第二十七話 特急列車の車窓から
今回、クロトの弱点が判明します。
道具を揃えたり、リーク先生に貰ったレシピで霊薬を作成していたらあっという間に時間が過ぎた。
冒険者用の大型バッグに必要な物を叩き込み、駅のホームにて集合。シルフィ先生、エリック、カグヤと共にいざ出発。
ちなみにこの世界は魔導革命によって、所々が現代とそう変わらない生活様式を実現している。
ゲームに出てくるようなレンガ造りの民家が並んでると思えば、都会のビルのような建築物が建っているなど。
魔力結晶を用いた日用品も地球の物と似ていて、ボロ家時代の結晶灯にはお世話になった。
さらに魔導革命が生み出した発明品の中には魔導核なる物が存在している。
これは大気中の魔素を取り込み、効率良く魔力へ変換させる動力機関であり、魔導車──地球で言う自動車のエンジンに代わる部品だ。
しかし、魔導車をニルヴァーナで見掛けたことはない。
理由は単純に、車道が無いからだ。
各国から様々な人物が集まり、独自の関係を築いていくこの国にとっては、文明の利器は時に足枷となってしまう。
だから未だに馬車による移動販売を行う商人もいる。というより、国外の村へ向かう際は基本的に馬車で移動だ。
道中、モンスターに襲われる危険性は多々あれど、そこは自警団による手厚い警護が付いていくので安心できる。
そして、魔導列車についてだが……これは魔導車より認知されているだろう。
様々な国を繋ぎ、多くの人を運び、大量の物資を搬送する。馬車での運搬に限界のある荷物も魔導列車であれば簡単に、長距離だろうと輸送できてしまう。
小・中国家に対しても線路を引いており、利用される機会も頻繁にある。
大陸を通る血管と比喩されるのも納得だ。
今回は魔導列車の中で二番目に最速とされる特急列車に乗り込む。
実際に乗車するのは初めてだが、見た目は蒸気機関車に似ている。しかし燃料は石炭ではなく魔力結晶であり、先頭車両には結界装置が取り付けられているので、レール上の障害物を弾きながらの走行が可能だ。
大きなカーブに入ったことで発生した緩やかな遠心力に身を任せ、車窓から景色を覗く。
広大な平原に点々と散らばる魔物。
遠くには緑に覆われず、荒々しい岩が突出した巨大な山脈。
時折すれ違う車両の煙突から、黒煙の代わりに魔素の輝きが噴き出て、空に虹の線を描いて消えていく。
異世界の日常のありふれた景色。
その一部だとしても、俺にとっては綺麗で、夢のようで、幻想的で──。
「は、吐きそうでゲソ……」
吐き気に襲われていた。ガッタンゴットン揺さぶられていて気分が良くならない。
折角窓際の席を譲ってもらって窓を開けて風を受けているのに、むしろ悪化している。
「大丈夫ですか? これ、お水です」
「ありがとぉ……」
「なんか意外だな。馬に乗るのは平気だったから、乗り物酔いとは無縁なのかと思ったぜ」
「生き物は乗り物じゃないじゃん……」
「そういう問題では無いと思いますよ?」
『キュイ、キュキュ』
心配そうに頬を擦り寄せてくるソラを撫でながら、カグヤに渡された水筒を傾ける。
喉を通る冷たさに少し気分も和らいだが、胃がひっくり返されるような感覚は治まらない。
どうしよう。列車に乗ってまだ十分くらいしか経ってないんだけど、あと三時間も耐えられるかな。
昔から酷い乗り物酔いで酔い止めも効かない体質だったから、乗ったらすぐに寝るぐらいしか対処法が無かった。
その為、遠足や修学旅行の前日はわざと夜更かしをして翌日を迎える、という手段を取らざるを得なかった。
しかし昨日はぐっすり眠れてしまったので全く眠気が来ない。
万事休す。このまま俺は魔科の国に輸送されるのか。
体調面が最悪過ぎる。これじゃ向こうでまともに動けないぞ。
「ダメだ、無理矢理にでも寝るしかない」
「どうやってです?」
「こう、上手い感じに頸動脈を絞めて……エリック」
「言うと思ったぜ。絶対やらねぇからな?」
頬杖をついてインテリな雰囲気を漂わせながら読書をしている妖精族の友達は、心底嫌そうな顔で断ってきた。
「というか教師として看過できませんからね?」
隣席で分校との打ち合わせ資料の確認を行っていた先生は、眉根を寄せて銀瞳を向けてくる。
「酔い止めが効かないのはつらいですね。グリモワールまでまだ時間がありますし……」
刀使いの美少女は顎に手を当てながら、純粋に心配してくれる。
確かに各々の反応は当然だろう。中学生の時の校外授業で一度やったことがあるが、目覚めたら病院に運ばれていたのであまりオススメできない。
短く息を吐き、激しい頭痛が響く頭を抑えて前屈みになる。
さて、本当につらくなってきた。せめて横になれたら楽になるかもしれないのに。
運が良いことに肘掛けの無い長椅子タイプの座席で、眠るには丁度いい長さなのだ。
だけど横には先生が座っている。作業の邪魔をするのは気が引けるので我慢するしかない。
ソラを腕の中に抱きしめながら唸っていると、不意に肩を掴まれた。
なんぞ? と声が出る前に視界と身体が倒れる。そして側頭部に柔らかい感触が……。
見上げれば先生の顔が見える。あれ、ひょっとしなくても今、膝枕されてます?
「こうすれば多少はマシになると思います。少なくとも、いずれは眠気がやってくるでしょう。──鎮痛と睡眠を促す疑似魔術を付与します。貴方はゆっくり、身体を休めてください」
「先生……」
正面に座る二人に聞こえないよう、小声で伝えられた内容を把握する。
「すみません、迷惑を掛けて。……助かります」
「気にしないでください…………ふふっ」
申し訳ないと思う気持ちもあるが、ありがたい。
仄かに赤らんだ頬と、微笑んだ姿に甘えることにしよう。
周囲の目線? 知るか。そんなことより自分の体調と柔らかい幸せを優先するぞ。
「“瞳に闇を 安らかな眠りを”──おやすみなさい」
魔力の込められた言葉通りに瞼を閉じ、静かに息を整える。
一つ、二つ、三つ。
深呼吸を幾度か繰り返し、程なくして頭痛が消え去り、無くなっていたはずの眠気が訪れた。
不思議なほどに心地よい感覚に、俺は意識を手放した──。
──汝、一切の望みを捨てよ。
──異元の想いを抱き、己が全てを捧げよ。
──顕れし幻想を恐れるな。訪れし現実を受け入れよ。
──犠牲という名の礎は、決して無駄にはならない。
──星に安寧を。未来に救済を。
──受け継がれし意思に従い、使命を果たすのだ。
「……なんだ、今の」
「なぁに首傾げてるのよ。それにしても、こんな時間にこっちに来るなんて珍しいわね。何か用事でもあったの?」
地平の果てまで続く広大な白い空間。
その中にぽつんと一つだけ置かれた執務机に向かって、イレーネは羽ペンを走らせていた。
一瞬、目線だけ向けて、すぐに書類と睨めっこを始めた彼女に、俺は頭を掻きながら近づく。
「いや、乗り物酔いから逃げる為に寝ようとしただけなんだけど……。おかしいな、来ようと思ったわけじゃなかったのに」
「ふぅん……まあ、いいわ。どうせ現実に戻ってもロクな目に合わないんでしょ? 気が済むまでここに居たらいいんじゃない?」
「ああ、そうするよ」
イレーネの言葉に甘えて、想像のままに作成した椅子に座り込み、ほっと一息。
ここなら乗り物酔いの心配も無いし、安心安全に過ごせる。
椅子に身体を深く沈めて、先ほど脳裏に響いた声を思い出す。
あれは一体なんだったのだろうか。
聞き覚えの無い声だった。何人もの男性と女性の高低が混ざり合い、記憶の側面に霧のように残留する声。
怨念のように暗く、重く、冷酷な印象を抱かせたそれは、今も頭の中で反芻している。
そして、胸の内から湧き上がる嫌悪感。そんな自分の思いとは裏腹に意味も無く焦燥感を駆られているような、気分が悪くなる感覚を覚えた。
……何より気味が悪かったのは、まるで自分という存在が消滅するような光景を見たからだ。
以前、病室に横たわる自分を俯瞰的に観察した時と状況は類似していた。
眼前に佇む鏡合わせの自分。全く同じ姿の自分に驚く暇もなく俺の身体が端から消えていく。
肌も肉も、骨も血液も、熱も感覚も喪失した。見つめる間にも消滅は侵食し、為す術もなく全身が虚空へと消え去る寸前。
鏡合わせの自分が怪しく嗤っていた──幻視した光景を最後に、気づいたらここに立っていた。
「なんなんだよ、まったくもう……」
「ほんとにどうしたの? いつになく神妙な顔しちゃって。お腹でも壊した? あと飲み物は何がいい?」
「現実の俺は吐き気と頭痛と女性の柔らかい太ももを堪能してる最中だよ。コーヒー……いや、紅茶で」
「地獄と天国の板挟みなんて混沌としてるわね。……で、実際何があったの? はい、紅茶」
執務机を片付け、作り出したテーブル上のティーセットから淹れた華やかな香りを傾けて、イレーネが先を促すように視線を向けてくる。
下手に茶化す訳でもなく真剣にこちらの心配をしているようで、いつになく真面目な表情をしていた。
……全部話した方がいいな。おどけて誤魔化す空気じゃない。
それに、あまり自分一人で抱え込むのも良くないだろうし。
「……とまぁ、こんなことがあったんだよ。ついさっき」
ため息一つ。話し疲れた俺は目を下に落とす。
さほど時間が経ったわけでもないのに、カップの中身は空になっていた。
自覚は無かったがかなり喉が渇いていたらしい。紅茶、もう一杯貰おうかな。
立ち上がり、終始無言のまま俯き、微動だにしないイレーネに声を掛けながら紅茶を淹れる。
「で、女神的な立場から俺に起きた現象について聞かせてくれないか? これが日々の疲れが原因の幻聴や幻覚なら俺もまだ納得できるんだが、それにしては気味が悪くて……」
「──忘れなさい」
清々しいほどに、いっそ冷酷とさえ思えてくる抑揚の無い一言。
それがイレーネから発せられたものだと気づくのに、少しの時間を要した。
「頭に響いたその言葉も、君が見た自分自身も、消えていく自分の姿も。全部……全部、忘れなさい。君には関係の無い事だから」
「……なに言ってんだよ。お前が気になってたから話したのに」
驚愕と、無下に扱われたことによる怒りか。胸に広がる苛立ちがわずかに零れた。
肩を震わせ、顔を上げたイレーネはどこか悲しそうに、辛そうに顔を歪ませている。
一体何が分かったのか。追及しようと伸ばした手を掴まれ、握られ、額に当てたイレーネの心情を図り知る事が出来なかった。
許しを請うように。悲痛な表情で項垂れるイレーネに、俺は何も言えなかった。
静寂の時間が刻々と過ぎていく。
そんな沈黙を破いたのは、視界を黒が埋めていく現象に呻いた自分の声だった。
「っ……もう目が覚めるのか」
「……クロトくん、よく聞いて」
まとまらない思考の中、イレーネの声が通る。
「何も言えない私を憎んでもいい。不甲斐ない私を罵ってもいい。……だけど、これだけは信じて」
──私は、君たちの味方だから。
その言葉を最後に、俺の意識は途切れた。