第一四六話 霊峰を救いし者達の凱旋
新しい召喚獣が増え、頭痛の種が増えたクロトのお話です。
就寝直前に衝撃的なやり取りが起きたものの、ぐっすりと眠って。
早寝早起きの習慣もあってかパッと目が覚め、昨日の出来事はきっと夢である、と。
気を取り直して宿舎の窓を開き、朝日を浴びようとして……太陽の如き羽毛と緑の瞳が出迎えてきた。
目に見えず、かすかにとはいえ、確かに感じる契約の繋がり。
霊峰近辺に住む者たちの信仰が生物としての格を押し上げた伝承の存在、霊鳥フェネスとの契約は真実である、と。
突きつけられた真実に屈して、窓の木枠に突っ伏した。
◆◇◆◇◆
「──ということが昨夜ありまして、フェネスが俺の召喚獣になりました。コンゴトモヨロシク……」
『そういう訳だ』
『──!』
「マジかよ」
早朝、六時前。
思いもよらず交わした契約によって仲間となってしまったフェネス。
どこか自慢げな彼女──契約して分かったことだが雌だった──を、同じく早起きして井戸水で顔を洗っていたセリスに紹介する。
「アタシがぐっすり寝てる間にそんなおもしろ……とんでもない事態になってたとはな」
「いま面白がってなかった? 気のせい?」
「空耳だろ。だがまあ、気がかりな部分があるのも分かるぜ」
手渡したタオルで顔を拭き、息を吐くセリスは一本、指を立てた。
「第一に、偶然とはいえ霊峰で崇められてるフェネスと契約して、麓村の連中から何を言われるかわかったもんじゃないってこと」
井戸に腰かけて、続けて二本目を立てる。
「第二に、ソラぐらい小さな召喚獣ならいざ知らず、キュクロプスと変わらん体躯のフェネスがどれだけ食うか……その食費の負担がおっかねぇってことだな」
「んまー、それもヤバそうとは思ったけど……そもそも契約を解除したら? って言わない辺り、仲間として受け入れるのは確定なの?」
「夏場はともかく寒くなった時期にフェネスに埋もれていたいからな。仲間になるのは大賛成だぜ! つーか、契約の解除なんてできんの?」
「無理ですぅ……」
『召喚獣との契約は、召喚士側からのものであれば召喚獣が勝手に解除できるそうだ。だが、昨夜のアレはな』
「全面的に俺を許容した上で交わした有って無いような契約なので、俺から手出しすることが出来ず……フェネスが嫌だと思わなければ破棄されないという、すごい状態になっております」
『──?』
苦悩している感情が伝播したのか、フェネスが頭を擦り寄せてきた。
優しいね、君のおかげで悩んでるんだけどね……
「んー、別に召喚獣としては間違ったことしてる訳じゃねぇし……とりあえず村長に報告しようぜ?」
「大丈夫? なんてことをしたんだ! とか言って殺されない?」
『その時は土下座するしかあるまい』
「土下座は万能な謝罪方法じゃないんだが?」
『──!』
段々と目覚めた人たちの活気で賑わい始めた村を歩き、俺達は村長宅へ向かった。
辿り着いた村長宅で、案の定二日酔い状態なロベルトさんを村長が介抱している場面に出くわして。
俺達の為に朝食を準備しているそうで、ダイニングに案内されてから少し話があるのですが、と神妙な声音でフェネスと契約した事実を伝える。
火元から目を離さず、それでも興味津々に耳を立てる村長の奥さん。
窓の外から宅内の様子を見つめているフェネスを視界の端に入れながら。
徐々に項垂れていく村長を見据え、土下座の構えを取ろうとして。
「霊鳥フェネスと契約したとは……霊峰の異変を解決しただけでなく、召喚獣として共に歩む……なんとめでたいことだ!」
村長は勢いよく顔を上げ、興奮気味に口を開いた。
「あれ、意外に受け入れられてる……?」
「受け入れるも何もフェネスの伝承は麓村で代々継がれてきたものだが、所詮は都合の良い解釈を押し付け、縁起がいいと妄想してきただけだ。我らがフェネスを縛る理由も無ければ、意味も無い。召喚獣として本来の役目を全うせんと契約を交わしたのなら、それはフェネス自身が選択した道。新たな門出を喜ばしいと感じるのは、自然なことだ」
「えっと、じゃあフェネスのことは……」
「とやかく気にせず、仲間として迎え入れてあげてくれ。カーバンクルの召喚獣、ソラだったか? その子とも仲良くやれているようだし問題はないだろう」
「やったな、クロト。アカツキ荘で待ってる皆に良い報告が出来そうだぜ!」
「ああ、うん、そうだね……」
最大の懸念点が消失し、安心したセリスが背中を叩いてくる。外ではフェネスが嬉しそうに身体を揺らしていた。
ただでさえ珍しいカーバンクルに続いて二体目の召喚獣が霊鳥って、普通なら手放しに喜ぶ状況なのに。
……フェネスの存在が新しい火種にならなければいいなぁ。
「うあ、あー……おはよう。顔を洗ってだいぶスッキリした」
今後、起きそうな厄介ごとを想像して痛む腹を抑えていると、出すだけ出して気分が良くなったロベルトさんが現れた。
「顔色が良くなったな。初めて会った頃と比べて、かなり酒に強くなったんじゃないか?」
「よく言うよ、夜通し飲んでおいてケロリとしているくせに……それで、何の話をしてたんだ?」
「フェネスがウチのクロトと契約して召喚獣になったからその報告に来たのさ」
「なんて?」
今までの酔いが全部冷めるような言葉を聞いて、ロベルトさんは心からの困惑を見せた。
◆◇◆◇◆
村長の奥さんが作る絶品朝食の数々を食べ終え──片手間にフェネス用の料理も作っていた。すごい──ニルヴァーナへ帰還する準備を整える。
一夜の宿として使っていた宿舎を掃除し、荷物を抱えて。
ロベルトさんの馬車が止まっていた場所へフェネスを伴って向かう……が、彼の姿が見当たらない。
「ああ、くそ。これは厳しいか……」
「「んん?」」
セリスと顔を見合わせて、声のした方へ向かえば。
麓村まで荷台を運んできてくれた馬の前で、ロベルトさんが膝をついていた。
「準備が終わったから来たが、なんか問題でも起きたのかい?」
「昨日のキュクロプスとの戦闘した余波で、麓村も混乱していたんだ。その拍子に馬が脚を怪我したみたいでな、治療は施したんだが……」
「え、大丈夫なんですか?」
「幸い走行不良になるような重傷ではない。けど、無理に動かすのはキツいだろうな」
「回復魔法とか、スキルで治したんなら動けんじゃない?」
「俺達は怪我が治ったら速攻で敵に突っ込んでいけるけど、馬は繊細な生き物だ。肉体的に治っていても精神的に怖がってると、ちゃんと走ってくれなかったり、新しい怪我を増やす原因になる。誰も彼もが、セリスみたいにイノシシな働きをしてくれる訳じゃあない」
「なるほどねぇ……待て、アタシのこと馬鹿にしたか?」
「でも、どうします? 馬は置いていくんですか?」
肩を揺さぶってくるセリスを無視して問いかけた。
フェネスとの詳細を話した後、また顔色が悪くなったので二日酔いの薬を飲ませて、元気を取り戻した彼は腕を組む。
「一応、ウィコレ商会専用の厩舎が村にあって、世話も兼ねて預けられる環境は整えてるんだ。だから置いていっても構わないが、二泊三日という期限を守れない可能性が出てきてな」
「……確かギルドってそういうの、きっちりやらないダメだったような……?」
「察した通りだよ、セリス。今日中に、もっと言えばギルドの営業時間内に依頼達成の報告が出来なければ、この依頼が無効になる。掲示板が飽和しない為の必要措置ってやつだ」
依頼掲示板……日夜、様々な用件が貼り出され、冒険者の自由意思で取り組める仕事の斡旋場。
誰でも適正な報酬と釣り合った内容であれば依頼を出せる、という身軽な環境ではあるが一定の切り捨て基準が存在している。
それは掲示板に残される貼り付け期間と依頼の達成期限。今回は後者に該当する。
受注した依頼の期限以内に終わらせて報告すれば問題は無い。が、期限を過ぎても報告されなかったり失敗したという事実が判明した場合は依頼そのものが一度破棄され、数日後に再度貼られるようになるのだ。
新人や実力の低い冒険者に向けてあえて期限を設けず、優先度が低く貼り出されたままの物……通称“塩漬け依頼”は除外されるが。
護衛依頼は新人から一人前に至る為の篩として機能する見極めであり、セーフティーネットでもある。
加えて冒険者ギルドと懇ろ……癒着……贔屓……関係性の良い商会が信頼して依頼を発注しているのだ。審査が厳しいのは当然とも言える。
「冒険者ランクが上になれば素材の買い取り額も上がるし、平然と報酬金が提示された額より下回ってね? っていう事態にもならなくなる。ギルドにとっても商会にとっても、金の成る木には離れてほしくないからね」
「へー、ほー……色んな理由があってこの日まで達成するのは厳しいんですけどぉ、って時は?」
「依頼主に相談して、納得してもらい、了承を得た上で期限延期を申し込めばいいだけ。でも受付でしか対応できないし、そもそもそんな事態になるなら依頼を任せたりしないよ」
「商会としての発足からまだ二、三年も経ってないからか、ウィコレ商会にそういった黒い噂がある訳ではないが耳の痛い話だ……」
商人として同業者のロクでもない情報を掴んでいるのだろう。
ロベルトさんは申し訳なさそうに馬を撫で、厩舎へ送っていった。
「とはいえ、どうする? 昇格申請日こそ先だが、今日中に帰らないと実績として認められないぜ?」
『先ほどクロトと共に厩舎を覗いてきたが、馬車を牽引できそうな馬が他にいなかったな』
「馬体が細かったり臆病そうだったり、めっちゃ強引になるけど俺達が“命の前借り”を飲んで引っ張っていくしかないかも……」
「文字通りの馬車馬が如く働くことになんのか……」
『手段の一つとして考慮しておく必要がありそうだな』
ゴートの言葉を聞き終えて、脳内に浮かんだのは。
汗水たらして、脚がガックガクになりながら二人で荷台を押して、夜を迎えつつあるニルヴァーナの門をくぐり、崩れ落ちる姿。
新手の修行か拷問か……ロベルトさんに謂れの無い悪評が付くかもしれん。
『──!』
何か他に策は無いかと頭を悩ませていたら、フェネスがいきなり翼を広げ、浮いたかと思えば荷台の屋根に乗った。
「おいおい、そいつはお前さんの宿り木じゃあな……」
降りるように促そうとしたセリスの前で、力強く荷馬車の骨組みを掴む。
そのままフェネスは、任せろと言わんばかりに身体を大きく見せた。
「「……ほほう?」」
◆◇◆◇◆
「えっと、何をしているんだ……?」
何やら建設工事のような音を聞きつけて戻ってきたロベルトが、困惑気味な疑問を投げつけた。
当然だ。何せクロトとセリスは、荷台の屋根に乗ったフェネスの下で作業をしていたからだ。
車軸部分や各所を、テントを張るペグ用のハンマーで補強し、強度を高めていく様子は荷台に細工を仕掛けていると考えずにいられない。
そんなマネをする子達ではないが、という信頼に近しい安心もあっての問い掛けだった。
「俺達三人が穏便に依頼を完遂する為に必要な工程です。ちゃんと外せるようにするのでご安心を」
「クロト。釘と金属板、余ってないか?」
「金属板なんて元々ないよ。あ、いや、骨組みを強めるなら爆薬と魔力結晶を活用すれば……よし、エンチャントできる。“刻筆”でルーン文字を刻んで荷車全体の補強を……これなら完璧だ」
「荷台の荷物も固定しておいて……ロベルトさん、すぐに出れるけど挨拶とかしなくてもいいかい?」
「あ、ああ。元々朝食を終えたら出発する日程だったからな、馬を預ける用向きと一緒に伝えてきたよ」
「よーし! さあ、荷台に乗り込んでおくれよ。快適な旅を約束するぜ!」
にこやかに笑うセリスに手を引かれ、されるがままに。
荷物と同じようにベルトで縛り付けられていくロベルトを見やってから、クロトは荷台の屋根に上る。
荷台を平行に保つため、フェネスの首に前輪側と後輪側からのロープを掛けてもらい、張り具合を調整。
「大丈夫? きつくない?」
『──!』
『特に支障がある訳ではなさそうだな』
確認を終えて荷台に降りれば、ロベルトと同様に身体を固定させたセリスがいた。
無言で親指を立てる彼女に、クロトは同じく親指を返して。
「フェネス、目的地はニルヴァーナの近辺だ! ロベルトさんの為に安全飛行で頼むよ!」
『──っ!』
御者席から顔を出し、フェネスに合図を送れば荷台が振動し始める。
血液魔法と制服の裾を伸ばし、身体を固定していれば揺れはどんどん強まっていく。
困惑から次第に未知への恐怖を滲ませるロベルトが、クロトとセリスの顔を何度も右往左往させて叫ぶ。
「ななな何が始まるんだ!? 教えてくれっ、知らないままこんなことをされる必要があったのか!?」
「不用意に動かれても困るし……」
「下手に怪我されたら困るし……」
「そんな危険性があるかもしれないのに拘束したのか!? いったいなに」
アカツキ荘のストッパーがいないクロト達に翻弄されたロベルトの声を遮って。
押し潰されるような上昇負荷に目を閉じ、くぐもった悲鳴が漏れる。舌を噛まなかったのは幸運だった。
荷台ごと何度も大きく揺さぶられ、次第に緩やかな遠心力を感じて。
落ち着いた頃に目を開き、荷台の外を確認すれば──そこには、青い空が広がっていた。
「な、はあっ!? とと、飛んでるのか!?」
「そうだぜ。いやー、急造仕立てだが無事に飛行できてる辺り、補強して正解だったな!」
「いくらフェネスが運搬能力に長けていても限度はあるし、荷台の強度も不安に思えたけど……これなら大丈夫っぽいね」
呑気に笑い合う二人の声を右から左へ聞き流し、ロベルトはきちんと固定化された荷物越しに外を見つめる。
太陽に近いほど濃淡のグラデーションが目立ち、千切れ浮かぶ白い雲がそれを強調していた。
眼下には霊峰が広がり、クロトがシラサイを振って作られた特殊な形の山も確認できる。麓村では小さな粒のような人々が、荷車を掴んで飛ぶフェネスの姿を見上げているようだ。
「は、はははっ……君達といると、いつも驚かされている気がするよ」
「こんな無茶を押し通すのは今回限りですよ。ニルヴァーナに着いたら、荷台は元の状態に戻しますし」
「ところで陸路だと安全を取って一日とちょっとって感じの時間が掛かったけど、空を飛ぶとどれくらいになるんだ?」
「そうだなぁ……遠目から見ても飛行型の魔物の影は見当たらないし、順調に飛行して二時間も掛からないんじゃない?」
「空路輸送なんてどこの商会も取らない手段だが、直線距離で換算すれば妥当だろうな……」
クロトは以前に霊峰からニルヴァーナ付近の森に移動した経験から。
ロベルトは商人としての搬入出ルートから算出した確かな答えを。
セリスは何も考えて無さそうな顔で大空の旅を楽しみながら。
予期せぬ出会いの連続から紡がれた一つの冒険が、幕を閉じようとしていた。
ようやく六ノ章も終わりに近づいてきました。ラストスパート、頑張りましょう。
次回、新聞の速報で霊峰の状態を知るエリック達とニルヴァーナに着陸する霊鳥のお話です。