第五十六話 クロトの受難《魔剣邂逅》
タイトルからして主人公の胃壁を削っていく。
なお付属して周囲へ無自覚にシリアスを撒き散らす模様。
新生活における危険性──主に俺とエリックが気を付けることだが──を再認識して。
平静を保つ為に早めに就寝したせいか、いつも起きるより早い時間に意識が覚めてしまったようだ。
屋根裏部屋の木枠の丸窓をわずかに開けた目で見れば空が白み始めている。
うーん、早起きは三文の徳とも言うが朝食の仕込みは昨日の内に済ませてしまった。急いでやることもないから寝ていたい。
「……二度寝するか」
『──惰眠を貪るか。適合者の年代ならば、隙を見ては勉学や修練に励む者も多いと思うが』
「別にいいじゃん、昨日は気を張ってたんだから。あと一時間は……んぇ?」
毛布の中でモゾモゾと寝返りを打ち、聞き慣れない男性の声が、頭の中に響く。
思わず毛布を跳ねのけて上体を起こし、寝ぼけた目を擦る。ぼやけた輪郭が確かな形になって、姿を現した。
仄かに紅色の明滅を繰り返す、幅広で片刃の長い刀身。
どこか有機的な印象を植え付ける外見の、一時は俺の命を脅かし、同時に救ってくれた武器。
グリモワールでの調査により『狂騒の魔剣』と名付けられ、確かにしかるべき施設に収容した特級アーティファクト。
こんな所にあってはならないはずの物が、眼前に浮かんでいる。
そんな信じられない光景に思考は冴えて、夢でなく現実なのだと理解してしまう。
さて、豆粒レベルのホラー耐性しかない俺が、気味の悪い状況に耐えられるだろうか。
うん、無理だね。
「──ぎゃあぁあああああああっ!」
『我が適合者は、随分と感情の起伏が激しいな。朝からそれでは疲れぬか?』
「誰のせいだと思ってるんだ! いや、その前に聞きた、おま、なんでッ!?」
『少しは落ち着け』
ベッドから降りて、傍に立て掛けていたロングソードを手に持って。
逸る鼓動を深呼吸で治めながら、人の気も知らないで暢気に語りかけてくる魔剣を警戒する。
『疑問は山ほどあるだろう。そして、我はその全てに答える義務がある……だが、まずはこの部屋に向かってくる者への対処を。浮遊している抜き身の我と相対している適合者という構図は、いささか刺激が強いだろう?』
「おい、大丈夫かいクロト? のっぴきならない悲鳴が聞こえてきたが……」
混乱の極みな室内に、俺の叫び声のせいで起きてしまったセリスの声が。
力強くノックしてきている。今にも強引に押し入ってきそうな勢いだ。
揺れる扉とフワフワしてる魔剣を交互に見て、慌てて長剣を元の位置に戻して。
「ああああくそっ、理屈は分からんがとにかくここに隠れて! 誤魔化すから!」
『待て、適合者の力ならばこのようなことをせずとも──』
「黙ってろ……!!」
喚く魔剣をベッドに叩きつけて毛布を被せ、寝間着の上着を脱いだ直後。
扉が開かれて、寝癖が付いたままのセリスと目が合った。
困惑というか訝しげというか、顔面に疑問符を直接貼りつけたような表情だ。だよね、俺だって訳が分からないし。
「朝っぱらからなに騒いでんだい?」
「い、いやあ、ちょっと服の中に違和感があるなぁ、と思って覗いたら腕の長さくらいのムカデが蠢いててさ! ビビり過ぎて思いっきり叫んじゃったんだぁ……ははっ」
「ああ、そりゃおっかないわな。新築とはいえ近くに林があるんだし、入り込んできてもおかしくないか」
納得したように顎に手を添えるセリスに、高速で頷く。
「そうそう! なんとか外に投げ出したんだけど気持ち悪くて、今から井戸水でも浴びてこようかと思ってさ!」
「んで、着替えを用意する途中だったって訳かい」
「うん……ごめん、朝早いのに起こしちゃって」
「それはまあ、いいんだけどね。アタシ以外全員ぐっすり寝てるようだし……」
シャツと学園の制服、タオルを用意していると、セリスがじっとこちらを見つめていた。
見下ろして、自分の身体を確認する。…………よくよく考えたら同年代の女子に上半身見せびらかしてるのか。しかも仲間の姉貴分に。
とても気まずい。手遅れだが、抱えた着替えで隠す。
「大変お見苦しいものをお見せしてしまい、申し訳な──」
「お前さん、その傷痕は……」
「あっ、そっち? これは昔からよく怪我をすることがあってさ、荒療治で治した箇所も多いから、こうなっただけ。皮膚がつっぱる感覚にはもう慣れたし、今はもう痛くないんだ」
指を差された脇腹には広範囲に爛れたような痕が残っている。
初めての迷宮で死にかけた傷とは反対の箇所だ。
これはこの世界で負ったものではない。中学生に上がりたての頃、建物の爆発事故に巻き込まれた時、刺さった鉄筋を抜いて他に手段が無かったから仕方なく止血の為に焼いた痕だ。
我ながら浅慮が過ぎたとは思う。事故直前に立ち読みしていた漫画のキャラに毒されていたのかもしれない。
でも流血は止まらなかったし、救助は遅れていたし、応急処置でどうにかなるような傷ではなかった。
死にたくなかったから、やるしかなかったのだ。
壮絶な痛みと身体の焦げる匂いに吐くほど泣いたので、もう二度とやるつもりはないけど。
この傷以外にも身体に残った痛々しい思い出がフラッシュバックしてくるが、なんとか振り払って。傷痕をさすりながらセリスの横を通り過ぎる。
「とにかく朝食まで時間あるし、ちゃんと起こすから二度寝してていいよ。それじゃ」
「あ、ああ」
歯切れ悪く声を返す彼女に手を振って階段を下りていく。
背中に視線を感じるが……なんとか魔剣のことは誤魔化せた、よね?
◆◇◆◇◆
四阿のような屋根の付いた、かつての生命線であった井戸から汲んだ桶の水に。
タオルを浸してぎゅっと絞り、冷や汗が噴いた身体に擦りつける。
焦りで火照った肌によく冷えた感触が合わさり、実に心地良い。二度三度と同じようにやって最後に手で水を掬い、顔を洗う。
「ふぅ……」
ようやく、落ち着いてきた。タオルで拭い、シャツを着て制服に袖を通し、一通り片付けて家に戻る。
部屋に向かう途中、セリスの姿がどこにも無かったので、自室に戻ったのだろう。
だいぶ挙動不審だったから何かあらぬ疑いを掛けられるかと思ったが、なんとか収まってよかった。
そして目下の問題と言えば──ベッドで横たわる紅の魔剣について。
遠くの国にあるはずの物が何故か俺の家にいるという、不可思議な超常現象を引き起こしているコイツ。
変わらず明滅を繰り返す魔剣を相手に長剣を手にしながら。
「改めて聞くが、なんでここに?」
『うむ、いかなる事態でも警戒を怠らぬ姿勢は立派だ。我も誠意を持って話そう』
「不審者……者? に寛容な対応してるだけ、ありがたいと思ってほしいんだけど」
グリモワールで勝手に身体を使われ怪我を悪化させされ、軍から監視を付けられる羽目になったんだ。これまでの所業を顧みれば、今すぐ炉にぶち込みたいくらいヘイトが溜まってるんだからな。
あと突如として現れた挙句、若干上から目線の物言いが腹立つ。
『破壊の異能を司る魔剣の適合者、クロトよ。汝が手にした際に語った思想を聞き、生き様を垣間見て。これまでの適合者とは毛色の違う汝に“知りたい”という興味が湧いてきた為、こうして参上した』
そして想定してない答えが返ってきて困る。というか、男の声でそんなこと言われても嬉しくない。しかし……適合者、ねぇ。
何度も耳にする単語を反芻して思い出すのは、グリモワールを立つ際にカラミティの首領、ジンと交わした言葉。
『いいか、よく聞け! 君がこれから相対する者は全員が魔剣に選ばれた者──適合者だ! 適合者同士は自ずと引かれあい、戦う運命に呑まれていく! そして君はその中でも稀有な特性を持っているが故に、遊戯盤に乗る十分な資格があったッ!!』
変な因縁を押し付けられたと思って、半分くらい聞き流していたのだが。
実際にコイツが湧いて出てきた以上、戦う運命とやらに巻き込まれていくのは確定なのか。
……嫌だなぁ。戯れ言だと、関係ないと切り捨てられたら楽だったのに、言い逃れ出来ないレベルで面倒事に巻き込まれてるよ。
『汝の下に参った理由はそれ以外にない。突発的な登場になってしまったのは謝罪するので、あまり邪険に扱わないでくれ』
「はあ、そうですか……ん?」
ため息を吐いて、頭に声が響く度に点滅する魔剣を思わず二度見する
適合者との戦いがあるから来た、とか。
実力の伴わない俺に対して文句を言いに来た、とか。
他にも何かしらの意図があって出現した訳ではないのか?
「ちょっと待って。なんだ、つまり…………俺の人間性を知って、学びたいってこと? それだけの為に俺のところに?」
『汝の解釈通りで間違いない。何か不安な点が?』
「あの、適合者同士は引かれ合い戦う運命にあるとか言われて、身構えてたんだけど」
『……そのようなことがあるのか?』
きょとんとした声に頭を抱える。
魔剣の意思ですら知らないのかよ! もしかしてジンの奴、意味深なセリフが言いたかっただけなんじゃないか!?
いや、待てよ。あくまで紅の魔剣を狙うのはカラミティに所属している適合者だけで、その他の者はジンの言う“遊戯盤”の上に立っていないのではないか。魔剣が何本あるかも分からない為、あまり楽観的に考えるのはよくないが。
少なくともカラミティの適合者だけが襲ってくるのだと思えば、気が楽になる。さすがに今日明日明後日とすぐにでも来る可能性は無視できないけど。
そして重要なのは、魔剣の意思自体が知らない何かをジンが知り得ていて、カラミティ全体で掲げている目的にも関係しているということだ。
意図も用途も、魔剣か適合者そのものを狙ってるのか、情報が少ないから断定はできないが……ちらりと、魔剣に目を向ける。
『む? どうかしたか、適合者』
コイツはさっき、こちらからの疑問には答えると言った。
その発言が虚偽でないなら、魔剣という存在について質問を重ねていけば推測も進み、目的の輪郭も掴めるはずだ。
懸念としては──朝食の時間まで質問攻めしても俺だけじゃ絶対にまとめられない事と、こんな爆弾を抱えて日常生活できるほど肝が太くない、という事だ。
適合者同士の争い云々はこの際どうでもいい。やってきたなら、それはそれとしてぶちのめす覚悟はある。暗部組織の構成員をのさばらせておくつもりはないし。
ここで思い返してみよう。
本来はコイツ、国家運営されているアーティファクト専門施設に収容されていたはずなのだ。なのに国を跨いで俺の所に来てしまっている現状、詳しくは分からないけど多分、バレたら国家レベルの大問題に発展するよね?
しかも俺は魔剣に関連した依頼を受けて、接触して無事だった唯一の存在。何か細工をしたと思われていてもおかしくはない。現にそれも加味して監視を付けられてたみたいだからな。
だからせめて、せめて頼れる大人組と仲間に打ち明けて判断を仰ぎたい……っ!
あと明日、筆記テストだから余計なことに脳の容量を割きたくないッ!
「よし、決めた。質問に答える義務があるって、さっき言ったよね?」
『うむ。円滑な相互理解の為にもそこを違えるつもりはない。厄介をかけている気配を汝から感じるからな、裁量は任せた』
「なら一旦この話は保留だ。こっちにも色々と都合があるから、必要な面子を集めて改めて協議する。ひとまず今日はこのまま……そういやお前、名前は?」
いつまでも魔剣の意思とか呼ぶのは冗長だし、あるならそっちで呼んだ方が分かりやすい。
『名、か。我の存在を知覚する適合者と出会うのは久しく、このように言の葉を交わす者など皆無であった。故に、名前などない』
「えー、不便だなぁ……」
長剣を脇に置いて、その場で座り込み腕を組む。
そもそも勝手に名前を付けてよいのだろうか。今後の話し合い次第で運命が左右される存在のコイツに。
おまけに名は体を表すと言うように、定義を得た物が何らかに変異する伝承は、日本にもこの世界にもあるくらいだ。魔剣だなんて前提を持つコイツに名付けして、面倒の種を増やされても困る。
でもなぁ……と辺りを見渡して、カバンから表紙を覗かせている絵本を取り出す。
図書館から借りてきた“眠れぬ獅子とまどろむお姫様”という題名の物だ。
いつも眠たげなお姫様が散歩中の森で、人語を介する一頭の獅子と出逢う。
交流を重ねていく内に、獅子は悪い魔法使いに“眠ること”を奪われたと語り出す。それを痛ましく思い、寄り添うお姫様は子守唄を歌う。
船を漕ぎながらも奏でられる歌声は透き通るようで、獅子はしばらく感じなかった眠りの誘いに抗わず、瞳を閉じた。
その様子を見たお姫様も静かに微笑んで、身体を預け──朝焼けの日差しを浴びて、一人と一匹は目を覚ます。
王城に戻ったお姫様と獅子はティータイムを楽しみ、その中でこれから従者として苦楽を共にする獅子に名前を付けた。
それが……。
「──レオ、ってのはどう?」
『レオ、か』
提案した名前を復唱する声を最後に、魔剣の光が収まっていく。
自分でも安直だとは思うが、変に凝った名前よりはマシだろう。中二の頃に考えてた黒歴史を参考にして、精神的に自傷する愚行は冒さない。絶対にだ。
『……気に入った。気に入ったぞ、適合者。今より我は破壊の魔剣に宿る意思、レオだ。ありがたく名乗らせてもらおう』
「お、おう。お気に召したなら何より……」
ひときわ強く輝く紅の魔剣──レオは、心なしかウキウキとした声を上げる。
人の内心も知らないで暢気だなぁ……と。平穏な日常生活に現れた異物を、自然と受け入れ始めている自分に戦慄を抱きながら。
乾いた笑いを落として。一応、了承を取ってから毛布を被せて。
朝からどっと疲れが溜まった身体を起こし、朝食の準備に向かった。
◆◇◆◇◆
鍋の周りを沸々と気泡が湧く様子をぼうっと眺め、腹の底からため息をこぼす。
前触れもなく出現したレオに二度寝を阻止され、予想もしてない怒涛の展開に心労は重なり、現在は香り立つクリームシチューに癒されようとしている。
本当なら追及したい、とことんまで情報を聞き出したい。でも、ぐっと我慢する。
今は忘れて、朝食と昼食の弁当作りに没頭したい。というかさせて。凡人である俺の処理能力なんて、型落ちのOSを搭載したパソコンレベルしかないのだ。
「朝からカオス過ぎて、もう何が何やら……ん?」
特製ソースを絡めた新鮮野菜や蒸しほぐした鶏肉。
軽く味付けしたスクランブルエッグを、薄切りの食パンで挟んだサンドイッチに包丁を入れて、切り分けていると。
ポケットに入れていたデバイスが短く振動する。通話じゃないな、これは……メッセージか?
人数分のバケットに他のおかずと共に押し込めて。布巾で手を拭ってから、デバイスの画面を確認する。
やっぱりメッセージだ。こんな時間に誰だ?
「差出人は──タロスとイヴ?」
確かに監視者という名目もあった為、通話番号などデバイス関連の情報を彼女は知っていた。
何らかの方法でこちらからは干渉できないという制限はあったものの、何度か通話してくれたし、メッセージのやりとりは交わしていたのだ。
しかし遠征の帰り間際まで音沙汰が無くて、別れの挨拶も言えず。どうなっているか状況を知ることも出来なくて気になっていたのだが、まさかまた向こうから連絡が来るとは。
思いもしない相手からの便りに驚きつつ、操作してメッセージを開く。
内容は《デミウル》崩壊による身の回りの近況や、グリモワールの状態など。
なんでも軍所属から魔導核の製造元《ネルガル工業》で、魔導人形製作の第一人者である博士とやらの元へ異動になったらしい。他の魔導人形に比べてタロスは自然な表情や、自発的な行動を取ることが多くなったし、興味を持たれるのは当然か。
博士は公に出たくない人で名前は教えられないそうだが、イヴの保護者のような立場でもあるという。個人情報の漏洩ライン、なんか緩くない?
ともかくイヴと二人で、博士の側で元気に活動しているようだ。
本当ならグリモワールを発つ日に言いたかった挨拶もイヴと一緒に考えて、帰国直後の慌ただしさが薄れた頃合いを見計らって、こうしてメッセージを送ることにしたのだとか。
イヴが頑張って書いたのか、たどたどしい文字の並びに胸の奥がポカポカと温まっていく。
「ああ……」
デバイスを両手で掲げ、ありがたやありがたやと頷く。
なんて気遣いの出来る子達だ、朝から荒んだ心が癒されていくようだ。そうそう、こういうのでいいんだよ、こういうので。
かつての交流に思わぬ形で助けられるのはルシアの一件でよく身に染みている。いや、あの人、カラミティの幹部だけど。
とにかくいきなりわけわからん無機物が知らないはずの家に不法侵入してきて、頭の中で外宇宙の赤色銀色巨人の如く声を掛けてきて、名前つけるとか頭おかしい展開に積み重なった精神的な疲労を取るために料理で回復を図ろうとする凡人には嬉しい思いやり──。
『最近はアーティファクト保管施設の一つが何者かに破壊され、収容されていた特級物が紛失したりと。何かと気苦労が絶えませんがなんとか生活しています』
「…………あ?」
文を見返して、胃が激しく捻じれるような錯覚を抱いた。
その後、死人のような表情で台所に立ち尽くすクロトを見て、エリックがドン引きしたようです。
ちなみに五十六話は前・中・後編に分けるつもりです。