第五十一話 変わる環境、変わらない日常《前編》
遠征のレポートを書き終わってから、三人で遅めの夕食をギルド支部に食べに行って。
お腹いっぱいの幸せ気分でそれぞれ帰路に着きながら、ふと、地下に工房があることを思い出した。
どんなものだろう、と好奇心が疼くままに。台所の裏戸を出てすぐの物置小屋にある地下への階段を下りて、扉を開き──唖然とした。
広い部屋だ。茶色いレンガの壁と、整えられた石畳みの足場。地下の作業で火を使う為か、高い天井の近くに換気扇じみた魔道具と鎧戸がある。
物置小屋に隣接されていた、地面からとんがった屋根が直接生えたような形状のスペースが、地下室の天井に当たるのだろう。
開閉用の紐を引けば軋んだ音と共に戸が開き、夜空の星を覗かせ、外の温い空気を送り込んできた。
部屋の隅には巨大な炉に鞴と煙突、鉄床はもちろん、壁に掛けられた数々の鍛冶工具。
傷も無く、一目見て新品であると分かるそれは結晶灯の光を受けて光沢を発している。その傍には木箱一杯に詰め込まれた木炭と質の良い鉱石類があった。
室内を隔てる壁の反対側には折り畳みのテーブル、大釜や抽出機、フラスコやビーカーといった一通りの錬金術の道具が布を掛けられ置いてある。
さらには様々な魔力結晶、薬草、オイル、蒸留酒など錬金術の必須素材も木箱に詰められていた。
「サービス精神が旺盛すぎるのでは?」
苦笑を浮かべて室内を歩きながら、しかしすぐにでも鍛冶が出来る環境にワクワクしていた。
鍛冶道具を実際に手に取って見ていき……その中で、妙に使い込まれた様子の金槌を重石にして置かれていた手紙を開く。
手紙を書いた相手は、なんと親方だった。道理でどこか見覚えのある筆跡だと納得しつつ、読み進めていく。
どうやら親方は工房の設立に一枚噛んでいたようで。鍛冶道具、木炭や鉱石は個人の工房を持つことになる俺への贈り物だとか。
手紙に置かれていた金槌は親方の鍛冶場で使わせてもらっていた物で、遠征で忘れかけている鍛冶の感覚を、まずは使い慣れた金槌で取り戻せという旨の内容が書かれていた。
──鍛冶師としてまだまだ半人前の未熟者だが、工房の主となるのだから見合った実力を持たなければならない。
親方らしいストイックな意見だが、納得できる話だ。……ここまで言われて火が点かないヤツはいないぜ!
「やるか……! 自分の工房で初めての鍛冶だ、気合入れていくぞ!」
吊り下げた左腕の三角巾を外して、調子を確かめてから着流しを羽織る。
炉の中へ木炭と火種を投げ込み、空気を送れば──瞬く間に室内の温度が跳ね上がった。
呼吸が浅くなる。
しかし肺に送り込んだ熱気が体内を巡り、より一層気が引き締まった。
目を焦がしてしまいそうなほどに強い炉の光と向き合い、放り込んだ鉄鉱石が赤く染まり切った所を鋏で取り出す。
熱気を放つそれを鉄床に乗せて、ぎゅっと握り締めた金槌を振り上げて、そして──!
◆◇◆◇◆
朝早く、白みだした雲一つない空を。仄暗い部屋の、鉄網の窓から見上げる。
徹夜しちゃったな、と溢した独り言と。地下にある工房へ空気を送風する換気扇に、火の鳴いた音が耳朶を静かに叩く。
自分の工房があり作業が出来る、というだけで気分が上がってしまい、つい夢中になって鉄を打ち続けていたようだ。
赤く、赤く。
猛々しく燃える炉に視線を移し、熱に当てられた顔からじわりと汗が吹き出してきた。
そろそろだな。鋏で炉の中から、今にも溶け出しそうなほど赤熱した黒鉱石を鉄床の上に乗せて──深呼吸。
吸って、奥歯を噛み締めて、振り上げた金槌を一気に振り下ろす。
「ッ!」
何度も、何度も何度も。身体の芯を揺らす衝撃が治りかけの身体に響く。しかし鋏を握る左手の痛みにも、右手の痺れるような感覚にも慣れた。
金属の打撃音をテンポよく鳴らしながら、頭の中に思い浮かべた一振りを生み出す為に。
心を、魂を込める勢いで。
散った火花が頬を掠めようと、細かな金属片が露出した肌に当たろうと構わない。
金槌一本で金属を伸ばし、形を整える為に角度を変え、微細な調整を繰り返して鍛え抜く。
あの時の、“地獄の鉄剣千本打ち”の経験は確かに俺の中で生きている。疲労と睡眠で次々と倒れていく鍛冶職人の中で、親方だけが変わらず打ち続けることが出来たのは何故か。
その理由を、俺は朦朧とする意識の中で知ったのだ。
動作の一つ一つに余分な力は乗せない。ただ一点のみに、必要な要素を全て叩き込む。
奇しくもその原理は俺の練武術と類似していた。だからこそコツを掴めた。
極限まで集中し、よく視て、そして打つ。実に単純そうに見えて、意識すればたちまち難易度が跳ね上がる技術。
今まで培ってきた経験を基本の動きに落とし込んで、金槌を振るう。
鈍く重く淀んでいた音が、鋭く染み入るような快音に。
途切れることなく打ち重ねていった鉄が、強靭な鋼へと姿を変えていく。
「……ふぅ」
幾度となく振り下ろした金槌を置き、玉のような汗を鍛冶用の着流しで拭う。
炉に蓋をして鎮火させ、一息つきながら。鉄床の上に横たわる黒い刀身の片手剣を見下ろす。
色以外は質素な見た目で、いつも使っているロングソードよりは一回り短い両刃の剣だ。
しかし不純物を取り除かれ徹底的に鍛え上げられたそれは徹夜して打った剣の中でも、いや、これまで打ってきた物の中で一番の出来かもしれない。
ずっと打っていたおかげで鈍ってた鍛冶の腕も十分取り戻せたし、新しい鍛錬の方法も分かった。
一つ、上の段階に到達できたような気もする。
これなら魔科の国で酷使したロングソードを打ち直して、更に強化できそうだ。
……そういえばサイネから渡されたアタッシュケースの中身、確認してないな。リビングに荷物を放置してるから見てみるか。
両手を合わせて背伸びをしてから、立ち上がろうとして──。
「ぅん……?」
脚に力が入らず、その場に倒れ込んだ。というか、頭がふわふわする。
あれ、なんだか視界がおかしいな。だんだん、暗く、なって……通話……着信が…………。
ポケットの中で震えるデバイスを取り出すこともできず、石畳の冷たい感触を全身に感じながら意識を失った。
◆◇◆◇◆
「──んで、何度掛け直しても通話に出ねぇから仕方なく見に行ったら、地下でぶっ倒れてるこいつを見つけたって訳だ。一晩ずっと炉の前にいたせいで脱水症状になって気絶したんだってよ」
「なんというか、その、クロトさんらしいとは思いますが……」
「言わないでカグヤ! わかってる、わかってるんだよ、ちゃんと休んでればよかったって。怪我してるし安静にしてればよかったって。そのせいで折角の休みなのに全部無駄になるし……半日も寝てたとかもったいないよぉ……」
随分と久しぶりな二年七組の教室で。
自分の机に突っ伏しながら昨日の行動を振り返って後悔していた。
ちなみに割と早い時間に登校したが、いつもの面子な俺達以外にもちらほらと他の生徒も教室にいる。
お互い何日かぶりに会うので気まずい雰囲気になるかと思いきや、遠征に行く前からトンチキな行動を起こしていたおかげか顔を忘れられなかったようだ。
真っ先に『うわっ、クロトがいる!?』と嫌な物でも見たかのような反応をした男子生徒はアイアンクローの刑に処した。
「まあ、やってしまったのは仕方がないですし、切り替えていきましょう?」
苦笑を浮かべながらもフォローしてくれるカグヤの優しさが、髪飾りの鈴の音が更に諭してるような感じがして耳が痛い。
「遠征も終わってようやく普通の生活に戻れた訳だしな」
遠征を経て精神的に成長したのだろう。挨拶する度にクラスメイトから『なんかイメチェンした?』と聞かれるようになったエリックが、机の上に置いていた俺のデバイスを点けて──顔を引きつらせた。
「お前、魔科の国で確認した時よりもスキルがとんでもねぇことになってんぞ」
「んぇ?」
デバイスを受け取り、修得したスキル欄に目を通す。
『スキル』
《クラス:クレバー》
=《飛躍上達》《異想顕現》
《万■ノ結■》
=《■■ノ■》《七魔ノ■》《護焔ノ■》《■■ノ■》《■■■■》
《魔力操作》
《アイテムピッチャー》
《高速事務作業》
《大物殺し》
《鍛冶師:中級》
=《魔導武具理解》《一心入魂》《完全修理》
=《ヘヴィエンチャント》《ライトエンチャント》《最適鍛錬》
《装飾細工師:初級》
=《凝り性》《裁縫上手》《高速修繕》
《錬金術師:初級》
=《爆薬精製》《薬品精製》《フルーティテイスト》
《ルーン操術師:初級》
=《高速刻印》《能力付与》《属性付与》
《指導者:上級》
《盗賊:中級》
=《トラップ解除》《罠利用》《罠摘出》
=《スティール》《安全第一》《早解き》
《魔法使い:初級》
=《魔法看破》《アクセラレート》《コンセントレート》
《召喚士:初級》
=《契約召喚》《世話上手》《オーダー》
《連舞剣士:初級》
=《フレームアヴォイド》《フレームパリィ》
《鑑定:初級》
=《素材看破》《解読術》《熟考理解》
《各耐性系》
=《出血》《痛覚》《毒》《炎》《雷》《氷》
《身体補助系》
=《俊足》《強靭》《器用》《不屈》《感応》
「相変わらずなっがいわぁ……色々と変化してるし、シーフスキルが生えてるし、見慣れない物も……ああっ!? 鍛冶師が中級になってる!? やったぁ!」
「お前としてはそっちの方が重要だろうが、《指導者》が補助スキル無しに既に上級なのはおかしいからな?」
「ユニーク以外のスキルを継承させることが出来る特殊なクラスですね。学園の教師や道場の師範が習得していて、その条件が“教える者としての矜持を忘れず長年に渡り経験する必要がある”という話ですが……」
二人して不思議そうに首を傾げているが、重要なのは鍛冶師だよ鍛冶師!
スキルの成長。それが気絶する前に感じたあの手応えの正体だったんだ。無理して頑張った甲斐があったぜ……!
「鉄剣千本打ちや純黒鉱石を間違って炉に突っ込んだ絶望を乗り越えたおかげで、中級に辿り着けたと思うと、な、涙が……!」
「最近お前泣いてばっかじゃねぇ?」
「エリックだって入学金の返済をどうしようか困って涙目になってたじゃん」
言い返すと、エリックは苦虫を噛んだように顔をしかめた。
「それを言うな……今も考えてんだからよ」
「まあ他人事じゃないから俺も頑張らないといけないんだけどね!」
「「アハハハハハハッ! …………はぁ」」
「ふ、二人とも、あまり思い詰めないでください。私に手伝えることがありましたら、いつでも言ってくださって構いませんから」
「うん、その時が来たら遠慮なく頼らせてもらうよ」
現時点でも俺達の事情を共有できるだけで、精神衛生的には凄く助かってるからね。
そんなこんなで雑談を続けていると教室の空気も段々と騒がしくなってきて、いつの間にかホームルーム開始の時間になっていた。
鐘の音が響き、皆がぞろぞろと自分の席に戻り切った辺りで。
「皆さん、おはようございます」
『おはようございます!』
「ウォオオオオオオオッ! 我らの天使が遂に帰ってきたァ! ようやくむさい先公の面を朝から見る必要が無くなったぜェ!!」
「喧しいわ」
シルフィ先生が教室に入ってきた。うーむ、やはり二年七組に先生という組み合わせは似合うなぁ。
先生がいない間はジャージ竹刀先生が代わりの担任になってくれてたみたいだけど、不満が爆発的に溜まってたみたいだし。
諸手を上げて狂喜乱舞する隣の席の男子を椅子に座らせる。正直、その気持ちが理解できない訳ではない。
エルフである──ハイエルフとは言っていない──と正体を明かして帽子を被らなくなってから確実に表情も明るくなって、以前よりも生徒人気が爆上がりしたみたいだし。
……そんな人でも寝相は壊滅的に悪いんだよね。先生の自宅にお世話になって、最初は美人の抱擁に喜んでたけど何度も窒息しかけたからな。
家が出来たおかげで、今後寝る度に命の危険に晒されなくなった。それは素直に嬉しい。
手に入れた安眠できる環境に感謝しつつ、出席を取る先生の声を聞き流す。
「変わらずお元気なようでよかったです。国外遠征から様々な経験を得て、成長した皆さんとこうして顔を合わせられて先生はとても嬉しく思います。本当に……大きな怪我をした方は……一名ほどいますが、それはそれとして」
頭を抱えて呻くような呟きによって、教室中の視線が一斉に俺へと向けられる。なんでや。
確かに左腕は三角巾で吊ってるし、肌が露出してる部分は包帯を巻いてるけどそこまで重傷者には見えないはずだぞ。
「いやいやいや、もうほぼ治ってるから。そんな間違いなくコイツだろうなって視線を送らないでよ、エリックかもしれないでしょ」
「そのエリック君から連絡を受けました。昨日、自分の工房にこもって徹夜で作業して、脱水症状で気を失っていたそうですね? 怪我人だというのに」
「お前ぇ! あれだけ先生にはバラさないでって言ったのに裏切ったのか!?」
「知るか! つーか休めって言われてた癖に自制できなかったお前の自業自得だろうが!」
「くそっ、ぐうの音も出ない正論をかましやがって……!」
思い返せば、意識を取り戻した直後に誰かへ連絡を取っていたような気が。あの時に問い詰めておけばこんなことにはならなかったか……くっ、迂闊だった。
仕方ない、ホームルームが終わった瞬間に教室を出てうやむやにするしか──。
「レポート提出の後にお話がありますから、逃げないように。いいですね?」
「……はい」
ダメだ、逃げ道を塞がれた。
「さて、説教じみた話を長々と続ける訳にもいきませんし、ここからは楽しい話題にしましょう。実は……本日から七組に新しい仲間が加わります!」
『マジですか!?』
「あ~、グリモワール遠征組が遅れたのってその手続きがあったからか~」
「ってことは、わざわざ分校の生徒が学園に転入してきたのかな?」
「んなこたぁどうでもいいんだよ、肝心なのは男子なのか女子なのかってところだ! というか女子であってほしいっ! どうなんですか、先生!?」
残念ながら予想が外れてる人もいるし、欲に塗れた願望を口にする人もいる。
「ふふっ、百聞は一見に如かず、ですよ。それではセリスさん、入ってきてください」
先生がそう言うと、扉の向こうから元気な声が聞こえてきた。
勢いよく開け放たれた扉から満面の笑みを浮かべたセリスが、ずんずんと力強い歩みで教壇の脇に立つ。
孤児院で出会った頃の痩せこけた印象はどこにもなく、健康的で顔色もいい。学園の制服に身を包んだ彼女は妖精族らしい鮮やかな水色の髪を翻しながら。
「アタシはセリス・フロウ! 今月から弟分のエリックが世話になってる七組に編入することになった! 色々と迷惑かけるかもしれんが、これからよろしくな!」
うーん、姉御気質の簡素ながらも豪快な自己紹介。……そうだよね、初手で窓から侵入するような馬鹿なんて俺くらいだよね、うん。
孤児院の皆は外の世界に触れて少ししか経っていない。環境がジェットコースター並みに激変してついていけない子もいるし、当然、他の同年代との接し方なんて分からないだろう。
七組に入ったセリスは俺達がフォローすればなんとかなるが、子ども達は分散して組み分けされている。だからしばらく子ども達だけを集めて環境に慣れるまでの間に、特別カリキュラムという名目で授業を受けさせるらしい。
いつそんな話を知ったのかって? 昨日エリックが夕飯の時に教えてくれたよ。……なんでそこで先生にチクったのか追及しなかったんだ俺は。
エリックの姉というまさかの発言に教室が沸き立つ。他の教室に比べて賑やかな七組の雰囲気に和みながら、ホームルームの時間が過ぎていった。
「セリスさんなら、案外馴染むのも早いかもしれませんね……っと、最後に伝え忘れていました。三日後に中間テストがありますから、皆さんしっかりと授業内容の復習をするように。一つでも赤点を取ったら、補修を終えるまでダンジョン攻略や依頼の受注は禁止されますからね」
え? 初耳なんですけど?
4章といいつつ、中身は3.5章のような物です。
大筋以外にも息抜きに書いていた番外編(時系列を遡ったエピソードなど)をいくつか投稿したいと考えています。