2.冒険者ギルド
冒険者ギルドは既に目と鼻の先だった。
今日の仕事を求めて、キースにとって何度も見てきた、エルシィにとってはまだ見慣れないギルドのドアを開く。
キィ……、と木製のドアが軋む音がする。
開け放たれたドアより1歩踏み出せば、そこは熱気と喧騒に包まれた世界だった。
まず目に入るのはたくさんの丸テーブルと、それを囲んで座る冒険者たち。奥に見える階段を上がって2階にいるのも、これまた冒険者だ。
入って左に見えるのが、そんな彼らに仕事を斡旋してくれる、冒険者ギルドの受付嬢が座るカウンターだ。
「この前ハウンドドッグの群れに遭遇してよぉ……」
「はぁ? ホラ吹くなよ。お前が生きて帰れるわけないだろ?」
「うるせぇな、少しは騙されろ」
テーブルでは嘘とも真実とも言えない自慢話が繰り広げられ、誇らしげに語る冒険者に冷たい視線が送られている。
「おーい、回復魔法が使えるやつはいねぇか? こっちは前衛が2人に弓使いが1人だ。必ず守りきる自信があるぜ!」
遠くから聞こえてくるのはパーティー勧誘の声。張り上げられた大声からは、確かな自信と仕事への意欲の高さが伺い知れる。
そんなふうに狭いギルド内で、大人数が声を発しているからだろうか、大通りよりも幾らか体感温度が上昇した気分になる。
「いつ来てもうるせぇな……ここは」
「あはは、最初は私びっくりして逃げ帰っちゃいましたよ……」
キースの隣にいるエルシィは、どうやら思ったより小心者のようだった。
とはいえ、男のキースでさえギルドの猛々しい雰囲気に慣れるのに時間がかかったのだから、新人で、しかも女の子であるエルシィが恐怖感を覚えるのも仕方ないと言える。
だが、いつまでも気圧されているようでは冒険者は務まらない。既に慣れきっているキースはいつものようにカウンターへと移動しようとする。
しかし、ここで想定外の事が起きた。
「ふぇっ! ごめんなさい! ……あぅ、すみません……はぅわ!」
「何してんだあいつ……」
ギルド内にはかなりの人数の冒険者が出入りする。ある程度慣れれば人の波を避けるのは簡単なのだが、エルシィにとっては難しいようだった。
小柄な彼女はあまり存在を意識してもらえず、体格のいい男の肩にぶつかり頭を下げ、早足で歩く魔法使い風の男にぶつかり平謝り、向きを変えた男の腰に吊るされた剣に当たりそうになって悲鳴をあげている。そんな彼女の頭上にある犬耳は、悲しげにぺたんと閉じてしまっている。
「はぁ……しょうがねぇな」
残念極まりないエルシィの姿に呆れたキースは、今も動けずにいるエルシィの元へと歩いていく。
根が真面目なのだろう、人にぶつかる度に謝罪するエルシィは、近づくキースに気づいていない。
「ほら、いつまでそこにいるつもりだ。……行くぞ」
「えっ、あっ……手……」
「あぁ? こうしねぇとお前、また動けなくなるだろ。いいから黙ってついてこい」
「えっと、はい……」
無理やりエルシィの小さな手を掴んだキースは、ぶっきらぼうな口調と共に引っ張っていく。
パーティーを組むという提案をした際には、あんなに無防備だったのに、手を繋ぐというのはエルシィ的には恥ずかしいらしい。
その境界線がよくわからないキースだったが、彼自身も女の子の手を握るということでそれなりに緊張はしていた。
「んで、知ってると思うがパーティーってのは受付嬢に頼んで登録しなきゃならない。これはわかってるな?」
「はい、冒険者カードをもらった時に説明してもらいましたから。でも実際にはやったことないです」
「そうか、なら俺が手続きをやるから、エルシィは見て覚えろ」
なんとかカウンターまでエルシィを連れてくることに成功したキースは、早速パーティー登録についての話を進めていく。
冒険者にとって、仲間というのは非常に重要な存在だ。1人では倒せない魔物も、仲間がいれば倒すことができるだろう。
新人の内は、どこかのパーティーに入れてもらって経験を積むか、新人同士でパーティーを組むのが主流だ。
新人の癖にソロで魔物を討伐しようというのは、紛れもない自殺行為だ。
「えーっと、おはようございます、マリーさん。パーティー登録をしたいんですけど……」
「はいはぁい、おはようキースくん。パーティーの登録だねぇ、ちょっと待っててぇ」
キースがカウンターで話しかけたのは、蜂蜜色の髪の毛が眩しいマリーという女性だ。やたらと間延びした口調なのは彼女の愛嬌であるが、1番目を引くのはギルドの受付嬢に与えられた制服を押し上げる双丘だろう。
話しかけた理由は他にもあるが、キースはいつも穏やかな態度を崩さないマリーが、受付嬢の中で1番話しかけやすいと思っている。見習いの時から彼女には世話になっているのだ。
そんな彼女は、パーティーの話を聞くなり机の下に潜り込んでしまう。
「お待たせぇ。これにリーダーとメンバーの名前を書くから、順番に言ってぇ」
10秒ほどで戻ってきたマリーの手には、1つの用紙が握られていた。
字が書けない者が多い冒険者に、名前を書けというのは中々難しい注文だ。
そのため、今回のパーティー登録でもマリーは代筆すると提案してきている。
キースは自分の名前ぐらいなら書くことができるが、エルシィの名前まで書ける自信はない。
エルシィが名前を書けるかどうかについては分からないため、キースはマリーの言葉に素直に従う。
「リーダーは俺、キースです。メンバーはエルシィ、で頼みます」
「うんうん、キースくんに、エルシィ……ちゃんだね。了解だよぉ」
サラサラとペンを走らせるマリー。エルシィの姿を見た際に一瞬目が笑っていなかった気がするが、いつもニコニコとしているマリーに限ってそれは有り得ないだろう。そう結論づけたキースは気にしないことにする。
「それじゃあ、冒険者カードを見せてくれるぅ? 一応本人の確認はしておかないとなんだぁ」
「わかりました。……これが俺のカードで、エルシィ、カードだ。……はい、これがエルシィの分です」
「んー、はい。ありがとぉ。これで登録完了だよぉ。ついでにお仕事も見ていくぅ?」
冒険者カードは、本人であることを証明する際に必要な身分証のようなものだ。カードには冒険者ランクと名前、性別、年齢が記載されており、常に携帯するのが常識となっている。
そして、冒険者に任される仕事というのは、カードに記載されている冒険者ランクを見て決められる。冒険者ランクはカードの色で表され、見習いの緑、初心者の銅、中級者の銀、熟練の金、最上位のミスリルへと上がっていき、国の最高戦力と認められた者のみ黒銀を許される。
現在キースの冒険者カードは銀色だ。2年も冒険者をやっていたのだから、それなりに実力もあるし、経験も積んできた。しかし、金より上は才能次第だ。ここから大成できるかどうかは、今のキースにはわからなかった。
「そうですね……エルシィはまだ見習いか?それとも銅に上がってるか?」
「ちょっと前にどうにか見習いは脱出したですよ!」
「ほぅ、それなら丁度いい。マリーさん、ゴブリンの討伐はありますか?」
「……あるよぉ! あんまり受けてくれる人がいないから助かっちゃうなぁ」
エルシィが銅へと昇格できているのであれば、銅ランク相当であるゴブリン討伐を受ける事ができる。仕事の台帳を眺めていたマリーはすぐに該当する箇所を見つけてくれ、仕事の内容をキースたちに説明する。
「キースくんはわかってると思うけど、ゴブリンの討伐証明になるのは、右耳だよぉ。今回の仕事はそれを10体分集めてくれれば大丈夫だよぉ。10体で1000ユグドで、10体を越えた分は、別途で1体につき50ユグドの報酬が出るから、危険にならない程度に討伐して来てねぇ」
魔物の討伐が仕事の内容である場合、討伐したという証明が必要になる。
でなければ、いくらでも嘘の報告ができるからだ。魔物毎に定められた部位を見せることで討伐の証明になり、報酬が支払われる。
1000ユグドと言えば、ギルド公認の宿なら飯付きで3泊程度できる。それなりの報酬だろう。
今回の仕事でターゲットとなるゴブリンだが、非常に繁殖力が高く、数が多い。
放っておけば大災害に繋がる可能性すらある危険なモンスターだが、個体としての強さはそれほどでもない。
そのため剥ぎ取る毛皮や、特殊な武器を持つこともないため、積極的に狩ろうとするものはいない。
不人気な仕事ではあるが、新人の教育にはうってつけと言えるだろう。
ゴブリン程度であれば、キースが5体までなら抑えることができる。弓を使うエルシィに危険が及ぶこともあまりないだろう。
「了解です。それじゃあエルシィ、準備と作戦会議をするぞ。ついてこい」
「わわっ、はいなのです!」
「気をつけてねぇ」
仕事の内容を確認し終えたキースは、後ろで熱心に話を聞いていたエルシィに声をかけ、スタスタと歩き出す。
後ろから慌てた様子のエルシィと、聞き慣れたマリーの見送りの言葉が聞こえてくる。
────が、2度目の悲痛な叫びがギルド内に反響する。
「うわっぷ、あの! キー、ごめんなさい。キースさ! ……うわぁ!」
そう、やっぱりエルシィは自力でギルドの混みあったフロアを突破できないのだ。
結局、人の波を避けれないエルシィが再び足を止めたため、キースは戻って来ざるを得なくなる。
「あー、もういいや。あんまり俺から離れるなよエルシィ。なんだかお前を見てると子どものお守りでもしてる気分だ」
「ななっ! 私は子どもじゃないです! 立派な淑女ですよー!」
「はいはい、そうですねー」
手を繋ぎ引っ張るキースの背中越しに、ニヤニヤとした笑みを隠しきれないエルシィがいるのは、彼女だけの秘密だ。