第一八六話 連鎖するシナリオ《後編》
一週間ぶりに開いたパソコンが重くても更新します。
「検察側が虚偽を報告している……その事実を弁護側に教える、伝える、気づかせる。切羽詰まった状況じゃあ分からないかもしれないから、暗に知らせる為にも適当な嘘を吐く。ここまでの連携は確定事項として、懸念すべきは……」
『呪符による言論統制の効果がどの程度現れるか』
『拷問に使用されていたこともある代物だ。生半可な効果ではないと予想できるが……詳細は分からないのだろう?』
『実際に見た訳ではないからな……又聞きでしか知らん。そういった歴史がある、という知識だけだ』
『元になった呪いの効果から逆算できません?』
「そうだなぁ……ギルドの症例かなんかをまとめた本には身体が裂ける、弾ける、骨が折れる、砕ける……内臓損傷とかもあったかな? あと、五感の一時的喪失」
『そうそうたる凄惨な内容に戦慄を禁じえないのだが!?』
『軽傷を重傷化させる、みたいなことも起きそうですね』
「生傷、古傷が悪化するなんて話も聞いたよ。大抵は時間経過で呪いが切れるか、セラス教で聖別された清水を振りかければ浄化されるんだけど」
『呪符は呪いの効果を固定化させた上で場に貼りつけている。不備や不発は無いと見て間違いない。そして特定の対象に効果を発揮するものであり、対象の比重が大きいほど効果も強い』
『最悪の場合、一瞬で汝の命を刈り取る可能性が出てくるな』
「自分で提案しておいてなんだが、アグレッシブな自殺だなコレ……」
『というか、大前提の話になるが──魔法もスキルも無しに度重なる負傷に貴様が耐えねばならん訳だが、出来るのか?』
『既にご存じの通りですが、クロトさんは必要最低限の処置で継戦している場面も多いので、我慢強さは一級品です』
『まあ、怪我の応急処置が可能な場合に限られるが……』
「心配なのは分かる。けれど出来る出来ないじゃあなくて、裁判の流れを奪い取って掌握するにはやるしかないんだよ。死線をくぐるぞ」
『博打を打つ人間のセリフだぞ、それは』
「打ってんだよ、命を。やるべきは決まったんだし──脚本を作ろうか」
◆◇◆◇◆
轟々と耳鳴りがする。足下が浮ついてきた。
肩と脇腹の出血は緩やかになり、されど失血の影響は着実に思考を蝕んでいる。激しい弁論が続く裁判場の声も相まって、集中力が切れてきた。
呪符による一度目と二度目の負傷。前者はともかく、後者の損傷具合が酷すぎる。強引に服の上から傷口を押さえているが、焼け石に水だ。
……でも、日本に居た時に拳銃で撃たれた時の感覚に似てたな。
「被告とシノノメ・カグヤの両名はマガツヒによる被害を抑制するべく、負傷者の治療を施しながらコクウ家寺社へ救援に来てくれたのだ! そこでマガツヒの首領たるシラビによって、意識を失いかけたシュカを救う姿をこの目で確認している!」
「死の淵を彷徨っていた彼と私たちを救い、カグヤと共にシラビを鎮圧し、一連の騒動に終止符を打ったのだ。……被告は祭事を調停する警備班の一員として尽力し、マガツヒと繋がっていたなどという事実はどこにもない!」
「顔合わせしてから当日に至るまでっ、行動を共にしていたフヅキ・フミヒラが身の潔白を保証するっ。証拠として取り組んでいた冒険者ギルドの依頼完遂書や、出先の関係施設各所から調書を頂いているっ!」
フヅキ家のホフミさん、フミヒラさん、オキナさんの弁護を聞き、頭を振るう。
いけないいけない。まだ後ろには救護の人が控えてるし、気を引き締めないと。現実逃避にも似た懐古の気持ちを抑え、意識を裁判に引き寄せる。
明らかに旗色の悪い検察側、特にシュカは苦悶の表情を浮かべていた。が、まだ諦めるつもりが無いのか、冷や汗を垂らしながらも瞳からは光が消えていない。
こんな血みどろの証人尋問をまだ続けたいようだ。よほどのサイコパスでもない限り直視するのもキツいだろうに。
「……だが! 被告はシラビを制圧した後、後処理で油断していたシノノメ家と護心組の人員、そして自らの仲間に不意を打ち、神器たる“始源の円輪”を強奪せんとした! 実際、窃盗に及んだ被告をシノノメ・カグヤが身を呈して……!」
……呪符が反応してない。やっぱりナナシの事は知らないみたいだな。
本当に、ただ自分の目で見てきたものだけを信じてるのか。
「それは誤りであり、順序が違う。私たちは護心組に紛れ込んでいた人物、カラミティのナナシと名乗った男が神器を持ち去ろうとしたところを、一斉に制圧しようとした」
「しかし、元より邪魔者を一掃する目論見を企てていたのか! ナナシは、命を奪わんとする一振りを我らに向けてきた! それでもなお、こうして五体満足のままでいられたのは、間一髪の所で彼の力に護られたからだ!」
視界に収めるのも嫌になってきたシュカから視線を逸らせば、ホフミさんに背を押されてエリックが弁護席で立ち上がる。
一瞬だけ、額に青筋を立てていたように見えた頭を下げて。
毅然とした態度で胸を張るエリックは、こちらを一瞥してから口を開く。
「フヅキ家ホフミからご紹介に預かったエリック・フロウです。この度は皆様の生命を優先すべく、俺……私のスキルで守護させていただきました。ですが、あまりにも強大な力に防ぎ切る事は叶わず、諸共地面へ伏せられる結果に。加えて日輪の国の象徴たる大霊桜を力不足であるがゆえに傷つけてしまったこと、この場を借りて謝罪します。大変、申し訳ありませんでした」
うわっ、似合わねぇ。
事前に口裏を合わせていたのだろうが、寒気がするほど普段と違う口調だ。
言いたい事を言い切って席に座ったエリックを横目に、思わずこぼれ掛けた感想を呑み込むように。
噴き出しかけて生じた身体の痛みを抑えるべく、顔を上に向けて深呼吸。至って自然な振る舞いであるように装いながら、顔を正面に引き戻す。
「話を元に帰して……倒れ伏した私たちに代わって被告とカグヤは、ナナシの身柄こそ捕らえることは叶わなかったが辛くも神器を奪取した。これがコクウ家の寺社にて起きた事象の正しい流れだ。故に、被告は悪心を抱き犯行に及んだのではなく、善良なる一心で行動しただけ──弁護側は依然として被告の無罪を主張する!」
しかしながら、想像以上にシュカの攻めが弱い。というよりは、オキナさんを筆頭に弁護側の証言が強いな。当然と言えば当然だが。
何より双方ともに、そして裁判長ですら俺に有無を言わせない為か。余分な情報、時間を削ぎ落として弁論を交わしているので裁判の進行速度としてはかなり早い。
元々シュカの負け戦でしかないのは事実だが、もう少し追い込みたいな。
こちらの考えるシナリオ通りに足掻いてもらわないと、覚悟した意味が無い。
「っ……デタラメを講じるか、シノノメ家の人間ともあろう者が! 被告が招いた被害、カラミティなる脅威は、国家を揺るがしかねない程の損失をもたらすかもしれないのだぞ!? この事件で露見されなくとも、潜在的な厄災の種を持つ被告は」
「それは今、関係ないな」
焦りに焦って、荒唐無稽。裁判で議題として掲げられた内容にそぐわない。
考えるべき事柄ではあるものの、それは不確かで、民衆の目もあるこの場で晒す情報ではないだろう。無用な混乱と不安を大衆に抱かせ、国の情勢は揺らぐ。
せめて王家と綿密な談合を重ねた上で、公開するか否かを判断するべきだ。……食い止めておく意味でも、ここいらが潮時か。
吐き捨てるような物言いに、びくりっ、と肩を跳ねさせたシュカの目が俺に向く。
彼に俺の姿はどう映っているのか。まるでバケモノでも見るかのようだ……まあ、客観的には似て非なる物体ではあるか。
「既に雌雄は決したと見える。裁判長殿も分かっているからこそ、多弁を弄しない姿勢に落ち着いたのでしょう。己が内にて沙汰を言い渡す算段であるなら、ここから先は恐れ多くも、被告である俺から質問させていただきたい。検察のシュカへ、になりますが」
「な、なんだ……?」
「そう警戒せずともよいのでは? 貴方は正直に答えてくれればいい。そこに何の迷いも憂いも無ければ、虚偽を戒める呪符が牙を剥くことはないのだから」
ふらつかないよう身体を正し、シュカを睨む。
「この裁判を通し、俺は弁護側から潔白を証明する証言と証拠を示された。その内容はあらゆる人物、機関を通して正式に発行された物もあり、裏付けはしっかり取れている。神器の強奪を謀った真の犯人がいる事も明言された。それでもなお、貴方は俺を重罪人だと?」
「と、当然だ! すぐにでも、貴様の化けの皮を剥がして」
「そうだな、俺が全部悪いよ」
シュカの返しを遮って、同調の嘘を吐く。
瞬時に身体へ異変が生まれる。左腕だ。厳密に言えば、左腕の骨。
視界の端に収まっている自身の腕が強張ったかと思いきや、服の上から見ても分かるほどに、前腕部がくの字に捻じ折れた。
気色の悪い破砕の音。弾かれるように身体が揺れ、足を広げて踏みとどまる。
新しい痛みが押し寄せてきた。歯を噛み砕かんばかりに食いしばる。小さく、引きつった誰かの悲鳴が、弁護側の席から届いた。
…………大丈夫。まだ、耐えられる。
「質問を、続けよう。貴方は裁判に向けた調査を進めていく内に疑念が生じたはずだ。本当に俺が悪であるのか、と。にもかかわらず、こうして裁判は執り行われ、俺は犯罪者へ仕立て上げられようとしている。そこまで強行したのは、何故か?」
「それ、は…………っ」
「当ててみせましょうか? 四季家やシノノメ家、日輪の国という国家の枠組みを覆さんとした大罪人を処すれば、自身の名誉や権力が保証される……そんな浅ましい考えが拭えなかったからでしょう?」
「……ッ!!」
「沈黙は肯定と捉えますよ。この場において言葉を述べないのは、自身の発言に裏があると言っているのと変わらないのでね」
煽りまくったせいか、シュカは今にも飛び掛かってきそうだ。
自分の愚かな考えで身を滅ぼすとも知らずに、敵意も剥き出しで。まったく、どうして……そうも軽々しい態度を取れるのか。
「四季家の会合では、まだまともに見えたのになぁ」
心の底から軽蔑するように、嘲りの嘘を吐く。
今度は右脚。弁慶の泣き所、脛の部分。
左腕とは打って変わり、バキャリ、と激しい破砕の音が響いた。
右脚が変形し体勢が崩れ、咄嗟に被告席の柵を右手で握り、身体を支える。左腕部に続き、分かりやすい骨折の証明は知れ渡り、傍聴席に何度目かのざわめきが生まれた。
酷く鈍い鈍痛が全身を駆け巡っている。
健常な左脚に体重を預け、よろめきながらも姿勢を正す。
…………大、丈夫。まだ、耐えられる。
「被告人っ、それ以上の発言は許容できない! ただちに救護班の治療を──」
「俺を、止めたいなら、さっさと判決を……言い渡して、裁判を終わらせればいい」
呼吸が荒れ、視界がブレて、焦点が合わないまま。
木槌で机を叩き、場を静めようとした裁判長を見上げる。
「証拠は、揃った。証言も、並んだ。正当性は、ある……なのに、アンタは冷や汗を垂らして眺めてるだけ。そのせいで、こんな裁判がまかり通ってる。この現状に……怒鳴り散らしたいのを、我慢してるんだぞ……」
何を待っている? 何を期待している? 何を狙っている?
身体中を蠢く痛みとは裏腹に思考が回る、冴えていく。
「俺から見れば、アンタはシュカと同じで信用ならない存在だ。いや……アンタどころか背後にいる権力者全員、敵でしかない。真相も意図も思惑も知らない、知りたいとも思わないが……」
「何を、言って」
「ガキ一人の人生を滅茶苦茶にしてんだ。相応の覚悟があるんだよな? 忘れたとは言わせねぇぞ……俺が死ぬまでの間に裁判を終わらせろっつったのに、生温く日和ったアンタの負けだ」
これまでのやり取りで見限った。
弁護側に立つ皆と、傍聴席で同情を抱く観覧者しか味方はいない。それ以外は、人の形をした肉の塊でしかないんだ。
だったらもう、いいだろ。こんな狂った茶番、終わらせてやるべきだ。もはや、出し惜しみはしない。
「っ! ダメです、クロトさん!!」
俺の行動を察したカグヤと、エリック達が席を乗り越えてこようとしている。
それは、ダメだ。あくまで被告と弁護、互いにある程度の壁で隔たれている状態でなければ、納得しない連中のほうが多い。
駆け出そうとする彼女たちを視界から外し、
「最初からお前らも信用なんてしてねぇよ。それすら理解できない低能なクズばかりだな……反吐が出る」
最悪で最低、最も忌み嫌う虚飾の言葉──最期の嘘を口にした。
作中でも言及されていますが、クロトは魔法やスキルが使えない素の状態でとんでもない負傷に耐えています。常人なら泡を吹いて気絶してもおかしくありません。苦しそうだね。でも、本番は次だから。
次回、間違った対応が行き着く鮮血の終わり、二転する状況のお話。