第一九六話 表裏の世《前編》
押さえつけられた反骨の精神が弾けるお話。
クロトの罪状を巡る裁判から一夜が経過。
声を大にして喧伝していたコクウ家の実態。隠していた罪が暴かれ、取り潰しは確定という大ニュース。付属する家系にすら影響を与え、コクウ家領地では大捕り物が実行されていた。
多くの名家が捕縛される中、領民の間に広がっていたのはクロトの情報。
冤罪のまま被告に立ち、自傷を以てして事の真実を訴えた。現王家の政権と司法の脆弱性を指摘する形となった物語に多くの者が感心を示し、あるいはおぞましい行為に忌避を抱く。
良くも悪くも一定の理解を与える行動は反響を呼んでいた。
その影響力はとても大きく、広く。根も葉もない憶測と噂が跋扈する国内の荒れ模様は、緘口令を敷いたとて抑制は不可能であった。
他国の個人、しかも学生が傷つき、貶められた事実は隠蔽できず。
憐憫、同情、憤怒。様々な感情が渦巻き、一つ判断を誤れば国内で暴動が起きる──そう思わせるほどに、王家への反感は高まりつつあった。
火消しに奔走する王家の苦労など露とも知らず。
シノノメ家の屋敷では変わらず、クロトの弁護に携わった人々が集っていた。というよりは、シノノメ家に滞在している。
各々の領地に戻れば仔細を聞きたがる野次馬に囲まれ、当たり障りのない質問攻めに会うのは自明の理であったからだ。
あくまで今回の騒動に関して自粛し、クロトの回復および見舞いに徹している。そういった態度を見せれば、火元を大きくする事は無いだろうという狙いだ。
少なくともクロト達に救われた側である四季家当主たちは純粋に心配し、罪滅ぼしの意味も込めて屋敷に滞在している。そこに邪推される裏は無く、謂れの無い言葉を掛けられることはない。
各家の使いも家来もオキナが招聘したという形にすれば角が立たない。その際に物資も運搬し、籠城──王家との距離を取る作戦を実行することに。
そうした対応を取ることを決断し、そして明朝。
施術は終えたが油断は出来ない、と。医師の判断を聞き入れ、複数人が交代でクロトの元を訪れ、見舞いと看病に当たっていた。
「……」
その内の一人。
アカツキ荘の一員であり、シノノメ家として今回の一件に責任を感じずにいられないカグヤは、憔悴した様子でクロトの枕元に座っていた。
傍らには両者へ目線を行き来させるユキもおり、心配そうに肩を竦めている。当然だ。カグヤは昨日から一睡もできず、不眠のままに活動していたのだから。
用意された朝食に食欲も湧かず、それどころか吐き気すら覚え、本来であればクロトと共に食事を楽しんでいた時間は苦痛でしかなかった。
それでも無理くりに押し込んだ異物感が彼女の意識を留めている。生きることは食べること、切り捨てられはしなかった。
自分よりも辛い目に遭っている者が、眼下にいるとしても。
「……クロトさん」
全身が包帯だらけで数々の薬剤が腕部から注入され、か細い呼吸が胸をゆっくりと上下させている。
過去、彼は似たような容態に陥ったことが何度もあった。しかし大体において血液、もしくは生命魔法で癒していて大事には至っていない。だからこそ深刻に考えるということが無かった。
そこに今回の裁判沙汰だ。魔法もスキルも無く、本人の意志のみで繋ぎ止められた血濡れの証明。その代償は、目に見えて大きかった。
「ねぇね、だいじょうぶだよ。にぃに、きっと元気になるよ」
痛々しい様相を見せているクロトを横目に、ユキはカグヤの事を気に掛けていた。
自分の意思でなかったとはいえ、自らの手でクロトを殺めかけた経験がある彼女だ。唾棄すべき忌々しい記憶であり、裁判で傷ついていく彼の姿がトラウマとして想起されてもおかしくなかった。
けれど、それでも。
慰めて、許してくれた人がいる。
その事実に救われ、学びを得て、成長した彼女は、経緯こそ違えど似通った状況にあるカグヤを放ってはおけなかった。
「お医者さんが言ってたもん。今、にぃには生きようとがんばってるんだって。だからユキ達が見守ってなくちゃいけないの。それだけで、十分なんだって」
「……ありがとう、ございます、ユキ。助けられて、ばかりですね」
「お互いさまだよ」
健気に、懸命に。
言葉を選んで、冷え切った指先を包んで、カグヤの精神を支える。
交代でやってきたエリック、セリスと替わるまで。
二人はただ何を言うでもなく、少しばかり軽くなった心持ちでクロトの看病を続けるのだった。
◆◇◆◇◆
「ヒャッハー!!」
そんな現実世界での暗鬱とした空気感など知る訳もなく。
現人神がおわす神聖な領域で、精神体のクロトは再現した自前の武器を構えて、対峙するアヤカシ族の鬼──現人神の従者、ギュウキへ駆け出す。
背後ではもう一人の鬼であり従者である兄のゴズが静止しようと手を伸ばしていたが、意味は無かった。
もはやクロトの脳内に遠慮や停止という言葉が存在していない。ふざけた物言いをしてきたギュウキをぶちのめす、その一心で身体を突き動かしていた。
「舐めるなクソガキィ!」
蹴り抜かれたにもかかわらず、ギュウキは種族特有の再生能力で負傷を癒す。
へし折れたはずの右腕は元通りに。そして脇に控えさせていた金棒を、威勢の良い叫びと共に振り抜く。
斬撃でなく打撃を目的とし、その重量は刀剣の類とは一線を画す武器。
加えて鬼としての剛力は、たとえ精神体のクロトであっても無事では済まない。
「こっちのセリフだ馬鹿野郎」
しかし一切臆することなく、クロトは更に前へ踏み出す。
緩やかに流れ、視覚化された力の形が輪郭を持つ中で鉄塊が迫る。その力が収束する中心点にシラサイの刃先を合わせた。
一瞬の拮抗。しかし白刃は金棒を弾き上げる。それどころか分厚い鉄の刀身ともいうべき箇所の半ばまで喰い込み、切り裂いていた。
シラサイの心髄、結合破壊の斬撃は使われていない。純然たるクロト自身の技量が斬鉄を可能としていた。
「想像力が足りてないんじゃないのかぁ!」
「んのやろ……っ!」
ギュウキの顔が歪む。その隙に、反対の手に握られた魔導剣がクロトの意思を反映し、魔力回路を刀身に浮かび上がらせた。
黄と黒。雷と闇。
異なる属性同士の組み合わせは黒雷の魔法剣となる。駆動音を鳴らし、震え、振る動作に合わせて柄に沿うレバーを引く。
推進力を得て加速した轟雷の嘶きは、防御の構えを取ったギュウキを金棒ごと、吹き抜けの屋根を支える柱を含めて貫いた。
「ギッ!?」
黒雷に蓄えられた熱量は肌を焼き、肉を焦がし、金棒を溶断。
苦悶の声を上げたギュウキは、音を立てて崩れ落ちる柱へと吹き飛ばされる。
「不意を打たれて先の先も読めず、後の先も耐えられない……随分と自分の力を過信してるんだな。もっとまじめにやったらどうだ?」
『行動の前兆や起こりを阻害し、抑制し、中断させる剣技なんぞに対応できるものか?』
『我らの知り合い……学園最強と呼ばれる奴は平然と処理していたぞ』
『あれは天賦の才がもたらす理不尽な反応速度によるものだ。実行できるだけの地力があるのも事実だが』
『比較対象が例外中の例外ですよ、そんなの』
いつにも増して攻撃的な発言の目立つクロトに続き、キノスを始めとして思い思いに言葉を紡ぐ。平時と変わらないやり取りだ。加えて、誰もギュウキとの戦闘を止めるつもりが無い。
何故なら、クロトを下に見ている事実に変わりはないのだ。客として迎えられるべきだったにも関わらず、不当な言い分を重ねられている。
礼儀の欠けた輩が仕掛けてきたのならやり返す。そうされるだけの所業をしてきたのだから、覚悟はあるのだろう、と。
その一点について、レオ達は同意の意思を見せていた。
「まあ、どうでもいいけど……まだやれんだろ? 立てよ」
クロトは紫電の散る魔導剣を払い、シラサイを肩に乗せて歩む。
悠然と足音を立てて進む彼の頭部に目掛けて、瓦礫の山から溶断された金棒が飛来。さも当然のように首を横に傾け、最低限の動作で回避。
視線誘導の意味も込められていたのだろう。二の矢として飛び出してきたギュウキは、新たに想像した新品の金棒を振り下ろしてきた。
しかも二本だ。クロトの二刀流を模倣したのだろう。
純然たる二倍の圧力に屈することなく、わずかに腰を捻り、魔導剣とシラサイで金棒を逸らす。
行き場を変えた力は足場の木板を破砕した。
「猿真似か? どうしようもないな、お前」
「おおおおおおおおおッ!!」
されど、鬼の剛力は止まらない。切り返された金棒は重く、鋭く空を切り、嵐となって巻き起こる。
そんなことすれば、負傷した身体は裂けるのが道理。
しかしギュウキの身体に先ほどの感電痕は見られない。種族特性の再生能力……本性を取り戻したアヤカシ族の力のはずだが、人間態の今でも驚異的な速度で治癒している。
そして武力を見初められて現人神の下についているだけの事はあるようだ。
足さばき、重心移動、反射神経。恵まれた要素が組み合わさり、次第にクロトの動きに追従し、緩やかな世界では対応し切れなくなっていた。
純粋な身体能力と損傷を物ともしない再生能力。シンプルながらも、相互に作用する凄まじい力は戦闘を激化させていく。
それでも、クロトは一歩も引かずに応対して剣戟を交わす。
「いいぞ。もっと見せてみろ、アンタの足掻きを」
「ふざけたこと言いやがってよぉ! ぶっ潰してやる!」
現実と精神の世界は温度差が激しい。
次回、学園長とシルフィが賠償に協議し、ギュウキは戦慄するお話。




