第一九三話 休みなんて無い
一時の安穏な空気に差し込む、次の事態についてのお話。
「うーん、やっぱり魔法が使えないのに無茶し過ぎたか。視力が戻らない可能性があるのはちょっとショックだなぁ」
現実世界で施されている手術の様子を俯瞰的に覗き、見終えてから、俺は幾何学模様の精神世界でため息を吐く。
一連の騒動に終止符が打たれ、学園長に物理的にもぶたれて、精神世界に叩き落とされて。
神秘魔法の影響で精神が保護されているのか、この世界では問題なく身体と視力が復活していた。
しかし安定していないのか重症の部位は半透明で時折ブレている。納涼祭で起きた事象……つまりは生死を彷徨う状態にあった。
シルフィ先生の疑似生命魔法。学園長の神秘魔法といった埒外の力で癒されたにもかかわらず、だ。いったい、どれだけのダメージが蓄積されていたのやら。
『口調の割には軽く捉え過ぎではないか? 下手すれば失明の恐れがあるのだぞ?』
「俺の記憶を見たなら知ってるでしょ? 昔に両目が使えなくなった時期があって、見えないまま活動してたって。仮に目が機能しなくなったとしても経験がある。問題無く行動は出来るよ」
『それはそうだが平然と言うな。気持ちの切り替えが早過ぎる』
「凡人なりに必死で努力した結果なんだ、甘んじて受け入れるさ」
『普通の人は容易く自分の感覚を捨てるようなマネはしませんよ……』
周囲に浮遊し、共に現実世界を観測していたレオ達に呆れられた。失礼な奴らめ。
まあ、事前に知ってたとはいえ、俺だって言論統制の呪符がここまで強いとは思わなかったんだよ。実際に視界が利かなくなった時はマジかよ、って……まさか物理的に潰れるなんてな。
腕や脚の骨にすら干渉する時点で薄々と嫌な予感はしてたが、起きたしまったことは仕方ない。
「とにかく身体が万全に癒えるまでは現実世界に戻れない。神秘魔法で精神が保護されてるからな。その間なにもしていないってのも癪だし、次に目覚めた時、行動指針を共有できるくらいにはまとめておきたい」
『……君がそう言うなら、こちらも意識を変えよう』
ゴート、レオ、リブラスに向き直り、改めて姿勢を正す。
「まず最優先は、黒の魔剣の捜索及び編み笠の男の調査だ。日輪の国のどこかに潜伏している奴を見つけ出し、先手を打って接触しておきたい」
『あわよくば黒の魔剣を奪取できれば御の字、か。しかし適合者にして、あれだけの技を持つ者だ。抵抗され、戦闘になった場合、周辺への被害は凄まじいものとなろう』
『私たちの異能で抑えられればよいのだが……それと単独で動いているか、他のカラミティメンバーと活動しているかも把握しておきたいところだ』
『そもそも今のクロトさんが床に伏せるほど弱っているのは周知の事実ですし、最悪屋敷に乗り込んでくる可能性もありますよね……?』
「数で押し切られたら堪ったもんじゃないからな」
影の者や門下生といった実力者によって自衛や警備の質は高められているが、編み笠の男を筆頭にカラミティの構成員で襲撃されたら厳しい。他のナンバーズがいないとも限らないのだ。
何より俺のせいでオキナさん達が巻き込まれるのは嫌だ。そうなってくると彼に対して不誠実な部分が出てくる。
「この機会に打ち明けた方がいいのかな……大々的にキノスが俺たち側についてるのは知られてるし、レオ達も受け入れてもらえそうだけど」
『我らの存在を隠し通したまま魔剣争奪戦に挑むのは、もはや難しいだろう。せめて四季家の面々には伝えておくべきやもしれんな』
『あれ? 王家はダメなんです? 気に食わないとは思いますが、キノスさんの預かりに関して伝えないといけませんし……』
『進言し、カラミティへの警戒を促したいが、現在私たちと王家の関係性は最悪に近い。加えて身分差もあるのだから、向こうからこちらへ接触してくる時以外に伝える手段も術も無い』
「出方によっては魔剣の力をいいように使いたいとか、厚顔無恥な提案をされるかもしれないしな。……またキノスに一芝居を打ってもらうしかないかな」
言いたくないだろうけど、俺が現人神に次ぐ担い手であると認めたから付き従うことにした、とか。
……自分で考えておいてアレだけど、絶対イヤだろうなぁ。王家はともかく現人神を慕っているみたいだし。
何はともあれ、提案しないことには始まらない訳だが。
「そういえばキノスは何してんの? もしかしてずっとオキナさん達について回ってる感じ?」
『少し待て、気配を探る……どうやらそのようだ。大広間で集まって何やら話し込んでいるらしい』
『裁判場を後にする際、クロトの傍らにいると王家の者へ啖呵を切ったからな。自身の立ち位置が危ぶまれてもおかしくないというのに、こちら側へついてくれたのだ』
『ありがたくはありますが、怪しい存在には違いありませんし。あえて皆さんと過ごして慣れさせたいのかもしれませんね』
「キノスなりに考えて行動してくれてるのか……頭が上がらないな。無理に呼び出すのはやめた方がいいか?」
『少なくとも今は無理だ。皆が寝静まった夜分に召喚するとよかろう』
レオの言葉を聞くに、今後の相談を弁護席にいた人達で話し合っているそうだ。
王族がどう出てくるかにもよるだろうが、俺の目が覚めない内には屋敷へ来訪しても意味が無い。その都度、手紙や影の者を通してこちらの内情を把握しようとはするだろうが、裁判沙汰の不始末を片付けるのに苦心するはずだ。
恐らくはその辺りの対応について協議しているのだろう。納得し、深く息を吐く。
「後はなんだ……編み笠の男と戦闘になった時、瞬殺されないように自力を高めるのも必要か」
『こうは言いたくないが、汝の潜在能力は既に頭打ちだ。オキナにも見透かされていたように、これ以上は道具や魔剣を駆使して地盤を固めていく他ない』
『手っ取り早く強くなれる手段でもあればいいんですけどねぇ……』
「そういうの、大抵代償が重かったり何かを喪失したりでロクな目に遭わないんだよ。《パーソナル・スイッチ》とかシフトドライブとか超越駆動とか」
『改めて羅列すると使用するに求められる技量やコストが重過ぎるな……』
《パーソナル・スイッチ》は魔剣との高い親和性が不可欠。
シフトドライブは上手く衝撃を逃さなければ自滅不可避。
超越駆動は魔力消費が尋常でなく魔力切れは必然。
安定した強化形態と言えば魔力操作による身体強化、そして魔剣と融合する完全同調しかないのだ。
加えて、先に待つ視力悪化による戦闘力の低下……はどうとでもなるか。他の感覚を活用して補えばいい。
となると、やはり一番のネックは俺自身の弱さだ。エリック達と戦えれば不足は無いが、適合者同士の戦いに追従できるかは不安だ。
「ひとまずはこんな感じか。……ああ、後はシラビの息子さんが眠ってる墓がどこか調べたいな」
『その口振り、よもや奴の言葉を信じて墓参りに行くつもりか?』
「少なくとも十年前の大神災で多くの犠牲者がいたのは事実。そこに含まれていたかはともかく、わざわざ直前まで敵対していた俺に頼み込んだんだ。シラビに罪はあっても息子さんにはない。出来れば、叶えてやりたい」
『相も変わらず律儀だな、君は』
『でもでも、自分はそういうところ好きですよ!』
「ありがとう。目下、改善すべき箇所はかなり多いが──まずは身体を直さないとな」
興奮した様子で刀身を揺らすリブラスを横目に、幾何学模様の床へ倒れ込む。
とりあえずの方針は決まったが、後は身体が癒えるまで……最低でも生命魔法が使えるレベルにまで魔力回路が回復しないことには始まらない。
まとめた要点は後でキノスにも伝えるとして、それまで暇になってしまった。そう思った途端に、身体が重くなったのだ。
「……大人しく休むか。疲れてるのには違いないし」
『せめて精神体、魂の形が元に戻れば現実の身体も影響され、傷の治りが早まる。今は時を待つべきだ』
『飲まず食わずで頑張り過ぎたんですから、ゆったりしますか』
『折角だ。汝が言う過去に視界不良となった際の記憶を観賞し、どう動くか復習しておくとしよう』
「人の黒歴史をさも当然のように暴露すんな、この野郎」
レオにツッコミを入れて深く呼吸を繰り返し、身体の奥に酸素を溜め込むようにしていると、ブレていた身体が徐々に形を取り戻していく。
それぞれが思い思いに行動し、数日ぶりに穏やかな時間を過ごす。眠気は訪れず、されど確かに充足した休息は活力を漲らせた。
──そういえば、しばらくイレーネの所に行ってないな。
魔科の国でのやり取りの後、何やら忙しくなるということで顔を合わせていない。
《異想顕現》の件で進展があるか聞いておきたかったのだが……用があれば呼び出す雰囲気だったし、急かさなくてもいいか。
ただでさえ魔剣やカラミティの問題で板挟みされている現状、過度に情報を仕入れても飽和するだけだ。……嫌になるくらい厄ネタばっかりだな。
「はー。なんか、自然を感じられて尚且つ人工物もあり風情に胸が躍るような場所とかないかなぁ」
『無茶な注文にも程がある』
「いやいや、そういう侘び寂びな場所でお茶を飲みながら団子とか大福とか食べたくなるんだよ、男の子ってのは」
『極めてレアケース……というより、君にしか該当されないと思うが』
『おじいちゃんみたいな思考回路ですよ』
「なんだよぉ、別にいいじゃんか。日輪の国ならではの空気感が俺の性には合ってるんだよ」
『──ならば、招待してやろう』
「…………は?」
レオ達と何気ない会話をしている最中、唐突に。
聞き覚えの無い声が精神世界に響いた。凛とした、威厳のある声だ。
誰に言われるでもなく、闖入者の乱入に警戒度を引き上げる。立ち上がり、近くにいたレオを引き寄せて構えた。
『少々手荒になるが、お主の望み通りの場所へ招いてやる。只人を呼ぶなど滅多にないことだが、お主であれば問題はない』
傲岸不遜でありながら、嫌味の含まれていない声音。
純粋な賞賛を感じる上位者によって、精神世界に干渉されていた。こういった空間の妙に長けたレオ達がいるにもかかわらず、どこからともなく声だけが響いている。
だからこそ、反応が遅れた。
『クロト、下だっ!』
「ッ!?」
ふとした浮遊感に視線が向いた。
床に穴が空き、気づいた時にはゴート、リブラスも含めて落ちていく。ようやく一時の平穏が訪れたと思った矢先に……!
叫ぶ暇もなく、突然の事態に理解が追いつかないまま。
俺たちは抵抗できずに、自由落下を堪能することとなった。
休む間もなく、肉体的にも精神的にも更なる問題が舞い込んできます。
次回、人の世から離れた世界にて出会う人達のお話。