幕間 裏側の後始末
これまで温めておいた伏線を回収する時……!
「何か証拠が残ってれば御の字、って話だったが……こんな更地にあんのか?」
「かなり派手に暴れ回ったらしいな。おかげで区画の外に影響は無かったみたいだが」
「クロトと仲間達が迷宮主とやり合ったんだろ? 最近の若い奴らはすげぇな……そりゃ防衛戦の大活躍も頷ける訳だ」
愚痴と感嘆を軽口に。
自警団の腕章を着けた獣人族と妖精族の男は、ガレキだらけの再開発区画を見渡す。
シルフィの要請を受けた自警団の調査は既に開始されており、二人一組で散らばり捜索を行っていた。
暴動事件を引き起こしたと見られる犯人は死亡済み。身柄を押さえられず証言が取れない。
ならばせめて何かしら物的証拠を見つけなければ、と。
獣人の嗅覚を頼りに散布された違法薬物の匂いを辿って、精製所と思われる場所を突き止めたが半壊どころか崩壊。
念入りに調べたとしても見つかるのは、魔物の群れに踏み潰された土や埃まみれの残骸とも呼べないナニカ。
犯人に繋がる直接的な証拠に値しない物ばかりであった。
元々の手がかりの少なさと夜間作業も相まって調査は困難を極め、人海戦術による虱潰しも効果は薄く。
気づけば東の空が白み、太陽が顔を覗かせようとしていた。
「ああ、時間だな……霊薬の効果がまだ切れていないというのに」
「夜目が効くようになるヤツだっけか? 確か、日中だと視界が白み過ぎてなんも見えなくなるんだろ?」
「最悪、目が潰れる。……霊薬の効果を打ち消す薬を持ってくるべきだった。我ながら見通しが甘い……こういう時は、獣人のお前が羨ましいと思う」
「一長一短ってヤツだろ。ちょうど人員交代の時間も近づいてきてるし、一旦支部まで戻ろうぜ」
目を細める妖精族の男の肩を叩き、獣人族の男は快活に笑いながら。
二人は区画の外へと足を進めた──背後で揺れた、ガレキの山を視界に入れることなく。
「行ったか……全く執念深いゴミどもだな……!」
怨嗟を隠そうともしない口調で、ガレキの山から這い出てきたのはカラミティの幹部──先行組と称された三人の内、唯一生き残った者。
クロトとルシアの想像通り、彼はルーザーの独断で発生した暴動事件と魔物の暴走に巻き込まれた。
早々に潜伏場所を倒壊させられた挙句、今に至るまで生き埋めにされていたのだ。
そして外から聞こえるドレッドノートの砲声や骨身に伝わる衝撃。
加えて絶えず感じる自警団の気配に身動きが取れず、機会をうかがうこと数時間……ようやく日の目を見れるようになった彼の心境は酷く荒れていた。
当然だ。使える駒と認識していたルーザーは正常でなく、復讐に囚われた哀れな道化であったからだ。
先行組の一人を始末した際にも一切感情が揺らぐことの無い、人としての精神が壊れた男。
淡々としたその様子に戦慄や恐怖を抱くのは必然であり、凶行に走るのも時間の問題かと思われていたが……
「まさか、あそこまで我慢が効かないとはな……狂人の思想を甘く見ていた」
しかし、男は幸運だった。現に五体満足のまま生き長らえているのだから。
腐ってもカラミティの幹部。自警団が漏らしたわずかな情報でルーザーの死を確信し、離れていく人の気配を察知した彼は保身を第一に動き出した。
自身さえ生きていればいくらでも立て直せる。魔科の国に戻れば失態はいくらでも巻き返せる、と。
心の底で下に見ていたルーザーの甘言に惑わされ、行動を起こした挙句に魔剣を喪失したにもかかわらず、面の皮が厚いものだ。
──尤も、他所のシマで勝手なマネをして、逃げられる訳は無いのだが。
「ああ、いたいた。情報が少なくて厳しいかと思ったけど」
「やるじゃない。やっぱり便利ね、貴女の魔法」
駆け出した足が、女の声に止まる。
あまりにも軽快なやり取りに男が振り向けば、女が二人、ガレキまみれの道に立っていた。
一人はフレンだ。淡い燐光を放ちながら溶けていくカードを手に持ち、一安心したかのように胸を撫で下ろす。
もう一人はシュメル。隣に立つフレンへ賞賛を送りつつ、射抜くような目は男を捉えて放さない。
どちらもニルヴァーナにおける絶対的な権力者であり、そんな彼女らが何故こんな所に居るのか。
元より長らく潜伏していた男にとっては知る由もない。彼にとって己の道を阻む者がいるのであれば排除するのみである。
カラミティの外套に仕込んでいた暗器を取り出し、投擲。
間髪入れずに放たれた凶器は、悲鳴を出させない為に、と男の狙い通りに彼女らの喉へ突き刺さろうとしていた。
「あっぶな!?」
寸での所で身体を逸らし、回避したフレンとは逆に。
「……あ」
トスッ、と。容易く柔肌を裂き、空気と血液の漏れる音が響く。
シュメルだ。目を見開き、己の喉に手を当て、呆然とした様子で血に塗れた手を見つめる。
暗器には魔力の流れを阻害する毒が塗布してあった。回復も治癒もままならず、助けを求められず、直に死に至るのは明白だ。
故に男は意にも介さず、フレンを仕留め損ねたことに舌打ちを漏らす。こうなったら直接殺すしかない。
踏み込んだ勢いのままフレンに切迫。大振りのナイフを掲げ、振り下ろそうとして。
「わたしを、むししないで」
差し込まれた血濡れた手が男の首を掴む。咄嗟のことでナイフがこぼれ落ちる。
持ち上げられ、呼吸を遮られ、頭の奥が熱を持つ。声も出せずに、伸ばされた腕の方に目を向ければ。
──光の無い、シュメルの視線と交差した。慣れた手つきで暗器を引き抜く。血飛沫が地面を染めた。
背筋が泡立つ。言いようのない怖気が手足を痺れさせた。
この女は、既に死んでいる。漠然と脳裏によぎる直感が告げていた。
「んもー……いくらストックがあるからって避けないのはダメよ。命はタダじゃないんだから」
「だいじょうぶ。いま、ほ充するから問題ない」
常識では考えられない光景だというのに、フレンが取り乱すことはなかった。
空気の抜けた声が次第に輪郭を取り戻し、空いた手でシュメルが喉を擦る。──白磁の肌に、傷口が無かった。
汗が噴き出す。先ほどの口振りに、動揺の無さ……魔力を使わず傷を癒す能力。
間違いない、この女は……人外だ。人の皮を被り、人の世に紛れ込む怪物。
「バ、ケ……モノが!」
「失礼ね。問答無用で殺しに来る貴方の方が、言葉の通じないバケモノでしょう」
苦し紛れの言葉を切り捨てて、フレンが応える。
冷徹に、冷酷に。無残なまでに。感情の無い瞳が男を貫く。
「この街を脅かしておきながら、何食わぬ顔で生きていられるとでも? 悪いけど今回の事件、私、だいぶ怒ってるのよ」
どこぞの馬の骨とも分からない組織が無辜の民を、旅行客を巻き込んだ。
せっかくの祭りを滅茶苦茶にされた上に、建造物への被害も相当なもの。
そして何より。
「私の、私たちのお気に入りを私怨の逆恨みで殺しかけた罪は重いわ。たとえ実行犯でなくともね……落とし前はつけさせてもらうわよ」
至極冷静に、しかし激情を隠さない声音で。
フレンは神秘魔法を発動させる。目に見えるほど高密度な魔力の塊が細かく何層にも重なる魔法陣に変貌し、紙片へ物質化。
見せつけるように、男の前に翳すと変化が現れる。
豪奢な額縁のような枠全体に薄く靄がかかり、二振りの大鎌が交差し、外套を纏う髑髏。
不気味な印象を抱かせる絵柄の最後に、ⅩⅢという数字が枠外上部に追加された。
「冥土の土産に覚えておきなさい。私たちの在り方を」
いかに脱出するべきか思考を回し、焦り始めた頃には時すでに遅し。
猛烈な喉の渇き、飢餓を抱いた男は自身の手を見下ろし──骨と皮だけの干からびた手を視界に収める。
頭が、真っ白に染まった。悲鳴は出ない。思考も放棄した。
ただ一つ分かるのは、栓を抜いた浴槽から水が抜けていくように、命を抽出されていることだけ。
急速にしぼみ、軽くなっていく身体に比例して。
締め上げるシュメルの顔色が瞬く間に赤みを取り戻す。
確実に死へと向かっていく男の走馬灯によぎる、一つの噂。
ニルヴァーナをまとめ上げる権力者のほとんどはエルフやドワーフなどの長寿種族。
中でも特殊なアーティファクトに触れた事で不老と化したとされるフレンや他数名に関して、実態は全くの別物なのだ、と。
魔科の国、日輪の国、グランディアの三大国家から了承を得て国としての体裁を獲得した傑物。
その正体は、人類に敵対的な埒外の起源種なのではないか、と。
今まさに、自身の目前に佇む彼女らがそのものだと、遅まきながらに理解する。
女の細腕からは考えられない怪力。死んでいながら生きていて、致命傷をものともしない治癒力。
そして命に、生命力に干渉する能力……心当たりは一つしかない。
アンデッドと称される者共の中でも突出して謂れが多く、多くの国で警戒し、畏れを抱かせるその存在は。
「え、るだ、ー……リッ、ち」
アンデッドの中で至上の存在とされる、エルダーリッチ。
別名、太古の死人、大いなる死、不滅の災厄。かつて人を、国を、世界すらかどわかしたとされる超常の者が、この女だ。
死に物狂いで導き出した答えにシュメルは微笑みを返し、手を離した。怪しく光る眼差しに己の軽率が生み出した末路が鏡のように映る。
「──メメント・モリ」
膝から崩れ落ちれば骨が皮膚を突き破り、自重に耐え切れない内臓が千切れ落ちる。
抗うことのできない苦痛が死を招こうとする直前、風が吹いた。視界がズレる。いや、上半身ごと横倒しになっていく。
「死は等しく訪れるものよ。たとえ善人だろうと悪人だろうと、そこだけは変わらない」
虚空に溶けていくカードから移した冷ややか視線で見下ろされる。
「やりたいことだけやって、楽に死ねるなんて……そんな美味しい話があると思わないことね」
黒ずみ、ぼやけた男の視界に泣き別れた下半身と上半身が入った。血液すら出ない不気味な自身の身体を最後に、男は絶命。
真の意味で、先行組の三人はその生を終えたのだった。
「これでようやく終わりね。はぁー、疲れた……」
「貴女がもっと積極的に動いていれば、こうはならなかったのでなくて?」
「憶測で勝手に動いて、目を付けられる訳にはいかないでしょ? クロトくんの推理があってこそ確信を持って隠者のタロットを使えたんだし、最適解ではあったのよ。カードの制限もあるしね」
「無法の極みといえるアルカナムでも、易々と使えるものではないのが欠点よね」
ハンカチで血を拭うシュメルに、フレンはため息を落とした。
埒外の効果を引き起こすアルカナムといえど、その実は緻密な制約と誓約の上で成り立つ物。
日に一度のみ、期間を置かなければ使えないなど……特に死神のタロットは十分に注意しなければ、発動した際に取り返しの付かない状態に陥る恐れがある。
ありとあらゆる生物の根本に座し、早くとも遅くとも来訪する概念であるが故に。
「さて、と……人の目を盗んで徹夜作業を抜け出してきちゃったし、さっさと戻りましょうか」
「そうね、私も身体を洗いたいわ。……でも、こんなにも立派な血化粧、坊やとお揃いみたいで嬉しいわね」
「バカ言ってないでちゃんと着替えなさいよ。あと、あの子は好きで血だらけになってる訳じゃないんだからね」
「はーい」
おちゃらけた様子でシュメルは踵を返す。一人分の命を吸ってご満悦のようだ。
それでも知っている。偶にクロトの手を握って適度に生命力を得ていることを、フレンは知っているのだ。
節操無しめ……と頭を掻きながらシュメルの後をついていこうとして、立ち止まる。
「…………これに懲りたら、舐めたマネはしないように伝えておきなさい。次はこんなものじゃ済まさないから」
誰に言うでもなく、独り言をこぼして。
昇り始めた朝日に手を翳して歩き出した。
「野郎……オレに気づいてやがったな」
数十秒。しっかりと間を取ってから、魔剣の異能を用いてシオンが現れる。
タッチの差で、先行組の男を察知するのが遅れてしまったが故に、間に合わなかった。
「にしても、アレがエルダーリッチねェ……傍目から見りゃあイイ女だが、お近づきにはなりたくねェな。おまけに学園長とやらもマトモじゃあなさそうだ」
凄惨な亡骸を前に、これから起きる面倒事を想起し項垂れる。
「…………大失態だな、こりゃ」
言葉とは裏腹に苛ついた感情を隠さず。
ニルヴァーナを陰ながら守護する超越存在の脅威を実感しながら。
デバイスを操作し、ルシアへ連絡を取るのだった。
ということで、シュメルさんの正体と学園長の匂わせ回でした。
次章は……三つくらい短編を投稿してから本編を更新していこうかと思います。