第九十三話 極まる混迷
もっと描写を増やそうと思いましたが、またとんでもない文字数になりかけたのでアッサリ気味です。
学園の中心から花火が打ち上がり、その音は街中に伝播していく。
納涼祭二日目の終わりを知らせる狼煙に、なんだなんだ、と祭りの熱気に乗じていた人々は足を止め、空を見上げる。
急ごしらえな為か華美な物ではないが、それでも大勢の目と耳を惹くには十分だった。
そして、異変はすぐに現れた。
大通りのみならず、街中のざわめきが強まる。
始めに温厚そうな獣人の若い男性。
目が血走り、周囲の喧騒を煩わしそうに睨みつけたかと思えば、近くで開いていた出店の店主を怒鳴りつけた。
支離滅裂な暴言、荒唐無稽な売り言葉に買い言葉。
謂れの無い罵倒も混ざった叫びに店主の堪忍袋も緒が切れた。
次にその光景を不安そうに見ていた妖精族の女性。
呼吸が荒くなり、辺りに置かれていた手ごろな木箱を抱えたかと思えば、唐突に人が密集している場所へ放り投げた。
非力な事が幸いしてか誰にも当たらず木箱は砕けたが、危害を加えられた人々にとって彼女は明確に敵と認識される。
男女二人組、家族連れ、旅行客。
たくさんの目が、見られてる、守らなきゃ、殺さなきゃ……うわ言のように呟きながら、涙目のまま彼女は武器を探しだした。
歩行補助具として持っていたであろう杖を老人は振り回した。
露店で売りに出していた土産物を客も店主も踏み荒らす。
急に様子の変わった夫婦を見て子どもが泣きわめく。
理性による自制心を失い、始まる怒声と怨嗟の闘争。
異能と薬物。二種の毒によって引き起こされた異常現象は留まることを知らず。
誰もが襟を掴み合い、一触即発の空気が流れる──寸前、一人の男が割り込んだ。
「笑えねぇ冗談だなぁ、オイ」
自警団を引きつれた金髪長身のエルフ、エルノールだ。彼はこめかみを押さえて一言、吐き捨てて後ろに続く団員へ目線を送る。
頷いた団員達はそれぞれ散開し、人を引き離し身柄を取り押さえた。
手早く、次々と拘束された人の目を覗き込みながら。エルノールは胸元から取り出した爆薬を上空に放ると、軽い破裂音が響く。
違法薬物の流通を疑った時から錬金術師に依頼し、作成していた鎮静剤。
自警団内で流通させ、所持することを徹底していた。その粉末が風属性の爆薬によって散布され、浸透していく。
手足をばたつかせ、暴れ続ける住民の血走った目が少しづつ元に戻る。
「団長! 近辺の制圧は完了しました。並びに、鎮静剤による効果も発揮されているようです」
「ああ、即効性の効き目で助かるぜ。……暴徒化はするが魔法を使わない、いや使うだけの考えに及ばないってところか。俺らとしちゃあやりやすいが……」
辺りを見渡すエルノールの視界には、暴動が治まらず混乱に陥り、至る所で黒煙が立ち昇る街の様子が映った。
局所的に対応したところで焼け石に水。理解していたことではあるが、それはそれとして。
「気が緩む絶好のタイミングとはいえ、ここまで堂々とケンカ売ってくるとはな。舐めた真似してくれるじゃあねぇか……!」
軋むほど強く拳を握り締め、眦を吊り上げて。
まだ見ぬ大事件を起こした犯人へ、エルノールは強い敵意を向けた。
◆◇◆◇◆
「一体、何が起こってんだよ……」
「いきなり暴言を吐かれたかと思ったら殴りかかってきたねぇ」
花火が打ち上がった後、帰宅途中だった男子生徒の様子が急変し、殴りかかってきた。
危なげなくエリックとセリスの連携によって無力化され、足下に転がされた生徒の目を診る
「血走った瞳、それに突発的な心変わりに暴力的な言動──頻発してる暴行事件で捕まった人たちと同じ症状が出てる」
「では、やはりこれはカラミティによるものだと……?」
「目的も意味も不明。決め付けるのもダメとは思うけど、そうとしか思えない。念の為、《バインド》系の魔法で縛って」
同じように襲いかかってきた何人かの生徒を投げ飛ばしたカグヤが、闇属性の魔法で縛り上げたのを確認して。
「じっとしてるのもマズい、かと言ってここからアカツキ荘まではちょっと遠い。……一旦、七組の教室に戻ろう。あそこなら安全だ」
「校舎にはまだ帰ってない生徒が大勢いるし、危ないんじゃあないのかい?」
「薬物の散布が影響してるのは恐らくまだ屋外だけだ。ある程度の密閉空間になってる屋内ならここよりはマシだよ」
「だったらさっさと行こうぜ。今の騒ぎを聞きつけて他の奴らが寄ってくるぞ」
エリックの言う通り、多数の足音が近づいてきていた。
俺たちは顔を見合わせて駆け出し、近くの昇降口から校舎へ入る。
「今の変貌っぷりを見た訳だし、薬物が原因だってのは疑いようがないとして。こんなにも早く効果が出るもんなのか?」
「異能との合わせ技だよ。効能としては興奮剤に近い薬で思考能力を低下させて、暴力的な面を誘導の異能で引き出してるんだ。元々異能が掛かってる人なら少し吸い込むだけで理性を失うだろうね」
「そんな恐ろしい物をニルヴァーナで……ですが、クロトさんの仰る通りなら私たちも危険なのでは? 先ほどまで外に居たのですから」
「それは……ん?」
困惑した生徒と戸惑う一般客の混乱を鎮めようと、何人かの教師が声掛けをしている横を通り過ぎて。二年七組へ向かう階段を上り切ったところで騒音に気づく。
なんだ? と音源の方へ目を向ければ、七組の教室前に魔法で簀巻きにされた生徒が山積みにされていた。
一瞬、思考に空白が出来る。幻覚かと思い瞼の上から目を擦るが、現実の光景だった。
頭を振って膝をつき、生徒の目を確認。……どこかの教室で窓を開けていたのだろう。猿轡を嚙まされ声が出せず、呻いている生徒の瞳は血走っている。
「えーと、どうなってんだ?」
セリスがそう呟くと教室の扉が開かれ、中から頭を掻きながらデールが出てきた。
「ったく、何だってんだ……んあ? お前らまだ帰ってなかったのか?」
「いや、帰る途中でこういうのにいきなり襲われてさ、危ないから教室まで戻ってきたんだ。皆は無事?」
「問題ねぇよ。こっちもいきなり血相変えたコイツらが入ってきて、暴れ始めたから縛りあげて廊下に並べてんだ。とりあえず状況が分からねぇし、下手に動く訳にもいかねぇ。お前らも突っ立ってないで入れよ」
「ああ、そうする」
デールに手招きされて教室の中へ。
見渡せば少々争った形跡はあるものの怪我をしている人はおらず、七組の生徒全員が揃っている。中には臨戦態勢を取る者もいるが入室したのが俺たちであると分かった途端、表情が和らいだ。
ひとまず肩の力を抜ける場所に変わりはない。各々が体を休めている間に、資材置き場へ保管していたいくつかのアロマキャンドルに火を点ける。
不思議そうに見つめてくるアカツキ荘の面々へ指を立てて。
「さっき説明しそびれたけど、七組が安全な理由はコレがあるからだよ」
「それって獣人種族の鼻を誤魔化す為のアロマキャンドルだろ。何の意味があるんだ?」
「本当はクレーマー対策とか落ち着いて料理を食べてもらう為だったんだけど、実は鎮静剤を混ぜて作成した特殊な物なんだ。異能には対抗できないが薬物になら十分効果を発揮する」
ちなみに液体と粉末タイプの鎮静剤もあり、それは自警団が暴行事件への対抗策として所持している。
「……なるほど。メイド喫茶で長時間活動していたおかげで私たちやデールさん、七組の皆さんには知らずの内に耐性が付いていた、と」
「現時点で最も安全で害意に晒される事が無い場所──ある意味、聖域みたいなもんなのか」
「こんな混乱してる真っ只中でセーフルームが作れるのは助かるな」
納得した三人にアロマキャンドルの設置を手伝ってもらい、清涼感のある香りに教室が包まれた。
しかし不審がる目線が突き刺さる……当たり前か。帰宅したはずの連中が戻ってきて、いきなりアロマを焚いて置き始めたとか意味不明過ぎる。
「もしかしてお前ら、何が起きてるのか把握してんのか?」
「えっと、まあ、それなりに。手短に要点だけ話すけど……」
どう説明しようか悩んでいると、扉の側で廊下を警戒していたデールが目に入る。
渡りに船だ。彼へ推測した現在の状況を伝え、そのまま説得してもらおう。
「暴行事件の主犯が花火に薬物を細工して、ばら撒かれた物を吸っちまって暴走してる奴が大勢いる訳か。突拍子もない話だが、自警団の依頼やってる時にある程度の事情は聞かされたからな」
「納得できる?」
「まあな。だが、他の連中にとっては妄言扱いされてもおかしくねぇ。正しいか間違ってるかはともかく、そんな発言をしたお前に矛先が向かう可能性もある。言いふらすのはマズいだろうな」
「この教室と七組の生徒が安全なのは間違いないから、さりげなく説明してくれない? 俺だと余計な事まで喋って不安にさせるかもしれないし……」
「いいぜ。どの道、この事態が収束するまで籠城するしかないしな」
「たぶん自警団が鎮圧に出てるとは思うけど、どれだけ時間が掛かるか分からないからね」
位置を交代して教室の中央で人を集めるデールとすれ違い、こちらに集まってきたアカツキ荘の三人に耳を貸すようにハンドサイン。
花火が打ち上がる直前、通話を掛けてきたカラミティの人物について話す。
「発端、因縁だァ? 勝手に押し付けてきたくせに偉そうだな、ソイツ」
「非常に腹立たしい物言いではありますが、拠り所を壊すという発言。これは間違いなく現状の騒動を指していると見て間違いないでしょう」
「クロトどころか明確にニルヴァーナを潰そうとしてるからねぇ……ああ、だからこそ学園の中心に小細工を仕掛けたのかい」
「向こうは俺が学園の生徒であると把握してるんだ。そりゃあ的確に嫌な部分を狙ってくるさ。誰だってそうする、俺だってそうする」
口々に怒りをこぼす三人を宥めながら“これから”を考える。
何をすべきか。もちろん、惨状を引き起こした元凶、カラミティを止めること。嫌がらせのような襲撃こそあったが他者を介在させず明確に接触してきたのは今回が初、決して無視はできない。事を起こした相手が今よりもっと酷い手を使わないとも限らないからだ。
どうするべきか。街は暴動と罵詈に溢れ、迂闊に飛び込めば身動きが制限される。自警団に助力を得たところで容易に人は割けないし、効果は薄い。だというのに相手の居場所が分からないから手探りで突き止めなくてはならない。
──圧倒的に不利だ、好転する気がしない。何か一手、相手を上回る策を講じれたら、或いは……。
「……なんだか廊下が騒がしくないかい?」
「新手か? にしちゃあ足音が小さいな」
熟考の海から引き上げられるように、姉弟二人の声で現実に戻る。
カグヤに周囲を警戒してもらってから扉を開ければ、
『兄ちゃん、姉ちゃん!』
飛び込んできたのは幼い子ども、というか孤児院の子ども達だった。皆が息を切らせ、肩を上下させている。
そうだ、あまりにも急展開すぎて意識が回らなかった。彼らの事も気に掛けなければならなかったのに……失態だな。
魔科の国での《デミウル》による襲撃は、子ども達にとって最も恐ろしく怖いものだった。それに近しい現状を目の当たりにして、俺達を頼りに七組の教室へ来てくれたのだろう。
申し訳ない気持ちを今は抑えて子ども達を労る。不安そうに見上げてくる彼らの目に異常はない。
……薬物は子ども達に効かないのか? 思えばエルノールさんに見せてもらった調査資料に子どもの表記は無かった。あえて省いた訳でなく、効果が無いのだとしたら載せる必要もないか。
「デール、子ども達もこの教室に居させてやってくれないか。幸い薬の効果は子供に効かないみたいで……待て」
保護を頼みながら状態を確認していたが、何人か足りない。
「皆、キオとヨムル、それからユキはどこに? はぐれたのか?」
「っ、違う、違うんだ!」
「僕らも集まって兄ちゃん達のとこに行こうとしたら、キオ達が誰かに連れ去られたのを見たんだ!」
「黒い服の男っ、追おうとしたんだけど、いきなり色んな人が暴れ出してっ……!」
「「「「っ!?」」」」
息を呑む。黒い服の男、間違いなくカラミティの一員だ。
まさか別の場所とはいえ学園に侵入していたのか? 俺が孤児院の子ども達と交流がある事を知って攫った……追わざるを得ない理由を作りやがった。
越えてはならない一線を越えたのだ。もはや手をこまねいている場合ではない。
「そうか、分かった。教えてくれてありがとう」
無力さを嘆くように涙目になった子ども達の頭を、目線を合わせて撫でる。
「俺達で三人を取り返してくるよ。必ず連れてくるから、ここで待っててくれるか? 七組の連中なら皆も顔見知りだし不安に思うこともないよ」
「……うん」
「ごめんな、せっかく来てくれたのに。大丈夫、そんなに時間は掛けないよ」
立ち上がり、扉を開けてエリック達と共に廊下へ。
より苛烈さを増した罵倒、暴行、器物破損によって構内の雰囲気は一変した。納涼祭での賑わいとは全くの別物と化している。
つい数分しか経っていないというのに、随分と荒れてしまった。どうにかしたいが、俺達のやるべき事は別にある。
「エリック。デバイスでシルフィ先生に七組の環境を伝えてくれ。忙しいとは思うけど、対応してくれるはずだ」
「おう」
「カグヤ、セリス。悪いけどアカツキ荘に戻って自分たちの武器を。それと、俺の地下工房からありったけの鎮静剤と爆薬を持ってきて。手札が無いよりマシになるはずだ」
「分かりました」
「アンタはどうするんだい? クロト」
眉間に皺を寄せるエリック、目の据わったカグヤ、指を鳴らすセリス。
三者三様に募らせた思いを態度に出しながら、引き連れて構内から外に。
「先行してクソ野郎の居所を探る。レオ達の手を借りれば、いくつか目星は付けられるはずだ。場所が割れたらデバイスで連絡するから、確認を怠らないで」
「あいよ。先走るなよ?」
「善処する。それじゃあ、また後で」
皆には悪い事をしたが、単独で動けるようになったのはありがたい。模擬戦のおかげで魔導剣を所持したままなのも怪我の功名と言える。爆薬とポーションの手持ちが無いのは……気合いで乗り切るとしよう。
アカツキ荘へ向かった三人の背を見送り、デバイスを取り出す。通話先の項目から先日登録した番号を呼び出し、掛ける。
『──クロト!? 良かった、ようやく出てくれた。いくら掛けても出てくれないから、どうしようかと』
「ごめん、こっちも大変なことになってたから。それよりルシア、ユキ達が先行組に攫われた。そっちで何か情報を掴んでないか?」
『っ、じゃあアレは……君が提案してくれた再開発区画の捜索に乗り出そうとしたら、先行組の二人が子どもを連れてきた。眠らされていたようだけど……』
「当たりだな、すぐにそちらへ向かうから待っててくれ。俺も一緒に再開発区画へ乗り込む」
『分かった。……ごめんなさい、街がこんなことになる前にケリをつけるべきだったのに、止められなかった』
「ルシアが謝ることじゃあない。払うべき代償は、当人に払ってもらうよ」
通話を切り、ポケットに仕舞い駆け出す。
情報は出揃った。街の混乱は自警団に任せる。アカツキ荘に行った三人も察して動く。
ならば無法者の相手は俺がやろう。適合者であれば、尚更だ。
「俺の、皆の居場所を壊すというのなら、どんな手を使ってでも──」
『……適合者。汝は……』
レオが言い掛けた言葉を聞き捨て、血液魔法を使い手近な屋根へ上り、走る。
目的地はニルヴァーナの南西地区。
幾つもの迷宮により魔物の蟲毒と化し、街中でありながら隔絶された再開発区画だ。
若干の不穏さを見せて、ようやく書きたかった部分に着手できます。