第一一二話 獣たちの献身《後編》
モフモフとの猟奇的ほのぼの回のつもりで書きました。
完全に予定外の展開なので難しかった……。
「さて、機材の片付けはこんなところかな。後はケットシーに連れていかれたクロト君の様子を確認しに向かうとしよう」
「今更ですが、本当に彼を預けてよかったのでしょうか? いえ、頭では分かっていても知らない人から見れば謎の光景ですから……」
「問題無いさ。むしろ見知った仲であるクロト君が相手だからこそ、ケットシーは自発的に行動を起こしたんだろう。……とはいえ、こう見えて驚いてはいるんだよ? 地霊の癒し手とも呼ばれるケットシーに、あそこまで気に入られているなんて。彼は中々に、人ならざる者に好かれる性質なんだね」
「そこはクロトさんですから、としか言えないですよ。……そもそも、召喚獣の姿が大きく変わる事はありません。エルフと同等の寿命を持つ召喚獣が長い年月を掛けて成長し、ようやく人間大の等身を得ます」
「そうだね。詰まる所、あんなにも巨体な召喚獣というのは極めて珍しい。元が子猫とそう変わらない体躯を持つケットシーなら尚更だ。そして、長く生きていれば相応の知能と能力を持つ者へと成長を遂げる。……その特性をクロト君が把握してるかは定かではないが」
「召喚獣が持ち合わせている特別な能力ですね。ケットシーであれば元来持ち合わせている癒しの力、あるいは近しいモノ──生命力を手足の如く自在に操る事が可能になります」
「あのケットシーはその極致に至った存在と言える。さっき見ただけでも、回復魔法に酷似した癒しの空間を身体に纏わせたまま行動していたからね。運ばれてるクロト君が痛みを感じて跳ね起きる、なんて事にはならないよ」
「しかし、契約を交わしていないにもかかわらず、わざわざ容態を見に来るほどの親交を、人ではなく召喚獣と結んでいるのは珍しい……というより、ありえない事例ですよね」
「うむ、実に興味深い関係性だ。君が先ほど言っていた通り、クロトくんこそ常識で測れない部分が多い。魔科の国からの付き合いではあるが、良い意味で酷く痛感させられているよ。現在進行形でね」
「ええ、まあ、そこに関しては同意見です……っと、もうすぐ体験広場ですね。人を抱えた召喚獣の噂を辿ったので、目的地に違いないでしょうけど……」
「そう不安がる必要は無いさ。ケットシーを含む召喚獣は基本、善性の精神を持つ。手段はどうあれ任せたところで酷い事にはならな──」
『げぼぁーッ!?』
「…………悲鳴が、聞こえましたね」
「…………多少は手荒な真似になるかも、いや、なったかもしれない」
◆◇◆◇◆
『ブルル』
「ぐおおおぉぉぉ……? あれ、痛くない?」
始めに体内を貫く異物の感触が生じて、しかし痛みや熱感は無く、次いで虹色の炎が溢れ出した。
服を燃やさず、袖や裾の隙間から入り込み、身体の表面を舐めるように。
「傷が、治っていく……」
「お兄さん、大丈夫?」
「うん、なんともないよ」
不安げに顔色を窺ってくるレインちゃんに手を振り、改めて身体を見下ろす。
肌を、肉を、骨を、血管を、神経を。仄かにくすぐるような感覚が全身を駆け抜けていく。
それでいて柔らかく包み込むような炎は、ユニコーンの角を通して流れてくる生命の奔流。血液魔法を行使する際の感覚に近いものだと理解する。
しかし、魔力を燃料とした現象ではない。より根本的な部分から命に、生命に干渉している。
「そうか、思い出したぞ! ケットシーは地霊の癒し手と呼ばれるほど、癒しの力を引き出す能力に長けておるんじゃ。恐らくお主の状態を察知して身体を治すべく、体験広場まで連れてきたんじゃな」
「あー、そういう……でも三人が連れて来られたのは……あっ」
思案顔を浮かべていた親方が告げる新情報を頭の中で整理し、はっと気づく。
どこか見覚えのある虹色の輝き──魔科の国で大勢の人を癒した光景が脳裏に浮かんだ。
特殊な性質を持つ万能細胞。万物の生命へ作用する細胞に関係した虹の力。
ある種、視覚化された生物の生命力と言っても過言ではないそれと虹色の炎は酷似している。
そう、虹色の炎はレインちゃん達のペンダントから引き出されたのだ。
召喚獣の中でも上位存在である、霊鳥フェネスの虹尾羽から。
「……ケットシーは癒しの力を引き出し、自在に操れる……フェネスの別名は光輝なる冠、再生する者。そんな奴の素材がペンダントに加工されて、レインちゃん達が身に着けている事をケットシー達は知っていた。だから俺を治療する為に二人と、傍に居た保護者の親方を拉致したの?」
『──』
口を突いて出た一つの結論に反応したケットシーはコクリと頷いた。
反感を買わないように、保護者枠を確保するほどの配慮が出来る事に感嘆すればいいのか。
いくら召喚獣が賢いとはいえ、よくもそこまで知恵が回るものだと戦慄すればいいのか。
レインちゃん達は素直に感心しているが、親方は俺と同じ予想に至ったのか顔を引きつらせていた。そりゃそうだ。
加えて、虹色の炎を俺に直接与えるのではなく、ユニコーンの角を経由したのも治療を完璧に行う為だろう。
ユニコーンの角は錬金術において希少な霊薬の触媒として使われる。理由としてはいかなる傷や病魔も癒す、凄まじい効能を携えているからだ。
ケットシーが引き出したフェネスの炎に、ユニコーンの角を合わせた相乗効果で。
より強力に、より周到に。それこそ文字通り──実害が無いとしても──骨身まで焼き尽くして癒すという手段を取ったのだ。
めちゃくちゃ有り難いけど気が狂っとる。
『……フンッ』
緩んだ包帯の奥から覗き見える、修復されていく肌を眺めていたら、ユニコーンがズルリと角を引き抜いた。
虹色の炎は消え失せて、深々と刺さっていた割に血糊が付いていない事から、最初から刺し殺すつもりはなかったと見える。ごめんね、疑い深くて。
『──』
「うわ、っとと……」
身体を支えていたケットシーの手が緩み、開放される。
虹色の炎によって、凄まじい倦怠感と激痛に苛まれていた身体は完全に癒されていた。魔力の巡りもいつも通りで、筋肉の動きに合わせて皮膚が裂ける事は無い。
一日ぶりの健康体に感激していると、用は済んだと言わんばかりに。ユニコーンは踵を返して立ち去ろうとする。
早々に退場したいのだろう。あくまでケットシーの要請を聞き入れ、俺を治す為だけに姿を現したのだ。これ以上、この場に留まれば周囲の目を集めるのは間違いない。
──ユニコーンは自身の象徴たる黄金の角が原因で、囚われの身になった経緯があるため人間嫌いとなった。今も、それは変わらない。
そんなユニコーンにとって、耐え難い状況に身を置く理由などありはしない。
「ユニコーン、身体を治してくれてありがとう! 来てくれて助かったよ!」
『キュキュ、キュイ!』
『……』
それでも自身の経緯から湧き上がる憎悪を抑えてまで、力を貸してくれたユニコーンに感謝を。
声を掛けるとほんの少しだけ足を止めて、しかし一瞥もくれずに。
風を纏ったかと思えば一跳びで空に身を躍らせ、魔力の軌跡を残しながら音も無く夕焼けの空を駆けていった。
「──ユニコーンは気高き精神を持つ者への敬意と賛美を忘れない」
優雅な後ろ姿を眺めていると、同じように空を見上げながらオルレスさんとシルフィ先生が歩み寄ってきた。
「召喚獣の心を把握し切るのは難しい話だ。時として、人の理解が及ばない対応を見せる事が多い。しかし過去の実例を見るに、大抵は見知った相手の危機や異常を察知して行動を取るんだ」
「クロトさんは頻繁に保護施設を訪れていましたから。ユニコーンも見定めるのに十分な時間があり、信用に値すると判断したのでしょう」
「まあ、まさか角を突き刺すなんて手荒な手段を取るとは思わなかったが。……身体に異常は無いだろう?」
「もう痛みはありません。いつも通りです」
「それは何より。“癒す”という点に限ってケットシーは僕以上に手練れだ。口頭で症状に対する説明が出来ない欠点はあるけどね」
肩を竦めながら、オルレスさんは苦笑を浮かべた。
言葉から察するに、どうやら二人ともケットシーに連れ出された俺の様子を見に来てくれたようだ。さすがに重傷者を拉致されてそのまま、という訳にもいかなかったのだろう。常識的な判断だ。
ただタイミングが悪く、体験広場に到着したと同時に彼らの猟奇的治療行為を目撃し、硬直。
さしもの頼りになる大人といえど頭の中が真っ白になり、脚を止めてしまうのも仕方がない光景だ。というか、誰が見たってドン引きである。
「ケットシーと他の子達もありがとう。色々と迷惑を掛けたのに治してくれて」
親方とオルレスさん、シルフィ先生の大人組が召喚獣による誘拐騒動について、認識のすり合わせを行っている姿を尻目に。
傍で控えていたケットシーを見上げ、感謝を伝える。
『──』
色々と唐突な部分はあれど俺の為に動いてくれたケットシー。
親方たちを運んできた召喚獣は俺の声を耳にして、嬉しそうに身体を揺らしながら散り散りに去っていく。
中には突然の拉致行為を謝罪するかのように、レインちゃん達へ頭を下げる子もいた。ある意味、彼らも巻き込まれたといっても過言ではないのだが、律儀なものだ。
そして、ケットシーも。つぶらな瞳でこちらを見下ろし、容態を診る為か肉球で身体を押してから。
一仕事を終えて満足そうに鼻を鳴らして、その場でごろりと寝転がった。深い呼吸で巨体を膨らませては萎ませ、数秒と経たない内に寝息が鼓膜を揺らす。
「……しまった。ケットシーにもいくつか質問したかったのだが」
「すみません、寝ちゃいました。だいぶ疲れてたみたいで」
「暴徒化した住民の鎮圧や警護に協力してくれていたそうですから、無理もありませんね」
「召喚獣たちってそんなことしてたんですか……?」
シルフィ先生が打ち明けた衝撃的な新情報を聞いてケットシーを二度見する。
もしかして事件が発生してからずっと働き詰めだったのか? ……本当に悪い事をしてしまったな。後日、改めてお礼をしないと。
「まあ、突発的な行動で人を巻き込んでしまったとはいえ実害があった訳ではない。クロト君と同様に連れてきた三人もこの状況に納得している。おまけに、一部の召喚獣が宴会に参加し点在しているおかげで、注目を集めても一時的なもので大した騒ぎにはなっていない」
「ようは問題視されるような大事じゃない、って話ですよね?」
「うん。この件に関しては僕達だけが真実を知っていればいい。それに、あまり言い触らすような話題でもないからね」
オルレスさんの言葉の節々に感じる懸念は尤もだ。
癒しの力を操るケットシーがいるなんて情報を吹聴すれば、その力を狙って身柄を確保しようとする輩が出てくる恐れがある。
今回はあくまでケットシーたちの自発的な行動がもたらした結果であり、強制したり要請したものではない。
召喚獣の自由意思を縛るような真似はしたくないのだ。
彼らは決して、意思の無い道具などではないのだから。契約を結ぶ、結ばないにしろ動き出す事もある。
温厚で、気まぐれで、神経質で、寛容で、大雑把で。その個体の気質は千差万別だ。
それは彼らに与えられた大切な個性であり選択肢。
選んだのなら、尊重する。言葉で意思の疎通が出来なくともそれくらいは出来る。
納涼祭での出し物を経て大勢の人が知った事だ。人と召喚獣の共生とはそういうものなのだ、と。
「何はともあれ、一件落着じゃな。……さて、このまま長居しても召喚獣たちの邪魔になるだけじゃ。そろそろお暇するとしよう……腹も減っておるしの」
「そっか、親方たちは宴会の最中に連れ出されたから……というか、俺もお腹空いたな」
「仕方ありませんよ。ほぼ丸一日、寝たきりの状態でしたから」
「幸いにも君の内臓……特に消化器官の損傷は最優先で治療させてもらったからね。外傷もまとめてケットシーの力で完治しているのは目に見えて分かるし、食事に関する制限は無いよ。もちろん、食べ過ぎは推奨しないけどね」
「やだなぁ、そんなことするわけないじゃないですかぁ……」
空腹に耐えかねた暴食の未来に釘を刺された。睨むようなオルレスさんの視線から目を逸らし、改めて身体の調子を確かめる。
両手を握っては開き、松葉杖などの支えが無くとも足がふらつくことはない。全身に活力が満ち溢れている。
おまけに、偶然とはいえ虹色の炎に触れた事で、虹の力に繋がる新しい知見を得られた。正に怪我の功名と言えるだろう。
「いきなりでびっくりしたけど、召喚獣に運ばれるの楽しかったね」
「うん」
なんとも度胸の据わった感想を述べるレインちゃんとミュウちゃんが親方の後を。
シルフィ先生とオルレスさんもケットシーを起こさないように注意しつつ、その後ろに続いていく。
先ほどまでの喧騒はどこにも無く、召喚獣が思い思いに休んでいる光景に背を向けて。
俺達は体験広場を後にした。
『キュイ~』
「ソラ、お前は後でお説教だよ」
『ギュッ!?』
そんな馬鹿な!? と言いたげに浮遊していたソラが振り返る。
抗議するかのように尻尾でビンタしてくるが、治療を受ける前ならともかく今の俺には効かない。
意識が無い内に起きた出来事で俺の為に動いたとはいえ、しっかり言い聞かせておかないと再犯する可能性があるからな。
今回はケットシー達が想像以上に賢い判断が出来て、しかも大勢の人がいても疑問を抱きにくい環境だったからこの程度で済んだ訳だ。
反省の意味も込めてちゃんとやっておこう。
これにてクロトの治療と強化イベントのフラグが立ちました。
後は幕間を含めた三話で終わりになると思います。