第二一九話 遥かな峰の頂に《後編》
星に根を張る悪性。
災禍を払う、覚悟を示す時。
「十年前、大神災より以前の話だ」
かつてナナシは日輪の国中を放浪し、工芸品の素材収集を行っていた。職人として納得のいく素材を、自身の手と目で判断する為だ。
その足取りは、入場制限が無かった頃の焔山にも向かっていた。
自衛用の刀を佩き、迫り来る魔物を倒し、素材の収集と選別は何事も無く終わりを迎える。
いざ、帰ろうか。そう考え、焔山の中腹から去ろうと踵を返した……そんな時だ。
視界の端に、妙な影を見た。禍々しい邪悪な影、瘴気を。
ナナシ曰く、いま思えばアレは死刻病の霧に酷く似ていたそうだ。
「兆し、であったのだろう。だが、偶然の遭遇だった」
不審に首を傾げ、気のせいかと思えば──直後、異形が姿を現した。
カラン、コロン、と。軽い音が続き、幾本もの骨子が凄まじい勢いで収束し、構成された不気味ながらんどう。
従来の魔物……いわゆるスケルトン系統に類似していながら、人の背丈の何倍ものある巨大な腕部。
支えも無ければ自重によって満足に動けるはずがない。
そも人体の一部を彷彿とさせるだけで、実態はまるで掴めない。
だというのに、違和感だらけのがらんどうはナナシの気配を察知したのか。剛腕を振り上げ、薙ぎ払ってきたという。
「異形は見た目とは裏腹に、俊敏で豪快な破壊を撒き散らした。難を逃れるべく応戦し、手塩に集めた素材がガラクタ同然となるまで、刃を振るった」
何十分、何時間……時が過ぎ去っていく感覚など、もはや無かった。唐突な死から逃れるべく激闘を繰り広げ、息も絶え、身体を疲労が蝕む。
やがて最後の一閃にて、がらんどうを打倒。何らかの繋ぎを失った骨子は散らばり、灰にもならず消えていく。
危機を脱し、安堵の息を漏らし、胸を撫で下ろすも束の間だった。
「素材収集は、何も一人で行っていた訳ではない。某の身内──妻もまた協力し、手分けして事に当たってくれていたのだ」
「お前、奥さんがいたのか」
「ああ。某にはもったいない程に出来た妻だった。当然、騒ぎを聞きつけた彼女は某の元へやってきた」
二人はがらんどうが消えた地で抱き締め合い、無事を確かめ合った。
妻は怪我をしておらず、壮健なまま。どうやらナナシがいた地にのみ、がらんどうは出現していたようだ。
彼女が傷つかなくてよかった……そんな気の緩みが、反応を遅らせた。
「がらんどうの欠片が完全に消えた直後、ぶわりと瘴気が噴出。疲弊し、背を向けていた某は気づけず、妻だけがその影を目の当たりにした」
事情を話す間もなく。
無風であるにもかかわらず。
瘴気は意思を持つかの如く飛来してきた。
直感的に、反射的に、人に害なす存在だと察した妻はナナシを突き飛ばす。たたらを踏み、尻餅をつき、次いで目を開けば瘴気に纏わりつかれた妻の姿があった。
「手の出しようが無いほど、あっという間の出来事だった。瘴気は妻の身体、その表面を這いまわるようにして口内から入り込んだ。途端に残りの瘴気は霧散し、某はすぐさま彼女に駆け寄り、身体に異変が無いか探った」
自身の油断、失態が招いた事態に良からぬ想像が湧いてくる。
「仄かな期待を裏切るかのように、異変は即座に現れた。高熱に咳、喀血、呼吸困難に激しい痙攣が彼女の身に起こったのだ。素人目にしても病に侵されているのは明白だった。疲れた身体に鞭を打ち、某は妻を担いで全速力で焔山を下山した。一刻も早く、医者へ診せなくては、と……」
「……てっきり死刻病が発症したのかと思ったが、症状と全く違う……? まるで、いくつもの病気が一気に発症したような感じに聞こえる」
「まさしくその通り。後日、腕の良い医者に見せた所、ありとあらゆる万病を内包した凄まじい容態になっていたのだ」
現代医学では到底根治が不可能な、合併した病。
血も骨も臓腑も腐り落ちる。無垢なる命を容易く葬る症例の数々は、手厚い看病も空しく妻の命を奪った。
「妻を亡くし、失意のままに。諸悪の根源たるがらんどうの存在を訴えようにも証拠はなく、妄言と流される毎日を過ごした。だが……諦めてたまるものか。あの時の後悔を、無碍に殺された妻の無念を、恨みを晴らさず生を享受するなど耐えられん!」
「だから、日輪の国を離れて情報を集めていたのか」
「そうだ。その過程で魔剣と出会い、カラミティと接触し、某は再びこの地に降り立った。神器とされていた“始源ノ円輪”の奪取をジンより依頼されていたが、某の目的を果たす武器として活用せんとするため。指針は始めから何一つ変わらず──がらんどうの大元、焔山の頂に座す元凶の討滅……それだけだ」
故に、と。
「お主の適合者としての実力、敵方との邂逅によっても冷静な視座を持つ精神性。ファーストやセカンドが称賛するに値すると判断した」
その上で。
「こちらの目的が達成され次第、某はカラミティから脱退する意思表示として黒の魔剣を譲渡する。それがお主に提示できる最大の報酬だ」
「……いいのか? 魔剣を貰えるのはありがたいが、仮にも暗部組織の一員として活動していたんだ。足抜けなんて簡単に出来る訳が無い」
「構わん。どの道、幹部という立場は某に荷が重く、まともな貢献をしてきた覚えが無い。反旗を翻したとして命を狙われ続ける身となろうが、遅かれ早かれ、尽き果てる機がやってきたということなのだろう」
自らの破滅がやってこようが、命を失おうが、己が使命を遂行する。
傍から見れば、病的なまでの執着は狂気そのもの。裏を返せば、亡くした者への強い想い──激情を感じさせる。
「これでも信じられないなら、呪符によって命を縛ることも出来る。お主の匙加減で容易く某を殺す。その手綱を握り、安心するのであれば受け入れるのもやぶさかではないが……」
「そこまでしなくていい。覚悟は十分に伝わった」
ナナシは手段や方法を選ばなかった。愚かなまでに、まっすぐに。
今まさに、クロトへ取り引きを持ち掛けたように。これまでの仕草、声音、表情に滲み出る執念を切り捨てるほどの薄情さを、クロトは持ち合わせていなかった。
「この国に来て日は浅いし、酷い目にも遭った。綺麗な面も汚い面も味わってきて……正直、いい思い出よりも辛い出来事の方が多くて、しんどかった」
加えて、龍脈という星の一部に関する問題でもあるのだ。
大神災という天災は、様々な形で各国に甚大な被害を与え、傷痕を残した。
その内の一つ、日輪の国に死刻病が蔓延した、そもそもの原因。
「でも、ここで生きる人たちは皆、いい笑顔で生活してる。過去にどれだけ悲しくて苦しくて、ツラく凄惨な事態に見舞われても。過去に囚われ、復讐に走り、それでも奇妙な縁を手繰って新しい道を進んだ」
それが星の抱える存在……ホシハミによるものだとしたら? あるいはその尖兵が、害意を持って行動を起こしたのだとしたら?
そんな奴が野放しにされ、今もまだ焔山に潜伏している。知ってしまった以上、見過ごすなんて出来るはずがない。
「前を向いて、力強く進み続ける人たちの為にも──焔山の怪物、病魔の元凶を討とう」
適合者だから、真実を知った者だから、などという理由でなく。
明日を生きる皆と、この世界を壊したくない一心で。
クロトは再び、その身を混沌の中へと飛び込ませるのだった。
復讐、執着心に苛まれて、悲壮な感情に憔悴しても、芯のあるイケオジ。
それがナナシです。
次回、密談の終わりと次なる謎の追及。




