第六十四話 好きではあるが性癖ではない
クロトと愉快な七組のお話。
「──今年もこの季節がやってきた」
教卓に立つ一人の男子生徒が、重々しい雰囲気を纏い口を開く。
犬人族のデールだ。その腕には“納涼祭実行委員”と書かれた腕章を巻いている。
「納涼祭は俺達の夢と希望を集めた学園行事だ。当然、込める熱量も尋常じゃない」
教室中の空気が張り詰めて、誰かが息を呑んだ。
チョークを手に取り、素早く黒板を走らせる。欠片を飛ばしながら達筆に書かれた文字を力強く叩いた。
「だからこそ! 長期休暇を前に遠征やテストなど数々の試練を乗り越えた俺達の情熱を、ここで発散しなくてはならない! 故にッ!」
示し合わせたように、男子生徒全員が立ち上がり黒板の前に並ぶ。
顔を見合わせ、深く頷いたかと思えば一斉に膝をつき、頭を床に擦りつけた。
土下座だ。一寸の狂いもなく、芸術的なまでに洗練された懇願の姿勢から飛び出すのは。
『お願いします! 水着喫茶をやってくださいッ!』
『絶対イヤだ!』
『ぐわぁあああああああああっ!?』
素直過ぎる欲望と否定された絶望の叫びだった。
◆◇◆◇◆
七組に戻って早々、阿鼻叫喚な光景を見てしまい眩暈がした。正直、同意したい気持ちはあるがさすがにダメだろう。
なんとか持ち直してデールから腕章を奪い、身に着けて黒板の前に立つ。
すぐ横に出来上がった思春期男子の屍で築かれた山──エリックまで混ざってやがる──に手を合わせてから。
「えー、撃沈したバカ男子どもは放置しておいて、残ってる人達で七組の出し物を決めよう。臨時で実行委員の代わりをやるので案がある人は手を挙げて」
どうやら日程を変更し、一時間目を納涼祭に向けた企画会議に回していたようなので。
滞らせる訳にもいかず。自主的に手伝いを申し出てくれたカグヤと共に、進行を引き継いで次々と出てくる案を書き連ねていく。
「やっぱりやるとしたら食べ物関連でしょ。仕入れてきた果物を氷魔法で冷やして売るのはどう?」
「はいはい、なるほど? 冷やしフルーツ屋さんね」
「暑さには暑さをぶつけんだからさ、串焼き屋とかいいんじゃない? 激辛ソースとか好みでつけれるようにして」
「食欲が迸るね。バーベキュー屋さんで」
「えっと、読まなくなった本とか要らない、使わない道具を持ち寄って販売するのはどう? それ以外にも自作した小物とか、お菓子を売るの」
「ほい、フリーマーケットですな。……ところでさ、参考までに聞きたいんだけど去年は何やったの?」
ショックから立ち直れないまま倒れ伏す男子を、気にも掛けず会話を続ける女子達に聞いてみた。
実技の中間テストを思い出す程の団結力と行動力を見せた男子。
比較的理性的な面子が多く、それでも基本的にノリが良くお祭り事が好きな女子。
この二つが掛け合わされているのだから、相当面白い企画を考案したのでは? と安直な思考からの問いだった。
『休憩所』
「……嘘でしょ? もったいなくない?」
「本当なんですよ、クロトさん」
しかし彼女達から帰ってきたのは意外な言葉。
提出用の書類に黒板の内容を書き記していたカグヤが、珍しく苦々しい顔色で語ってくれた。
どうも去年は男子どもの暴走が酷く、出る案が目に毒というか大衆にお見せできない、品性の欠片や遠慮が存在しない出し物の提案しかしなかったらしい。
中等部の頃に抑圧されていた獣が解き放たれたのか。
その当時の経験から女子は協力して男子を警戒し、制裁し、程よく思考を制御させる流れを作りだしたと言う。
今でこそだいぶ落ち着いているが非モテ軍団なる存在が生まれてしまうなど、完璧ではないそうだが。
学園の、七組という狭いコミュニティであるが故に高い完成度で完結している訳だ。難なく出来ている時点で女子勢のスペックは相当ヤバいし、やってる事が政治の意識操作となんら変わらんけど。
とはいえ、実際に見ていない俺にとって予想はできるが実感はない。一例として去年の提出書類の写しを見せてもらう。
…………これはちょっと、セーフ……いや、アウト寄りのアウトかなぁ。
赤字やら黒棒やらで添削、検閲されまくりの書類から目を離す。とんでもない情報が入ってきて視界がチカチカと点滅した。
口に出すのも憚られるが、唯一わかるのは水着喫茶がかなり妥協と譲歩を重ねた末に出された結論であること。
正直、コレが本気で受け入れられると思っていたのか疑問しかない。そういうお店でも開こうとしてたのか。学園で?
初等部の生徒だって遊びに来る可能性があるのに出来る訳が無い。
「どれだけ説得しても効果が無くて、でも皆さんに任せきるのは危険だと議論を繰り返していたら期限が迫り……」
「互いに意見が平行線だから決着がつかず、挙句の果てに休憩所ってことか」
どちらに非があるかと言えば問答無用で男子どもだ。
滾る思いを少しでも別ベクトルに切り替えれば、折角の青春を一年分無駄にする事も無かっただろうに。
むしろ七組内での男女関係を最悪にしなかっただけでも御の字と言うべきか。
……そもそもそうなるのを見越して過剰に演出し、些細な事でも女子との触れ合いを増やそうと目論んでいる節が見られる。まさか、とは思うがこいつらならやりかねない。
だが──好都合だ。
それは七組の皆が俺と同様に文化祭、納涼祭を楽しめていない事実でもあるのだ。過去に後悔があるのだから今年こそは、と躍起になる。
自然と実行委員の仕事を奪った俺に、刺々しい意見が一切来ないのもそういう意識が共通しているからこそだろう。
故に、扱いやすい。
特待生依頼としての実益、訪れる客も自分達も納涼祭を楽しめるエンタメ性。両方を兼ね備えた出し物を考えなくちゃあいけないのが、凡人のツラいところだな。
いいぜ、どんな罵詈雑言を浴びようと目的を完遂する覚悟はできている。
たとえそれが俺の性癖であると思われたって構わない!
『もしやギャルゲーとやらを参考にするのか? 現実と空想上の物を混同させるのはいかがなものかと思うぞ』
『勝手に思考を読みおって……空想筆頭みたいな奴が言うな』
「気を取り直して会議を再開しましょう。……クロトさん、どうかしました? 黒板と書類を見比べて」
「んー、そうだねぇ」
脳内と現実、両方で対応しながら頬を掻く。
「高等部二年の納涼祭、折角なら大いに盛り上げたいのが皆の共通認識だと思う。去年は苦渋を舐める結末になってしまったんだし」
「お互いの譲らない意地のせいで、拭えない後悔に変わってしまいましたから」
「だよね。……隠すのも不義理だから明かしておくけど──」
俺は学園長から言い渡された特待生依頼の内容を、包み隠さず全て打ち明けた。ダウンしていた男子達も耳を傾けて、聞き終えた後の反応は様々だ。
曰く、七組の出し物を利用して独裁するのか。
曰く、しれっと実行委員の腕章を奪ったのはその為か。
曰く、俺達の代わりに欲望と夢を叶えてくれとか。
反省の色がまったく見られない男子は並ばせて正座の刑に処した。処す最中も女子からの疑うような視線が突き刺さるが、真正面から受け止める。
「皆が俺を敵視するのは分かる、俺だって逆の立場だったらストライキまっしぐらだ。それでも依頼の事を明かしたのは、邪な気持ちで取り組んでると思われたくないからだ。皆と協力しなければ実現不可能だからだ」
だから。
「ぶっちゃけ依頼の事は考えない、無視する。それが納涼祭に向ける俺の答えだ」
「っ、それではクロトさんが学園から追い出されて……」
「いいんだよ。俺の都合に皆を巻き込んで気を削がせるのは不本意だし、学園長本人が生徒の気分を汲んでないおバカなだけだし。でも、納涼祭を盛り上げたい、楽しみたいと思ってるのは確かだ」
そういう意味で。
「男子達の要望を無得にするのはもったいない、とてももったいない。過激なものは省くが、一部を採用して女子が提案した出し物に絡めようと思う」
『──っ!』
「水着はないぞ?」
『うわぁあああああああああああああッ!』
沸き立つ男子を撃ち落とす。お前らどんだけ女子の水着が見たいんだ。
「しかし仮装であるという点においては評価したい。見た目の華やかさは重要だ。可愛い系、綺麗系、姉御系、小動物に寡黙にスポーティー……多様な属性を持ち、尚且つシルフィ先生を含めて綺麗どころの多さが七組の持ち味なんだ。活かさないのは損だよ」
数人の頬が赤く染まる。今までエリックに冷めた目を向けていたセリスが、感心の眼差しを向けてきた。
「水着ほど露出もなく、そうでなくとも心惹かれるような衣装。誰もが一度は夢見る桃源郷の住人……そう、メイドだ。皆でメイドになろう」
『うおおおおおおおおおおおお! さいっこうだぜぇえええええ!』
正座のまま器用に飛び跳ねる男子達。たった一言でテンションの上げ下げが激しいな。
そんな君達に追い討ちをかけよう。
「何を勘違いしている? 俺は皆でメイドになろうと言ったんだ」
『ひょ?』
呆けた声を上げる七組ーズを一瞥して、背後の黒板にチョークを走らせる。
「性別なんて関係ない、全員で恥ずかしさも楽しさも共有しようじゃあないか。──俺が提案するのは、七組総出でメイドの仮装をするメイド喫茶だ!」
『……はああああああああああッ!?』
書き切って、力強く高らかな希望の案と共に。
七組全員の叫びが教室を揺らした。
◆◇◆◇◆
「まったくもう……他の組と比べてあまりにも騒がしいので様子を見に来たら、これはどういう状況ですか?」
「男子が暴走しないように正座させて、女子主導で出し物の案をまとめ、俺が提案した男女混合仮装メイド喫茶で絶叫してました」
「…………」
心底、訳が分からないという表情でシルフィ先生は頭を抱えた。
どうして実行委員のデールではなく俺が進行してるのか。
どうして男子は床に正座したまま先生と女子を見つめているのか。
どうして女子は悩みに悩んだ顔で視線を泳がせているのか。
教師として去年のようなマネはさせたくない意識があるのだろう。生徒の自主性を重んじるのは良いが、そのせいで不甲斐ない結果になってしまったのだから。
今日のような真面目に取り組んでいる姿勢が見られるのは嬉しいが、何か違うと考えてしまうのは仕方ない。
俺もこのまま仕切っていいのか若干不安である。
まだ出し物が確定した訳でもないのに七組のほとんどが乗り気なのも、不安を感じる要因の一つだ。
「ま、まあ、企画会議が順調なら大丈夫……大丈夫ですよね? 男女混合というのが疑問ですが」
「男子が女装してメイドになります。良い案でしょう?」
「どこが!?」
先生はシェアハウスし始めてから遠慮の無いツッコミが増えた。
エルフである事を隠さなくなった頃よりも親しみやすさが増えて大変良いかと。
「でも他の男子が提案した物だと過激すぎますよ。ほら、この“古き良きエルフの伝統衣装でダンスパーティー”とかダメですよ。これじゃただの痴女じゃないですか、モロ見えですよモロ見え」
「わーわーわーっ! なんでそんなモノ持ってるんですか!? 没収ですっ!」
納涼祭関連の資料に混ざっていた──恐らく先生をイメージして描かれたイラスト案。すごくスケベでエロい──を奪われる。
顔を真っ赤にして必死に隠蔽しようとする辺り、昔のエルフは本当にそんな服を着ていたようだ。
新緑の葉っぱのような布で隠すべき所しか隠してなくて、見えそうで見えないギリギリの際どいラインを攻めまくった衣装。
布面積と肌色の占有率は驚異の一対九、またはそれ以上。
アマゾネスでももう少し露出を抑えるのでは?
「とりあえず先生も来たんだし、これまで出てきた候補の中から多数決で票を取ろうか」
咳払いを落としてから気を取り直して会議を進める。……なんで君ら、覚悟完了したような顔してるの。
初めに出た案については立案者本人と賛同者が数人のみ手を挙げる展開が続き、どんぐりの背比べ状態に。
その中でも好評なのはバーベキュー屋。やはり暑い夏には食欲で対抗するのが一番だからな。夏野菜全般と鶏肉、豚肉を食べて夏バテ防止を図ろうとするのも分かる。
意外にも冷やしフルーツ屋は人気が無い。良い出し物だと思うが、七組は水属性の魔法を使える生徒が少ない為、特定の人物に労力が集中してしまう。クーラーボックス、もしくは急速冷凍庫的な道具を作れればあるいは、といった感じか。
フリーマーケットもあまり票を得られず、そして最後に仮装メイド喫茶が来た。
「じゃあ、メイド喫茶が良いとおも──」
『はいッッッ!!』
「早いよ、言い切らせろよ」
男子の一糸乱れぬ挙手に、何故か気合いの入った様子で女子も続く。既に投票権の無い生徒も手を挙げており、まさかの全会一致となった。
変に露出度の高い服を着させられるよりは男子の欲を程よく満たし、それでいて全員が楽しめる安全策を取ったか。妥当だな。
ある意味、選択を絞らせて強制させてるみたいで罪悪感が湧くけど。
「では七組の出し物は“仮装メイド喫茶”で決定という事で。先生、今の内に細かい部分も決めますか? 何を中心に料理を出すか、メイド服の調達はどうするかとか」
「いえ、あくまで一時間目の日程を企画会議に回していただけですから。今日の所はこの辺でお開きにしましょう」
「わかりました。……デール、いい加減仕事しろ。最後まで俺にやらせるんじゃないよ」
「うっす! あざっす、先輩!」
「なにその雑なキャラ付け……女子のメイド姿が見れるからってへりくだるなよ」
手揉みしながらウザったい顔つきで黒板の前に立ち、締めの挨拶をするデールの声を聞き流しつつ。
俺はこれからやるべき事を手帳に書き記す。
どんな子にも合うメイド服のデザイン、女装のメイク、お客への対応指導。
料理の種類と作り方、金額設定、食材の仕入れ先。
それらを用意するのに掛かる全体費用。
他にも詰めるべきところはあるが、大体こんな感じだろう。……多いなぁ、作業量が。子ども達の武器を作ってた時のように、また徹夜の日々が始まりそうだ。
しかし客も自分達も楽しむ為に泣き言は言ってられない。やるからには全力だ。
足が痺れてもつれ転ぶ男子どもを眺めながら、俺は密かにやる気を漲らせた。
◆◇◆◇◆
「というか、てっきりエリックは男子を止める側だと思ってたんだけど、なんで一緒に参加してたんだ?」
「去年は男子唯一の良心として最後まで引き留めてくれたのですが……」
「あのバカ、アタシの水着が見たいだろう? って男どもに誑し込まれた瞬間、目の色を変えて同調しやがった」
「だって……だって、夢にも思ってなかった水着だぞ……全霊を賭してでも見てぇじゃねぇか……!」
「もうちょいまともな手段を取れよ。テンション上がり過ぎだろ」
「でもメイドもアリだと思うぜッ!」
「こいつ……」
納涼祭部分は基本こんな感じで進みます。
ギャグ多めだよ、やったね! シリアスはシリアスだけど。