短編 夜鳴き鳥の憂鬱《第三話》
「着いたよ。ここが歓楽街トップの娼館──“麗しの花園”さ!」
助けた女性の先導により、辿り着いた目的地を見上げる。
恐らく数百万メルは確実なサイズの魔力結晶を削りだした、結晶灯の看板。そこには薔薇に包まれた女性の身体に店名が書かれている。
ショーケースのような張り見世には所属している女性陣の全身像が映し出されており、色気を前面に出しつつも、下品には思えない優雅さを感じさせた。
道中に並んでいた同系統の店舗と比べて、明らかに格が違う豪奢な店構えだ。日本でも似たような外装の店舗を見たことはあるが、この世界でもクオリティは負けていない。
「すごいな。確かに、歓楽街の頂点に座す風格だ……」
「でしょ? 色んな商会長や重役とか、高ランク冒険者お得意様の名店だからね。かといって、高給取りしか楽しめないんじゃつまらないし、お手頃な値段で相手をすることもあるの。……さっきの男みたいなハズレを引くことはあるけど」
「都合よく助けてくれる人が通り掛かるなんて滅多に無いみたいですからね。……対策として送迎にボディーガードを付けるとか、自衛用の道具を持つでもいいですし、次から気を付ければいいと思いますよ」
「なるほど、そういうのもあるか……!」
納得したように頷く女性へ笑みを浮かべ、頭を下げる。
「とにかく、貴女のおかげで予定より早く到着できました。ありがとうございます」
「そんなかしこまらなくていいって。ほんとならお相手したいところだったんだけど、仕事の邪魔しちゃ悪いしね」
女性は身体をしならせ、目を細め、意地の悪い言葉でからかってくる。
そして、おもむろにポシェットから名刺のような物を取り出し、口づけして制服の胸ポケットに仕舞ってきた。色気のある所作から、花の香りが流れてくる。
うーん、歓楽街という場所柄の洗礼を受けている気がするぞ。童貞には刺激が強すぎるぜッ!
「私、サラっていうの。助けてくれた恩人さん、貴方の名前は?」
「クロトです」
「良い名前ね。もし心や身体が疲れるようなことがあったら、私の所に来て。真心込めて、精一杯癒してあげるから」
またね、と。耳元で囁くように言い残して、サラさんは踵を返す。
先程の経験もあってか裏路地ではなく表通りを歩く彼女の背を見送ってから、ため息をこぼす。
……ひょっとして、俺は体の良いカモだと思われたのではないだろうか。しかも突然聞かれたから、普通に本名を教えてしまったし。
こんなことでドギマギして、花園の人を相手に冷静でやっていけるかな。
『適合者、迷っている暇は無いぞ。偶然の産物とはいえ、配達時刻に一〇分も余裕が生まれた機会を無駄にしてはならん』
『ぐぬぬ……ってか裏口から入らなくていいのか。サラさんが言うには、正面入り口からで問題ないらしいけど』
『普段と同じように、という話であっただろう。ならば、それに従うまでだ』
『くそぅ、他人事だと思いやがって……』
しかし、レオの言葉も一理ある。今さら気後れしている場合ではないのだ。
あくまで仕事上の都合、業務の一環で訪問するだけ。別に店を利用する訳ではないだから──手早く済ませるっ!
荷物を荷車から下ろして、意を決して花園への扉に手を掛け、開く。来店を知らせるドアベルが鳴り響いた。
「お、おお……」
まず目に付いたのは外観に違わぬ美麗な内装。
綺麗に整えられた大理石の床は磨かれ、天井には照明用の素朴な結晶灯ではなく、ガラスと織り交ぜた煌びやかなシャンデリアがいくつも吊り下げられている。
その下ではパーテーションで区切られた半個室のようなテーブル席があった。革張りのソファや一つ一つの小物がとても高価な物に見える。
エントランスの中央には二階へ続く螺旋階段があった。恐らく一階は酒や食事を楽しむ場で、二階から上が娼館として機能する部分なのだろう。
その根元には多種多様な形状、ラベルの張られた酒類が保管された棚が置かれ、それを囲むような形で円形のカウンター席があった。
総合して、キャバクラと酒場と娼館の合いの子って感じなのかな……?
「おいアンタ、花園の営業時間はまだだぜ。何しに来たんだ?」
キョロキョロと店内を見渡していると、黒いスーツに身を包み、清掃道具を持った男性従業員が近づいてきた。
入り口から見えない位置にいたのだろう。数名の従業員が物陰からこちらを覗き込み、露骨なまでに警戒心を露わにしている。
そりゃあ見知らぬ男が開店前に、しかもギルド職員が来たらそうなるか。
「自分は冒険者ギルド支部の者です。本日午後二時までに配送する予定の荷物をお届けに上がりました。荷車に乗せたまま正面入り口に置いてありますので、ご確認をお願いします」
ギルドの職員証と荷物から剥がしておいた伝票を従業員に差し出す。
身分と目的、間髪入れず証明する物品を提示され、毒気を抜かれた従業員は数秒ほど硬直。身体を震わせたかと思えば背後へジェスチャーを送る。
それを受けた何人かが早足で横を通り、入り口の荷物を検品しだした。彼らにとってはいつものやり取りなのだろうが、妙に洗練された仕草だ。
やり口と風貌も相まってマフィアかヤクザを連想させる。
「悪いな、威圧しちまって。最近マナーのなってねぇ客が多くてウンザリしてんだ。てっきりアンタもその類だと……」
「それは、仕方ないと思います。いくら歓楽街の店舗といえど、一定の規律や風紀が保たれていなければ無法地帯に成り下がる。そうならない為にも尽力している方々が居られるのですから」
「理解してもらって助かる。……そういや、いつもの職員じゃねぇんだな? なんかあったのか?」
「配送担当の方は出先で負傷し治療を受けています。幸い軽度の怪我ではありましたが、配送が間に合わないと判断した班長の指示で自分が派遣されました」
「なるほどな。……邪険に扱いたい訳じゃあねぇけど、さっさと帰った方がいいぞ。働いてる俺らが言うのもなんだがウチのオーナーはかなりの変わり者だ。自分のお気に入りが来てないと分かれば、機嫌が悪くなる」
聞けば聞くほど花園のオーナーは難儀な性格をしている人らしい。
検品の終えた荷物を店内に運び入れる従業員を尻目に、伝票のサインを確認して受け取る。
長居しても身バレの危険性が増すだけだし、とっとと帰るのが吉だ。
「では、後はお願いしま──」
『誰か来て! 助けてっ!』
扉に手を掛けた瞬間、絹を裂くような声が響き渡る。振り返れば従業員たちがざわつき、顔を見合わせていた。
声の主は螺旋階段の上からのようで。忙しく降りてくる足音と共に、露出度の高い服を着た獣人族の女性たちが現れる。
「どうした、何が起きた!?」
「お客さんが暴れてる! 相手をしていた嬢の態度が気に入らないとか言って、いきなり殴りかかってきて……とにかく手が付けられないの!」
「なんだそりゃ……!? おい、鎮圧装備を持って二階に行け! 店を守るんだ!」
俺の対応をしてくれた従業員の一声で、他の従業員たちがカウンターの裏から警棒を持ち出し階段を駆け上がっていく。
女性達も後を追っていき、だだっ広いエントランスで一人、ポツンと取り残されてしまった。
『汝はトラブルに事欠かないな。短時間に、立て続けでこうも巻き込まれるとは』
『いやいやいや、首を突っ込むつもりはないぞ。頼りになるお兄さん方がいるんだから、彼らに任せて俺は帰るよ』
再び扉の方へ向き直り、開こうとして──鈍い打撃音がしたかと思えば、横に従業員が転がってきた。
余程強い力で殴られたらしく、赤く腫れあがった頬を手で押さえて悶えている。
呆けている間にも続々と従業員たちが飛んできて、エントランスが一瞬で地獄絵図と化した。
「ハッハッハ! しつけ甲斐のある娼婦に、威勢の良い男共! さすが、ニルヴァーナ随一の娼館というだけのことはあるなぁ!」
近くの従業員を助け起こし、血液魔法で治療を施していると豪快な声が鼓膜を揺さぶる。
螺旋階段を見上げれば、先ほど助けを求めてきた女性達を引き連れた、世紀末スタイルな格好の集団が下りてきていた。どう見てもならず者だ。数は五人。
全員が病的なまでに真っ青な顔色をしていながら下卑た笑顔を浮かべており、どことなく不気味な印象を抱かせる。その上、異常に興奮しているようだ。
「本当なら花園のオーナーとやらに相手をしてもらいたかったのだがなぁ……“私に見合わない、つまらない男”だとさ。まったく、身持ちが固いのも考えものだ……オイお前ら!」
『へい、お頭!』
「この店、滅茶苦茶に壊してやれ。土産に、女も何人か連れていく。後で存分に楽しもうじゃあないかッ!」
『ヒャッハーッ!』
「…………はあ」
どうやらこちらの事は眼中にも無いみたいだが……今にも暴れ出しそうな集団に嫌気が差す。
歓楽街に来てから神経を逆撫でするような出来事ばかりだ。一丁前に仕事を熟せて良い気分だったのに。
アイツらがどんな素性で、何がしたくて花園に来たのかは知らない。毛ほども興味はない。
だけど、平気な顔して女性を泣かせるようなマネをする奴がこの世に居るのは事実。正に、いま目の前にいるクズどもが筆頭だ。
身体を張るのは冒険者も娼婦も同じ。
そこに貴賎は無いし差別する謂れも無ければ、その道を、手段を選んだ覚悟を貶していい資格なんて無い。
そもそも、良識も常識も無い連中に好き放題されていい場所じゃあないだろう、ここは。
ましてや真面目に働いて店に貢献しているであろう娼婦に難癖を付けて、従業員をイタズラに痛めつけて、尊厳を踏み躙ろうとする輩に──手加減する必要がどこにある?
『やるのか、適合者』
『器物損壊に店舗強盗、拉致紛いの犯罪行為。臨時のギルド職員としても、自警団の補欠団員としても。街の治安を守るのに、こいつらを見過ごせるはずないでしょ』
「んん? なんだ、まだ──」
ようやく集団のリーダー格がこちらに気づいたようで、声を掛けてきたが無視。
魔力で脚力を強化。酒を持ち逃げしようと棚に手を掛けていた二人の下へ、一足跳びで肉薄し後頭部を掴み、渾身の力を込めてぶつけ合わせた。
手を伝う鈍い感触とくぐもった悲鳴。意識を刈り取り、脱力した重みを投げ捨てる。
『それに、何かの手違いで俺に非があったなんて訴えられたら堪らないからね。賠償金とか請求されてみなよ? ただでさえ子ども達の入学金で借金してるのに、上乗せされたらストレスでぶっ倒れるわ』
『ああ……その可能性は考えていなかった。確かに、これ以上の借金は許容できないな』
『店や人に被害を出さない、犯罪集団を迅速に鎮圧する……どちらも熟さなきゃいけないってのが、返済者のツラいところだな。覚悟は出来てる、速攻で処理するぞ』
「こ、コイツ……!」
さて、残りは三人。指折りして残敵を再確認し、背後から迫る風切りの音に振り返る。
腕を取って背後に回り、脚を払って床に叩きつけた。わずかな悲鳴を漏らす、無防備な男の顔面を殴り抜いて黙らせる。残りは二人。
「うおらぁ!」
「甘いぞ」
その隙を突こうとして、カウンター席から取り出したガラスの灰皿を構えた一人にギルドの職員証を投げつけた。
寸分違わず顔面に。右目を遮り、視界の半分を数瞬奪う。それだけで十分だった。
千鳥足のようにたたらを踏む男から職員証が滑り落ちる。回収する流れで視覚外から接近し、屈んだ状態から脚を振り上げた。
すぐり、と。股間を打ち抜いた気色悪い感触から離れるように脚を引き戻し、前傾姿勢で晒された背中に踵を振り下ろす。
床にバウンドし、動かなくなった男から灰皿を取り上げ、カウンターに置いてから螺旋階段へ。
リーダー格の男の傍には花園の嬢が何人かいた。恐らく、奴は人質として彼女たちに危害をもたらす。肉体的にも、精神的にもダメージを負わせてしまう。
刺激しないように、というのも無理だ。瞬く間に手下であろう四人を無力化され、いつ逆上してもおかしくない。
……逆説的に言えば、奴は下から自身の元へ上がって来る俺を警戒して注視している。ならば、意識の外へ回り込むのは容易い。
「ッッ!! あんのクソ野郎……! 来るなら来やがれ、ぶっ殺してやるッ!」
荒々しい声を聞き流し、暁流練武術無級──“深華月”の特殊な歩法で足音を消す。
一歩、進むごとに気配を希釈させ、所在を惑わせ近づいていく。
複数人の呼吸と慌ただしい足音。位置を探ろうとしているリーダー格の男の姿が視界に入った──瞬間、手摺りを跳び越えてエントランスに落ちる。
あえて音を出して着地し、右手親指の付け根を噛み切り、血液魔法で血の腕を創りだす。
自然と音の鳴る方へ身体が動いてしまったのか。女性を突き放し、手摺りから身を乗り出した男へ血の腕を伸ばす。
それなりに大柄な体格だが、血液魔法なら荷重に耐えられる。血の腕を巻き上げてバランスを崩し、男をエントランスへ引きずり下ろした。
頭から落ちてくる男と目線が合う。何か言いたげな様子だが、こちらから声を掛ける事は何もない。
半歩、脚を引いて。
血の腕に使っていた血液を脛当て代わりに装着。
そのまま自由落下してくる男に合わせて、全身全霊を込めたハイキック。
狙い澄ました一撃は無情なまでに男の脇腹へ突き刺さり、横方向の力が加わった事でボールの如く跳ねていく。
男は出入り口の扉まで滑り転がっていくと、数回だけ痙攣したかのように身体を揺らして動かなくなった。
死んではいない。だが、死ぬほど痛くて気絶しただけだ。
「す、すげぇ……!」
「アイツ一人で、全員倒しちまった」
「何者なの……?」
フラフラになりながらも、かろうじて立ち上がった従業員。
間一髪の所で助けられ、手摺り越しにこちらを見つめてくる女性陣。
二転三転する状況の終着を目の当たりにした人達からの視線を一身に受けて。
『……これ、業務外扱いになって手当が付いたりしないかな』
『理由をしっかり説明すれば問題なかろう。無事に帰れたら、な』
目立たないようにするという当初の目的から逸脱した状況に、現実逃避をしていた。
◆◇◆◇◆
閉め切った厚手のカーテンによって暗闇と化した一室。“麗しの花園”の最上階に位置する部屋だ。
切れ目からわずかに入る日差しが照らすのは、散らばった衣類と雑多に置かれた“お客さま”からのプレゼント。
封も切られていない貢ぎ物で乱雑な部屋の中央。大きなベッドに寝転がる人影が蠢く。
シルクのシーツ越しでも浮き出る身体の線から女性であることは明白だ。おもむろに上体を起こし、肩を抱くようにしてシーツを巻き付ける。
「騒がしいわね」
寝起きの声で独り言をこぼして、素足のまま窓の方へ近づく。
カーテンをわずかに開ければ、女性の姿がより鮮明に。情熱的な赤の長髪にあられもない豊満な部位と白磁器の如き滑らかな肢体、それでいて長身。
誰もが目を惹き羨望と情欲の眼差しを向ける肉体を持つ彼女の名はシュメル。
歓楽街のトップたる“麗しの花園”をまとめあげるオーナーでありながら、永年不動のナンバーワンという玉座に君臨する魔性だ。
しかし恵まれた身体に相反して、シュメルの顔にはどこか憂いを帯びた、寂しげな表情を貼り付けていた。
まるでこの世の全てがつまらないとでも言いたげで。無気力で、ありとあらゆる事柄に無関心な──上辺だけを取り繕う空虚な感情。
刺激のない、変わらない日常風景に嫌気が差しているのだろうか。
歓楽街という欲の坩堝に居ながら、普遍的な生活に退屈しているのか。
彼女ほどの美貌を持つ者であれば無縁の感情のように思えるそれは、ある種の諦観を伴っていた。
今が変わる事はこれからもきっと無いのだろう、と。過去を想起し、頂点に位置する太陽を見上げる。
肌を灼くような感触に溜め息を吐き、気だるげに目を細め──ピタリと、動きを止める。
シュメルの視線は、部屋の真下にある花園の入り口に向けられていた。
『オラァ! ブタ箱へぶち込まれる前に生ごみとして捨ててやるよぉ! すぐに自警団も来るからな、覚悟しやがれこの虫野郎ッ!』
正確には、縛り上げたならず者の集団を引きずり、裏路地のゴミ捨て場へ連れていくクロトに。
最上階にまで到達する大声を張り上げ、ズカズカと歩く背中にシュメルの目が開く。
「あの子……そう、そうだったのねっ」
つい先ほどとは打って変わって弾むような声音。
心の内から溢れる喜色満面の笑みを浮かべ、瞳を輝かせた彼女はカーテンを勢いよく開け放つ。
陽の差す室内を歩き、クローゼットを開けば自らを着飾る珠玉のドレス達が彼女を迎えた。
恋する乙女のように。頬を赤らめ、鼻歌混じりに、口元に指をあてがい思案する。
“夜空の宝石”“艶やかな秘宝”とも揶揄され、どんな男にも靡かない姿を知る者が見ればギャップに困惑することは間違いない。
何着ものドレスを身体に沿わせて数十分。しっかりと着映えを確かめたシュメルは、星を散りばめたような黒のドレスを選んだ。
彼女の美しさを際立たせるドレスを纏い、姿見の前で身を翻す。ニコリと微笑み、ベッドの枕元に置かれていた銀細工の耳飾りを手に取った。
シュメルにとってどんな金銭や宝石よりも大切な装身具。下心や打算の無い、純粋な気持ちで贈られた初めてのプレゼント。
胸に抱き、数瞬の物思いに浸ってから、耳飾りを着けて部屋の扉を開く。
花園のエントランスまで続く螺旋階段を一段一段、噛み締めるように降りながら。
これから出会う初めての相手に沸き立つ胸中を抑えて、シュメルはクロトの下へ向かうのだった。