第四十五話 Strange Negotiate
出来れば取りたくなかった最悪の最善手。
こつり、こつり、と。
乾いた靴音が二つ。取り壊されることもなく、今もただ在り続けている寂れた廃工場に響く。
壁際にある機材や積まれた角材には埃が被っていて、入り込んできた隙間風が攫っていく。
濁った視界の奥。割れた天窓からわずかに差し込む光だけが薄暗い空間を照らしていた。
その光の中心に誘導されると、嫌でも分かる。工場に入った瞬間から纏わりついていた視線が強まり、陰に潜む何人もの気配が濃くなった。
驚き、戸惑い、懐疑、敵意──とても好意的とは思えない感情が込められている。
それもそうだ。ルシアはともかく、俺はこの場において不適切な存在なのだから。
下手をすればすぐにでも首と胴体が離れ、命を断たれる危険性があった。しかし、ルシアがそばに居てくれるおかげで少なくとも身の安全は保障されている。
「これは……驚いた。珍しい客人が訪ねてきたね。しかも案内したのがカラミティの幹部とは」
男の声がした。少し離れた前方から、言葉とは裏腹に面白がるような声が。
聞き覚えがあった。デバイス越しだとしても、確かに耳にしたことがある。
ルシアが静かに頭を下げた。その行動に周囲の視線が和らぎ、息が詰まるような空気が薄まっていく。
「自己紹介の必要はあるか」
「いや、ないね。この場の全員が君のことを知っている、僕が話してしまったからね。……ああ、でも僕の名前を知らないというのは、君にとって失礼になってしまうかな」
「そちらに不都合が無ければ、教えてほしい」
ならば、と。声の主は芝居じみた言動で。
「僕はこの世の悪意、絶望を束ね、世界の日陰に潜む者達──カラミティのトップ、“ジン”だ。以後、よろしくお願いするよ──それで、君は何故、僕達の本拠地にやってきたのかな?」
『どうして私が、カラミティだと……』
『初めて会った時に声を聴いて、薄々と勘付いてた。確信したのは魔物との戦いでの身のこなしに見覚えがあったから。
……本当なら問い詰めたかったけど、普通に生活している君を見て言及するのはやめたんだ。もしかしたら勘違いかもしれないし、何よりも幸せな雰囲気を壊したくなかった。でも、もう手段を選り好みできる段階じゃあない』
『……何をさせるつもり?』
『カラミティの本拠地まで案内してくれればいい。後は俺が話をつける』
『…………君にとって、友好的ではない組織に出向くっていうの? 軽率な行動は死を招くよ』
『それでも、やらなくちゃあいけないんだ。どんな手を使ってでも、必ず』
「それで、君は何故、僕達の本拠地にやってきたのかな?」
ジンと名乗った男の輪郭が、陰の中で仰々しく動く。
──ここからだ。敵地のど真ん中、味方は少ない、一つでもミスをすれば俺の負け。明らかに不利な状況に置かれているのは俺だ。
だから徹底的に、切れる手札は全て使う。
頭を回せ、思考を止めるな。
場の空気を掴め、誰の手にも主導権を渡すな。
最悪の中から最善を引き出す。必要なのは、それだけだ。
「アンタと交渉がしたい。目的は医療企業の壊滅。その為に、《グリモワール》の裏側を統べるカラミティの戦力を頼りたい」
「ふーん……てっきりカラミティの一員として志願しに来たのかと思ったのに」
「……風の噂で耳にした。カラミティが最近の《デミウル》を煩わしく思っている、近々縁を切って直接手を下すらしい、と」
「所詮、噂は噂。簡単に信じるようなものではないけど……で?」
言葉を交わすほど、ジンが興味を失っていくのが分かる。
正直、このまま話していても埒が明かないのは事実だ。相手側への利益やデメリットをこちらも理解しなければ、辿り着くべき到達点への道は途絶えてしまう。
大丈夫、まだ焦るな。心を静めろ。確実に成功させるんだ。
「今日、第五地下居住区画が《デミウル》の手によって焼かれた。奴らは過去に研究所を脱走した実験体が、《ディスカード》に潜伏している情報を得て回収に来たんだ」
「実験体……襲撃犯は既に捕らわれているから別口のヤツかな」
「《ディスカード》で生活していた住人は惨殺され、俺と彼女はその渦中にいた。俺達は協力して《デミウル》の武装部隊から実験体を取り返そうとした。でも、ダメだった。何人かを再起不能にしても間に合わなくて、あの子は──俺の妹分は連れていかれた」
「……っ」
陰に潜む一人の気配が、息を呑んだ。
多少暗闇に慣れた目で音がした方向を見る。外套を纏っているのだろう。丸みを帯びて、しかし確かに男性的な輪郭の両脇に、蒼の色が仄かに点滅している。
俺の目線に気づいたのか、男……シオンは舌打ちして顔を背けた。
「俺はあの子を取り返したい。でも、単独で大企業に侵入するのは容易いことじゃあない。知識も技術も時間も足りない」
「それで僕達に頼ろうとしたのかい? ……浅はかな考えだなぁ、もっと他にも頼るべき組織があるだろう? こんな後ろ暗い連中と関わった時点でロクな目に遭わないって、思わなかったのかい?」
「覚悟している。面識もない無関係な状態で、俺の情報を手にしているアンタの力を頼るしかなかったんだ」
なぜ、知っているのか。などという当たり前の疑問は投げ捨てる。
現状において必要なのは、相手の興味をどうやって表に引きずり出せるか、だ。
「──ふむ。確かに僕達は数日後、《デミウル》へ襲撃を行おうと話をつけていた。あくまでカラミティという一つの組織である僕達が、《デミウル》だけを贔屓にして他の企業への協力をおろそかにしてしまっては信頼を失ってしまう。
金払いが良いのは嬉しいが、独占されるのはよろしくないんだ。近頃は特に、クライアントが増長しだして遠慮がなくなってきたからね。捨てるにはちょうどいい時期だったんだよ。
……だから君と僕達の利害はとりあえず一致している。だけど、君は今すぐにでも《デミウル》へ殴り込みに行きたい、そんな顔をしている。いくらカラミティといえど準備をせずに攻めに行く訳にはいかない」
当然だな。物資不足が原因で敗走するなんて沽券に関わってくる。
裏側の絶対の力であることが、カラミティの強みなのだから。
「向こうの戦力も充実しているだろうし、構成員を無闇に危険に晒す真似はさせたくないんだ。悪いが」
「ちょっと待ってくれ。あんた、何か勘違いしちゃあいないか? 誰がカラミティの力だけを借りたいと言った?」
「……なんだと?」
「足りないんだよ。優越感に浸った澄ました横っ面をぶん殴るには、まだ足りない。
ああ、アンタ達の実力を過小評価している訳じゃあないよ。ここにいる数十人の内、何人かはそちらの魔剣使いと同等かそれ以上の実力を持っているじゃあないか。
俺が逆立ちしたって敵わない。逆に、そんな奴らが簡単に協力してくれるとも思えない」
「良い観察眼をしている、と言っておこう。……遠回りな発言はやめて、はっきり聞こうか。
医療企業の壊滅。その提案に乗った所で魔科の国に一週間と少ししか滞在していない君が、僕達を納得させるほどの実益をもたらしてくれるのか?
自殺願望にも似た妄言を口にした所で賛同者が募る訳がないだろう。過ぎた言動で命を捨てさせるつもりなら、言葉を慎めよ」
直後。背筋が凍りつくような感覚が奔る。威圧されたと同時に、複数の影が武器を取った。
これまでの経験が警鐘を鳴らしている。選択を間違えてはならない。死神の鎌は今にも俺の首を刎ねようとしている。
おそらくジンは試しているのだろう。互いの理想が一致する境界線が見えているのか、くだらない蛮勇で組織を危険に追い込むか、判断を見定めている。
……小さな釣り針だった。撒き餌もなければ極上の餌も無いが、ようやく獲物が食い付いてきたな。
「悪いがアンタに提供できる最大の実益は《デミウル》の壊滅──その混乱によって生じる、国内の勢力抗争の崩壊くらいだ」
「……《デミウル》という医療企業の一角を崩せば、傘下の企業はこぞって頂点の座を狙うだろう。その過程で僕達の需要が増えるのも間違いではないが、それだけでは弱すぎる。リスクに合わない」
「企業だけでなく、グリモワール軍、冒険者ギルド、警察……最低でも、国として必要な三つの組織は巻き込む」
「──そこまで手を回せるコネがあるとは思えないが」
「ギルドの方には当てがある。警察に関してはギルド側から連携するように仕向ければいい。善良な連中の集まりみたいだし、簡単に協力してくれるだろうさ。
軍は騒動を起こせば嫌でも対応せざるを得ないだろう。見過ごせば表向きの権力を疑われ、裏側で絡んでる他の企業勢力からの信頼を失ってしまうのは連中にとって致命傷なはずだ。
もちろんマスコミは騒ぎ出すし、情報統制に力を入れる必要が出てくるが、それでも完全に抑えつけるのは厳しい……いや、アンタの力があれば不可能にさせることもできる。カラミティの情報網で得た内容、《デミウル》に関する物をマスコミに流出させ、塞ぎ切れない傷痕をつけるんだ」
カラミティが関わっている情報は全ての企業の心臓部に突き刺さる銀の杭だ。
大企業の悪事が民衆に露見し、手を下したのがカラミティだと知ったら他の企業は理解するだろう。
もしかしたら、自分が次の標的になるかもしれない。その危機感が自らの行動を改めさせて、カラミティへの畏敬と忠誠を深める。
民衆はマスコミが広めた《デミウル》の悪行を糾弾し、警察とギルドは民衆の声を味方に付けて徐々に勢力を広げていく。
徐々に変化の兆しを覗かせていた《グリモワール》に貴族達が逆らえない決定的な流れを創り出す。
「つまり──見せしめに《デミウル》を潰す。僕達の意向に反すればただちに粛清する。そういう認識を国中に広めさせることが出来る、と?」
「上手く事が進めば、な。正直な話、俺にはこれ以上のメリットを示せない。大企業の崩脚が、それらに与する他の企業がカラミティにどんな影響を与えるか……そこを吟味してほしい」
「もちろんだ。交渉というのは一方的な駆け引きによって利益を得るものではないからね。お互いの意見を尊重した上で納得できる境界線に至らなくては」
刺々しい物言いは鳴りを潜め、ジンは顎に手を当て思考し始めた。
……実は一つだけ、とっておきの切り札が手元にあるが、この手札はカラミティに効かない。俺の思い過ごしかもしれないし、出すとしても最終的に詰まった時だけだ。
しかし、ここまで順調に話を進められてよかった。
何度か危ない場面もあったが、カラミティのメンバーに横槍を入れる余地を与えない、ギリギリのラインを攻めることができた。この点はルシアに感謝しなくちゃあいけないな。
それにしても、ジン……何を考えているか察することは出来ないが、どこか浮ついた印象を抱かせる男だ。
これだけ言葉を交わしても発言の一つ一つに重みが無い。俺がここに来ることすら予知していたような口ぶりで面白がり、言葉だけの感情で翻弄しようとしていた。
あえて例えるなら、そう、陽気なピエロを素人が演じているような──なのに掴み所が見えないヤツだ。
「……君がどんな思いでここに立っているか、これまでの問答で少し理解できたよ。利害の一致から納得の材料まで調達しているなんてね。
けれど、今からやろうとしている事は君にとって間違いなく“違法”だ。僕達に接触し、法を冒し、たった一人の命を救う。その意味に、結果を得るまでの過程に気づいているのか?」
「一人の命の対価に何人、何十人、何百人……それ以上の人間が不幸になるかもしれない。
ああ、分かってるよ。可能な限り不殺で、なんて甘いことも言わない。ただし、カラミティ側に被害を出さず、あくまで最低限の犠牲を《デミウル》に払ってもらう」
「おいおいおいおい……三つの組織を動かすと言っておきながら、最低限の犠牲で抑えるだって? 無茶な願望を口にするなよ。こっちは遠慮する必要なんて無いんだ、事態を大きくするなら残酷に、冷酷に、救いも無い状況を作ってやらないと示しがつかないだろう」
「カラミティにはあくまで救出の手伝いをしてほしい。騒ぎについては俺が起こす。提案したのは俺だからな、失敗はしない」
「なあなあなあなあ……たとえ君が成功したとしてもだ、たったそれだけの為に僕達の人員を割くってのかい? 迷いも甘えも捨てた割には弱気な発言だ。救出を確実に成功させる理由とされても素直に頷けないな。
大企業の警備は手強く、騒ぎを起こして注目を引いたとしても簡単に突破できるものではない。だからこそ、分かりやすい脅威の的として僕達は必須なはずだろう? 弱小戦力で落とせるものかよ。やるなら全力だ、それしかないッ!」
「“侵入”する」
「だから気に入った」
ビシッ、と。指をこちらに向けて、ジンは不敵に笑った。
「そう……《デミウル》の壊滅という大本の目的が一致していて、なおかつ君の要望でもある妹の救出を並行して行うなら、その手が一番だ。
どれだけの規模であっても大企業の敷地で騒動が起きれば、グリモワール軍、ギルドと連携した警察は動かざるを得ない。陽動としてはそれだけで十分だからね」
「正面突破なんて無闇に危険を背負うことはなく、最小戦力で迅速に行動すれば侵入は可能だ。
混乱が起きればルートを確保する必要もなく、内部に入ってしまえば手持ち以上の情報はいくらでも抜き出せる。マスコミに流せば奴らは必ず食い付いてくるし、同時に救出対象の位置も把握できる」
「《デミウル》の社長、ファラン家当主は手に入れた物は手放さない。わざわざ回収部隊を編成させて、調査にどれだけの時間を掛けてでも、手元に置いておきたいと思うほど執着している実験体なんだろう?
それだけ重要視しているのであれば、当主の近く、企業本社ビルにその子がいると見て間違いない。
……この案で一番重要なのは君だ。初動の出来が良ければ後の段取りも順調に進むだろう。僕達に対して啖呵を切ってみせたんだ、期待していいんだろうね?」
「構わない、存分に騒がせてやるさ──話を一気に詰めてしまったが、俺の提案に同意してくれる、ということでいいのか?」
ああ、と。手を挙げながら暗がりからジンが現れた。
背丈は俺と同じくらいで、身に纏っている外套には五芒星を模した星を囲う刀剣の紋章──恐らくカラミティのシンボルのような物だろう──が描かれている。
目深にフードを被っていて顔はよく見えないが、わずかに上がった口角が怪しさを滲み出していた。
そんな彼の様子に、周囲に張り詰めた空気が弛緩する。
構えられていた武器が下げられ、いくつかのため息が響いた。安堵、というよりは呆れているような……もしかしてこいつ、いつも交渉相手にこんなマネしてるのか? ……大変そうだな。
「君の提案に乗るのは僕としても、カラミティとしても問題はない。ただ……彼女の意見も聞いておこうと思ってね」
埃が掛かった光の中で、ジンは声音を変えず、静かにルシアの方へ顔を向ける。
「“ナンバーズ”セカンド。カラミティの活動を自粛させておきながら、こうして一般人をアジトに呼び込んだことには目を伏せておくとして──今回の件について、決して無関係ではない君はどう思っている?」
「…………危険な手ではある、と。しかし、《デミウル》の動きが目に余るのも事実。早急に手を打って問題は無いかと。何より──懇意にしていた協力者が殺されたことに、何も思わない訳ではありません」
強い意思を持って、掴み掛かるように。
「後ろ盾を過信し、思い上がった低能共に報いを受けさせたい。……それが私の考えです」
「……分かった。《デミウル》への侵入にはセカンドを同行させるとしよう。構わないね?」
「俺としては何も問題はない。勝手に押しかけた身分でアンタの人選に文句をつけるつもりはないからな」
「それでは、決まりだ」
ジンが手を伸ばしてきた。不用心に。
軽率に接触するのもどうかと思うが……小さくため息を落として、その手を取る。
「カラミティのトップとして、改めてよろしく頼むよ──怖い物知らずな共犯者さん?」
「……こちらこそ」
こうして、交わるはずの無かった二人が手を組んだ。
「……奴は本当に信用できるのか。ただの一般人なんだろう?」
「サード、君が不安に思うのも無理はない。でもね、彼が提示した情報は《デミウル》に対する劇薬であり、カラミティにとっても無視できないくらいには重要なモノだ。
それを金銭でなく、これから起こりうる展開を踏まえた上で、確実に手に入る旨味を口に出して伝えた。
彼の力で《グリモワール》の中枢に食い込めるのか、その判断が出来るのか、分の悪い賭けに乗って来れるのか。僕達は、組織としての能力を試されていると言っても過言ではないんだ」
「しかし……」
「彼はあえて自分の退路を失くして僕達に接触してきた。たった一度きりの反逆を行う為に、全ての手段を用いて協力体制を結ぶ為に。
戦場の真ん中に突っ込んでいくような度胸……四面楚歌の状況であっても怯まず我を貫く覚悟……わざと煽るような安っぽい言い方で挑発し、乗ってきた僕に取り入ることで骨の髄まで利用する、そんな気概まで感じられたよ。
しかも僕がアカツキ・クロトに執着していることに気づいていた。たった一度だけ言葉を交わし、今日初めて対面したというのに。見通すような常軌を逸した観察力、洞察力……それを以てしても、正直に言って正気の沙汰とは思えない行動で価値を示した。だから気に入ったんだ」
「まさか、本当に成功させるなんて……」
「本当なら交渉の場に立つことすら許されなかったからね。相手にとって捨てられない利益を挙げて、どうすれば有効に扱えるか。
俺には無い物を持っているジンだからこそ理解できる部分がある。その隙間に入り込むのが重要だったんだ。
ただ、あのままだと利用し利用される関係としての繋がりが弱い。別に完璧を求めている訳じゃあないし、文句は無いけど、結果としては最良の一歩手前くらいだよ」
「……でも、これから、なんでしょ?」
「ああ……過ぎたことを振り返っても仕方ない。たとえ誰かに批判されようと、法を冒してでも、いつかきっと罰が下る時が来ると分かっていても……必ず手に入れる。手元に残った手札で、いま出来ることをやるだけだ」
会話に色々と穴があるような気がする……次話で補完します、はい。




