第一七五話 白羽の刃
戦闘が始まるまでオキナたちに何が起きていたか、というお話。
アヤカシ族の待遇緩和をお題目に掲げた、労働弱者かつ世に役立つ気概も持たないクズの集まり、マガツヒを乗っ取ったシラビは死刻病を改造。
より残酷に、より無情に。
命も尊厳も何もかもを奪う算段で作りあげた克至病は、アヤカシ族の特徴と本性を引きずり出す。
その特性を利用し、大霊桜・神器展覧会の真っ只中で行使し、混乱を引き起こして台無しにする。
大神災から十年という節目の、記念すべき式典を、マガツヒの手によって汚す……最高の機会だ
そして事態はつつがなく進行していた。あまりにも簡単にコクウ家の寺社に潜り込めた上で、目下最大の復讐相手であるシュカと接触できたのだから。
間近で克至病の霧をバラ撒き、それを合図に各地で潜伏させていたマガツヒが小壺を連鎖爆発させる。
阿鼻叫喚の嵐となったコクウ家領地の光景を想像しながら。
他のアヤカシ族と同様に変化した肉体で、シラビは嘲笑混じりの声を上げる。
「カカカッ! 四季家のご尊顔が揃いも揃ってこんなザマとはな! 日輪の国の国防を担う名家が聞いて飽きれる!」
シラビの眼下には身体の各所から血を流し、膝をつくオキナ達がいた。
なんとか観光客、来賓の避難を完了してはいるものの、誰もが肩で息をしていて消耗しているのが窺える。
「くそっ、なんて強さだい……!」
「ウチらが束になっても敵わない? 冗談はよしてよ……」
クレシ家当主シモツ、クレシ家当主ビワ。
双方の家系が継承してきた武具。鎖鎌、弓の粋、技を駆使してもシラビを相手取るには不足していた。
「ぬう……こんな様を見せるなど、不甲斐ない!」
「あまり、大声を出すな。傷が、開くぞ……」
フヅキ家当主ホフミ、シノノメ家当主オキナ
二人は自身の得物である大太刀、刀でシラビに接近戦を仕掛けていた為、特に負傷の具合が酷い。
彼らは決して弱者などではない。護国繁栄に尽力し、研鑽を重ねてきた者がぽっと出のアヤカシ族に後れを取るなどありえない。
損耗に消耗を重ねている理由は、対人に抜群の効果を発揮する克至病が影響していたからだ。
アヤカシ族の特徴、本性、潜在能力を引き出す改造が施された克至病は、対人には猛毒となる代物だ。既存の死刻病対策の薬品で症状は遅らせられるが、完治は不可能。
加えてシラビが使用した物は特に濃度が高く、風に流されず停留していた。
小高い山上に位置するコクウ家の寺社といえど、猛毒が充満する中での戦闘。オキナ達が咄嗟に予防薬を服用したところで対処はし切れず、意味が無い。
激しい争いに呼吸は荒れ、薬の耐性を貫通して病は侵食する。
現に彼らの傷口から垂れる血は黒く変色しかけていた。このままではいずれ、死に至るのは想像に難くない。
だが、それでも屈する訳にはいかなかった。
目の前にいるマガツヒが首魁、シラビを野放しには出来ず……彼が捕らえているコクウ家当主シュカを奪取しなくてはならないからだ。
「やはりアヤカシ族の秘めたる力は最強だな! 過去に貴様らの手を煩わせたマガツヒの中にも、オレのように強力な特性を持つ者がいたそうじゃないか。この結果に至るのも当然だな!」
だが、四季家とシノノメ家が揃い踏みになっても。
死刻病に耐えながら武勇を振るうも、事態は停滞している。
それは悦に浸りながら観覧席に腰を下ろし、現状を心底嬉しそうに眺めるシラビが停滞の根幹に位置しているからだ。
克至病によって例に違わず、彼の身体は大きく変容している。
全長三メートル近い巨躯に腰かけている席は軋み、今にもへし折れそうだ。
着用していた衣類は裂け、そこから覗く皮膚は柔く、温かな印象を抱かせるものではなかった。黄と黒の剛毛。虎を連想させる毛皮と、その下に蠢く高密度の筋肉。
獰猛な鋭い牙と手足の先には鋭利な爪。縦に割れた真っ赤な瞳孔。
極めつけには、臀部より上の位置から生える蛇の尻尾。
全長を大きく超えた長さを持つ尾はシュカを縛り上げ、時に盾として、時に武器として振るわれていた。
アヤカシ族の中でも特に希少で、滅多に見られない種族的特徴を多数携えたシラビは──鵺のアヤカシ族だ。
「う、ぐっ……!」
シュカが苦しげに呻く。かろうじて残った意識で拘束を抜け出そうとするも、シラビはその行動を察知して強く締め上げた。
ミシリッ、と身体が軋み、尻尾の先にある蛇の頭がシュカの肩口に喰らいつく。
「がああああああああっ!?」
「おいおい無駄な抵抗はやめてくれよ。アンタにはこれからも、オレの玩具になってもらわなくちゃいけねぇんだからよぉ。苦しんで、ツラくて、死にたくなっても死なせてやらねぇ……オレ達が受けた痛みを、何倍にも増して返さないと気が済まないんだ」
十年前。大神災で受けた屈辱、侮辱。
「アンタのふざけた自己保身のせいで何十、何百、何千人が死んだ? アヤカシ族だけじゃねぇ、大勢の連中が薬を貰えず死んでいった。男も女も、ガキも老人もだ」
憐憫に隠した蔑みの感情を、シラビは忘れていなかった。
「誰かが言ってたぜ? “四季家なら薬の備蓄がある、病に罹ったガキを治してくれる”……そんな甘言に乗せられて、向かった先で受けた仕打ちが門前払いだぜ? 笑えるよなぁ!? 腕の中で冷たくなってく我が子を思い、夜通し救いを願っても、遺されたのは返事をしない身体だけだった!」
自身が失った、今日を生きるはずの命を思いながら。
「他の四季家は火の車でも市井や国の為に尽くしていた。だがコクウ家はどうだ? 薬があっても病に怯え、メシも食える安全な場所から高みの見物! 下民が死に絶えようが自分さえ生きていられるならどうでもいいってか。大層なご身分だなぁ、何もせず、出来なかった癖によぉ!」
シラビは胸の内に潜めていた感情を爆発させる。
「のうのうと良いツラを見せてれば大衆を騙せるとでも思ったか? 上辺だけを取り繕った偽善者が。他の四季家はともかくコクウ家、てめぇだけは生かしちゃおけねぇ」
シラビのすぐ近く、克至病の源泉とでも言うべき箇所にいたシュカの肉体は、どの四季家当主、オキナと比べても病の進行が格段に早かった。
断続的な身体の痛みと病に侵され、朦朧とした意識では捲し立てられた事実を否定することもできない。
「てめぇみたいなのが生きてるだけで不幸になる連中がいる。そいつらが受けてきたあらゆる不条理、理不尽、不道理……目に見えて分かる形で返してやるよ。まずは腕、そっから脚を潰して達磨にしたら、てめぇの娘を殺すか」
「……っ! ッ!」
「おお? なんだなんだ、一丁前に悪足掻きしやがって。他人が死んだってどうとも思わんが、自分の家族だけは見逃してほしいってか? んな眠たいマネする訳ねぇだろ。とことん仕返さねぇと後悔も絶望もしないじゃねーか」
シラビはおもむろに観覧席から立ち上がる。
蛇の尻尾を首に巻き付け直し、眼前に掲げたシュカの右腕に手を掛けた。
「一息にやろうか、それともじっくりとへし折るか……いい声で啼けよ」
「っ、よせ! やめろッ!」
オキナが渾身の力を込めて制止の声を掛けるも、シラビは止まらない。
駆け出し、目の前で繰り広げられる惨劇に割って入ろうとするも、病に侵された身体がそれを許さない。
膝が崩れ落ち、撒き散らした血反吐が桜の絨毯を染める。
他の四季家も諦観に呑まれぬよう、歯を食い縛って武具を握り締めるも近づけない。
誰にもシラビの凶行を阻害することなど出来ない……
「──掻き鳴らせ、“シラサイ”」
誰もがそう感じていた時。
境内に響く声と、染み渡るような白線が世界を別つ。
視界が割断され、ズレて、不気味な絵合わせのように。景色が元に戻る様を見せつけられた全員が息を呑んだ。
白線の収束につれて、シュカを掴んだシラビの手首から先と蛇の尻尾が両断される。
「……あ? なん」
痛みよりも、血が噴き出すよりも先に。
唐突に無くなった重みへの困惑を吹き飛ばすかの如く、
「オラァ!!」
「げごっ!?」
高速で飛来したクロトがシラビの横っ面を蹴り飛ばした。
彼の身長を超える体躯を持つシラビが豪快に地面を転がり、境内を囲う壁面へ激突。土煙を上げ、姿が見えなくなった。
『…………!?』
場にいた全員の理解を置き去りにした事象の数々。
それらを引き起こしたクロトは、力無く倒れようとしたシュカを抱える。
「うわっ、何だこの人顔色悪すぎだろ……」
ぼやくような呟きの後、クロトの身体から虹色の光が溢れる。
二人が立つ地面に停留していた克至病の霧が晴れ、浄化されるような反応は生命魔法によるものだ。
事情を知らぬ者が見れば神秘的だと感想を抱くかもしれない。だが、生命魔法で治したシュカを、遠心力に任せてぶん投げたクロトを見て絶句する。
「カグヤ、いま投げた奴が一番重症だ! 特効薬を飲ませてやって!」
「わかりました!」
しかし放り投げられたシュカは遅れてやってきたカグヤによって回収。
即座に口元へ特効薬を流し込まれ、身体を痙攣させながらも煙を噴出。みるみる内に顔色が生気を取り戻していった。
死の直前から救われる光景を目の当たりにし、四季家当主たち、オキナの目が大きく見開かれる。
「皆さんにも特効薬を飲ませたら避難させますね!」
「頼んだ! 合流は後で!」
「はいっ!」
クロトはシラビを飛ばした先から視線を外さず、カグヤは当主たちを担いで階段を駆け下りていく。
言葉少なに交わされるやりとりは仲間としての関係性を如実に表していた。
「クロト……どうしてここに?」
「話すと長いんで、詳細は後でカグヤから聞いてください。今はとにかく──」
ハッと我に返ったオキナがクロトへ問い掛けるも、彼は返答を濁して警戒を強める。
その理由はシラサイの切っ先を向けた先。立ち込める土煙から響く粘ついた水音と、境内に敷き詰められた砂利を踏み締める足音がしたからだ。
「カカッ……今のは効いたぜぇ」
そう言って煙を払い、獰猛な笑みを浮かべ、シラビはクロトの元へ歩み寄っていく。
──つい先ほど、クロトが切り落としたはずの部分を再生させながら。
「っ、馬鹿な!? 欠損箇所が治って……!?」
「道中で鎮圧してきたマガツヒにも同様の再生能力が見られた……確信したよ。肉体変化と両立している効能の一つだな? 克至病だなんて名乗ってるのは伊達じゃないか……一筋縄ではいかなそうだ」
クロトはコクウ家の寺社に到着するまで観察してきた情報から、克至病の推測を確立させる。
それを耳にし、シラビはさらに笑みを深めた。
「へえ? 詳しいじゃねぇの。お前さん、剣の腕も立つのに薬師でもあんのかい?」
「それなりに知識はある……警備班の一員として無礼なマネをしたのは謝るが、大人しく捕まる気はあるか?」
「寝ぼけたこと抜かすなよ。少なくともコクウ家のご当主様の首を折るまでは、捕まる気なんざ毛ほどもねぇよ。良い所で邪魔してくれたアンタにも、お礼をしなくちゃなんねぇしな!」
「あの人が気に食わない理由は十分に理解できるが……仕方ない。オキナさん、他の当主方と一緒に離れててください」
丸太ほど大きな両腕を構えたシラビ。
シラサイを右手に、朱鉄の魔導剣を左手に、クロトは対峙する。
「手荒な手段で身柄を捕らえるか。再生が追いつかない速度で切って、傷口を焼けば大人しくなるだろ」
「やってみろ、クソガキィ!」
裂帛の雄叫びを上げた直後。
大霊桜を震撼させる衝撃が響き渡った。
ようやく戦闘描写に入れます。前に描写し忘れてた内容も入るので、若干長めになるかもです。
次回、鵺のアヤカシ族としての本領、対応しきるクロトの武芸。