第一九七話 無我の根幹
禍根すら残さない。宿業断絶の絶技を披露するお話。
無限に創造される無骨な鉄塊の嵐。
ギュウキの膨張した全身の筋肉がもたらす圧倒的暴力は、かつて戦った迷宮主……ドレッドノートを思い起こさせる。
腕の一振り、足の一薙ぎ、金棒の一打。全てが周囲を破砕し、崩落させ、戦地を変えていった。もはや社殿の面影は打ち壊され、廃墟然と化している。
それでも、魔導剣とシラサイを振るって応えていく。
幾度の火花と斬線、血飛沫が舞う。精神空間という場所の特異性、もしくは精神体と種族的特性が影響してか。お互いに疲労や憔悴という要素とは無縁である為に、戦闘は苛烈さを増していった。
対面のギュウキは目が血走り、周りが見えていない。
避難しているゴズは自身の身を守るので精一杯だ。
戦闘の余波を感じ取れば現人神が止めに入ると踏んでいたが、そんな様子も見られない。やはり、決定的な一撃が必要か。
戦闘開始から数十分。
熱を増す攻防と比べて、頭の中は至極冷静だった。
『鬼とは頑丈なものだ。これだけクロトの攻撃を受けて、戦意が消えんとは』
『自分達が切り裂いても即座に回復しますからねぇ』
『異能の行使を視野に入れるべきやもしれん。ここまでの無知蒙昧な悪行に対し、分からせてやるべきだ』
『破壊、幻惑、誘導、調律。様々あるがどれも効果的だろう。どちらに……』
戦闘の最中、レオ達の会話を聞き流しながら。
身体を押し潰さんとする黒光りな金棒を逸らし、ギュウキの身体を駆け上がり、跳び退く間際に左腕を切り落とす。
肩口から、ずるり、と。重たい音を立てて落ちた左腕と金棒、飛び散った血液は地を、柱を濡らす。
苦悶と怒号の入り混じった雄叫びが背後で上がる。
振り返れば落下した左腕は灰になり、直後に新たな腕が再生していた。
『ずっと、考えていたことがある』
『……クロト?』
レオの問いかけるような声に目を細めた。
時の緩やかな世界が狭まり、視覚情報が制限される。
日輪の国に来てから、それ以前にも言われたことがあるし、痛いほど理解してる──俺には才能が無い。天賦の才を持つ連中と比べたら、数段見劣りするくらいには。
オキナさんも言っていたじゃあないか。肉体的な潜在能力はない、すでに完成された形に成っていると。
先が無いのだ。俺に残されているのは、物づくりを駆使して外的な要因を括りつけるだけ。だけど頭打ちになるのは目に見えていた。
武器の扱いについて経験が豊富でも、特殊で特別なモノであっても限度はある。
『技術的な発展は無い。練武術にこれ以上は無い』
ならば。
瞼を開き、再び襲い掛かって来るギュウキの攻めをいなす。
『不足を補う余地が無いのなら、転化するしかない』
骨子を、根本を、性質を切り替える。スイッチのように。
俺が極めている練武術は守りに重点を置いたカウンター型。相手の力を利用することに関しては最も優秀な性能を持っている。
いわば受動的。静の流れを持ち、その為に余分を捨てたのだ。
敵に攻勢の一手目を譲り、任せ、委ねてしまう守護の活人剣から。
いわば能動的。動の流れを持ち、自身から仕掛ける攻めの力。
身体能力や魔力操作の無い地球では諦めていた攻勢の……殺人剣へ。
──思い出せ、思い出せ、思い出せ。
これまで見てきた数々の御業を。
四季家の武術……シノノメ流舞踊剣術……編み笠の男が放った一閃。どれも長き時を経て研磨され、練磨され、一条の線で繋がれてきた継承の証明。
理外に片足を踏み入れたと賞賛を受けても、未だ辿りつけぬ武の極致。冷然と、されど猛き芯が成す果ての結果。
殺意を受け入れろ。宿業を断ち切れ。全ての縁を切り離せ。
これまでの経験と脳裏に焼き付いた憧憬で、思考を切り替えろ。
「…………秋霜三尺」
心の無駄を捨てた剣へ打ち直す。
シフトドライブでギュウキを弾き飛ばし、魔導剣を鞘に納め、シラサイを構える。
封じてきた鮮烈の虚像。一度はよぎった、殺しの道筋。
己の全てを使い潰して、己の全てを注ぎ込んで、至るべくして至る。象り、描き、創り、流出の工程を経て。
あえて名乗るなら、コクウ家を除いた四季家とシノノメ家に準えた性質変化の練武術として。
「四天練陣」
深く息を吐き、身体の隅々まで行き渡らせる。
手足に活力が漲り、透明な世界がより明瞭に映っていく。
歩法、呼吸、重心、体裁きを変えてシラサイの切っ先をギュウキへ向ける。
「っ、いきなりなんだ、てめぇ……!」
纏う空気が変わったことをさすがに察したのか。
ギュウキはシラサイから飛び退いて距離を取った。その隙を、逃さない。
「防げとは言わない。避けろとも言わない」
ただ。
「死なないことを祈れ」
一歩、踏み出して。
木張りの足場を陥没させて、疾走。
爪先から天辺にかけて全身の関節を連動させ、筋肉を駆動させ、平時ではありえない加速を見に宿す。
防御なんて考えない。相手の出方も求めない。
始めから、最初から、目指すべきは一つのみ。
脇に構え、握り締めたシラサイが空を切り、風を裂く。延長線上のあらゆる障害を断ち切りながら、渾身の力を込めて。
布石を撒き、逃れられない角度から──絶技を放つ。
「殲滅陣・黒鬼爛絶!」
シノノメ流の要素を取り込み、経験と知識で辿り着いた剛力の一閃。
身体の熱を伝い、焔を伴う術理を越えた斬線が社殿に瞬いた。
◆◇◆◇◆
「ふぅーっ、こんなところか」
現人神、ツクモは自身の寝食を過ごす社にてクロトを迎える準備をしていた。
自身の精神空間に呼び込む直前、クロトのぼやきを僅かながらに聞き及んだ。要約すれば、穏やかな場所で甘味を食したい、と。
空間の特性を駆使すれば創造するのは容易い。場所も、少々現実離れして奇怪と言えど雅で風靡と自負していた。
「時間を掛けられん故、手慰み程度に数品……これで十分だとよいのだが」
なれば一連の謝罪と、胸の内にある知己の神……セラスの事情を明かす最中にでも食せるように。
飲食を必要とせぬ身ではあるものの久方ぶりに厨房へ立ち、自らの手で和菓子を用意していた。お茶も、普段使いの茶葉よりも、わざわざ人伝を使って仕入れている高級品に変えている。
後は従者として送りだしたアヤカシ族の鬼兄弟がクロトを連れて来れば完璧。そう、思っていたのだ。
「……遅いな」
ツクモの精神空間は広大だ。セラスほど地平線が見えないとはいかずとも、いくつもの社殿が橋で続いている造りをしている。
しかし一本道であり、クロトの降り立った場所は始点。加えて数十にも渡る建物があるとはいえ、もうすぐ到着してもおかしくない頃合いだ。
だが、予想に反して気配が近づいていない。ゴズ、ギュウキの両名と何やら話し込んでいるのだろうか?
お盆に載せた歓迎セットを持ちながら厨房を出て呟いた──次の瞬間、精神空間の始点となる社殿の方向から轟音が響く。
「は?」
身体を揺らす振動、遠く離れていても聞こえてきた爆音。
皮肉にも現人神として現世に降りていた時の経験が答えを示す。これは、戦闘音だ。
ともすれば、よもや喧嘩っ早いギュウキが何やら仕出かしたかと嫌な予感がよぎる。それは事実であり、覆せない采配ミスがもたらした結果だ。
「……しかし、しかし! 何が起きている!?」
おもむろに視線を向けた先で、黒い劫火が社殿の足場を残して上部を消し飛ばしていた。ありえざる光景を前にして、お盆を落とさなかった自分を褒めたいところだろう。
何故ならば、精神空間内のあらゆる物体は概念防御に保護され破壊できないのだ。多少の破損ならばおかしくないが、あそこまで大々的な破壊は起こり得ない。
魂の格をツクモと同じくする者であれば、あるいは……なればこそ、一つの可能性に思い至る。
「もしや、至ったのか。術理を越え、因果を断ち、己が意思を貫く業に」
自身の選択ミスを恥じるよりも、場違いだとしても。招き入れた客が到達した新たな門出に高揚する。
気恥ずかしさと申し訳なさ、喜色と爛漫に表情が百面相する中。さすがに放置できる状況ではない、と。
来客用の座卓に歓迎セットを置き、数百年ぶりの全力疾走で。
ツクモは外聞も見目も気にせず、クロト達の元へと向かうのだった。
という訳で、新しい練武術の形と新技の発表です。
四天練陣
ツクモの精神空間内でギュウキとの戦闘に陥った際、兼ねてより構想していた練武術を明確に定義し、身に降ろしたもの。かつてより見ないようにしていた殺意を受け入れ、防護を捨て、ただ相手を断ち切ることのみに重きを置いた殺人剣を放つ元の技術。綺羅星、深華月と同じ。
練られた武闘の気と経験、知識を総動員して絶技を放つ為の陣を己の身で囲い、準えた四天の御業を出力する。それは理を越え、宿業を断ち、見えざるモノを切り裂く。
四天練陣、それは概念貫通の性質を持つ舞踊であり、神楽の一種である。
次回、激おこカムチャッカなクロトに改めて謝罪する現人神のお話。