第十九話 黄金に狂う影
起承転結の転の始まりくらいです。
「ふっ……」
短い呼吸に合わせ、走る。髪飾りの鈴がチリンと鳴った。
力強く踏み込んだ足を軸に身体を捻り、愛用の刀――“菊姫”の鯉口を切る。
二つに分かたれた三体の蝙蝠の魔物が灰と化す。確認するや否や、次の標的に目を向ける。
視界に移りこんだ、剣山に足が生えたような魔物が無数の氷の棘を射出していた。
飛び道具だ。しかし、焦る必要は無い。
矢の如く放たれた魔力を帯びるそれを全て見切り、斬り払いながら、立ち止まる事なく突き進む。
円状に位置している魔物の輪の中に割り込み、膝を折り、姿勢を低くする。
「シノノメ流舞踊剣術中伝――《彼岸ノ花》」
打ち上げるように、左手を添えた抜き身の“菊姫”を次々と振り、返しの刃でさらに斬る。
花弁を形取る赤い斬線が跡を残し、一刀両断された魔物が倒れ伏す。
ぼうっと音を立てて崩れ去る姿を流し見て、背後に近づく気配を察知。
振り向きざまに両手に持ち替えた“菊姫”で気配を断ち切る。
しなる蔦が雪の上に霧散。怯み、動きを止めた魔物の心臓部を貫く。
伝わる手応えを払いのけ、次の魔物へ。
延びる景色を置き去りにし、魔物を足場に空へ舞う。
眼下に広がる白く染まった視界の異物を見定める。
斑に散らばる魔物の視線を一点に引き寄せ、深く呼吸をしながら“菊姫”を上段へ。
身体中の筋肉が収束する。呼吸を通して感じる空気の流れから、構えた白刃に輝きが宿った。
「シノノメ流舞踊剣術初伝――《雪月花》!」
落下の速度さえ味方にして振り下ろした“菊姫”は両断した魔物から輝きを地に走らせる。
耳朶に響く凍みた逆さ氷柱が、全ての魔物を貫き刺した。
一瞬の静寂の後、氷柱と共に崩れ落ちていく魔物を見やり、呼吸を整える。
しかし身体中を這い回る熱を伴った痛みに、呻き声が漏れた。
「《雪月花》……舞う機会など久しくありませんでしたが、やはり負担は大きいですね」
普段は刀身から雪を散らすだけの、連続した舞を彩る技だ。
“花ノ型”の呼吸法による魔素の抽出を行い瞬間的な強化を施し、攻撃手段として用いる事も可能とする技なのだが、今回は威力を高め過ぎたようだ。
「まだまだ修行不足、と……」
「わ、私の出番が……。まだ数匹しか仕留めていないというのに……!?」
痛みで痺れた手を幾度か握り直し、“菊姫”を鞘に納めるとルナさんが手を震わせて立っていた。
「これでいいですか、ルナさん」
「え、ええ! まさか本当に一分足らずで全てのモンスターを殲滅するとは、さすがは私のライバルですわね! 怪我を負う事も無かったようですし、技も煌びやかで美し」
「お互い怪我は無いようですね。では、早くクロトさんの援護に向かいましょう」
「また無視ですの? ショックを受けてる状態でも貴女を称賛しようと思いましたのに無視ですの?」
何か言いかけていたルナさんに声を掛け、クロトさんの元へ向かおうとした瞬間。
鼓膜を突き破るような大爆発と熱が広がった。
息を飲み、咄嗟にルナさんと共にその場に伏せる。
頭上を駆け抜ける爆風と迷宮を揺らすほどの振動に揉まれながら、襲い掛かってくる灼熱の空気を吸わないよう口を手で塞ぐ。
「――っ」
叫びたくなる衝動を抑えて、数十秒もの時間が過ぎた。恐る恐る口を開き、息を吸う。
喉が焼け、肺が爛れる様子もない。この迷宮の冷気で急激に空気が冷やされたのだろう。
安全を確認して立ち上がり、顔を上げ、目を見開いた。
身を刺すような吹雪は止み、無風となった広場の雪面は所々が赤々と炎を揺らめかせている。
辺りの大樹は衝撃の影響でひび割れ、氷の葉は無残に飛び散っていた。
そして爆発の中心点には剥き出しになった地面があり、煌々とした眩い軌跡が蜘蛛の巣状に巡らされている。
隣で驚愕に染まった表情を浮かべて、爆心地に目を向けるルナさんが呆然と呟く。
「い、一体何が起きたというのです……?」
「間違いなくクロトさんの仕業ですね。最近、新作の爆薬を利用した武器が完成したと嬉しそうに話していましたから。恐らく、あの魔物は生半可な武器では倒せないと判断して使用したのでしょう」
「そうは言いましても、これは威力が強過ぎると思いますわよ!?」
「私は一度、実際の効果をこの目で確認していますので、あまり気にしていませんよ」
「な、なんと豪胆な……いえ、もしや私も見習うべきだという密かな挑発ですの……?」
「おーい! 二人とも無事か、って何だこれ!?」
雪を踏み締める音に振り向くと、エリックさんがソラを肩に乗せて向かってきた。
氷の熊に奇襲を受けた後、弾き飛ばされてしまって姿を見ていなかったのですが、どうやら私よりも先にクロトさんと合流していたようですね。
「ご無事で何よりです、エリックさん。傷を負っていましたが、具合はいかがですか?」
「ポーション飲ませてもらったからな。完全じゃねぇけど、動くのに支障はねぇよ。とりあえず傷が治るまでソラと一緒にじっとしてたんだが、とんでもなくデケェ音がしたから急いで来たんだ。まあ、十中八九クロトが原因なのは分かってるが……あいつはどこ行ったんだ?」
ハッとして、改めて周囲を観察する。
光の軌跡のせいで気づかなかったが、見覚えのある碧い爪と冷気を漂わせる大きな魔力結晶が転がっているそこに、クロトさんの姿は無かった。
まさか……いや、そんな事はない。あの人が簡単にやられるものか。
諦めずに目を走らせる。すると遠くの方に爆風で飛ばされ、転がっている大型の背負いカバンが視界に映った。
あれはクロトさんが背負っていた物だが、三人でその周辺を知らべてみても肝心のクロトさんがどこにも見当たらない。
「簡単に死ぬようなヤツじゃねぇのは分かってんだが、これだけ探して見つからねぇのは予想外だな」
「先ほどの爆発で蒸発した、というのは?」
「あのクロトさんが考え無しに自暴自棄な行動を起こす事は滅多に……時々……いえ、よくありますが、最低限でも自分の身を守ろうとしますので、蒸発はさすがに無いかと」
「貴女達の話を聞くと信頼されているのか軽く見られているのか評価に困りますわね」
「一緒に居て退屈はしねぇけどな……ん? ソラ、どうした?」
耳を細かに動かし、何かに気づいたのだろうか。ソラは肩から飛び降りて、小さな足跡を残しながら歩き出す。
「もしかしてクロトの居場所が分かんのか?」
「……なるほど。ソラは召喚獣ですから、主であるクロトさんの気配を感じ取っているのかもしれません」
「だとしたら……」
私達は互いに顔を見合わせ、後を追った。
時に立ち止まり、右へ左へと蛇行しながらも歩き続け、そして。
「「「…………」」」
『キュ、キュウ?』
立ち止まって首を傾げるソラの目の前に、私達の眼下に、不自然に盛り上がった雪の塊があった。
しかも塊の頂点から、親指を立てた右手が突き出ている。
異常なのは一目見ても間違いないのに、どうしてこれに気づけなかったのだろうか。
「……どうするよ? これ」
「とりあえず助けますわよ。一応、今回の功労者でもありますから」
「それもそうですね」
発見出来てひとまず安心といった感情と、自分の視野の狭さにどこか恥ずかしさを覚えた私達は、懸命に救助活動を行うソラに倣ってクロトさんを掘り起こした――。
「いやぁ、フロストベアは強敵だったね! まさか属性同化が使えるモンスターだったとは思わなくてさ、最終兵器を使わずにはいられなかったよ」
「「あっそ」」
「待って、反応が軽くない? ダンジョン攻略二回目にしては俺、結構頑張ったんだけゴフッ!?」
「落ち着いてくださいクロトさん。叫ぶと傷が開きますよ?」
「ちゅ、忠告遅いよ」
アクセラレートを多用したせいで内臓を損傷しているのか、血の混じった咳が雪面を染める。魔法で身体を治してはいるが、治癒魔法ほどの速度は無いので激しい動作は厳禁だ。
ああ、全身が痛い。少し前まで雪に埋まっていて動けなかったから、関節もガチガチで動きが悪くなっている。
事前に試していたとはいえ高火力の爆薬を間近で受けるなんて、破片で腕が千切れたり爆発四散してもおかしくないのによく生きてるよな。……もし神器の効果で最低限の被害に収まっているのだとしたら、貰っておいてよかったと心から思う。
一応、魔力操作で身体を防御し懐に残っていた“吹雪”の効果をルーンで変化、強化させて雪の壁を作り盾にして凌ごうとしたのはナイスな判断だったはずだ。
風圧で壁が崩れたの予想外だったが。
そのおかげ、と言っていいのか困るが“某機械人間のように親指を立てて居場所を見つけてもらい助けてもらおう作戦”で、救出してもらう事に成功した。そこまでは良い。
ただ、爆発の衝撃を間近で受けたせいで身体が痺れてまともに立てない上に、見た感じ折れてはいないが腕や肋骨にヒビが入った感触があったので、誰かが俺を運搬する必要があったのだが……。
「あの、さっきからずっと気になってる事があってさ? ……なんで俺は簀巻きにされてバッグに縛り付けられてるの。しかも、わざわざ拘束魔法で」
「俺とカグヤはお前のポーションでほぼ回復してるし、ルナに至っては無傷だぜ? この場で一番重症に見えんのはお前だけなんだ」
「それはまあ、そうだけど。だからって何で捕虜扱いの処遇を受けなきゃならないの?」
腕は制服の防炎機能のおかげで火傷はしていないが、手と顔は焦げと煤だらけ。
しかも爆発で飛んできたパイルハンマーの破片が身体中に刺さっていたから、鈍い痛みが残っている。
破片を引き抜いて止血はしたものの、まだ未熟な俺の魔法では一時的な応急処置程度の力しかない。
ちょっと動くと血を吐くくらいの脆弱さだ。
素材のせいでバッグのスペースが無くなった為、制服の中に移動したソラがぞもぞと動いて尻尾でビンタしてくる。
地味に痛いから止めたいのだが、手が出せないのでどうしようもない。
すると、後ろからバカにしたような笑い声が聞こえた。
「さすがに血塗れの身体で歩かせるのも人道的にどうかと思いましたので、貴方を拘束して縛り付けて運ぶ事になりましたの。非常に面白い姿だと思いますわよ? 滑稽で」
「縛るのも人道的にアウトだろ。お前の頭の中どうなってるの? お花畑なの?」
「私はともかく、お二人が気を使って相応の待遇を施したのです。あまり文句は言いませんように」
「なるほど、主犯はお前らか」
そう言うとバッグの向こうから口笛が。
目線を送るとカグヤは気まずそうに目を逸らした。
ルーンの効果、解いてやろうか。
「相応の待遇だなんていうならせめてアリアドネを使ってくれよ。ギルドから支給された分の余りとかないの?」
「その、本来なら転移石で脱出したいところでしたが、行方不明になった方々の救出に全て使ってしまったので……」
「水晶窟の攻略では、前に報酬で貰った物だったから気軽に使えたんだけどなぁ。一流の冒険者はまだしも学生の俺達じゃ用意できねぇよ」
「俺より稼いでるくせに何言ってるんだ。ポーションの代金、十倍にしてやろうか?」
「ぼったくり過ぎんだろふざけんな! 払わねぇとは言わねぇが、初級レベルのアルケミストが作ったポーションにそんな大金払えるか!」
「なんだとこの野郎!? 俺が毎日を生きる為にどれだけ苦労してると思ってる! こちとら先週から返済を催促しにギルド職員が朝早くから家に来るようになったんだよ! 今じゃ顔合わせる度に世間話するくらいの仲にはなったけどさ、俺なんかの為にそこまで労力を割いてくれてるのは申し訳なさすぎるから早くしないといけない、って焦燥感に駆られてるこの気持ちがお前に理解できゴハァ!?」
「吐血するまでの時間、さっきより伸びましたね」
「貴方達、普段からこんな様子ですの?」
呆れた様子のルナが溜め息をつくなど、そんなこんながありながらもようやくダンジョンの出口に到達した。
本来なら地図は完成させたいところだったがイレギュラーな展開が多かった事もあり、さらに行方不明者を発見した経緯などを職員に報告しなければならない。
恐らく依頼は失敗扱いとされるだろうが、今回ばかりは仕方がなかった。
付き合ってくれた三人は一応、臨時委託のメンバーという扱いなのでギルド側の規則に則って報酬を払わなければならないのだが、あまり高額な金額は払えそうにない。
「……三人には悪いことしちゃったよな」
「あ? 何が?」
「ほら、今日は折角の休みなのにダンジョン攻略に付き合わせちゃったでしょ? やりたい事とかあっただろうに。ダンジョン調査依頼なんて面倒な依頼を受諾させて、最悪な事にユニークの襲撃を受けるなんて危険な目にあわせちゃってさ。俺なんかの為に、皆を巻き込んじゃったから申し訳なくて」
苦笑いを浮かべながら三人に声を掛けるが、空気が沈黙で満たされる。
俺だって本当ならこんな事は言いたくない。
こんな風に気負う必要があるなら最初から一人で来れば良かった、などと思ってしまうから。
でも、これだけは守っておかないと。
「だからモンスターの素材とか、お金になりそうな物があったら全部持っていってくれ。新規のダンジョンから入手した素材なら、ギルドも高く買い取ってくれるだろうから。報酬金には程遠いかもしれないけど、今日の所はそれで帳尻を合わせさせてくれ。……とにかく、今日はありが」
「クロト」
謝罪の言葉を遮られたと思ったら、突然、視界が下がった。バッグごと地面に降ろされたからだ。
そのまま身動きが取れない状態でいると、エリックは俺の方に回り込んで乱暴に頭を掻いてきた。
それに続いてカグヤも頭を撫でてきた。
「わぷっ。ふ、二人とも何だよ!?」
「真面目過ぎんだよ、お前。そりゃギルドの規則は大切だろうがな、俺達はお前の負担を少しでも減らしたくて攻略を手伝ったんだぜ? 報酬が足りなかったからって責めねぇよ」
「でも、それは……」
「仰りたい気持ちも分かります。ですが、私達で招いてしまった問題をクロトさんが一人で解決するのは間違いではないでしょうか。クロトさんが努力家である事は理解していますが、少し荷物を背負い過ぎなのではないかと思います」
心当たりがありまくりでぐうの音も出ない。
「あの時はお前が仕出かした事で学園長の話もあったからそれでいいかって思っちまったが、その……カブトムシみたいな生活送ってるところを毎日見てると、さすがにな?」
「いやまあ、辛いっちゃ辛いけど肉はともかく野菜は食べてるし。図書館から『サバイバルマニュアル――食べられる野草編――』を借りて読んだから、近所の公園からちょっと道草を頂いて料理してるから食生活は大分改善されて」
「されてるわけねぇだろ、むしろ悪化してんだろうが! っつか、初めて聞いたぞそんな名前の本!」
「あっ、昨日図書館に返却した本、それだったんですね」
「…………」
おっとルナさんや、そんな小動物や踏み潰される直前の雑草を見下ろすような目で見つめなくてもよいのでは?
「ったく……そんなだから…………だよな」
「全くです」
「ん? 何か言った?」
頭を揺らされているせいでよく聞き取れなかったので、聞き返したが二人は微笑みながら。
「いや何でもねぇ、気にすんな。とにかく、もっと俺達を頼っていいぞって言いたかっただけだ。お前が遠慮するなんて、らしくねぇし」
「ええ。一人でつらいなら二人で、二人でつらいなら三人で、です」
「エリック、カグヤ……」
――そうだよな。この期に及んで機嫌取りをしようだなんて、口にしていないとはいえ暗に二人を信用していないという意味になる。
決して長い時間とは言えない。それでも突然現れた得体の知れない俺に声を掛けてくれて、これまで様々な事に付き合ってもらった。
この世界で出来た、初めての友達とも言える彼らがここまで言ってくれたのだ。
なら、少しは甘える事にしよう。
「……ありがとう、二人とも」
素直に浮かんだ気持ちを伝える。納得したように頷いた二人を見て、何だか妙に恥ずかしくなった。
「…………何だか蚊帳の外な気がしますが、早くここから出ませんこと? 貴方の怪我をお医者様に診せなくてはいけないのですし。それに私、もう限界なのですが……っ」
「お前は折角の良い雰囲気をぶち壊すなよ」
「常識的な意見を発しただけですのに? 気遣いを無得に扱うと罰が当たりますわよ!?」
「まあまあ、落ち着けって」
「ふふっ。やはりさすがですね、クロトさんは」
逆に空気を読んでくれたのか、ルナの言葉でエリックはバッグを背負い直す。
俺のツッコミにルナはガミガミと喧しく叫んでいたが、俺達は構う事なく『冬樹の森林』を後にした。
……未だ、俺をバッグに縛り付けたまま。
無傷一人が堂々と歩き、各所に掠り傷や裂傷を負った軽傷二人の内、一人が重傷者を縛り付けてダンジョンから出てきた経緯を職員に伝え終わり。
俺は医務室で魔法処置を受けて、三人は施設内の小部屋で調書を取られていた。
後に合流して話を聞いたところ、地図を半分以上書き記し、行方不明者の発見やその後の処置、原因となったモンスターの詳細を調査し討伐したという功績が重なり、従来の調査依頼よりも高額な報酬が支払われるようになったそうだ。
結果的に言えば最良だけど……俺の気遣い、全部無駄だったじゃないか。
見栄を張って勇気も振り絞って言ったのに俺ってばほんと道化……。
羞恥と自己嫌悪が複雑に絡み合って心を染めるのがよく分かる。
「おいクロト、急に蹲ってどうした。身体が痛むのか?」
「大丈夫、骨も火傷もほとんど治ってるから痛くはないよ。でもね、みんなの話を聞くと、俺ってば一人で早とちりしてダサいなぁって心の傷が広がりましてですね?」
「今更だろ」
「ひどくない? 心も身体もボロボロの人間に追い打ちするのひどくない!?」
「ええい掴むな揺らすな危ねぇだろ!」
包帯を巻かれて可動域が狭まった身体でエリックに掴みかかる。
施設から出る階段を上る最中だ。当然、すれ違う冒険者から奇異の目線を送られた。
仕方なくエリックから手を放し、ソラを抱えて階段を上る。
「もういいや……なんか、今日はいつもより疲れた。帰って水飲んで草食べて寝よう」
「その言葉に違和感を感じなくなってきた俺も大概だが、今日ぐらいは腹いっぱいメシ食ってもいいだろ。ギルドで素材換金して奮発すればいいじゃねぇか。美味いぞ? 酒場のメシ」
「えっ、いいの? 素材全部売っちゃっていいの?」
「はい。私とエリックさんは普段からクロトさんにお世話になっていますから、調査依頼分の報酬を頂ければ結構です」
どちらかというとお世話になってるのは俺の方な気が。
だけど二人が言うなら有り難く売っぱらう事にしよう。俺、一応ダンジョン攻略二回目の新米冒険者だしな。
「……ルナはいいのか?」
「以前もお話ししましたわよ。私は敗者であり、貴方から手を貸すように言われただけ。そんな私が我が物顔で素材を頂くなど出来ませんわ。それに――」
少しだけ、前を並んで歩くカグヤとエリックを見やり、仄かに口角を上げて。
「手負いとはいえ、本来であれば多人数で相手をするユニークモンスターを、たった一人で討ち果たした結果は評価されるべき事ですわ。他人には真似できない発想、規格外な行動を可能とする技量。この二つがあったからこそ、貴方はここに、そしてあの二人と共に立っていられるのですから」
「…………ルナ、きっと疲れてるんだよな? いつものお前なら馬鹿にしたようなセリフと一緒にキレたりするのに、今日はどうし」
「フンッ!!」
ドゴッ、と。螺旋の金糸が舞ったと思ったら、弾き出されたストレートが腹にめり込んだ。
くの字に曲がる身体に響く激痛が、遠くなる意識を繋ぎとめる。
ちくしょう、余計な事を口走るんじゃなかった。
無駄に自爆しただけじゃないか。しかも意外と力強いし。
こいつ本当に女か? 実は女の皮を被ったオークとかじゃないだろうな。
「なんですの、その目は」
「いや、なにも……」
意外にインファイトもイケる金髪ドリルツインテに戦慄を覚えつつ、長ったらしい階段を上り切り。
攻略開始から数時間ぶりの、もう茜色に染まっているであろう空を仰ごうとして。
ぴたり、と。その異変に気付いた全員の動きが止まった。
――空が暗い。いや、暗いというよりは黒いと表現した方が適切だろう。
一筋の陽光すら通さない、黒の絵の具で塗りたくられたような雲が空を埋め尽くしている。
雨雲というには黒すぎるそれに、胸がわずかにざわついた。
この世界は時折こういった気象になる事があるのか。
少なくとも、俺が来てからは一度も見た事が無い。
皆なら知っているだろうか。そう思って三人の顔色を覗き見るが、三人とも同様に困惑の表情を浮かべていた。
どうやらこんな状態の空を見るのは、全員が初めてのようだ。
「今日こんなに天気悪かったっけ?」
「いや、新聞じゃ今日はずっと晴れの予報だったぜ」
「困りましたね。このまま雨でも降ってきたら洗濯物が……」
「何か濡れると困るものでも干してたの?」
「今日は良い天気でしたので、お布団も一緒に物干し竿に掛けていまして」
「でしたら早くお帰りになられた方がよろしいのでは? まだ風に湿気を感じる訳ではありませんが、この調子ですとそろそろ降ってきますわよ」
ルナの言葉通り、頬を撫でた風が少しだけ冷たくなったように感じた。
ギルドに立ち寄ろうと思っていたのだが、雨に濡れるのはマズい。
エリックとカグヤは寮に住んでいて、ルナは実家暮らしなのだから当然お風呂やら暖房やらの設備は整っているだろう。
しかし、俺のボロ家にそんな物は無い。飲み水兼生活用水の井戸水で毎日身体を洗っているのが現状で、焚火を起こして服を乾かすという原始的生活を繰り返しているのだ。
いつ風邪を引いてもおかしくないのに、雨が降るなら今日は焚火すら起こせない事になる。
こうなるといよいよ生命の危機を感じずにはいられない。
しかも屋根が壊れてて雨漏りしてるから、今度、修理しないと。
「しょうがない、今日はここで解散にしよう。みんな攻略で疲れてるだろうし、明日は登校日だからきちんと休まないとね」
「げっ、そういやそうだった……しかも、ガルドの謹慎って今日までじゃねぇか。またあいつの顔を見なきゃなんねぇのか……」
「まあまあ、そう言わずに。もしかしたらクロトさんに負けて、何か変わったかもしれませんよ?」
「「絶対にありえない」」
「同感ですわ。脳まで筋肉で出来ているような輩の思考なんて、どうやっても治せませんもの」
「うんうん。……っと、悪いけど、俺はみんなの言う通りギルドで換金していくから、先に行くよ」
意見の合うルナに頷き、背負ったバッグを担ぎ直す。
「おう、俺達もそろそろ帰るわ」
「はい。ではクロトさん、さようなら」
「また明日、学園で会いましょう」
「ああ!」
振り返って手を振り、俺はギルドへ走った。
空を蠢く黒雲に、寒気を感じながら。
「うわっ、大分暗くなったな」
『キュイ』
ギルドで換金も終わって、最終査定金額に目玉が飛び出そうなくらい驚き、その全てをいつもの調子で返済に充ててしまい、結局夕食を食べる事が出来なくなって絶望し。
自己嫌悪に陥りながらも目標金額まで残り二割を切ったという事実を知って、少しは救われた気分になったまま大通りに出た。
依然として薄気味悪い黒い雲が空を覆っていて、あまりの暗さに反応した結晶灯が街を明るく照らしている。
だけどこんなのんびりと空を眺めているのも俺くらいなもので、帰宅を急ぐ通行人は異常な空の様子を気に掛けてもいないようだ。
太陽が照らし、雲が浮かび、毎日違った姿を見せる空が好きな俺にとって、この空は好みじゃない。
「うーん……なんか嫌なんだよなぁ、この空」
『キュ!?』
「あっ、別にソラの事を言ってるわけじゃないからな?」
俺の言葉を勘違いしてショックを受けたのか、震え始めたソラを撫でて、一歩踏み出した。
その時。
ソラを気に掛けて前を見ていなかったせいで誰かとぶつかった。
「……っとと」
「……」
互いに大きくよろけたので、相手が被っていたフードがずれてしまった。
「すみません。俺の不注意で――」
このまま知らない振りをして立ち去るのは相手に悪い。俺は謝罪しようと目を向ける。
…………だが、それが誤りであったと理解したのは、直後の事だった。
――フードの下から覗き込む右の瞳は金色で、まるでこの世の憎悪全てを凝縮したように怪しく輝いていて、ぎょろりと向けられた瞳は神秘的で美しくもあったが、底の知れない不気味さを抱させる。
――その顔は眉間の左半分から皮が剥がれて表情筋が露出しており、血のように赤い左の瞳には、筋肉に交じって幾筋にも伸びるケーブルのようなものが繋がれ気味の悪い脈動を繰り返していた。
――外套の下に隠された肉体は何かが這いずり回り盛り上がり、不規則に蠢いている。
――その外套にはルーン文字にも似た大きな幾何学模様が描かれており、漂う僅かに甘ったるい不快な芳香が鼻腔をくすぐった。
――緩やかにも思える時間の流れの中で、即座に脳が、本能が理解する。
――こいつは人を、人智を超えた超常的存在であると。
「っ!?」
どくん、と。一際大きく脈打つ心臓が身体を動かす。
眼前に立つ人ではない異形の存在から逃れるように後ずさる。
突然の行動にも、外套の異形は興味を示す事もなくただ立ち尽くしていた。
なんだ、今のは。一瞬、全身に流れる魔力が抑えられなくなるほど制御が利かなくなった。
心身の乱れ、瞬間的な精神の揺らぎによって魔法制御に支障が出るのは滅多にないが、必ずないという訳ではない。
確かに今、胸に沸いた感情。これのせいで制御が途切れた。
この感情を俺は覚えている。誰よりも、俺は理解している。
手足が震えて身体に寒気が走った。呼吸が速まり、全力で運動した後のように乱れる。
――崩れる建物――瓦礫の中を歩く幼い自分――周囲に漂う血の匂い――こちらに伸ばされた、血に濡れた子供の腕。
脳裏に忌まわしい記憶が次々と想起され、胃がひっくり返るような錯覚を得る。
おぼつかない足に体重を掛け、どうにかその場に踏ん張り、異形を睨みつけた。
視界に映るその存在は、恐怖だ。目前に佇む存在が恐怖を駆り立てた。
次いで遅い掛かってくる根拠の無い焦りと恐れが、正体不明の脅威を排除しようと反射的に剣を抜こうとする。
しかし糸一本ほど残った理性が押しとどめた。
ここで歯向かうのは、それだけはダメだ。ただ立つだけで歴然とした力の差を見せつけられ、圧で押しつぶされそうになる。
一個人の力で勝てるか分からない。むしろ、俺一人がやられて被害が収まるとは思えないのに、立ち向かう事すら矮小な自分にとっては愚かな行動だ。
そもそも、そんな最大限の警戒を張る自分に気が狂いそうになる。魔力だけでなく、自分の心も制御できなくなっているようだ。
「……ァ……ぃ……」
柄に手を掛けたまま、数秒間睨みあっていた外套の異形が何かを呟いた。
同時に異形が纏っていた異質な雰囲気が解かれ、体を縛っていた恐怖が薄まっていく。
そして通りの喧騒を意にも介さず、流れるように耳朶に入り込んでくるそれは、徐々に意味のある言葉へと変わっていき。
「――お前は、神を信じるか」
しゃがれて、虫の羽音のように耳元で囁かれた、その声は。
たった数時間と言えど強烈な悪印象を記憶に刻みつけた、あのガルド・ウェスタンのものだった。
気づいた途端、視界が暗転。突然の事態だというのに声は出ず、身動きは取れず、思考は回る。
……あり得るのか。傲岸不遜を地で行くようなヤツが、たった一ヶ月程度で、あそこまで人間らしさを失えるのか。
こんな世界だ。現実離れしている、などという常識的な意見で全てを否定はできない。
だが、これは、あまりにも。
――異常が過ぎている。
「っ!」
何かがトリガーになったのか、視界が元に戻った。眼前に外套の異形は居ない。
どこに行った。小刻みに震えるソラを制服に潜り込ませ、辺りを見渡す。
「見つけた!」
するとあっさりと、大通りを左右に揺れながら歩く外套を発見した。
震えが治まった足に力を込めて、走り出す。
進行方向に逆らう人の波を掻き分け、暗がりに溶け込む背中を追跡する。
なぜ謹慎中のガルドが外に出ているのか。なぜ他の通行人には目もくれず、自分にのみ接触してきたのか。
疑問は絶えず思考を埋め尽くすが、延びる視界へと溶けていく。そうだ、今はそれどころではない。
彼我の距離が後数メートルといった位置で。くるりと身を翻し、外套は路地裏へ入っていった。
路地裏を注視して、速度を上げて飛び込もうとした寸前で、ふと視界の端に見覚えのある翡翠が映りこむ。
「あっ」
「……え?」
それは自分の所属するクラスの教師、ミィナ先生の長髪だった。
ギリギリ、と。正面に戻した視線で彼女の姿を確認する。
休日だからか、日頃学園で見かける凛々しいスーツ姿とは違い、白を基本とした清楚で落ち着きのある現代風の衣服に身を包んでいて、その姿はとても可愛らしいと思うが相変わらず大きな帽子は被ったままだ。
俺が走ってきている事に気づいたのか、驚き、目を見開いているミィナ先生と視線が合った。あらやだ、運命感じちゃう。
しかし真正面でお互いに呆けた声を上げて、急に止まろうにも止まれない速度だから。
「ぶっ!?」
「きゃっ!?」
こうなるのは必然だった。
頭と頭でぶつかり合い、その場に尻餅をつく。痛い。目の前がちかちかと明滅を繰り返す。
いや、ちょっと待って本当に痛い。
あれだ、あれに似てる。よそ見したまま電柱にぶつかった時の痛みに似てる。
見ればミィナ先生も頭を押さえて痛みを堪えていて、呻き声を上げていた。
「つぅ……っ!」
蹲って悶絶している内に路地裏から魔力の反応を感じた。
痛む頭を抱え、首を回す。潤んだ視界には、暗がりの路地に消えていく魔法陣と魔力の残滓が雪のように舞い、溶けていくだけの光景が広がっていて。
――外套の姿は、どこにも無かった。
瞬間移動? いや、転移石を使った移動か?
前者はともかく後者は無い。あれはダンジョンでしか使用できない限定的な道具。図書館の最奥区画で使えたのは、区画のどこかでダンジョンが繋がってるおかげだ。
ともなれば、瞬間移動の類か。……SFな世界観であればワープだとか相転移動だとか、その辺の訳の分からない理屈で説明がつくのかもしれないが、いかんせんここはファンタジー世界。
独自の技術革命によって魔素・魔力を燃料とする技術が発達し、化石燃料が過去の産物と化したこの世界でも机上の空想ではないだろうか。
『魔術はね、大気中を漂う魔素を構成している羅列したルーン文字を意図的に並び替え、どんな人でも八属性やそれ以外のもの――いわば時や空間といった概念を操れるようになるっていうトンデモな物なのよ』
だが、イレーネとの会話が思い出され、不規則に散らばったピースにおぼろげな繋がりが見えた。
けれど、辿り着いた結論に理由が無い。
少しの迷いで消え失せてしまいそうな思考の波に揉まれたこの結論が、果たして答えなのか。
それを裏付け、確信へと至らせる鍵は――彼女が知っている。
悔しそうに端正な顔を歪ませ、唇を噛んで路地裏を睨みつけるミィナ先生。
その手は血が出るのではないかと思わせるほど強く握り締めており、隠しきれない苛立ちを感じさせた。
「先生」
初めて見るその姿に声を掛けると、彼女はハッと顔を上げてこちらを見つめてきた。
澄んでいた銀の瞳はどこか影が入り、くすんでいる。
無理に笑顔を作ろうとする顔は全体的に暗く、精神的な負担が掛かっているように見えた。
「こ、こんな所で出会うなんて奇遇ですね、アカツキさん。その……どうかしましたか?」
「さっきの人。俺の見間違いじゃなければ、ガルドでしたよね」
「ええ。謹慎中の彼が出歩いているのを見かけて、私も不思議に思って後を追いかけていたのです」
「……その理由、先生は分かりますか?」
「…………はい。間違いでなければ」
応答が雑踏の中にかき消され、お互いの間に沈黙が流れる。
「よければ聞かせてください。ここ数か月の間に発生している事件が、学園長に頼まれた問題が、解決するかもしれないんです」
沈黙を裂いた言葉にミィナ先生は逡巡した様子で俯き、短く息を吐く。
そして。
「……分かりました。ここまで来てしまったのでしたら、もはや隠す必要もないでしょう」
暖かさを感じない銀の双眸を向けて。
「全てをお話しします。私の秘密を、過去を――」
“冷酷な碧き魔爪”、“凍てつく吹雪の結晶”
フロストベアからドロップした、変質した水属性の魔力が込められた爪と魔力結晶。
爪は切り裂いた対象を凍り付かせ、癒せぬ傷を刻みつける。
結晶はその場にあるだけで冷気を発し、割れば辺りを一瞬で氷山の中に飲み込む。
ユニークモンスターから入手した折角の素材なので、鑑定して査定額は出してもらったが売却せずに取っておいた。何に使うかはクロト次第。