第一六一話 束の間の休息と確認《前編》
コメディな話になって歯止めが効かなくなると判断したので前後編に分けます。
「ご当主。大浴場のご用意が出来ました」
「ん、そうか。ありがとう」
食後の歓談中、背後の襖が開いて女中さんが現れた。
オキナさんへ簡潔に用件を伝えると、静かに襖を閉じて去っていく。
「皆々、夕食を終えたばかりだが風呂の準備が終わったそうだ。特にクロト、君は我が家の湯を楽しみにしていたそうだな? 私との仕合で疲労もあるだろうから、存分に堪能すると良い」
「おおっ、楽しみです! あれ、でも俺達が先に頂いちゃっていいんですか? 大浴場っていうくらいだし、普段は門下生の人たちが入ってるんじゃ……」
「出来れば客人用に時間を分けたかったが、そうもいかなくてな。食事処の掃除と寝床の準備が終われば入浴しに行くだろう。それまでしばらく掛かる」
「んじゃあ、ぱぱっと上がれば邪魔にはならねぇか」
「なら早速行こう! 待ちわびてたんだ~!」
エリックと一緒に座布団から立ち上がり、背筋を伸ばす。
「アタシらも行くか。クロトほど期待してる訳じゃないが、全身を伸ばせる湯船ってのはくつろげそうだしな」
「アカツキ荘の浴槽も広くはありますが、三人で入るには手狭ですからね」
「せんせーも一緒に入ろっ! 背中ながしてあげる!」
「ありがとうございます、ユキ。……オキナさん。つかぬことをお聞きしますが、効能はいかほどでしょう?」
「関節痛に筋肉痛、手足の痺れや挫傷に効果がある。一日の疲れが溶けること間違いなしだ」
「足の疲労も取れそうですね……教えていただき、ありがとうございます」
魔力操作せずに歩き回ったシルフィ先生の身体は限界なのだろう。
立とうとしてふらついてたし、雑談してる時も少し眠そうだった。カグヤ達と一緒に入るみたいだし、俺のように湯船で沈むことはないだろうが……
ユキの肩に手を置いて身体を揺らしている先生に目線を送っていると、カグヤがポンッと手を叩いた。
「そうです。お父さまもクロトさん達と入浴しては?」
「むっ? しかし客人方が湯を楽しんでいる最中、知人の父と時間を共にするというのはあまりにも気まずいだろう」
「仕合で汗だくになったままの服と身体でいるつもりですか? 洗濯担当の方からまた苦言を呈されますよ」
「…………すまない。共に入ってもいいだろうか」
すごく遠回しにカグヤから“パパくさーい”と言われて、オキナさんはシワシワな表情を浮かべた。お労しや……
「大丈夫っすよ。俺らもよくニルヴァーナの大衆浴場とか利用するんで慣れてるし」
「いつもドラム缶風呂で済ませてる分、肩までゆったりと浸かりたいねぇ」
「二人が平気なら、甘えさせてもらおう。……待て、ドラム缶風呂?」
何やら困惑気味なオキナさんに先導してもらい、道中、カグヤ達と別れて。
割り当ててもらった部屋からタオルと着替えを回収し、大浴場なる場所へ向かう。
木張りの廊下を進んでいくと、日中カグヤに案内してもらった裏口についた。その両脇には木製の引き戸があり、開けると結晶灯で照らされた地下への階段が続いている。
「いくつか大浴場へ繋がる道が屋敷内に点在しているのだが、ここはその内の一つだ。この先を降りていくと男性浴場に辿り着く」
「源泉を引いてるっていう割に配管とか見当たらないと思ったら、地下に浴場があるんですか!?」
「元々、シノノメ家の地下には自然に出来た空洞が存在していたんだ。それに気づいた当時の当主が落盤を恐れ、補強工事をおこなった際、岩盤の撤去作業中に源泉が湧きだした。これはマズい、だが好機だ、と睨んだ当主は予定を変更して屋敷地下に浴場を建設。晴れてシノノメ家は焔山の恩恵である温泉を独占することになったんだ」
「小高い山の上に立ってたのは相応の理由があるってことか」
「ちなみに、以前は道場のあった位置が本来の大浴場だったそうだ」
「はえー、そんな配置だったんだ……」
木製から石造りの階段に変わり、声と足音が反響する。
そうして最後の段を降りて鉄格子にガラスが貼られた扉を開けば、仄かに香る桜と温泉の匂いが混じって漂ってきた。
天井は岩肌が露出し、壁は霊桜、床は竹張りの広い脱衣場。
同じような鉄格子の扉が三つ。いくつか水飲み場もあり、光度の高い結晶灯のおかげで全く暗くない。
「すげぇ!? 向こうの大衆浴場と全然ちげぇわ!」
「うおおおぉ溢れ出る温かみと高級感っ!」
「ははっ! 本命がまだだというのに、ここで驚いていてもらっては困るな」
オキナさんの嗜めるような促す声に頷いて、そそくさと衣服を脱ぐ。
「なっ!? ……クロト、その身体は一体……?」
「これは昔の生傷だったり、治りきらなかった物が痕になっちゃったんです。骨もバキバキ折ってたので変にでこぼこしてたり、皮膚の引き攣れとかあったんですけど、今はもう気にならなくなりました」
「うぅむ……わずかに腕から見えてはいたが、よもや全身が傷だらけだったとは」
「何度見ても痛々しいよなぁ。魔法が使えるようになってからは、もう傷はついてないんだろ?」
「うん。後はまあ、傷痕ではないけど、こないだの納涼祭で負った後遺症ぐらいかな? 魔力操作すると歩く結晶灯みたいになるやつ」
「なんだそれは?」
「体内の魔力回路がずっと励起して発光状態になるんすよ、コイツ」
「提灯がいらなければランタンもいらない身体ということか。……まるで光源生物だな」
「やっぱり皆、そう思うんだ……」
腰にタオルを巻いて、浴場に繋がる引き戸を開ける。
視界に飛び込んできたのは、僅かな照明で照らされた、空洞の名残りであろう鍾乳石が奥まで広がる光景。
その手前には湯気を立ち昇らせ、湯船から溢れる湯が石造りの床を濡らしている。浴場内の面積で言えば、湯船は六割ほど占有していた。
ヒタヒタと、歩けば幾度となく足音が反響する。入り口近くには詰まれた桶や椅子があり、石鹸も備え付けてあった。
「わおっ、侘び寂びぃ」
「なんでぇ。身体洗うんならと万能石鹸を持ってきたが、いらなかったみてぇだな」
「気になる単語が出てきたな……万能石鹸?」
「クロトが錬金術で発明した物っす。髪も身体もまとめて洗えて艶が出たり、身体の生傷や疲労を癒してくれる、ポーションみてぇな効果を持った石鹸なんすよ」
「クランとしてのアカツキ荘と提携している商会に卸して販売中の品でもあります。結構人気なんですよ」
「冒険者としても商売人としても幅広く活動しているな……」
雑談しながらも身綺麗にして、湯船に脚を入れる。
四〇度くらいだろうか。火属性の魔力結晶で無理矢理あっためるドラム缶風呂に比べて、適切な温度を維持しているようだ。
肩まで浸かれば浮ついた、心地の良い感覚が全身を包む。
「ああぁぁあ~、これはいいなぁ……」
「やっぱ広い風呂ってのはゆったりくつろげるぜ」
「別名、命の洗濯と言われるものだからな。独りで利用する時は酒を持ち込んで一献たしなみつつ、と楽しむこともある」
「日輪の国の酒ねぇ……和酒だか清酒って言うんだっけか? ウチの飲んだくれが聞いたら飛びつきそうな話題だぜ」
「他所様の家でも普段と変わらない様子で居られそうだし、神経が図太いというか……そうだ、親方へのお土産は和酒にしよう。レインちゃんに隠れて工房で飲んでるって話だし。あーでも学生で購入できるのか……?」
「親方とは、君の鍛冶の師匠だったな? そういうことなら、宿場街通りに醸造所を構えている店舗がある。私もよく利用させてもらっている店だ、事情を打ち明ければ快く販売してくれるぞ」
「ほんとですか? ありがとうございます!」
顔が、頬が段々と赤らみ、熱を持ち始めた。自然と口から細く出た吐息が、湯気を掻き分けている。
言葉も少なくなり、比例して身体の疲れも溶けだしていく──すると、男湯と女湯を隔てる壁の向こう側が騒がしくなった。
「アカツキ荘の風呂場もでけぇが、カグヤの家とは比べ物になんねぇな!」
「ぷかぷか受けそう……!」
「二人とも、あまり騒いではいけませんよ?」
「まずは身体を洗ってから湯船に入りましょう」
「はーい。って、二人が並んでるとやべぇな……」
「おっきくて丸い白パンが四つならんでる」
「どこ見てるんですか!? 馬鹿なこと言ってないで、椅子に座って……ひゃあ!?」
「もっちもち、ぽよんぽよん!」
「ちょっと、ユキ!? くすぐったいのでっ、やめてください……!」
「初めてアカツキ荘のお風呂を頂いた時に、私もユキに似たようなことをされましたね……」
「懐かしいなぁ。どれ、アタシも一つ」
「セリスさん? にじり寄ってこないでくださいセリスさん!?」
「「「…………」」」
容易に想像できる刺激の強い会話に、全員で無言のまま顔を見合わせる。
「上がろうか」
「異議なし」
「私も同意だ」
これ以上、気まずくなる前に退散しよう。そういうことになった。
あんなやり取りが丸聞こえなのに平静でいられるか。俺たちは自室に戻らせてもらう!
温泉描写が終わったので、次回こそクロトのスキルと魔導剣のお話になります。