第一五一話 エピローグ③
全ての発端であり、災いであり、元凶。
空気は有っても風が無く、光が有っても太陽は無い。
空も地面も無く、地平の果てまで続く広大な白い世界。
肉体を持たない魂や現世に身を置かない神が存在する精神空間。クロトが異世界に来てから度々、臨死体験などで訪れる機会があった場所だ。
日常生活が多忙を極め、ついでに用事がある訳でもなく、あまり人間が頻繁に来るべきでないという自重の考えから。
国外遠征という行事によって魔科の国で暴れ回った後、クロトが無意識なまま来訪して以降、音沙汰が無かった。クロトの強固な精神性に守られているからこそ、レオ達もイレーネに関する記憶について知りえていない。
今でこそ彼を悩ませている魔剣に関しても、セラス教の主神たる女神、イレーネに尋ねれば仔細を把握することが出来たかもしれない。
──だが、今はそれも厳しい状況だ。
◆◇◆◇◆
天も地も罅割れ、崩れ、欠片となって落ちていく白い世界。
そこから顔を覗かせる裏地とも呼べる部分は黒く、広く、底の見えない奈落のようだ。
清々しく、いっそのこと美しさすら感じさせた無地の空間は、見るも無惨な状態へと変わり果てていた。
「かはっ……!」
残存している白の地面に手をつき、傷ついたイレーネが血反吐をこぼす。
クロトが以前、この地に降り立った際、耳にしたという奇妙な声の真相を突き止めるべく、独自に調査を進めていた。
加えて《異想顕現》……祝詞にも似た詠唱を行い、常識外の力を発揮する謎のスキル。
あるべきでない存在に心当たりがあった彼女は、自身の記憶とあらゆる世界の過去・現在・未来の事象を観測し、閲覧し、読み直した。
いかに神性持ちといえど軽はずみに出来る行為ではなく、彼女の由来と存在意義が合致した結果とも言えるが。
とにかく、彼女は現実世界と乖離した空間の時間を圧縮、実行。膨大な時間の中で、情報を分析し続けた。
管理と調整を司るシンリが協力してくれたこともあり、ついに諸悪の根源へ辿り着く。
白の裏に潜む黒の世界。隣り合わせでありながら気づけなかった自身の鈍さに舌打ちしながらも乗り込み、事情を問い詰めようとした。
……しかし、待っていたのは手痛い歓迎。成す術はあったにしても想定以上の力に敵わず、倒れ伏すことになった。
「──無様だな。現世を統括する神がその有様では、格が落ちるというもの」
浸食するように、塗り潰された黒い地面に立つ、一柱の男。
いや、訂正しよう。立っているのではない。何故なら、足が無いからだ。
足だけでなく全身が揺らめく姿は周囲の風景も相まって幽霊の如く、手入れがされていない色素の抜けた長髪。
その隙間から覗く顔は青年らしくもあり、老人にも見える。目は暗く淀み、感情や考え窺い知ることが出来ない。
「くそがっ……信仰も無い零落した神のくせに、どこにそんな力を!?」
「愚問にも程があるな。分かり切っていることだろう? 貴様らが追放し、追いやった者どもを考えればな」
「……まさか、収斂したの? 異なる神性、異なる人格、異なる理外を取り込んで……そうまでして 何がしたいっての!?」
「無論、世界の存続だ」
さも当然と言わんばかりに男、零落した神は右手を掲げる。
そこには黒の世界へ共に乗り込んだ無二の親友であるシンリが、傷だらけで脱力した身体を投げ出し頭部を掴まれていた。
「う、ぁ……」
「シンリッ!」
「素晴らしい。未熟でありながらも完成された世界の意思たる器……星の源流とも言えるか。よくもこれほどの存在を隠し通していたものだ。ありがたく、使わせてもらおう」
「ふざけんなっ。役目を終えた挙句、勝手な事ばかりしやがった癖にまだ出張ってくるつもりか!」
調査の過程で知り得た、あまりにも無責任で残虐な行いを知っているイレーネは口調を荒げ、怒りを露わにしながら立ち上がる。
だが、零落した神は意にも介さず、顕現させた悪趣味な十字架にシンリを張り付けた。
「星に安寧を、未来に救済を。全ては現世と人類を厄災から守る為……故に、礎となる守護者は必要なのだ。偶然にも選定と試練を乗り越えたが、あやつは信じられんほどに資格が無い。せっかく力を与えてやったというのに」
「《異想顕現》もアンタの仕業か! 上から目線でズケズケと……アンタのふざけた行動であの子が、クロト君がどれだけ傷ついたと思ってる!?」
「その点に関しては我が考慮すべき意義を感じない。全ては必然の流れであり、運命なのだから。まさか、貴様が現世にあやつを呼び込むとは思わなかったが……嬉しい誤算というものだな」
無遠慮、失礼にも程がある言い分に、イレーネの額に青筋が走る。
「そこまで言い張るなら自分の権能を使いなさいよ。我が身可愛さで保身に走って、他の神を収斂したなら出来たでしょうに……ああ、犠牲を強要するアンタの性根じゃ、考えにも至らなかったか。情けないわね。それでも元神なの?」
「──よく回る口だな、矮小な神よ。ならば、貴様も我の糧としてやろうか」
イレーネの煽りが琴線に触れた零落の神は、今まで以上の重圧を放ち始めた。
コイツに敵わないのは百も承知。逃げることも出来やしない。それでもセラス教に集まる信仰があれば時間稼ぎは出来る、と。
不退転の覚悟を決めたイレーネは、事前に用意していた策を講じた。
自身の知り得る情報を余すことなく、現世に残存している近しい間柄の者──別の神の下へ送り出したのだ。
初めからクロトに渡せればよかったが、零落した神に目を付けられている以上、下手を打てば自身や彼の首を締めることに繋がる。
──ごめんね、クロト君。こんなはずじゃなかったのに、巻き込んでしまって。
顕現させた神気を纏い、胸中で謝罪の言葉を溢しながら。
──でも、貴方ならきっと、正しい答えに辿り着ける。それまで頑張るから……!
イレーネは歯を食い縛り、拳を握り締めて、零落した神へと向かっていくのだった。
これにて六ノ章完結です。お疲れさまでした!
ようやく次章から世界の核心に迫る部分へ突入していきます。
ですが、書きたい短編が浮かんだので、それが終わってから七ノ章日輪の国編をスタートします。
戦闘少なめのスローライフな話になると思いますが、経営系シミュレーションゲームを見るような感じで楽しんで頂けたら嬉しいです。