぞふざけんなよ。死ぬのか? ジロジロ見たからって死ぬのか?」
視線を床に落としたまま、顔を上げることができずにひたすらブツブツと呟くキース。その脳みそは、今世紀最大の回転数を叩き出していた。滑車を回すハムスターもビックリの速度だ。
「あ、あわ……あばば……」
正気を保っていたキースとは違い、エルシィは先の暗い自分の運命に絶望したのか、虚空を見つめて空言を放ち続けている。
最早死の間際だ。
「あ、あの! 別に気にしてないですから! グレイブさんも変な冗談はやめてください。別に見られたぐらいで不敬だなんて言いませんよ」
「だ、そうだが?」
2人の様子に流石に耐えかねたのか、イヴと名乗った少女は小さな両手を前に突き出し、ぶんぶんと振る。言葉の半分はキースたちにも向けられており、お陰でキースはすぐに立ち直ることが出来た。
「ほんとですか!? イヴ様はとてもお優しいようで……」
「よ、よかったです……」
妙に謙った様子で感謝するキースと虚ろな瞳に光が戻ったエルシィ。目の前の少女の寛容さに心で涙し、2人は話とやらを聞く姿勢に移る。
「……ごほん。ここからは私がお話しましょう。今日私がここに足を運んだ理由はたったの1つ、キースさん────あなたに仕事を頼みたいからです」
小さな咳払いの後に、仕切り直したイヴが目的について話し出す。
その瞳はまっすぐにキースを捉えて離さず、鈴を鳴らした様な優しい音色の声が、耳を幸せにしてくれる。
そんな少々変態じみた考えにキースが陥っている間にも、イヴの話は続く。
「頼みたい仕事とは、私の護衛です」
その言葉に、キースは再び硬直し、エルシィは頭上にたくさんのハテナを浮かべるのであった。
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どうしてこうなったのか、やはり厄介事を押し付けられたキースは、公爵家の家紋がついた豪華な馬車に乗り、ゴトゴトと揺られていた。
緊張のあまりガチガチに固まった体は小刻みに震え、しきりに視線をうろつかせている。
「あのぉ、キースさん……そんなに緊張なさらなくても、こうして仕事を頼んでいる以上不敬だなんだと言うつもりはありませんよ?」
「そっ、そうは言われても……やっぱりこんな豪華な馬車に乗るのは緊張しますって! 俺とエルシィはまじで適当なボロい荷車でいいですよ!」
イヴの優しい言葉でも緊張を解くことはできず、視線をうろつかせては居場所なく座る場所を探すキース。
イヴから彼に頼まれた依頼というのは、ビリジオンから王都までの道のりの護衛、そして場合によってはその後の予定でも護衛をやってもらいたいということだった。最近貴族内でとある噂が流れているらしく、それを警戒してとのことだ。
ゴブリン討伐の報酬については、今回の護衛の仕事と合算して支払われるようで、仕事に必要な物は全て経費となるようだ。
護衛自体の報酬は10万ユグドと破格であり、それだけフォーサイス家が今回の事態を重く見ているということだろう。
だが、普通に考えて銀ランクのキースや、それこそ新人そのものである銅ランクのエルシィに護衛を頼むというのは、おかしな話である。
公爵家ならば人を雇うためのお金などたくさんあるはずだ。だというのに、わざわざ実力の確かではない2人に頼むというのが、キースには理解出来なかった。
依頼された段階で勿論質問はしたが、それに対する返答は、キースさんとエルシィさんで問題ない、とのことだった。理由については、いずれ話をさせて頂くとのことだった。
「……やっぱり、わかんねぇな」
「どっ、どっ、どっ、どうして私が……! 護衛とか無理ですって……!」
「んなこと俺も分からんわ……! あっちがいいと言ってるんだから、いいんだろ」
馬車を走らせる壮年の男性────ヴリードと、アイシャと名乗った若いメイド、2人はそれぞれ自分の職務を全うしようとしてか、あまり声をかけてこない。
何だか壁を感じるようで寂しい気持ちになるキースだったが、自分から話しかけるのもまた憚られて不可能だった。
物騒な噂というのも、最近吸血鬼が出るようになったというものであり、多くの者は作り話だほら吹きの戯言だと流しているものだった。
しかし、この話には裏付けとなる証拠があった。イヴのいるフォーサイス家とは別の、男爵家の長男が干からびた死体となって発見されたのだ。
首筋に2つの点のような傷跡が残っており、体からは水分だけでなく血液も抜き取られていたのだ。
それはとても恐ろしく、お伽噺に出てくる吸血鬼そのものの手口であった。
だからこそ、どうしてキースたちなのかと思うが、あまりキースたちが声を挟んだとしてもあまり効果がないようなので、結局こうしてキースとエルシィは馬車に揺られている。
吸血鬼に効果があるとされるのは、聖別された銀や聖職者の持つ十字架、ニンニクといったものらしく、今ではどの貴族の馬車もそれらを積んでいるらしい。
フォーサイス家も例外ではなく、馬車の出発前にそれらが積まれていることを全員でしっかりと確認した。
ガタガタゴトゴトと馬車が走る。
ビリジオンから王都まではそれなりに距離があるため、流石に終始無言というわけにもいかない。そう思っていたところに、イヴのほうから質問が投げかけられた。
「ねぇキースさん、エルシィさん。お名前は知っていますけど、他のことは何も知らないじゃないですか。……もっとお話しませんか? 私、お2人と仲良くなりたいんです」
そういうイヴの顔は、とても人懐っこい笑顔を浮かべている。
どうせ暇でしかない馬車の旅だ。キースは渡りに船だと頷き、エルシィも特に拒否することなくその提案を快諾した。
「それでは言い出した私から……、私はフォーサイス家の一人娘なんです。こうして家の外に出ているのは、見聞を広めるべきだという家のしきたりのためでして……。今回の吸血鬼騒ぎのせいで、流石に家に帰ってこいとの手紙が届いたので、こうして護衛を依頼したんです」
つらつらと述べるイヴは、どうにも見た目と言動が一致しない。妙に大人びている言動が、幼い容姿のせいで違和感しかないのだ。
「なる……ほど。今回の件の経緯はよく分かりました。ただ、1つ質問してもいいですかね?」
「ええ、なんなりとどうぞ」
だから、キースは気になってしょうがないことについて質問することにした。
「……失礼ですけどイヴ様は、今おいくつなのでしょうか?」
「ちょっと! キースさん!?」
流石にまずいと思ったのかエルシィが慌てた声を出すが、聞かれた方のイヴはあまり気にしていないように見えた。
変わらない微笑のまま、少しだけ恥ずかしそうに顔を俯かせる。
「……10歳です」
「え?」
「……びっくりです」
頬を朱に染めて年齢を告白したイヴだが、その返答に困ったのはむしろ質問をしたキースだった。
かなり若いだろうとは思っていても、想定していたよりも大幅に下回る答えに言葉が出てこない。
「嘘じゃないですよ? 我が家では10歳になったら従者を連れて見識を広める旅に出て、13歳の頃に正式に家に戻るのが習わしなんです」
「……貴族の方々は、なんていうかぁ……俺達とは違うんですね」
「あ、いえいえ。これは我が家が変わっているので、他の貴族の皆さんはそんなことはないと思いますよ」
「よかったです……貴族の人はみんなそうなのかと思ったです……」
思いがけない驚きに満ち溢れた自己紹介にはなったが、そのお陰でイヴがあまり嘘を好まない人種であることや、従者のヴリードやアイシャをとても信頼しているということが分かった。
相手に話させておいて自分は黙る、なんて恥知らずな真似ができるわけもなく、キースやエルシィも少し踏み込んだ話をしてみせる。
「一応、俺は17歳です。冒険者になったきっかけは……憧れですかね。昔読んでもらった英雄の話に憧れ、英雄を目指して冒険者になったんです」
「そうだったんですか」
「知らなかったです」
キースの語る言葉に、イヴとエルシィの少女2人が相槌を打ちながら続きを、と目線で訴えてくる。
「……それで冒険者になって2年間、必死に頑張りました。まぁ、結局はまだまだ銀ランク止まりなんですがね」
「キースさんはまだ2年間しか冒険者をやってないのですよね? 王都には10年以上続けていられる方もいると聞きます。きっと、キースさんはここから英雄になるんですよ」
「はは、だといいんですけどね」
拳を胸の前で控えめにぎゅっと握り、少女らしい希望的観測を口にするイヴ。
その目はキースの成長や立身出世を確かに信じていて、少しは現実の厳しさというものを知ってしまったキースにはない、自身への期待というものに満ち溢れていた。
────俺は、忘れていたのかもしれない。
「何か言いました……?」
首をこてんと傾げて、目を丸くさせるイヴ。
時折見せる、そんな少女らしい姿になんだかチグハグさが感じられて、キースはつい笑ってしまう。
「はは、なんでもないですよ。……その仕草、不敬にも可愛いな、なんて思っただけです」
「かっ、かわ! からかわないでください……」
「うわまたです。すぐこれですよ」
イヴは貴族であるため社交界に出て慣れていると思っていたが、そういったお世辞には耐性がないようで、キースのちょっとした言葉にも赤面してしまっている。
そんな様子を横から冷ややかに見つめるのはエルシィだ。ぶつぶつとキースに恨み言を呟きながら、半目になって2人のやりとりを眺めている。
そんな時だった。軽く馬車の扉を叩く音が聞こえ、外に人の気配を感じた。
音のした方に目を向ければ、メイド服に身を包んだアイシャが夕暮れを背負いながら立っており、イヴが気づくと腰を折って一礼する。
「ご歓談中失礼します。イヴお嬢様、キース様、エルシィ様。今日はそろそろ日が暮れてしまいますので、ここで野営と致します。私たちは準備がありますので、キース様とエルシィ様には周辺の警戒を頼みたいと思います」
「了解ですアイシャさん。行くぞエルシィ……今回はお前の弓が頼りになるからな」
「はいっ、頑張ります!」
キースに期待されるのは非常に嬉しいことなようで、エルシィの耳はピクピクと動き、尻尾はゆらゆらと振られている。
あまりにもわかりやすいパーティーメンバーに微笑ましさを感じながら、キースは軽く尻尾を弄ぶのだった。
「ふぎゃっ! 何するんですか!?」
「いや、なんとなく……?」
「ふふ、お2人はとても仲がいいんですね」
「まぁ、それなりには……」
これから仕事に行くとは思えない、締まらなさであった。