第二一五話 石積みの礎
質素で呆気ない、そんな物でも。
誰かを示す標なのだから。
シノノメ家の屋敷を出る直前、オキナさんから“君は今や時の人なのだから、姿を見せない方がいい”と。
変装用の装束を羽織り、事情を知るお抱え業者の人力車に乗せてもらって。
周囲の景色と人波を眺め、揺さぶられること数分。
乗り物酔いの吐き気を覚える前に、シラビから聞いた特徴の地区に到着。
「小高い山上って話だけど……山がいっぱいあるな」
走り去っていく人力車を見送ってから、辺りを見渡す。
神器展覧会の警備では市街地がメインだったので気にならなかったが、降り立った場所は緑の木々や霊桜の茂る小山が多い。
ようやく戻った視力で目を凝らせば、しっかりと人の手が入っているようで、軽い登山くらいなら誰にでも出来そうだ。
「死刻病で亡くなった方々は大勢います。出発前に見た地図によれば、集合墓地は一つと限らないようなので……」
「コクウ家領地の外れで、焔山とコフクノ大社が一望できる山だっけな。位置を絞って探すか。道中でお供え物も買おう」
「はい。では、参りましょうか」
カグヤの先導で近場の甘味処へ向かうことに。
道中、近頃の情勢によってか、コクウ家領地内で感じる空気は慌ただしい。
それはまあ、当然と言える。裁判場での一件は、コクウ家が長年領民へ向けた仕打ちを最悪の形で発露させたのだ。
種族、老若男女問わず、圧政の下にあった彼らは、意図せず時代の転換期へと巻き込まれたようなもの。
されど、すれ違う人々の顔はどこか清々しい。
諸悪の根源たるコクウ家当主シュカ、並びに分家や傘下とされる名家。それらの主だった人物の逮捕と人材の変遷は、大きくも良い変化を生み出しているのだろう。
「なんか、みんな生き生きとしてるね」
「コクウ家領地の洗浄作業は順調に進んでいますから、その影響でしょう」
辿り着いた甘味処の商品。
漂う香りに期待し、棚に並ぶ色艶を見定めながら、カグヤと雑談を交わす。
「憎まれっ子世に憚るとは言うけど、それこそいざ露見したら一気に失墜するからねぇ。お粗末な対応の連続に公衆の面前で恥部を晒したら、こうもなるって訳か」
「加えて、コクウ家で悪政を敷いていた主導者のシュカと比べ、息女のマチさんは親身に領民へ接していました。先刻の公開喚問と彼女の以前からの尽力も相まって、領内は公正で公平な活気を取り戻すと信じているんです」
「希望を抱けるのは良いことだ。真っ暗な未来を見つめるよりずっといい」
今まで人伝や音でしか知り得なかった情報の更新。それを間近で、しかも自分の目で見て、感じ取れるのは気分が良かった。
「さて、予算内に納めて購入するとして……美味しそうで迷っちゃうけど、おはぎと団子の二つにしとこうか。包んでもらえたりします?」
「はい、大丈夫ですよ!」
店先に立つ従業員に願い出て、笹のような大きな葉で手早く包んでもらう。
持ち運びやすいように糸で吊るしてもらい、お金と引き換えに受け取る。
「どうもありがとうございます! お二人とも、熱心に見ていらしたんでね、幾つかおまけしときましたよ!」
「え? そんな、悪いですよ」
「いえいえ。近頃、色々と嬉しいお知らせが多いのでね、幸せのお裾分けって奴です! それに見たところ、お若いご夫婦さんみたいですし、熱々な今にウチを印象づけて贔屓してもらおっかなって!」
「だいぶ打算的というか、腹黒じゃないです?」
「お、お若い夫婦……」
笑顔に次いで仄暗い表情を見せるなど、表裏に曇りの無い従業員の物言いに思うところはあれど、おまけは素直に嬉しい。
感謝を伝えて店を後に。甘味の包みを片手に地図を開き、シラビの告げた小山の所在に当たりをつける。
「そういえば墓参りで思い出したけど、いずれカグヤのお母さん……ツグミさんの所にもいかないとね」
「──へっ!? なぜですか!?」
甘味処を出てからぼーっとしていたり、その割には歩調が早いなど。
どこか挙動不審気味だったカグヤが勢いよく顔を向けてきた。
「いや、オキナさんは既知だけど大切な一人娘と一緒に行動してる訳だし、墓前でお世話になってることを報告したいんだ。カグヤも伝えたい事があるんじゃない?」
「それは、そうなんですが……な、なおさら婚前挨拶のような……!」
「えっと、もしかして身内以外だと入っちゃいけない場所にあるの? だったら、無理にでも行こうとは思わないけど」
「だ、大丈夫ですッ! 何も、問題はありません!」
「そっか。なら、後で時間が空いた時にでもお願いしようかな」
それからツグミさんは何が好きだったか、どういう人だったかを聞きながら。
目的地を絞った結果、シラビが言った特徴に該当する小山の一つ。その登山口に足を掛け、登っていく。
人の気は無く、霊桜の香りが濃くなり、柔らかい空気が身を包む。
普段は人の頭身でしか見渡せない街中が、一段一段、石階段を上がっていく度に新鮮な景色として見えてくる。小山であるが故に、さほど標高は高くない。
しかし目論んだ通り、数分と経たず辿り着いた頂上からは日輪の国を代表とする焔山、コフクノ大社というランドマークが堂々と覗けた。
未だ足を運んだ覚えのない地域だが、後者に関してはそこまで記憶に遠い認識を持ち合わせていない。
ツクモの内面空間でぶっ壊した影響だろうか?
数日前の出来事にも関わらず懐古する気持ちを抑え、辺りを見渡して。
木々も無く開けて、手入れがされた程度に整えられた位置に、無造作に石積みが積まれ連なっていた。
これまでの、日輪の国で起きた数々の犠牲。十年前、大神災で蔓延した死刻病、付随する形で振り撒かれた無情な政策に打ち捨てられた命の標
質素で、あまりにも簡素。
性も名も無く、ただただ影を落とす様相は賽の河原の石積みのようだった。
「ここが集合墓地か。仕方ないとはいえ、どれが誰のものかは分からないな」
「頭では分かっていても、直接的にこうも見せつけられると……ここに足を運んだシラビの思いが、少しだけ分かるような気がします」
「冷たくなった子の身体を抱えて、恨みも怨念も相当だっただろうに──それが、父親としての決別だったのかもしれない。やるせなさに復讐の念が募るのも理解できる」
でも。
「あそこで止めなきゃ、もっと大勢の無関係な命が失われてた。それでも身の上を明かして、俺に頼み込んだ……だから応えてやりたかったんだ」
墓標の中で一際大きな物に膝をつき、包んでいたおはぎと団子を並べる。
カグヤから差し出されたロウソクと線香が倒れないように土で台を作り、立て掛けて、魔力結晶の点火装置で火を点けた。
次第に漂う香木の匂いと煙、揺らめく炎。
風でそよぐ姿なき霊魂への語りが頬を撫でる。
促されるまでもなく、自然に隣で正座したカグヤと頷き合い、二人で手を合わせ、静かに瞳を閉じた。
「……」
「……」
遠くから響く日常の喧騒。
風に流される霊桜の花びら。
現世と幽世。異なる世界が近づくような、そんな錯覚を抱かせる時間は粛々と過ぎていった。
レオ達『あまりに空気が真面目過ぎて出るに出れない……』
少しお待たせしてしまってすみません。少々生活の方で立て込んでおりまして更新が遅れました。
次回、クロトがどうして墓参りに執心的だったのか、彼の抱える過去のお話。