第十八話 堅き氷、砕くは鋼鉄
この世界に来て若干成長したのでないかと思われるクロトくんの戦闘です。
――視界が霞む。寒さで手が震えて、上手く刀が持てない。
身体に不調が起きている。それでも、眼前に待ち構えている魔物は手加減をしてくれない。
強靭な身体に白い毛皮、碧く鋭い大きな爪。
目は血走ったように赤く、口の端から覗かせる牙が凶暴な印象を与えてくる。
この魔物は、行方不明者となっていた冒険者を発見し、救助している最中に突如として奇襲を仕掛けてきたのだ。
まるで私達が油断している所を狙っていたかのように。
冒険者を餌として、待ち伏せをする程の知能を持ち、狡猾な搦め手で襲ってきた氷の熊は、今まさに目の前で弱っている獲物を狩ろうと爪を振りかざしていた。
私は、その隙を逃しはしない。
「っ……シノノメ流舞踊剣術初伝――《楓》!」
長年の鍛錬が染み付いた身体が、中腰に構えた鞘から最速の技を放つ。
剣閃が赤い軌跡を描いて胴を薙いだ。赤い鮮血が飛び散り、苦悶の叫びを上げる。
しかし、それで止まってくれるような相手ではなかった。
血走った目で私を捉えた氷の熊は、咆哮と共に魔力を放出し、辺りをより銀色に染め上げた。
迸る魔力により魔素が反応した事で大気の温度が下げられ、体温を奪い尽くしていく。
膨大な魔力による連鎖反応を利用した、疑似的な魔法。
「はっ……はっ……ぅ、ケホッ……!」
それは呼吸すら苦痛に変わってしまうほどの環境を作り出す、強力な魔法。
……身体が思うように動かず、直撃を受けてしまった。一度目は奇襲直後に、今回で二度目だ。
今までの動きが嘘のように鈍くなり、胸を押さえて膝をつく。
弱った所をわざわざ見逃す訳もない魔物は、丸太のように太い腕を大振りに構えていた。
「……ぁ」
助けを求めようにも、喉が動かない。
苦し紛れに刀の前に出して防ごうとする。だけど、無理だ。こうも手が震えていては防げる訳がない。
黒ずんでいく視界。加速する鼓動が、恐怖を掻き立てる。
そして、命を狩る一撃が振るわれようとして――。
「カグヤ、伏せてろ!」
「“光よ 閃光となりて 敵を討ち滅ぼせ”《フォトン・レイ》!」
鼓膜を叩く聞き慣れた声に従い、私はその場で膝を抱えるように縮こまった。
瞬間。頭上を何かが通り過ぎていって、氷の熊に衝突した。
広場の端まで吹き飛ばされていく姿を呆然と眺めていると、途端に身体から力が抜けていく。
自分が思っている以上に、極度の緊張で気を張り詰めていたようだ。
幾度となく呼吸を繰り返して息を整える。
「全く、傷だらけではありませんか。じっとしていなさい、回復して差し上げますわ」
「……すみません、ありがとうございます」
走り寄ってきたルナさんは傍らに座り込み、回復魔法を唱える。
仄かに暖かな光が身を包み、擦り切れた身体を癒していく。
「別に感謝せずともよいですわ、人を助けるのは当然の事ですもの。最も、貴女に無い部分を見せつける事で、私の格を上げて優越感を得ようとしているのは間違いないので」
「姿が見えませんが、クロトさんはどこに?」
「無視ですの? 私がこうして魔力を消費して貴女を回復させているというのに無視ですの?」
ブツブツと独り言を呟くルナさんを不思議に思いながらも、私は辺りに目を走らせる。
しかしより激しさを増した吹雪のせいか、クロトさんの姿は確認出来なかった。
代わりに、戦闘音に引き寄せられた魔物の大群が押し寄せている。
その光景に息を飲み、刀を強く握り締めると、先ほどの疑問にルナさんは答えてくれた。
「クロトさんならあのモンスターに突撃していきましたわよ――私の魔法に巻き込まれて」
納得しかけて、魔物に向けていた目線をルナさんに戻した。
「……あの、言ってる意味がよく分からないのですが」
「ああ、言い方が違いますわね。簡潔に言うとすれば、光属性の魔法の推進力を利用して大砲のように飛ばした、というわけですわ。提案された時は私も気が狂っているのかと疑いましたが、いざこうして使ってみれば中々実用的でしたわね」
呆れてしまうというか、クロトさんらしい大胆な提案に思わず笑ってしまった。
彼が予想外の行動を取るのはいつもの事だが、それに何度も助けられている。
この間の迷宮攻略でも、こうして身体を張って私を助けてくれた。
確かに感謝の気持ちはあるが、私が不甲斐ないばかりにクロトさんが傷付いてしまっていると、自分の実力不足を突き付けられているような気分になる。
まだまだ自分を研鑽しなければならないと反省すると同時に、自身の身体をちゃんと労わってほしいと願うのは欲張りだろうか。
毎日三食、水を飲むだけの生活を送り、睡眠時間を削ってまで技量を高めようと努力を重ねている彼の姿は、どうにも生き急いでいるように見える事がある。
そんな彼を放っておけなくて、見ていられなくて、私に出来る事で彼の力になろうとした。
だというのに、この体たらくでは示しが付かない……いつまでも足手纏いではいられない。今まで培ってきた技術は、決して無駄ではないのだから。
身を包む魔法の光が消え、体に活力が張ってきた。
膝に力を込めて立ち上がる。
「もう動いてもよろしいので?」
「はい。ルナさんのおかげで何とか回復しました。ありがとうございます」
「それは何より。では早急にこの状況を切り抜けますわよ」
ルナさんは片手を細剣に添えて、魔物の群れを睨みつけた。
「私と貴女なら、三分と掛からず倒し切れるでしょう? 私の前で先ほどのような無様な姿を見せないように。いいですわね?」
「三分……いえ、一分で片を付けてみせます。もう、先ほどのような失態は見せません。貴女の信頼に応える為に――全力を出すと約束します」
「…………で、では拝見させていただきますわよ。貴女の力を……」
「はいっ!」
なぜか引き攣った表情を見せるルナさんを視界から追い出し、眼前に蠢く魔物の姿を捉える。
抜き身の刀を鞘に戻し、腰を深く落とす。
呼吸は深く、長く繰り返し、全身に余す事なく力を巡らせていく。
代々伝授されてきた呼吸法から編み出された技の形――花の型。
鋭き精神は刀の如く。乱れ舞う姿は花の如し。
我が身は天元を彩る大輪であり、触れる事すら叶わぬ高嶺の花となる。
「シノノメ流舞踊剣術中伝――シノノメ・カグヤ、参ります!」
華やかな花弁を思わせる軌跡を描くように、私は疾走り出した。
儚く地に伏せる草花としてではなく、煌びやかで鮮やかな花として――。
「いってぇ……提案したのは俺だけど、あいつ、ほんとに躊躇いも無く魔法を撃ちやがった」
腹に受けた魔法痕をまじまじと眺め、鼻に付く焦げ付いた制服の匂いに顔が歪む。
昔、ぼやを起こして火事になったマンションの子供を助ける為に突撃かましたのを思い出す匂いだなぁ……。
家族ぐるみで仲が良かったから見捨てられなかった、っていう理由もあったけど、中学二年だってのによく命知らずでバカな事をしてたよな。
マジ切れした父さんと母さんは怖かったです、はい。
『ガアアアアアアアッ……』
「おっと、昔を思い出してトラウマに震えてる場合じゃないか。悪いね、待たせちゃって」
背負っていたバッグを下げ、腰に下げたロングソードを引き抜き、人間大砲に巻き込まれた――資料によればフロストベアと呼ばれるモンスターに切っ先を向ける。
口内から漏れ出ている冷気を見るに、カグヤの相手をしていて相当イラついていたようだ。
狩ろうとしても狩れない相手を前にする程、変に頭の良いヤツは大抵どうイジメるか考えて悦ぶ強者か、どう処理するか考えてイラつく小物の二択だけど……。
「お前は、後者かな」
『オオオオオオオオオオオオオォッ!』
狂ったような赤い瞳で睨みつけ、怒号の咆哮を上げて魔力を放つフロストべアは冷気を纏って突撃してきた。
先ほどカグヤに対して放った疑似魔法のような力はないが、自身を魔力で強化して近接で殴ってくる分、危険度はこっちの方が上だ。
どうして俺が相手だとどいつもこいつも殺意剥き出しで戦うの? 不思議だよこんちくしょうめ。
「手加減とかそういうのは……」
『グルアアアアアアアアッ!』
「あっ、無いんですね!?」
魔力操作で脚力を強化し、走り出す。衝突の瞬間、振るわれた爪を至近距離で避ける。
交差と同時に両手で構えたロングソードで腕を斬り付けようとして――。
身体に纏った冷気が収束し、その風圧により刃を押し返された。
驚きよりも先に返しの刃でさらに斬りかかるが、またもや見えない壁のような物に防がれる。
瞬時に対処方法が脳内を駆け巡り、身体が止まったその一瞬を逃さないと剛腕を乱暴に振るわれた。
上半身を逸らし、風圧に当てられながらもその場から離脱。
去り際に斬り付けるが、やはり刃は届かない。
「やっぱり手札を出さない訳にはいかないか!」
放置していたバッグへ走り寄り、残り少ない爆薬とオイル……そして布に包まれた突起の付いた棒状の物を取り出す。
紐が付いたそれを背負い、振り向くと、眼前に碧い輝きが迫っていた。
「っ――《アクセラレート》!」
後ろに下がれば追撃が来る、前に向かえば致命傷。
ならば上だ。
咄嗟の判断で加速。瞬間的に跳ね上がった身体能力を発揮し、真上に跳ぶ。
「こいつでもくらっておけ!」
取り出したファイアオイルと“火燕”を投下し、天井の氷柱を蹴って着地点を変える。
見上げたモンスターの顔面にオイルが飛び散り、そして爆薬が反応。
鼓膜を揺らす爆音と肌を焼くような爆風に揉まれながら着地する。
……アメコミヒーローはどんな高い所から落ちても傷を負わない特殊体質だが、今はその身体がうらやましく思えた。
高い所から落下したせいで足首が、膝が、腰が痛い。
しかし警戒を解く訳にもいかないので、痛みに耐えて爆発地点に視線を向ける。
『――ガアアアアァ……!』
「……マジで?」
そこには全身に氷の鎧を纏ったフロストベアが、無傷で佇んでいた。
俺の姿を視認したのか、氷の鎧を解除して堂々と歩いてくる。見る限り、どうやら魔力で身体を氷へ変化させていたらしい。
ロングソードを防いだ時とは違い、完全に肉体に変容が起きていた。
……そういえば、あの魔法をどこかで見た覚えがある。魔法学の授業で習ったはずだ。
――属性同化。特殊を除いた七属性の頂点とも言われる最上級魔法。
自身の魔力を肉体に循環させた状態で、大気の魔素と細胞を同化させる事により魔法の力を持った肉体へと昇華させる。
火属性であれば、炎を自在に操り全てを燃やし尽くす肉体に。
雷属性であれば、紫電を奔らせ全てを貫く肉体に。
二つの特性を持つ水属性ならば、荒れた大海を体現するかの如く全てを呑み込むか、フロストベアのように頑強な砦のような氷の鎧と化して全てを遮る肉体となる。
しかし一歩間違えれば元の身体に戻れなくなる危険性を孕んでいる、最も強力で最も危険な魔法だったはずだ。
「……でも、待てよ」
襲い掛かってくる乱舞のような攻撃をアクセラレートで避け、引き延ばされた時間の中で思考する。
投下した爆薬は属性同化で防がれた。弱点の属性であるから、余計な傷を負わない為にも防御するのは当然だ。
だが、そこで疑問が生じる。
――なぜヤツはカグヤの斬撃を防がなかった?
ただ魔力で身体を強化するくらいなら、属性同化で得た力を使って殴ってこられたほうが危険だ。
何せ大気の魔素はもちろん、触れただけで相手の魔力すら反応させ、凶悪な効果を及ぼす魔法なのだから。
なのに、してこなかった。恐らく、理由は一つ。
ヤツは属性同化を行う際に、少しの時間の遅れが発生しているのだ。
カグヤの流派スキルの中でも最速を誇る《楓》を防げなかったのは、同化が間に合わなかったから。
俺が振るったロングソードに《楓》のような速度は無かった。だから魔力収束によって瞬間的に発生した、冷気を含んだ風によって押し返されてしまったのだ。
だが、ヤツは防御する時のみ、一時的に全身を氷に変換させているのだろう。そのせいでまともに身動きが取れずにいるようだ。
そして。
例え強力な魔法であっても、必ず弱点は存在する。
特に、氷に特化した属性同化は、本来の特性により非常に分かりやすい弱点があるのだ。
魔法の力を持った肉体だろうと何だろうと、所詮はただの硬い氷。
他属性の属性同化には出来ないが、唯一物理的な干渉が可能であり、魔装具ではない武器でも破壊が可能だ。
ならば臆する必要は無い。
「――やるか」
俺はロングソードを鞘に納め、腰を捻り、隙を縫ってフロストベアに回し蹴りを叩きこむ。魔力収束をする暇も無く、風を切る勢いで放った剛脚は側頭部に直撃。
『ガッ!?』
さすがに鎧の無い部位への攻撃は効果があるらしい。怯んだ隙に間合いから離れる。
視線を外さずに、背負っていた棒状の物に手を伸ばし、包んでいた布を取り払う。
ガコンッ、と。手の中で重低音を鳴らす突起の付いたそれは、一見してみれば、殴られるとすこぶる痛いと思えるただの大きな戦槌にしか見えないだろう。
片面は平らだが取っ手が付いており、もう片面には鋭く尖った極太の針のような物が突き出ているこいつの名前は、パイルハンマー。
鍛冶作業の合間に一人で設計、さらに改善点などを鍛冶場の先輩方に教えて貰いながらも完成した、黒鉄のロングソードに連なる自作武器の一つだ。
作成の手間、コストなどの問題から未だ二本しか完成していないので試験運用すらした事が無い代物だが、十分な破壊力を秘めているのは分かっている。
なんて言ったって、ロボットゲームではお馴染みの“ネタなのに超強力な武装”とされるパイルバンカーを模した武器だ。
詳しい内部機構は調べた事が無かったので、とりあえず思いつく限りでのロマンを詰め込んでいる。
特にこの武器の中に組み込まれた炸薬機構に使用している、エレメントオイルと爆薬の調合で作り出したオリジナル爆薬の威力は凄まじい。
それなりに温度が上昇した状態で瞬間的に強い衝撃を加えなければ爆発しないという、便利なのか不便なのか判断に困る性質を持っているが、試験的に試した組手用人形を地面ごと抉り、跡形も無く消し飛ばす程だ。
「よぉし……」
『グウウウゥ……』
両手に持ち、構えたパイルハンマーをフロストベアに向ける。
依然として爛々と赤く輝く双眸と視線が交差した時。
互いに動いた。
今まで以上の気迫で振るわれる碧い爪をハンマーの柄で防ぐ。
削られた金属片が頬を裂き、血を滴らせる。
吼えるフロストベアに、再度アクセラレートを発動させて高速でハンマーを振り回す。
風を圧し潰すような速度で振り回され、徐々に赤く、熱を帯び始める戦槌。
魔素に反応しているからか、些細な刺激を与えるだけで熱が発生し、手で持つ事すら困難になる為、通常の爆薬のように扱う事は出来ない。
だが、推進剤の代用品としてはトップクラスの性能だと自負している。
赤を通り越し、白く輝き始めた戦槌を当てないように制御するが、体重が乗ってしまい、腕に引き裂かれるような痛みを奔る。
目を回してしまいそうになる速度の、いつ当たるか分からない連続攻撃を防ぐ為に、フロストベアは属性同化の準備に入った。
魔力の収束で風が起こる。身体の各所が氷の鎧へと変貌していき、やがて全身が凍てついた瞬間――。
「せやあああああああっ!!」
気合を込めた叫びと共に、白熱したハンマーを勢いに乗せて横殴りに叩きつける。
刺々しい氷の鎧に先端が突き刺さると同時に、腕に痺れが伝播し、耳障りな高音が発せられた。
そして。
次の瞬間。
耳を劈く轟音と、溢れんばかりの光と熱が視界を埋め尽くした。
『パイルハンマー』
ロマン、その一言に尽きる。
射出する杭の硬度を追求し、どんな環境でも問題なく使用できる爆薬を利用したロボットゲームお馴染みのネタ武装、パイルバンカーを模した武器。強い衝撃を与えると爆発する爆薬を機構に取り入れており、通常のハンマーのように使う事が出来ない重大欠陥持ちである。
しかも杭の硬度や素材に目を向けすぎたせいで全体の強度は脆く、致命的な欠陥として爆薬の反動をどこにも逃がす事が出来ない。(いわゆる排出機構が存在しない)なので反動が全部使用者に跳ね返ってくる他、ハンマーの片面に取り付けた杭が外れないように大筒のようなもので強固に固定しているので、爆発した瞬間に杭が射出されるまでもなく大筒ごとボカンッ! となり、ハンマー自体が消し飛ぶ。例えるなら至近距離でダイナマイトの直撃を食らうようなものであり、ぶっちゃけ使用者の身の安全を考慮していない、危険度MAXな代物。
こんなもの作るくらいならもっと別な物を作った方がマシだと思う。