第一二八話 芽吹きを待つ種
好感度の上限値が10だとして、4から5の間で発生するイベントみたいなお話。
朝から勉強漬けの時間を過ごし、夕方の鐘が鳴り渡る。
図書館の窓すらない奥まった場所にも響く音は、それまで忘れていた腹の虫すら呼び起こしてしまった。
酷使した脳の疲労と空腹のダブルパンチで顔が溶けたセリス。
俺達の勉強に付き合わせてしまい、退屈な筈なのに楽しかったと言ってくれるユキ。
アカツキ荘、引いては高等部二年の中でも成績優秀なエリックとカグヤは大した疲れを見せなかった。すごいな、ほんとに。
そんな二人が今日はこれくらいにしておこう、と進言してくれた為、勉強会はお開きの流れに。
ちょうど蔵書整理を終えて受付へ戻るリードに付き合い、感謝を伝えながら展覧会の資料を返却。
機嫌が良さそうに尻尾を揺らし、またのご利用をお待ちしております、と。
見送ってくれた彼女に手を振ってアカツキ荘への帰路につく。
「わ……わァ、ぁ……」
「しっかりしろよ、セリス。今日はもう休んでいいから、ちゃんと立ってくれ」
「フラフラしてる……ユキ、おんぶするよ?」
「いざとなったら頼むわ」
夕焼けに染まる空の下。
疲れを滲ませながらも軽快な様子ですれ違う人々を割いて。
今にも小さくなって泣き出しそうなほど憔悴し、おぼつかない足取りのセリスにエリックは肩を貸す。
「まさかあんな状態になってしまうとは……少々、詰め込み過ぎたのかもしれませんね」
「納涼祭の準備にかまけて、宿題をし忘れたこと自白したお馬鹿に容赦する必要はないよ。俺ですら時間を作ってやってたのに」
「それを聞いたエリックさんの怒りは凄まじかったですね……」
エリック達の後ろについていくユキを眺めながら、カグヤと共に肩を竦める。
選択科目である歴史の授業で出された宿題。各地域の特色や文化、地理に関係した問題が羅列されたプリントの提出期限を、セリスはあろうことかすっかり忘れていたのだとか。
幸いにも他の二年七組の生徒に助けられ、その宿題はギリギリで提出が間に合ったそうだが……気が緩んでしまったのだろう。
一緒に授業を受けていた面子がアカツキ荘におらず、誰も気づけず言わなければ発覚もしなかったのに。
『やり忘れた宿題の方が簡単だったなぁ』
ぽろっと漏らした一言でエリックの生真面目さに火を点け、マズいと思った時には手遅れだった。
家族レベルに長い付き合いから繰り出される正論と罵倒。
解き終わったかと思えば追加され続ける問題。しかも数学。
泣き言なんて聞きたくないぜ、とでも言わんばかりにねじ込まれる知識。
展覧会の資料を見終えてから怒涛の展開にセリスの正気はゴリゴリと削れ──今に至る、という訳だ。哀れなり。
「なんだかんだ言って反省してるし、シルフィ先生から貰った対策用紙もちゃんとやり切ったんだからセリスはすごいよ」
「ですね。家に帰ったら、めいっぱい美味しいご飯を作ってあげましょう」
「ついでに精神安定のアロマキャンドル、リビングに焚いておくかぁ」
確か地下工房に何個か在庫があったはず……即効性は無いが、夕食までには元通りになるだろう。
学園の敷地内へ近づいていくにつれて、人気が薄れてきた道を歩きながら予定を立てる。
「……先生と言えば、お聞きしたいことがあります」
「んー、なに?」
「後夜祭の片付けをしている時に抱き締められていましたが、何かあったんですか?」
ガツッ、と。
思ってもいなかった会話の切り出しに思考が途切れて躓いた。
な、なんで知ってる? もしかして、先生に本名を教えてもらった一連の流れを見られていたのか……?
正直な話、妖艶な先生の様子にドキドキしていて周りを気にする余裕は無かった。だから誰かに見られていたかも、と思っていたが……まさかの身内だとぉ?
しかし、どういった意図で質問してきたのだろうか。国外遠征で乗った魔導列車の中で、先生に膝枕された時は何も言われなかったのに。
かろうじて踏みとどまった状態でカグヤの方を見れば、夕焼けで影が出来ているせいで表情がよく見えない。
ただ、彼女のトレードマークとも言える鈴の付いた簪。
淡く吹いた風か、微細な身体の動きか。もしくは両方によって揺れ奏でる、軽やかで微かな音色だけが鼓膜を叩く。
「すみません。こんなの、答えにくい話ですよね」
「ううん、そんなことは……あるには、あるけど……」
頭を振ったカグヤの、気まずそうな微笑みが夕陽に照らされる。
『いいじゃないですか。こういう時こそ、貴方を好きに想う者として本心を伝えるべきでしょう』
『だからこそ、貴方に知ってもらいたい。私が私であった秘密を、証明を……貴方に刻んで欲しい』
難しい。告白まがいの宣言に秘密の共有──どれも伝えるべき内容じゃあない。あまりにもセンシティブ過ぎる。
何が正解なんだ!? この状況、中学時代に罰ゲームで嘘告白された光景と似ててトラウマが思い起こされるんだけど! でも、カグヤが気になる理由も理解できる。
担当教師が一個人の生徒に思いを伝えて、公衆の面前で身体を寄せ合っていた。よりにもよって見知ってる二人が、だ。
スキャンダルに半身を突っ込んでる事態だ、問い詰めたくもなる。
祭りの陽気に当てられていたとはいえ、互いに自制の効いていない行為だったとは思う。
しかもその後すぐに気を失ったから、流されるまま身を預けていたことになる。冷静に考えたら恥ずかしい。
だからと言ってこれ以上無様な姿を見せたら軽蔑され、今後の関係にヒビが入る可能性もある。
……ぐぐぐっ……カグヤには下手に誤魔化したくないし、真実を織り交ぜて上手く説明しないと!
先生の心象を悪化させず、この場において角の立たない返答とは? 俺のちっぽけな尊厳と誇りをドブに捨ててでも考えろ!
灰色の脳細胞を回転させろっ、思いつけぇ! ……これだ!
「──情けない話なんだけど、ルーザーに言われたことが結構しんどくて。一人でぼうっとしてたら色々と思い出しちゃって……それを心配されたんだ」
「……そういえば、私たちよりも早く彼と接触していましたね。なんと言われたのですか?」
「アイツは自分の居場所でもあった《デミウル》を、家族を失った。奪った俺に対する復讐心しか残ってなかったんだ。だから、俺の拠り所を全部壊して絶望に沈めてやる……そんなつもりだったんだ」
でも。
「俺は、その怒りをぶつけられて当然の行いをしたのは間違いない。ニルヴァーナを滅茶苦茶にして、キオ達を殺そうとした復讐の手段については腹が立つけど……あの復讐心だけは、否定できない」
俺も以前似たような事をされて、周りが一切目に入らないほどの怒りに任せて報復をおこなった。
どんなことがあっても親身になってくれた友達を、口封じの為に事故と見せかけて植物状態にした奴らがいて。
警察は権力に屈して当てにならず、親交があった裏社会の勢力も弱腰だったから。
単独で言い逃れの出来ない情報を掴んで、公の場で包み隠さずバラして地獄に送り込んだ。
「否定は出来ないが、野放しにも出来なかった。ニルヴァーナは、ここに住む人達は、もう俺の大切な居場所だったから……」
夏休みを全部使って、寝ずに食わずに休まずに動き回って──それでも、友達が目を覚ます事は無かった。
分かり切っていた話だ。復讐に走ったところで気が晴れるのは自分だけで、好き勝手なマネをした余波がどれだけの被害をもたらすかなんて考えてもいなかった。
結局、友達の為に動いてたんじゃない。利益の為に、平気で人を殺めようとする連中が気に入らなかったんだ。
また一緒に話をして、笑って、夏休みを楽しく過ごしたかっただけで。
友達が横たわるベッドに泣きながら縋りつく夫婦を見て気づいたんだ……俺は、大勢の人を不幸にした、と。
善も悪も無い。欲と恨みが絡んだ、ただただ後味の悪い暴走の結末。
『──、どうしよう。俺達の夏休み、終わっちゃったよ……』
中学校生活、最後の夏。包帯だらけの腕を見下ろしながら。
病室でポツリと落とした懺悔のような言葉に、返す者は誰もいなかった。
「俺の因縁が招いた怨嗟の鎖は、俺が断ち切るしかない。それが罪であり罰なんだから、どれだけ傷ついてもやらなくちゃいけなかったんだ。……結果として、先生に慰められてた訳だけど」
「そんな、事が……」
ルーザーとどんな会話を交わしていたかを知るのは、あの場にいたキオとヨムルのみ。
恐らく二人から大まかな内容は聞いていたのかもしれないが、改めて聞いたカグヤにとっては生々しく衝撃的だったのだろう。
行き場のない感情を、肩から下げたカバンの紐を握り締めている事から察せられる。
不意に昔を思い出して顔が強張ったけど、なんとか凌げたか。……咄嗟に想起されるのが、ワースト一位の黒歴史なのは考え物だな。
意図せず場の空気も悪くなったし、エリック達はもうアカツキ荘に着いてるだろう。
「ごめんね、変にしんみりさせちゃって。個人的な問題だし、先生に甘えてたようなものだから恥ずかしくてさ……早く帰ろう? じゃないと、セリスが空腹で暴れるかもしれないよ」
苦しい言い訳に聞こえてしまうが、これで大人の包容力に甘えた情けない奴ぐらいに思われるはずだ。
俺の評価を下げて先生の株を変動させない唯一の答えで、無理やりにでも雰囲気を変えて。
アカツキ荘へ歩き出そうとして、右手を掴まれた。柔らかくも、鍛えられた手の平から熱が伝わってくる。
「ど、どうしたの?」
「すみません……なんだか、自分が不甲斐なく思えてしまって。クロトさんだけが背負ってばかりで、私は何もしてあげられていない、と」
「それは、仕方ないよ。根本的に俺が原因なんだから……」
「ですが──このままでは、潰れてしまいますよ」
右手が強く握られる。背中に軽い衝撃が走り、鈴の音が生じた。
不安や心配が滲む声色と顔を見せない為にか、カグヤが額を押し付けてきたのだ。
……潰れてしまう、か。彼女の言う通りだ。魔剣を所持する事の重責に付随する危険性を考えれば、絶対にそうならない保証はどこにもない。
魔剣を巡る戦いは、もっと苛烈になっていくはずだ。その度に様々な思惑や感情に左右され、思うようにいかないこともあるだろう。
だとしても、ただひたすらに。前へ進んでいくしかない。
だけど、その道は決して一人で歩むものではない。
巻き込んだような形でも受け入れて、肩を並べてくれる人達がいるのだから。
「大丈夫、俺は一人で戦ってる訳じゃない。潰れる前に、心強い仲間に助けを求めるよ。みっともなくて格好悪いと感じる時があるかもしれないけど、力を貸してくれる?」
「っ……もちろんです。私だけでなく、きっと皆さんも同じ気持ちです」
「嬉しいくらい慕われてるなぁ……」
右手が離されて、背中の重みが無くなる。
振り返れば重苦しい空気が薄れ、柔和な笑みを浮かべるカグヤと目が合った。自然と頬が緩む。
「さっ、帰ってご飯にしよう。明日から学園に行かなきゃいけないし、大盤振る舞いで豪勢にいこうか」
「はいっ!」
唐突な問い掛けに納得したカグヤと共に。
夕陽を背にして伸びた影を追うように、駆け足でアカツキ荘へ向かうのだった。
「それにしても、本当に恥ずかしい場面を見られちゃってたんだなぁ。他にも見てた人はいるのかな」
「近場で作業をしていたのは私しかいなかったので大丈夫だと思います」
「じゃあ、あの光景を見て嫉妬に狂った連中に殴られる心配はしなくていいんだね」
「さすがにそこまでされることは無いでしょうけど。……私は抱っこされてる姿を見て、少しモヤモヤしていた気持ちが薄れましたよ」
「モヤモヤしてたの?」
「はい。お二人の姿を見ていたら、こう、胸の内が苦しくなるような……締め付けられるような感覚がありまして」
「そうなんだ。なんでだろ?」
「なんででしょうね?」
「「うーん……?」」
他人の恋愛に関しては察しが良いのに、自分に好意を向けられると途端にアンテナが低くなるクロトでした。過去に色々と騙されたから仕方ないね。
ちなみに、ヒロインレース最前線にいるシルフィの言葉に関しても、家族へ対する情のようなものだと考えています。クソボケかな?
次回、学園再開からの期末筆記試験に突入します。