第九十六話 灰被りの罪過
身勝手な恩讐と無知の罪。
己の招いた因果に向き合う時が来た。
「聞いたぞ、貴様の所業を!」
ルーザーが叫び、掲げた魔剣が怪しい輝きを放つ。その光は辺りを照らし、空気を変える。
既に掛かっていた異能の気配が霧散し、またもや覆うように展開された。異能の対象を街から個人へ切り替えたのだと理解する。
証拠に、放棄された資材がひとりでにガタつき、浮き始めた。
「我が社《デミウル》と協力関係にあったカラミティを言葉巧みに唆し、崩脚を企てたのだと!」
機材や部品、椅子にテーブル、さきほど散りばめられたガラス片でさえも。ありとあらゆる物が突き、刺し、潰そうと全方位から飛来する。
俺を狙うなら避けてもいい。しかし、後ろにはキオとヨムルがいる。自由に動けない彼らにとっては脅威だ。
アブソーブボトルの残量を確認し、グリップを一回転。駆動するトライアルマギアの振動を押さえるように、その場で魔導剣を構える。
「初めて知った時、腸が煮えくり返すような熱を感じた。同時に、好機であると確信を得た! 私を《デミウル》の関係者だと知らずに招き入れた愚鈍な奴らの目を盗み、この魔剣を得られたのだからな!」
深呼吸、集中。
緩やかな世界で捉えた迫り来るガラクタの壁に対し、かろうじて視えた薄い一点。そこへ踏み込み、魔導剣を振り切った。
風の刃は暴風となって壁を断ち、瓦解させ、ルーザーの下へ続く道を作る。
「この魔剣の力さえあれば貴様を葬るなど容易いこと! 灰被りが私に刃向かうなど──」
『聞くに堪えんな、この男の話は。どこまでも己が正しいと妄信している』
『耳が腐るという君の感想にここまで同意したくなったのは初めてだ』
ルーザーの扱う異能は種が割れている。対処法も、異能の力が及んだ物体に触れなければ問題ない。
「無駄話は聞き飽きた」
ならば後は、適合者本人を仕留めるだけでいい。簡単な事だ。
散らばったガラクタが動き出す前にルーザーへ接近。
焦った様子で振り下ろされた魔剣を難なく逸らして、肩を掴み、がら空きになった胴に膝蹴り。
苦悶の声と共に魔導銃がこぼれ落ちた。折れ曲がった体を起こして顔面に頭突きをぶちかます。脳天に響く衝撃で視界が揺れた。
直後、背後からの音。振り向かず後ろ目で確認すれば浮き上がろうとしていたのか、ガラクタが次々と地に落ちていた。
異能を使うにしても制御に集中しないといけない。ニルヴァーナへ広げていた無差別なモノであれば負担は皆無に等しいだろうが、この場にある物量に干渉しつつ自身も戦うとなれば話は別だ。
目の前の敵に対応しながら異能を行使するのは精神的、肉体的にも相当な練度が必要になる。所持者が未熟であればあるほど、自身の隙を晒す。
「能力を使う余裕すら、お前には与えない」
「ふ、ざけたマネを……!」
苦し紛れに振るわれる魔剣を避けて、血が滲む額を押さえていた手を取り背後に回る。
呻き声を聞き流して、無防備な背中を蹴り飛ばした。
無様に転がり埃まみれになったルーザーが睨みつけてくる──その顔に制服の裾を伸ばして視界を奪う。
「ぐ、おっ」
引き千切ろうともがく姿にため息が出る。魔剣で裾を斬るという選択が思い浮かばないのか。
魔導剣を鞘に納め、駆け出す。胸元へ潜り込み、鈍器と化した魔導剣を全力で振り切る。鈍い音と衝撃が手に伝わった。
「げぼぇ!?」
吹き飛び、情けない叫びが廃墟内に反響する。その場で蹲り、嗚咽を漏らすように吐瀉物が撒き散らされた。
呼吸を求めて喘ぐ様を見下ろす。これだけ痛めつけて尚、魔剣を手放さない姿勢を貫くとは。
何度も体を揺らし、ルーザーは震えた足で立ち上がる。
歪みに歪んだ憎悪を顔に表しながら、懐から取り出したのは鈍色に輝く金属製の注射器。
鑑定スキルで確認。中身は高濃度に圧縮されたポーション、霊薬などの混合液。
まさか、正気か? あれだけの薬剤を一気に摂取すれば間違いなく中毒症状が出る。曲がりなりにも製薬企業に居た人間だ、知らない訳が無いのに。復讐の為ならそこまで捨て身になれるのか。
止める間もなく、ルーザーは躊躇なく自身の胸に打ち込んだ。
「っ、う、ぁあ!」
途端、服の上から見ても分かるほど全身の筋肉が軋み、体格が一回り肥大化。
血管の浮き出た顔は赤く染まり、充血した目を射殺さんとばかりに向けてきた。警戒を一段階、引き上げる。
踏み込めば、拳を振るえば地面が砕ける。次々と押し寄せる打撃と斬撃の嵐を避けて、捌き、受け流す。
しかし今日一日を通して蓄積する肉体の疲労と精神の磨耗は、着実に形成を傾けさせていた。
だから、終わらせる。
命は奪わない。ただし、気勢は削らせてもらう。
「キサマさえ、いなければァアアアッ!!」
世界は未だに緩やかに流れ続けている。
どこぞの学園最強のおかげで音速には慣れた。それに比べたらルーザーの攻勢なんて止まって見えてしまう。
数千以上の予測。左右上下に分かれた輪郭を見つめ、打ち合いのタイミング、体の重心、軸を崩し、見通した隙を縫うように。
右腕で振り切った魔剣を弾き上げて、分厚い筋肉で覆われていない関節に狙いを定めて。
「──暁流練武術初級“天流”……ッ!?」
ダンッ、と。
暗闇から生まれた異音に背筋が熱を帯びる。
叩き込もうとした練武術を中断。魔力操作で脚力を強化、一跳びでその場から離脱する。
空気を切り、小さな影が差す。直後に爆発を思わせる衝撃が地面を割り、土埃を巻き起こした。
視界が塞がれる。避難し、物陰に隠れていたキオ達の短い悲鳴が聞こえる。
乱入者……? いや、どこかから魔物が入ってきた? そんな疑問に耽るよりも早く、埃を振り払い何かがこちらへ近づいて……待て、待てよ。
「ユキ!?」
「──」
攫われ、別の場所で拘束されていたであろうはずのユキがそこにいた。しかし名前を呼んでも反応はせず、俯いたまま歩み寄ってくる。
白髪を揺らして、拳を打ち合わせた彼女は脚にぐっと力を込めて。跳び出し、子供らしからぬ膂力を抑えることなく振りかざしてきた。
「ぐっ!?」
鋭く、重い拳を魔導剣で受け止める。滑るように体が後退した。
間近に迫る顔を覗けば、ころころと笑みを浮かべる時の可愛らしさは影も形も無く、能面のように変わらない無表情。
そして開かれている目は血走り、正気を失っていた。
「っ、そうか」
ユキは体格のせいで孤児院の年長組と同様に扱われるが、実際は俺やエリック達より一つ年下の十六歳。
リーク先生やオルレスさんによる身体検査で、肉体機能は身長などの一部を除いて実年齢相当だと聞かされた。
つまり、ルーザーが散布した違法薬物が効いてしまう。……最悪だ、今のユキは敵と味方の区別がついていない!
「ユキ! 俺だ、クロトだ! 返事を、づぅ……!?」
必死に声掛けをするも応えない。それどころか押し切られないように耐えるので精一杯だ。
だが、解せない。薬の影響を受けているならもっと暴力的な言動が目立つはず。今のユキはなんというか、意思が希薄で動きも機械的だ。
「いったい、どうなって」
「はははっ! さすがに余裕が崩れたなぁ、灰被り」
勝ち誇ったような笑みを浮かべ、胸を張ったルーザーが視界に入る。
「お前、ユキに何かしたのか!?」
「当然だ。ソレはフェンリルの細胞に適合した唯一の実験体であり最高傑作。散々研究対象として調査し尽くしたモノであるからこそ、人形のように操るなど造作も無いこと。人外の膂力と驚異的な回復能力を備えた戦闘兵器なんて便利な道具、使わない訳にはいかないだろう?」
「ッ、どこまでもふざけた事を……!」
「利用価値があるだけマシだと思え。それに異種族が私の命令で働けるのだ、これほど光栄な名誉はあるまい」
魔導剣を握る手が力む。人の尊厳と命を弄ぶ物言いに頭が沸騰しそうだ。
ユキの実力でルーザーに後れを取るとは思えないが、違法薬物によって意識が混濁していたせいで抵抗も出来なかったのか。もしくはキオ達を人質にされたか。
どちらにせよ、人に戦わせて自分は安全圏から高みの見物という、目の前の光景に既視感を抱く。なんともまあ、血の繋がりを感じるやり方だ。
「親が親なら子も子だな。お前ら親子揃って、人の命をなんだと思ってる!」
「貴様がそれを言うか。ならば教えてやろう……下がれ、F-03」
ルーザーが一声かけるとユキは力を緩め、軽快な動きで飛び退いた。距離が空き、張り詰めていた息を吐く。
いや、油断はできないか。なんとかユキの正気を取り戻さないと俺だけじゃなくキオ達も危険だ。
「《デミウル》崩脚によってどれだけの被害が出たのか」
でも、やれるのか? 違う、やるしかない。
必ず連れて帰る。交わした約束を違えてはならない。
アブソーブボトルを引き抜き、再装填。ユキを従えるように立つルーザーへ魔導剣の切っ先を向ける。
「──ああ、今でも鮮明に思い出せるぞ」
そして、この瞬間を待っていたかのような口ぶりで。
気づいていながら、見て見ぬ振りをしてきた俺の罪を。
水を得たのように意気揚々と、ルーザーは語り出した。
◆◇◆◇◆
「医療系企業の頂点、《デミウル》の消失。その影響は類する企業だけでなく、各方面へも深刻な爪痕を残すことになった」
淡々と、紡がれた声が反響する。
ルーザーが声に出さずとも指先一つで猛威を振るうユキの拳、蹴りを。紙一重でいなしながら正気を取り戻す方法を模索する。
「《デミウル》が所有していた土地はカラミティの謀反によって壊滅、インフラ設備の大半を損傷。おかげで襲撃で発生した負傷者の搬送、治療が著しく停滞した」
打ち合うほどに、体の芯まで衝撃が響く。
模擬戦で自傷した生傷が開いた。頭の奥をガリガリと、削られるような幻覚の痛みが視界を眩ませる。
動きを鈍らせるのに十分なそれは、徐々に攻防を制限していく。
「分かるか? 貴様の浅慮がもたらした地獄の様相が。企業関係者や無関係な人々の暮らしを傷つけ、脅かし、一生消えない障害とトラウマを植え付けることになったんだよ!」
ユキの拳が氷の爪へと変貌する。手数が足りない。懐に仕舞っていたトリックマギアを取り出し、起動。
出現する魔力の刃と朱鉄の刃。二刀のまま氷の爪と鎬を削る。
甲高い音が、弾ける火花が。記憶の底で眠っていた情景を引きずり出す。
「男も女も、老いも若いも。誰もが待ち望んでいた明日を迎えられなかった者たちがいた! 貴様がたった一人を助ける為に、そんな小娘を救う為に! ゴミのように扱われたのだ!」
燃え広がる火の手。
助けを求める無辜の民。
理不尽な絶望に沈んだ命。
自らの手で生み出した最悪の光景は、ずっと心に焼き付いていた。
「私の父も同じだ。尊厳を踏み躙られ、精神を壊され廃人となってしまった──そこまでする価値があったか!? 搾取し、使い捨てる命の代価として重過ぎるんだよ!」
氷の爪が皮膚を、肉を削る。砕けた地面を血が彩っていく。
隙を埋めるように放たれた拳が脇腹を抉り抜いた。視界がぐらつき、体が高く放り出される。
緩んだ手元からトリックマギアが落ちた。ゆうに五メートルは持ち上げられ、受け身も取れず地面へ叩きつけられる。
息が止まった。
体が痙攣する。
耐え切れず、ごぼりっ、と。喉奥からせり上がる血の塊を吐き出した。白い制服が、杖としてついていた手を赤黒く染め上げる。
「「兄ちゃん!?」」
『適合者! これは、内臓をやられたか……!?』
『致命傷だ! 血液魔法で治癒を……』
誰かの声が遠い。不規則な鼓動が聴覚を妨げる。
「これは罰だ。積み重ねてきた無知の、身勝手の代償を、その命を以って払う時が来たのだ」
なのに、嫌な声だけは明確に伝わってきた。
震える膝を殴りつけて、ふらつきながら立とうとして、崩れ落ちる。
視界が霞んできた。無気力な表情を貼り付けたユキだけが鮮明に映る。
「──嗚呼、貴様には相応しいだろう。己で手に掛けた男の形見に殺されるというのは、何事にも代え難い屈辱じゃあないか?」
砂のように風化していった、どこかで見た面影が重なる。
…………そうか、知っていたのか。
「男の、形見……?」
「手に掛けたって……」
「なんだ貴様、黙っていたのか? ならば教えてやろう。コイツは小娘の父親を殺したんだよ。散々いじくり回して人の形は保っていなかったがな……しかし、言わずにいたということは、もしや後ろめたい気持ちがあったのか?」
隠すつもりは無かった。時が来れば、打ち明けるつもりだったのに。
バラされた、バラされてしまった。やはり下手な隠し事はするべきではなかったか。
「ふざけた奴だ。偽善に振り回される者の気持ちを考えなかったのか」
頭が痛い。心が軋む。
呼吸が整わない。世界が等速に戻っていく。
ルーザーの言う通りだ。どんな理由があろうとも、あの日、あの時。
俺が取った選択の全ては間違いなく罪であり、咎であり、悪だった。自罰の鎖が脚を絡め取り、雁字搦めにしていく。
「答えないか? 答えられないか? その程度の覚悟で人の安寧を崩し、奪い、殺したのか。興覚めだな……もういい、殺せ」
「っ、やめろユキ!」
「止まって!」
静止の叫びで歩みは止まらない。
逃げる気力は無く、眼前で立ち止まったユキが弓を引くように氷の爪を構えて──深々と、胸を貫いた。
冷たく、直後に熱を持った痛みが生じる。溢れ出る血が制服を濡らし、急速に血溜まりを作り出す。
…………死ぬほど痛いが、心臓への直撃は免れた。よかった、おかげで魔法が使える。
ずっと考えていた。どうすればユキを正気に戻せるのかを、ずっと。
恐らくユキの父親と同じく洗脳処置を受けていると仮定。違法薬物による意識の希薄化を利用し刷り込みをしたのだろう。
しかし父親との違いは期間だ。《デミウル》に捕らえられ、長期に渡り施術されたものより軽く、浅いはずだ。
現に、野性的な動きや反応が多かったユキの父親と比べて。ユキの行動は与えられたプログラムを繰り返しているような違和感を覚えた。
ならば、そこが突け入る隙になる。
氷爪を引き抜こうとした腕を掴み、小柄な体を抱き寄せた。
「……ごめん。俺のせいで、こんな目に遭わせて」
暴れ出すユキを渾身の力で抑えて血液魔法を発動。
残り少ない魔力を使って、ユキを正常な状態に戻す。幸いなことにフェンリルに適合したユキの身体なら、薬物の効能を無くせば体調はすぐに良くなる。
動き回っていては魔法を使うのが厳しく、組み伏せるには非力だった。だからユキの方から近づいてくれるのを待っていたんだ。
「もう、大丈夫だから。きっと皆が、来て、くれるから……」
爪が肉を掻き分ける。水気を含んだ音が絶え間なく流れていく。
「言え、なかった……でも、託さ、れた」
視界が潤む。ぼかした絵画のように世界が滲み、暗くなっていく。
「ユキ、を、頼むって。だからって、許される、ことじゃない」
カラミティと共同戦線を張って《デミウル》を強襲する。俺にはそれしか出来なかった。
決して正しい行いではない。けれど力が無かった。
全てを救う事は不可能だと理解していながら、それでも納得できなくて、小を拾い大を捨ててきた選択の罪。
分不相応な望みだ。過ちを犯さなくては叶えられなかった。
尤もらしい御託を並べて、取るべき責任から目を逸らして……ユキと子ども達の面倒を見る事が罪を償う免罪符になればいい。
無意識に、そんな風に考えていたのかもしれない。
「情けない、よな」
口先だけの大人ぶった行動のツケが回ってきた。だからこれは、仕方のない事だ。
存分に恨んでくれ、復讐を果たしてくれ。でも、せめてユキだけは──助けてみせる。
「──に、ぃに……?」
氷爪が解ける。身体に空いた穴からこぼれ落ちる、小さな手が頬を撫でてきた。
抱き締める力を弱めて、ユキと目線を合わせる。無表情だった顔はどこか赤みを取り戻したようで、見開いた目は宝石のような碧い瞳に。
ピンと突っ張った耳も、ゆらゆらと左右に振れる尻尾も。
明滅を繰り返す視界には、いつも通りのユキがいた。目から熱い物が溢れる中、精一杯の笑顔を浮かべて。
「ぶじ、で……よか──」
「つまらん芝居だな。脚本を変えた方がいい」
直後に、カチリッ、と。軽快な金属音。
背筋が泡立つ。天窓から差し込む明かりによって、直線上に立つ何かが光った。
緩慢に流れる世界の中で、咄嗟にユキを真横へ突き飛ばす。離した手を掴み損ねた、そんな顔で何かを叫んでいる。
ダメだな、俺は。結局ユキに嫌な思いをさせてしまった。
無力さと後悔が胸を刺す。現実味の無い激痛と、身体に走る新たな痛みに掻き消されるように。
血溜まりに沈む意識を手放した。