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自称平凡少年の異世界学園生活  作者: 木島綾太
【三ノ章】闇を奪う者
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第二十九話 魔導に溢れた国

友人に頼まれたせいで今回の話を大幅に修正する羽目になりましたがひとまず予定通りなのに変わりはないので問題ないけど途中まで出来てたのに書き直す手間を増やしたのは許さないから友人この野郎。


 窓から見える景色が変わり始めた。

 広大な平原の草木は枯れ、大地はひび割れ、モンスターの影すら見掛けない。

 代わりに荒涼な風景に確かな存在感を示す、大地に突き刺さる太い鉄管があった。

 列車の行き先と同じ方向に向かって伸びていくそれは、大地の魔素(マナ)を吸収する燃料供給管だ。

 それはグリモワールに近づくにつれて徐々に数を増やしていき──トンネルに入った事で見えなくなった。



 時間で言えば数十秒。過ぎた頃には、列車が停車の為にスピードを落としていく。

 にわかに沸き立つ車内の空気を感じながら、荷物を降ろして腕の中に抱える。

 金切り声にも似たブレーキの音が鼓膜を揺らした。

 直後に背中に軽い衝撃が走り、列車が止まる。

 人の波に流されながら列車を出て、清掃の行き届いた駅構内を進み、改札を出た先は──。



 憂鬱な曇り空の下に建ち並ぶ高層建築群。それらを繋げる空中回廊が蜘蛛の巣の如く張り巡らされていた。

 結晶灯の応用で作られたネオンのように光る看板やディスプレイには広告が流れており、音と光芒を無差別にまき散らしている。



 鉄管から供給される魔素(マナ)を魔力に変換させる装置が蒸気を噴き出す。

 その様は自分がスチームパンク世界に迷い込んだのではないかと錯覚してしまうほど、周囲の風景と似合っていた。



 目の前の道路を行き交う人と車。枝分かれした立体高速道路が頭上に伸びていて。

 同様に小型の魔導列車……モノレールに似ているそれが、いくつもの線路を経由してそれぞれの行き先に流れていく。



 視界を横切る人波の中に、猫人や犬人、妖精族といった亜人の姿が見当たらない。

 事前にエリックから説明されていたとはいえ、ニルヴァーナの光景しか知らない俺から言わせてもらえば、純粋な人間だけが跋扈するという環境は少し潔癖が過ぎる。

 視界の情報だけで全てを把握するなど早計だろうが、この国には何かがある、と思わせるには十分な(いびつ)さだ。



 ──鉄と魔導で栄える現代国家、魔科の国(グリモワール)

 しかし繁栄の裏側に渦巻く底の知れない悪意が、こちらを覗いているように思えた。





 立ち尽くす俺たちの前に一人の少女が現れた。

 制服に身を包んでいるが、首に装着された装置と肌の繋ぎ目、カメラのレンズのように縮小した瞳。

 それらが醸し出す雰囲気が、少女がただの人間でない事を示唆していた。


『──ニルヴァーナ本校の方ですね? ようこそ、魔科の国(グリモワール)へ。分校への案内を任せられました魔導人形(オートマタ)型番‐103、タロスです。気軽にタロスとお呼びください』

「は、初めましてタロスさん。私は本校の教師、ミィナ・シルフィリアと申します。今回は国外遠征という事で、こちらの生徒たちの引率として同伴しました。こちらが詳細を記した書類となります」

『受け取ります……はい、承認しました。改めて貴方達を歓迎します。ところで現時刻から三十二分前、グリモワール領内停留所にて破損事故が発生したようですが問題はありませんか?』

「ええ、特に何も。ただ、復旧作業によって予定していた到着時刻よりも遅れてしまったのですが……」

『多少の時間のロスを確認していますが支障はありません。それよりも、皆様の身に大事が起きずに済んでよかったです』


 自らを魔導人形と名乗った彼女はシルフィ先生と会話を交わす。

 心配そうに眉根を寄せて、首を傾げ、朗らかに笑う。

 人の手で作られた物だからこそ、だろうか。人間らしい表情を浮かべる彼女を見て、カグヤがエリックに耳打ちする。


「エリックさん、魔導人形とはなんでしょう? 本物の人間にしか見えませんが、気配が人のそれではありません」

「いや、俺も知らねぇ。半年前に帰省した時はこんなヤツは見かけなかったぜ」


 物珍しそうにジッとタロスを見つめる二人。

 そんな視線を感じてか、タロスは駆動音を鳴らして首を回した。


『魔導人形は珍しいですよね? 私や他の同型の魔導人形は三か月前からグリモワールでのみ稼働していますから、他国家から来訪される方はよく驚かれます』

「そ、そうなのか……」


 見た目は完全に美少女な機械の笑顔をまじまじと見つめるエリック。

 完成された黄金比の肉体が醸し出す魅力というべきか。整った容姿に釘付けになるのも無理はないだろう。

 何がとは言わないが、出る所は出ており、引っ込む所は引っ込んでいる。


 すらっと伸びる薄鈍色の髪が風を受けて、きらきらと金属に似た光沢を散りばめていた。

 空気に晒された白雪のような肌は触るまでもなく人と変わらない質感だと分かる。

 関節部が隠れている為、どのような形状になっているかは分からない。しかし不自然な膨らみや異音は無く、膝や肘の可動は非常に滑らかだ。


 ──見事。かつて中学校に存在していた義体(美少女フィギュア)研究部(製作同好会)の助っ人をしていた俺から見ても、タロスの全体的な完成度は高いと判断できる。

 ここまで造形にこだわりを持つ企業が、技術者がグリモワールに居るのか。

 良い意味で変態だな。


「動力源が魔導核だとすれば、《ネルガル工業》が主体で生産してんのか?」

『その通りです。魔導人形の基本スペックとしまして、感情の疑似表現、自律思考、記憶の共通が標準的な機能になります。加えて、私は魔導ネットワーク上に存在している情報の収集・演算処理に長けた個体です。他にも待女型、戦闘型と多種多様な魔導人形が量産され、生活のサポートを行っております』

「相変わらず変態レベルの技術力を発揮してるな、ネルガル」

『貴方の発言は企業への誹謗・中傷と捉える事も可能ですが、《ネルガル工業》の方達にとっては誉め言葉です。しかし文言通りに伝えてしまえば、調子に乗って本来の活動に支障を来す機能をアップデートする可能性もあります。タロスとして人格を持つ私は彼らに自重を覚えて欲しいと願っています。故に、広報担当にメッセージを送信するのは良い判断ではないと思われます。……“生活保護プログラム──今夜はキミを寝かせない──”など組み込まれても困るのは私たちですから』


 思っていたよりも度し難い変態だった。

 感情が備わっている事で、思う所もあるのだろう。自分を生み出した企業に対して不満を重ねている。

 エリックは苦笑いしてるし、先生は意味を察して顔を真っ赤にして俯いてるし。


 カグヤは我関せずといった表情でタロスをじっくりと観察して、時折納得したように頷いている。

 どうやらカグヤはタロスに興味津々なご様子。何か気になる事でもあったのかな?

 そんな三人を眺めていると、不意に鐘の音が響いた。


『──おっと、つい話し込んでしまいました。時間も押していますので早速向かいましょう。車を用意していますので、こちらに』

「え、車で?」

『はい。列車の利用も考慮しましたが、予期せぬトラブルの発生や乗り換えによってはぐれてしまう可能性が考えられます。徒歩で向かうとしても分校までは距離がありますから、車での移動が最善だと判断しました。何かご不満な点がありましたか?』

「ああ、ちょっと……」


 ちらり、と。エリックがこちらを一瞥した。

 俺の乗り物酔いを気にしているのだろうが、心配ご無用。

 首を振って問題無いという意思を見せる。


「いや、やっぱりなんでもねぇ。止めて悪かったな、案内、頼んだぜ」

『はあ……』


 俺とエリックのやりとりにタロスは困惑していたようだが、少し悩んだ素振りを見せてから納得したように頷いて歩き出した。

 背負った荷物を担ぎ直し、ニルヴァーナとは違った喧騒に揉まれながらも。

 新たな出会いがある事に期待を寄せて、未知の土地に踏み出した。





 車に揺さぶられて数分、グリモワール分校に到着した。

 校舎、というよりはオフィスビルのような外見の建物に入り、会議室と名札が下がった部屋に案内される。

 扉の先には楕円形のテーブル。向かい側に座る分校の生徒と思われる人物が数人。ホワイトボードの前に佇む格式ばった服装に身を包んだ中年の男性。

 そして──。


「本校の諸君、遠路はるばるお疲れ様。私はグリモワール分校の校長、ハイス・ラーゼンだ。そちらの事情については把握しているから、そんなに委縮しなくてもいいよ。ささ、座って」


 着崩したスーツに、寝癖をそのままにしたような髪の毛。

 右頬の傷が特徴的な男性──ハイス校長は柔和な笑顔を浮かべた。

 どこか安心感を覚えるその姿にほっと一息。そして促されたまま席に座り、シルフィ先生の挨拶、名刺交換などを済ませて落ち着いたところで。


「それじゃ早速だけど、遠征の概要を説明しようか。──サウス」

「はっ」


 サウスと呼ばれた男性は短く返答し、ホワイトボード前の機械を操作する。

 低い機動音が鳴り、何もない空間に映像が映し出された。

 最早サイエンスファンタジーの領域に足を踏み入れている気がするが、一応デバイスの機能の一つとしても備わってたな。

 地図を確認するくらいでしか使い道がないと思ってたけど。


「ここにいる全員は知っていると思うが、今回の遠征は学園と分校の生徒間における互いの実力の把握が主な目的だ。その為、我々グリモワール軍と冒険者ギルドが要請する依頼をこなしてもらう事になる」


 映し出された映像を操作しながら、サウスさんは淡々と遠征について語り出した。

 というか今、軍って言わなかった?


「一つは古代文明の発掘品を展示しているゴエティア美術館の警護。場所は第三区域だ。最近、妙な連中が強盗計画を企てているという噂が絶えない為、この依頼に取り掛かる者は十分注意するように」


 そして二つ目だが……、と。

 一瞬、苦しげな表情を見せて、すぐに取り払って。


「──グリモワール軍が保有しているアーティファクトの輸送を護衛してもらう。それも第三級、第二級程度の物ではなく、特級相当のアーティファクトだ」

「と、特級だって!?」


 紡いだ言葉に俺以外の全員が息を飲んだ。

 訳が分からないまま辺りを見回していると、部屋の隅で待機していたタロスが近寄ってきた。


『アーティファクトの中には環境や人体に重大な影響を及ぼす物があります。企業の研究データを元に軍と国がそれぞれに等級を付けていて、特に危険性が高い物は軍で厳重に保管される危険性特級指定物になります』

「護衛対象は未だ解析中であり、より精密な検査を行う為に専門的な技術を持つ企業に輸送する。しかし研究に携わった者の多くが錯乱、発狂し、廃人と化している事例が報告されており、護送用に用意した車体には特殊な防護装置を取り付けている」


 なるほど、分かった。

 つまり国すら認めてるやべー物を厳重な護衛で企業に送り届けるという事だな?

 わざわざ冒険者に依頼するほど軍は関わりたくないし、気味悪がってるってところか。

 美術館の警護でも不穏な影が潜んでるらしいから、アーティファクトの護衛も一筋縄ではいきそうにないな。


「加えてアーティファクトに関する情報、依頼の内容は軍の機密情報だ。把握しているのは軍の上層部と一部の企業幹部、冒険者ギルドのみである。済まないが情報漏洩を避ける為に、会議終了後は軍の監視を付けさせてもらう」


 しかもいつの間にか軍の機密を抱える事になってしまったのですが。


「そして二つの依頼は明日(あす)、同日に行う。その事から学園、分校の生徒を混成した二つの班に分かれてもらう。班のリーダーには……」

「その前に、少しいいかな?」


 すっと手を挙げて割り込んだハイス校長にサウスさんは書類に落とした視線を向ける。

 心なしか、少し不機嫌そうに睨みつけていた。


「なんですかな、ハイス校長」

「怖いなぁ。話の腰を折ったのは悪かったけど、もう少し柔らかい表情を浮かべなよ」


 笑みを浮かべておどける校長から視線を外し、軽く舌打ちを鳴らして黙り込んだ。

 剣呑な空気になるかと思ったが、意外にあっさりと引いたな。

 もしかして二人とも今日が初対面という訳ではないのか。

 だけど軍人と校長なんて役職に就いている者同士、接点なんて無いと思うけどな。


「折角学園と分校の生徒が集まってるんだから、この場に居る生徒十人を半分ずつ、班のリーダーも学園と分校の双方から一人を選んでその人に任せようと思ったんだよ。これもいい経験だからね。とはいえ、誰にしようかなぁ……」


 おもむろに立ち上がり、顎に手を当てながら俺達を一瞥し。


「まず本校からは……黒髪の君だ」

「…………私、ですか?」


 戸惑いながら自分を指さすカグヤ。

 頷いたハイス校長は両手を挙げてざわついた室内を沈める。


「彼女には美術館警護のリーダーを任せる。頂いた資料を見る限り、彼女は周囲の気配を感知するスキルに長けている。加えて流派スキルの持ち主であり、万が一に戦闘が発生した際には戦闘員として戦う事も可能だ。班員として分校からサイネ、レビル、コランダの三人。そしてアカツキ君を預けるとする」

「……分かりました」


 よかった、俺は平社員か。リーダーなんて柄じゃないから有り難いよ。

 だけどカグヤは納得してないみたいだ。なぜ?

 首を傾げているとハイス校長はハレヴィという生徒を護衛のリーダーに任命すると言った。

 なんでも突発的な事態に陥った時の状況判断と周囲をまとめる指揮能力が優れているのだとか。


 班員には、金髪をウェーブにして煌びやかな雰囲気を漂わせるラティア、糸目のせいで何を考えてるか分からないけど口の端を上げて微笑んでいるリオルという女子生徒二人。

 入室してからというもの、高圧的な視線を不躾にシルフィ先生やエリックへ向けていた貴族のルーザー。

 それを受けても何も言わず、ただじっと映像を見つめるエリックの四人が選ばれた。

 ……この選出、意味があるんだろうけど、護衛組の空気が最悪になりそう。


「うん、こんなものかな。何か意義のある人はいるかい?」

「では」


 ルーザーが手を挙げ、立ち上がるとエリックに指をさした。


「なぜ下賤な妖精族などと私達が組まなければならないのですか? そもそも私達だけでも此度の依頼を達成する事は可能です。第五世代のデバイス、最新鋭の可変兵装があれば、学園の生徒の力など借りる必要もない。なのに、なぜ?」


 おおっと、遠征の目的を全否定ですか?

 確かにもっと楽な仕事だといいなぁ、とか思ったりはしたけどわざわざ口に出して言うなよ。


「そうだねぇ……まず、一つ目だけど。我が分校の生徒は優秀な子が多いけど、一部はなかなか癖が強いだろう? そこで学園から送られた資料を見ると、三人とも協調性を重んじる性格だって書かれているじゃないか。これなら全員をミキシングした班を作っても、依頼をちゃんと遂行してくれそうだと思ったからね。そして二つ目だけど……ルーザー君は私情的にエリック君を嫌っている、という認識で構わないかい?」

「誤魔化すのも後に響くでしょうから、その認識で構いません」

「分かった。ではバッサリぶった切るけど──君はもう少し周りに目を向けて、自分の意識を変えるべきだ」


 バッサリだね、本当に。


「昔ならともかく、現代において君のような思想を持つ貴族も減ってきている。妖精族、犬人、猫人……その他多くの種族が他国では普通に生活しているというのに、グリモワールだけが交流もせずにただ自分の意識を押し付けている。この現状を打破する為には、若いうちから多種族と良い関係を築いていく必要があると思うんだ」

「築く必要などありません。死体に群がる鳥のように卑しい考えしか持たない亜人など、人間に劣る生物でしかない」


 人間にも卑しい考えを持つ人は沢山いますけど、そこの所どうでしょう?


「大体、こいつの能力は期待できるのですか? 外見から判断すれば、クラスはファイターのようですが……」

「君の言う通り、彼のクラスはファイターさ。だけど、同時にユニークスキルの持ち主だ。加えて防御、各耐性のスキルを山ほど身に着けている。僕が冒険者だった頃に出会った上位クラスの冒険者でも、これほどまでの防御スキルを持ち合わせた人は見た事がない。護衛班は守りより攻めの方が得意な生徒が多いから、彼のように堅牢な防御力を有した人がいれば助かるだろう」

「……なるほど、そういう事でしたか」


 忌々しそうにエリックを睨んだルーザーは、何を思ったのか、素早い動きで懐から取り出したナイフを投げた。

 ──俺はエリックの眼前に迫っていたナイフの刃を即座に掴み、テーブルに叩きつける。

 一連の流れを見た全員がぎょっとした目でこちらを見つめてきた。

 ルーザーも、エリックでさえも驚いている。

 ちょうどいいや。言いたい事がいっぱいあるから、ここで全部ぶちまけよ。


「な、私の投擲を……貴様は一体……!」

「おい」


 立ち上がった俺を見て冷や汗を浮かべているルーザー。

 声を掛けると、彼は引き攣った悲鳴を上げた。


「グリモワールの貴族は極端に亜人を嫌うって聞いてたからさ、相応の対応をしてくるんだろうなって予想はしてたんだ。でも、まさか初対面の相手にいきなり危害を加えようとするなんて思わなかったよ。実力を試そうとした訳でもない、ただの殺意を無抵抗な相手に向けるなんて──お前、これから仲間として肩を並べる相手にそんな真似をして、許されると思ってるのか?」


 切れた手の平から血が垂れた。

 魔力を流し、血液を操り止血する。


「同じ班で行動するのに、嫌いだからって理由で傷付けようとするなんて頭沸いてるのか? ハイス校長とシルフィ先生が見てる前でそんな事をするなんて、下手をすれば学園と分校の関係が最悪になるかもしれなかったんだよ。貴族なら貴族らしく少しは自分の行動に責任を持て、クソ野郎」

「き、貴様! 私をバカにしてるのか!?」

「そうだよ。正直、お前がどれだけ偉いヤツかなんてわかりたくもないし、興味も無い。権力を振りかざすだけのわがままな子供みたいな言い訳も聞きたくない」


 だけど──。


「俺の大切な仲間……エリックだけじゃなく、先生やカグヤにまで手を出そうとするなら──覚悟しとけよ」

『……っ』


 最大限の殺意を向けて、俺は会議室の扉に手を掛ける。

 静止の声も無かったのでそのまま廊下に出て二、三歩ほど歩いて、すぐに壁に寄り掛かった。

 なぜ俺が突然あんな行動をしたのか。

 なぜルーザーに対する小言をもっと言わなかったのか。

 その理由はただ一つ。実にシンプルな理由だ。











「うっぷ……ダメだ、もう限界……早くトイレに行かないと」


 込み上げる吐き気に耐えられなくなっていたからだ。

 同時にガンガンと響く頭痛、全身を襲う寒気、おぼつかない足取りでここまで踏ん張れたのは奇跡に近かった。

 列車と車のコンボで死にかけていたのにしっかり会議の内容も聞いていたし、ハイス校長のリーダー選出も“ふざけんな長引かせないで早く終わらせてくれ”と願いながら堪えていた。


 だがルーザー、お前は許さない。

 お開きの空気が漂っていたのに手を挙げやがって、優等生でも気取ってんのか?

 おまけにエリックを敵視するとか、本当、もう……。


「や、やばい、そろそろ……っ!」


 イラついたせいで胃袋にダイレクトダメージが!

 どうしよう。これだけ彷徨っているのにトイレが見つからない。

 もしかして分校ってトイレないの? 普段はみんなどこで用を足してるの?

 教えてくれ誰か。デバイスの地図機能は何も教えてくれない。

 ……もうゴールしてもいいかな。

 廊下は誰も歩いてないし、ここでなら……!


『何してるの』

「ふぉあ!?」


 喉奥に指を突っ込んだ状態で声を掛けられたからびっくりして変な声が出た。

 驚きながらも軽く咳をしながら振り向く。

 するとそこには、無表情で首を傾げる少女が立っていた。

 俺より少し小さい背丈に、薄鈍色の髪。白いワンピースから露出した肌の節々に見える接合部。

 首の装置は付けていないが、タロスと同じ魔導人形である事が分かった。


『何してるの』

「え? えぇっと、トイレを探していて……」


 そう言うと、彼女は無言で歩き出した。

 数歩先まで進んだところで振り返り。


『こっち』


 それだけ言って、スタスタと歩き始めた。

 俺は慌ててその後ろをついていく。





「助かったぁ……あのまま放置されてたら、きっと凄惨な光景が広がってたと思うよ。本当にありがとう」

『そう』


 辿り着いたトイレで全てを出し切った俺は救世主である少女にお礼を言う。

 先ほどから変わらない無表情っぷりだが、心なしか満足げに見える。

 さて、危機的状況を脱したのはいいが、今更会議室に戻ろうとする気力は無い。

 何より気まずい。イラついていたとはいえ、エリックに注意されていたのに貴族に喧嘩を売ってしまった。


 報復とか怖い。今は良くても後になってルーザーに刺されるかもしれない……やられる前に、服の間に鉄板か雑誌でも挟むとしよう。

 とりあえず今は──廊下の壁にデデンと置かれた、見慣れたようでどこか地球のデザインとは違う筐体に目を向ける。

 見た瞬間、思わず乾いた笑いが出た。魔科の国(グリモワール)に来てから驚いてばかりで、大きなリアクションを取るのも疲れてしまったのだろう。

 ……よし、決めた。


「はい、さっき助けてくれたお礼にどうぞ」

『これはなに』

「缶ジュースだよ。『おしるこソーダ味』とか書いてあったけど、たぶん飲めるんじゃないかな。……まさか異世界に自販機まで置いてあるとは」


 先ほど空になった胃袋と身体の疲労を癒すには甘い物が一番だと思い、少女の分も合わせて二本購入。

 備え付けのベンチに少女と一緒に腰掛け、飲み物を手渡す。そして自分の分のプルタブに指を掛ける。

 少女も俺の動作を見て、たどたどしい慣れない手付きでプルタブを上げた。

 カシュッと。ガスが抜ける爽快な音が連続して響く。

 さて、味はどうだろう? ぐいっと呷ってみる。


「…………うん、まあ、こんなもんだよね」


 シュワッと弾ける強炭酸が生み出す爽やかさと口内にぶち撒かれたおしるこの甘味が絡み合って不協和音を奏でている。ミスマッチだ。まずい。

 しかも純粋なおしるこに炭酸の成分を混ぜているから、トロッとしているのにパチパチと弾けている。

 せめて炭酸が無ければ冷えたおしることして飲めたかもしれないが、俺の舌には合わなかった。


 失敗したなぁ……。

 未知の味への挑戦に付き合わせてしまった少女に悪気を感じて隣を見る。

 すると何という事でしょう。そこには缶を傾けてゴクゴクと喉を鳴らす少女の姿が。


『これ、おいしい』

「そ、そう? 口に合ったようでよかったよ」

『うん』


 無垢な少女の目がキラキラと輝き出しているように見える。かなり気に入ったようだ。


『初めて飲んだ』

「まあ、おしるこソーダなんて斬新なゲテモ……珍しい味は俺の住んでた所にも無かったからね。でもこれ、上級者向けの飲み物だと思うよ。ドクペみたいな」

『どくぺ?』

「俺が愛飲していた飲み物だよ。薬品みたいな匂いで、味は杏仁豆腐……甘いおやつを液体状に薄めて、そこに炭酸を掛け合わせてしまった業の深い知的飲料さ」


 ちなみに、あれは海外で販売されている物の方が美味い。

 なんというか、味の濃さや後に感じる後悔の度合いが変わるのだ。


『気になる』

「いやぁ、さすがにこれを飲み切った君でも難しいと思うよ。それにもう手に入らないし、味の再現も難しいだろうしね」

『むむむ』


 味覚への挑戦に目覚めたのか、俺が話したドクペに対して興味を抱いたらしい。

 しかしそれは地球に居た頃の話なので手に入れる事はできない旨を伝えたが、納得がいかないらしく、少女は頬を膨らませた。

 変わらず無表情なので怒っているように見えるし、拗ねているようにも見える。

 しかし、魔導人形にしてはタロスのように口数が多い訳でもなく、かといって受け答えが出来ない訳でもない。


 もしかしたら──彼女は魔導人形の中でも生まれて間もない存在なのかもしれない。

 外見こそ同年代だが、中身は純粋な子供のように感じた。

 というのも、こういうやり取りを学童保育のアルバイトで経験しているからこそ、そう思ってしまったのかもしれないが。

 ……そういや、まだ俺の『おしるこソーダ』が残ってるんだよな。気が進まないけど飲み切るか。


『それ、飲まない?』

「え? いやまあ、ぶっちゃけもういいかなって思ってるけど、折角買ったんだから飲まないと……」

『迷ってる?』

「…………正直、かなり迷ってるし、後悔してる」

『……ん』


 少女よ、そのキラキラした目はなんだ? そして何を期待して手を差し出しているのかね?


『飲まないなら飲む。ちょうだい』

「いやいやいや、待て待て待て。さすがに女の子に無理させられないっていうか、半分以上残ってるし、俺の飲みかけだし……」

『捨てるなら飲む。捨てなくても飲む』

「何その二択、究極的過ぎない? ちょ、待てって……近い近いっ!」


 手を伸ばして『おしるこソーダ』を奪おうとする少女と格闘していると、突然少女はハッとしたように、わずかに目を見開いた。


『右手』

「は? あ、ああ、これ? ただの切り傷だよ。あとで処置しようと思ってたから気にしないで」


 押しのけようとして開いた右手。

 先ほどナイフを掴んだ際に出来た傷を、彼女はじっと見つめていた。

 魔法で止血はしたものの、傷口を塞ぐのに魔力を使うのが勿体無かったので、そのままにしておいたのだ。


 ……見せびらかしても気持ちの良いものではない。

 なので引っ込めようとしたのだが、急に少女が両手で掴んできた。

 力強く掴まれ、さらに顔を近づける。触れる吐息がくすぐったくて、離れように離れる事が出来なくて。

 そして。


『ん』


 零れた吐息が掛けられた直後、手の平を舐められた。

 視界では理解出来ていても、脳の処理が追い付かない。

 目の前で起こった事態に呆けてる間も、少女は一心に傷口を舐めている。

 暖かく柔らかい舌が肌を撫でる感触はあまりにも甘美で、脳を痺れさせていく。

 一言も言葉を発せず、どれほどの時間が経っただろうか。


『これで大丈夫』

「……あ、ありがとう?」

『どういたしまして』


 ようやく手を離した少女は頷き、立ち上がる。

 声を掛けようにも先ほどの衝撃的な光景が頭から離れず、上手く口が開かない。

 そして俺の前を横切ると同時に、『おしるこソーダ』を奪っていく。


『これ、ほうしゅう』

「…………何の?」

『傷、治した。見返りは当然』


 少女の言葉を聞いて、俺は右手を見る。

 ──塞がっていた。ぱっくりと横一文字に切れていた傷口が。

 驚いていると、少女はワンピースを(ひるがえ)しながら歩き出した。

 数歩分の足音が響き、ぴたりと止まる。少女は俺の方に振り返り、


『お礼、ありがとう。またね、クロト』


 無表情のままそう言い残し、立ち去っていった。

 ……俺は治してもらった右手を見る。微かに残る感触を思い出してしまい、少し顔が熱くなった。

 魔導人形には個性的な子が多いのだろうか。あの少女のように。

 タロスに比べて子供っぽくて、感情の起伏こそ少ないが話しやすかった。

 また会う機会があれば、もう一度ゆっくり話をするのも悪くないかもしれない。

 彼女が飲み干した『おしるこソーダ』の空き缶をゴミ箱に捨てて、そろそろ会議室に戻ろうとして。


「──そういえばあの子、なんで俺の名前を知ってたんだ……?」


 至極当然な疑問が脳内を横切った。

 俺はあの子の名前を知らないので、お互いに名乗ってはいないはずだが……。

 首を傾げながらも、記憶に残ってないだけで言ったのかもしれないと思い、会議室へ向けて歩き出した。


その頃、会議室は息が詰まるほどに冷えた重い空気が漂っていましたとさ。


ちなみにクロトは会議室でルーザーにキレるまで一言も話してません。

かつてここまで口を開かなかった回が自称平凡にあっただろうか。

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